第3話

 湘雲の縁談はあっという間に進んでいきました。夏至節の後すぐに抜歯式を行い、その後輿入れすることとなりました。夫となる人には当日まで会うことができません。

「王さんのお宅ではきっと普段から燕の巣だとかナマコだとかが食べられるんだわねえ」

湘雲の部屋に嫁入り道具の打ち合わせに来た李氏は、商人の持ってきた玉の髪飾りをうっとりと眺めながら言いました。金の鎖に白く光る玉の粒がちりばめられたそれは、結い上げた髪に結べば本当に美しいとわかるものです。

「どうでしょう、売り物を自分の家で食べるものでしょうか」

湘雲は遠慮がちに言ってみます。しかし李氏はきっと食べているわよ、と今度は腕飾りを手に取りながら言いました。

「燕の巣って、海の上にできると聞くけれどそれって一体どういうことなのかしら、海って河より大きいのかしら。それにどうしてあんなに真っ青なのかしら。不思議ねえ」

「海の上ではありませんわおばさま。ずっと南にある島の断崖絶壁に海燕がつくる巣を人が登って取ってくるのです。青いのは燕の唾液ですのよ」

「唾液!おお、そんな恐ろしいこと言わないで、もう食べられなくなるじゃないの!」

李氏は素っ頓狂な声をあげて腕輪を放り投げると、次に歯染め紅を入れる螺鈿の小箱を取り上げました。

 ある日、湘雲にお客がありました。珍花です。数ヶ月ぶりに会った珍花は、湘雲を見るなり「お嬢さま!」と叫んで湘雲に飛びつきました。

「お嬢さま、すっかり痩せてるじゃありませんか、どうしたんです」

「そうかしら?あまり変わっていないと思うんだけど…」

「前から肉付きがよかったわきゃないですが、今のお嬢さまは生気ってものがありませんよ。やっぱり噂どおり、お屋敷でいじめられているんですね」

珍花は以前からそうであるとおり、大げさにさめざめと泣き始めました。相変わらずだと思いながら珍花をなだめつつ椅子に座らせた湘雲でしたが、「噂どおり」という言葉は聞き捨てなりませんでした。

「珍花、どういうこと?新しい奉公先で聞いたの?」

向かい合って座ると、そうなんですよお嬢さま!と珍花は勢いこんで、彼女の新しい奉公先について早口で喋りだしました。珍花の新しい奉公先は父の友人兼客であった官僚のお屋敷で、贅沢な品はそれほど無いけれども奥様も旦那様も悪くないという話でした。奉公人達ともそれなりにうまくやっているようです。

「お嬢さまの縁談のことはすっかりこの辺じゃ噂になっていますよ。海産問屋の第四夫人に売られるという話じゃありませんか」

「売られるですって?」

そんな話は寝耳に水です。

「聞き間違いではないの?」

「いいや、本当ですよお嬢さま、海産問屋の小間使いから直接聞いたのだから間違いありません」

 海産問屋の小間使いによるとこうです。海産問屋の主は既に還暦になろうという歳ですが、歯を抜いていない娘が史家にいるという噂を聞きつけて、珍しいから嫁にほしいと言ったのだそうです。それを聞きつけた珍伯父が、交換条件として新しく始める糸取引事業の頭金を出すことを迫ったとか。海産問屋は快諾し、湘雲が海産問屋に嫁入りすることが決まったそうなのです。にわかには信じがたい話でした。珍伯父は持参金をきちんと用意すると言っていたし、孟氏は抜歯式もちゃんとやると言っていたのです。それらは全て嘘だったのでしょうか?

「小間使いの嘘ではないの?だって…いくらなんでもそんな嘘をつくことがあるかしら」

「お嬢さまは世間を知らないからわからないんですよ、この世は悪人ばかりだということが」

お父上に似てお人よしなんだから!と珍花は叫びださんばかりの勢いです。他の使用人に聞かれては困るので、湘雲は慌てて珍花の肩を掴んで椅子に押し付けました。

「珍花、私はいじめられていたわけではないのよ、ちゃんとご飯もいただいているし、おばさま方だっていい人達だわ。やっぱりただの噂なんじゃないかしら…」

押さえつけられた珍花は、きっと湘雲を見上げました。

「じゃあお嬢さま、ひとめご自分の目で確認してみたらいかがです?」

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