第5話 幸運の日

1.幸運な日


 「ねえ、見てよこれ!」ある朝、さっき買ったばかりの雑誌を眺めていた私は叫んだ。「なあに。」かなは少しめんどくさそうに寄ってきた。「ほら!」私は得意げに開いて見せた。それは私がこの雑誌を読むと必ずチェックする巻末の誕生日占いのページだった。誕生月で1から12まで運勢の良さで順位が付けられていて、さらにその月の中で一番いい誕生日がそれぞれ一つだけ載っている。今回は信じられないことに私の誕生日が一位だ。こんなことってあるだろうか。「へえ、すごいね。」かなは大してそう思ってなさそうに言った。しかしこれでも占いや幽霊を信じない性格のかなにしてはいい方だった。

 今日かなに私の家に来てもらったのには理由がある。私の家で起こる不気味な現象を一緒に解決してもらうためだ。

 私は今ぼろい一軒家に一人で住んでいる。大学に通うため引っ越してくるとき、とても古いことによる安さと、アパートやマンションより広いことに惹かれてここを選んだ。最初は隙間風や雨漏りなどに悩ませられたが、それに慣れてくると次第に居心地の良さを感じてきて、自分の選択に満足し始めていた。だが少し前から、夜におかしな事が起こるようになった。「寝る頃になると、不気味な音がし始めるんだよ。それがすごく恐いの。」私はかなに語った。「屋根裏の方から微かに、ガサガサって音が聞こえるの。何かが動いてるような音。それも毎晩必ずなんだよ。」「じゃあ音がしたら見に行けばいい。」「無理だよ!ほら、私の家ってすごく古いでしょ。これ絶対やばいやつに決まってる。」「幽霊だって言いたいの?」かなは呆れたように目を細めた。「知らないんだったら教えるけど、そんなものいないんだよ。」かなは皮肉めかして言った。「違うって思いたいよ。でも恐い物は恐いじゃん!かなは自分の家でそんなことがあったとして見に行けるの?」「行けるよ。」かなは事も無げに言った。「じゃあ家に来て、音の正体を見てくれる?」私はわらにもすがる思いで頼み込んだ。「しょうが無いな。いいよ。でもどうせアライグマとかだと思うよ。」私は喜んだ。「ありがとう!かみ!」

 今日、かなに家に来てもらっているのはそういうわけだった。もう屋根裏部屋は見に行ったが、汚いだけで特に何もおかしな所は無かった。もう夜までやることが無くなり、暇つぶしに雑誌を読んでいたところ、この占いを見たのだった。かながいるとこれまで心細さが嘘のように安心できて、私は不気味な音を一時忘れて運勢が最強の今日は何か特別いいことが起こる気がしていた。でも家の中にいてはいいことが起こるに起これない様な気がして、出かけなくては損してしまうように感じた 「ねえ、ずっとここにいるのも何だし出かけない?」そう言うと自分の雑誌を読みながら暇そうにしていたかなはうなずいた。

 「ん?」かなと道を歩いていたとき、私の頭に何かがぶつかった。それを拾い上げると、くしゃくしゃに丸められた大きめの上質な紙だった。私は周りを見渡したが、道には二人以外誰もいなかった。「投げた?」かなは答えた。「投げてない。どっから来たか見えなかった。」

 私は少し興味を引かれ紙を広げてみてはっとした。「これは...」

 "頑張る貴方にご褒美を。"紙の上の方には大きな、綺麗な文字でそれだけ書いてあった。それは誰から来たとも知れない幸運の予兆に思えた。私は肩越しにのぞき込んでいたかなに言った。「ねえ、こんなことってあるかな。これって何かいいことが起こるって証拠だよね?」「さあ、どうだろ。でも不思議だよね。」私は不思議な予感のようなものをかみしめた。

 町で少し買い物をした後、私たちは通りがかったレストランで食事をした。私はこの店のおすすめにあったスープを飲みながらながら言った。「ねえ、今日はこれからまだ何か起こると思う?」「おお、まだそのこと考えてたの? だめだよ、そういうことは期待しないで待ってた方がいいと思うよ。」そう言った後かなが言った。「あれ、それ何?」

 私が手元を見ると、すぐそこに立派な時計があった。いつからあったのだろう。全く気づかない間に現れたことといい、朝見つけたあの紙と同じ感じがした。これはもしかして...「これだよ!」私が急に言ったのでかなは少しびっくりした。「何が?」「朝の紙が言って他のはこのことだったんだよ。ほら、ご褒美。これは天から授けられたんだと思う。」「ええ...」私は困った顔をするかなを気に掛けずにその時計を持ってレストランを出た。

 私が見えない何かに導かれるように幸運が手に入った喜びに浸っていると、かながそれに水を差した。「ねえ、どうしてあそこにあったのかは分からないけど、それ元あった場所に戻した方がいいよ。」「やだよ。せっかく運命的に手に入ったんだから手放すのはもったいないよ。かなも見たでしょ、あの朝の紙。あれはきっとこれが手に入る前触れだったんだよ。」「これは誰かが置き忘れたんだと思うよ。」「いや、最初に来たときは確かに無かった。突然現れたんだよ。私へのプレゼントとして。」

 そうこう言い合っていたとき、かなが何かを見つけて立ち止まった。その視線の先には壁に貼られた一枚のワインの広告があった。"頑張る貴方にご褒美を。"広告には上の方あの紙と全く同じ字体、大きさでにそう書いてあって、その下にはワインのボトルとグラスでそれを飲む男の顔が描いてあった。ああ、そっか。私の中にずっとあった特別なな予感が急速に色あせてきた。あれは私に当てられた天からのメッセージじゃ無かったのか。そう思うと気持ちが風船の如くしぼんだ。「時計、こっそり返しに行こ。」かなが言った。私は仕方なくうなずいた。

 家に着くと、私はうつ伏せにベッドに倒れ込んだ。「ああ、今日は何もいいことが起こらなかった。後は屋根裏の亡霊とのご対面しかやることが残ってないのか。」「そんなこと無いよ。楽しかったじゃん。占いを信じすぎると君の場合逆に不幸になるよ。」かなは言った。

 それから私たちはトランプをしたりして夜まで待ったが、いつもの時間になっても屋根裏からは何も音がしなかった。「おかしいな。いつもなら絶対にするはずなのに。」私たちは息を潜めて待ったが、その夜屋根裏は物音ひとつせずに静まりかえっていた。

 それからというもの、謎の物音はパタリとやんで、二度とすることは無かった。そのことを話すと、かなは言った。「じゃあ、それが君が探してた良いことだったんじゃ無い?」「そうなのかな...」音が無くなったのは確かに嬉しいけど、私はもっと特別なことが起こって欲しかったと思った。


2.広告画家の一日

 

 いつから絵を描くのが楽しくなくなったのだろうか。私は椅子にもたれかかって天井を眺めながら思った。目の前には書きかけの広告がキャンバスにかかっている。隣の机には値の張る筆や絵の具が散らばっている。朝から頭が痛くて、全く書く意欲が湧いてこない。

 こんな自分にも絵を描くことが何よりも楽しい頃があった事を、私はぼんやりと思い出した。小さかった頃はよく鉛筆と紙を持って出かけて、家の周りの虫や、風景や、人の顔をよく描いていた。その頃はまだ絵を描くことは仕事では無くて、下手な絵を描いても明日の食事に困るなんて事は無かった。

 私は広告画家というものだ。主に企業から依頼を受けて、その製品をアピールする絵をキャッチコピーとともに描く。しかしここ数日というものはめっきり満足いくような絵が描けていない。私は床に落ちている昨日描いた絵を見た。ビーチで清涼飲料を飲む女性の絵だったが、その笑顔はひどいものだった。それは思わず目を背けてしまいたくなるような、誰が見ても不快になるほど不自然な笑いだった。人間にとって、人間の顔というのは毎日見慣れている分、少しでも不自然に書くと、不快に思うほど違和感を感じるのだ。そのことは分かっているが、何回書き直してもどうしたことかこんな顔になってしまうのだった。仕方が無いのでこのまま持って行ったら、やはりこの笑顔が気に入らなかったようで、別な画家に頼むからもう来なくてもいいと言われてしまった。

 今やっている仕事はケーキ屋からだった。また笑顔を描かざるを得ない絵だ。今度も失敗をしていたらいよいよ仕事が無くなるが、笑顔を描くのが恐くて一向に筆が進まないのだった。私は仕方が無いのでとりあえずキャッチコピーだけでも書いてみた。しかし、それをもう一度自分で読んでみて気が付いた。"頑張る貴方にご褒美を。"これは最近書いた広告の文と同じだ。そう思うとぼんやりしていた自分に急に腹が立ってきて、私はその紙をくしゃくしゃに丸めて後ろに放り投げると、置いてあったウィスキーの小瓶を一気に空けた。紙は窓の外に飛んでいった。このままじゃますますだめになる。俺はそう思い立ち上がると、絵を描く道具一式が入った鞄と、紙の入った鞄を持って部屋を出た。

 気分転換と、それから何か面白いものがあれば絵に描こうと思って家を出たが、特に心引かれるものも無く、私は目的も無く町をぶらぶら歩いて、気が付くと大分時間が経っていた。

 それは帰り道、橋を渡っている時だった。私は突然後ろから走ってきた誰かにぶつかった。その衝撃でよろけて、道具一式が入った方の鞄を橋の下に落としてしまった。まずいと思ったときには、もうそれは激しい川の流れの中に消えてどこかへ行ってしまっていた。私はしばらく川の方を見つめていた。こんなことなら素直に家の中で絵を描いているべきだった。しかし私は落とさずにすんだもう一つの、紙が入った方の鞄を見て、こちらを落とさなかったのが幸いかも知れないと思い直した。これには財布や家の鍵も入っていた。それに絵の具は大体無くなりかけていた。きっと、確かそうだったはずだ。私は自分に言い聞かせた。

 少し落ち込みながら歩いているといい匂いがしてきた。すぐそこのレストランからしてくるようだった。すっかり日が暮れて腹が減っていた私は、その温かい光の漏れるレストランへと入っていった。

 そこは平凡で庶民的だが、何処か居心地の良さを感じさせるところだった。私は食べているとき、何気なく近くの席で一人で食べている男が目に留まった。

 何かいいことがあったのだろうか、男はどういう訳かとてつもなく幸せそうな顔をして料理を食べていた。ここの料理はこのあたりの他のレストランより特別優れている訳では無かったが、男は食べたら無くなってしまうのが惜しいというように、一口ずつ大事に味わっていた。それはこの落ち着いた、温かな雰囲気のレストランの中で、まるで幸福そのものを表現しているように、見ているものを明るい気分にさせた。

 私ははっと我に返った。これこそが、この全く純粋な喜びの表情こそが、まさに私が求めていたものでは無いのか。今目にしているものをどうにかして保存したい。そう思うが早いか、私は紙を取り出し、アンケートを書くためにテーブルに備え付けてあった鉛筆を取って、自分でも驚くような勢いでこの男の表情を描き始めていた。これまでのスランプが嘘のように、手が流れるように動く。私は渇ききっていた心に、長らく感じていなかった創作の喜びが雨のように降ってくるのを感じた。鉛筆で描くのは久しぶりだったが、そんなことは関係ないくらいに筆がたぎった。昔、絵を描くことが大好きだった頃に戻ったようだった。私は狂ったように描き続けた。

 ついに私が鉛筆を置いたとき、目の前にはこれまで私が描いてきたどんな絵よりも素晴らしい絵があった。絵の中の男の表情は本物に勝るとも劣らない出来映えで、これまでの絵とは比べものにならないほど人間らしい、ずっと見ていたくなるような仕上がりだった。私は料理の部分をケーキに描き直して、色を塗ってケーキ屋に渡した。ケーキ屋は絵を受け取るってそれを見ると、微笑んだ。それから私に向き直って言った。「また次もお願いしていいかな。」


3.店長と浮浪者

 「こら、またてめえか!」「ごめんなさいっ!」俺が怒鳴るとゴミを漁っていたそいつは一目散に逃げていった。逃げ足だけはとても速い。

 その男が打ちの店のゴミ捨て場によく現れるようになったのはもう何ヶ月も前の話だ。そいつは数日に一回、必ず袋から食べられるものを持って行くためにやってくる。店の近くでそんなことやられたら迷惑なので俺が見つけて怒鳴りつける。そうすると必ず「ごめんなさいっ!」と口先だけで謝って素早く逃げていくのだ。そんなことならなんとかしてとっ捕まえて警察に突き出すなり痛めつけてやるなりすればいいのだろうが、いつも腹を空かしてうちに来るそいつにそこまでするのはなんとなく気が引けるのだ。それから一度追い払うとそいつはしばらくは来なかった。

 



あいつも腹減ってるんだろうか。俺は仕方ないと分かっていながらも、少し不憫に思いながらそいつの逃げていくのを見つめた。

 俺が次の日ゴミの袋を用意していると、妻が聞いた。「あんた、それ何やってるの。」「ああ、これか。これはゴミの中でも食えるものと食えないもんとに分けてんだ。こうしてやったほうがあいつも食いもんをさがしやすいだろ。」すると妻は呆れたように顔をしかめた。「あんたはまた馬鹿なことして。そんなことしてどうするの。余計ここに寄りつくようになっちまうよ。ゴミを漁るのもなんとも思わないような誇りのかけらも無いやつに同情したってしょうが無いじゃないの。」「うるせえ。現にもう寄りついてるから同じ事だろ。分けとけばあいつもさっさと取るもの取っていなくなってくれるってもんよ。」

 それから俺からのちょっとした親切によって浮浪者にほんの少しずつ変化が生じてきた。心なしか血色が良くなってきたような気がするのだ。前よりも追い払われるまでにたくさん食べられるせいか、食べられるものが多少腐りにくくなったからかは分からないが、逃げ足も前より速くなった気がした。そいつの顔は生意気なことに生気に満ちて輝いていた。

 しかしそれと同時に困ったことも起きていた。「ねえ、あんたも気づいてるでしょ。」妻は言った。「何に。」「分からないの、あいつが前よりも頻繁に来てるでしょうが。あんたのしょうも無い計画は逆効果よ。」「そうか?前からそれほど変わってないと思うがな...」俺はそっぽを向いて答えた。「いい?」妻は言った。「最近は常連のお客様からね、苦情がき始めてるんだよ。これがどういうことか分かる?あいつをのさばらせておくことはね、この店を犠牲にするということなんだよ。早くなんとかしないとお客さんが離れていっちまうよ。このまま放っておくことはこの店にとってもあいつにとっても悪いことなんだよ。あんたはそんなことで頑張ってきた店が傾いてもいいって言うの?」妻は本気で心配してくれているようだった。そう言われると何もせずに一方的に得だけしているあいつに少し腹が立つ気持ちも分かる気がした。

 そんなある日だった。俺は少し特別な買い物をした。それは妻がかねてから欲しいと言っていた腕時計だった。あいつは欲しいとは言うものの、本当に買えるとは思っていないのは見ていれば分かる。これは平凡なサラリーマンにとってのフェラーリのような、妻にとって言わば憧れの象徴なのだ。これをある日突然俺がプレゼントしたらあいつは腰を抜かすほどびっくりして喜ぶだろう。そう思って俺はこれを買うためにずっと前から少しずつ貯金してきたのだ。

 そして今俺の手のひらに乗っているのがその時計だ。これを誕生日に渡そう。いや、結婚記念日がいいだろうか。妻の反応を想像すると渡すのが待ち遠しくなった。しかしその前に時計のベルトの長さを合うように調節しておかなくてはいけない。俺は時計をポケットに入れて仕事に戻った。

 料理を届けているとき、近くの席から会話が聞こえてきた。「ねえ、今日はこれからまだ何か起こると思う?」「おお、まだそのこと考えてたの? だめだよ、そういうことは期待しないで待ってた方がいいと思うよ。」俺は料理を置きながらそれを聞いて思った。そうだ、この時計は敢えて何でもない日に渡すのがいいかもしれない。その方がもっと驚かしてやることができるだろう。

 その考えに気が取られたちょうどその瞬間、ポケットから時計が滑り落ちてほとんど音も立てずにテーブルの上に乗った。しかしそれはあまりにも静かに移動したので、そのことに気づいた人間はいなかった。

 客の数も落ち着いてきて、俺がなんとなくポケットを触って時計の感覚を確かめようとした時だった。無い。俺は驚いて両側のポケットを確認したが、時計は無かった。汗って頭の中が真っ白になった。どういうことだ。確かにここに入れたはずだ。落としたのだろうか。いや、それならば音で気づくはずだ。それなら盗まれたのだろうか。でも俺のポケットにこの時計があることを知っていたのは俺だけだ。

 いや、そうじゃない、一人いた。あの乞食の男が知っていた。ゴミを漁るぐらいだから、人の物を取ってもおかしくない。そう思うと途端に腹が立ってきた。何て野郎だ。あいつに少しでも甘くした自分に苛立った。

 腹の煮えくりかえる思いで裏口の扉を開けると、ちょうど乞食はゴミをむさぼっているところだった。俺はいつもとは違って怒鳴らずに、いきなりそいつをとっちめて言った。「てめえ、俺からものを盗ったな。今すぐ返せ!」「な、何のことだか知らないでさあ!ほんとですって!」乞食はあまりに突然のことに戸惑った。しかし不幸なことにその様子がかえって怪しく見えた。

 「いい加減にしろ!」俺は乞食を殴り飛ばした。それからまだ何か言おうとするそいつを蹴ってやった。すると乞食は慌てて逃げていった。「もう二度とその面見せるな!」俺は逃げていく後ろ姿にそう叫んだ。

 店に戻って客の帰ったテーブルを拭いていたとき、俺はテーブルの一つに、さっき無くなったと思っていた時計を見つけた。俺はそれを見つけた瞬間呆然とした。しまっった。あいつは最初から盗んでなんかいなかったんだ。考えてみればあいつはそんなに割る一個とは今まで一度もやってこなかった。

 俺はすぐさま店を飛び出した。俺は何てひどいことをしたのだろう。あいつは病院に行く金も持っていないから怪我が元で病気になって死ぬかも知れない。俺は店の近くの通りや路地を探し回った。乞食は意外とすぐに見つかった。店からそう遠くないところで痛みを堪えてうずくまっていたのだった。

 「すまなかった!」俺は見つけるとすぐさま膝をついて言った。乞食はびっくりして振り返った。「俺はありもしない罪でお前を殴ってしまった。あの後全部誤解だったことに気が付いたんだ。お前はそんなやつじゃ無かった。疑って本当にすまなかった!」それまで黙って聞いていた乞食は泣きそうな顔で言った。「よかったです...分かってもらえて。本当に..本当に..」「申し訳なかった。お詫びにうちの料理をご馳走する。付いてきてくれ。」

 「いいんですかい、本当に。」席に通された乞食は豪勢な料理を目の前にして圧倒されたように言った。「何言ってる。今日は特別だ。遠慮せずに好きなだけ食べてくれ。」そう言われると乞食はスープを一口飲んで、泣き出しそうなほど幸せな表情になった。「うまい...」それを聞いて俺も少し嬉しくなった。自分の作った料理をこんなにうまそうに食べてもらったのは久しぶりだった。乞食はいつもと違って急いで食べたりせずに、一口ずつ食べて、そのたびにこの上なく幸せそうな表情になった。

 そいつが全て食べ終わろうとするころ、俺は言った。「これは前から考えていたことなんだけどな、お前、この店で働いてみる気は無いか。」驚いた顔をする乞食に俺は続けた。「と言うのも実は前に働いていたやつが止めてしまってな、忙しい時間は俺が料理を運ぶこともあるくらいなんだ。この店には従業員用の部屋もあるし、まかないも出してやれる。明日からすぐにでもいい、そこに住み込みで働いてみないか。」

 「もちろんでさあ!」乞食はすぐに答えた。今日は何ていい日なんだ。乞食は夢見心地で思った。こんなに美味しいものを食べられたのは久しぶりだった。死にそうになるほど腹が減ることも今日からはもう無くなるのだ。もう今日からはあのぼろ家の屋根裏に忍び込んで眠らなくてもいいんだ。乞食は思った。

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不可思議な短編集 宮沢新一 @miyazawashinnichi

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