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 深零はタンメンを軽々とたいらげると、ひたすらシロナのコース料理が運ばれ、それが食され、食器が片付けられ、また料理が運ばれ…とその流れをひたすら眺めていた。時間はかかった。当たり前だ。なので送る予定の二人は自分達で帰宅するように連絡をすると二人とも了承してくれた。学園付属の寮住まい――とは言っても半ばそれなりのマンション一棟のような規模だが、彼女達は電車を乗り継げば住まいまで帰る事が出来る。運ばれてくる料理はまるで順番が考慮されていなかったが、どうもシロナの好みを知っている厨房の責任者がこのような順番で提供しているようだ。何もせずただ見つめている訳にもいかない深零はドリンクを頼み続ける。烏龍茶、ジンジャーエール、烏龍茶…。胃が液体で満たされそうかと言わんばかりの状況でシロナは杏仁豆腐を食べ終えた。どうもこれだけは譲れない順番のようだった。

「やっと終わった…」

「まさかタンメンだけ食べて本当に終わりなんて思わなかったわ。ここの杏仁豆腐、本物の杏仁を使っていてとっても美味しいのよ?頼みましょうか」

「いや、もういい、胃の中に何も入る気がしない。入るとすれば…そうね、マッカランの18年以上くらい」

「そこのバー、揃えが良いのよ。私はウィスキーは飲まないけど…飲んでいったら?部屋は取ってあげる。ここのゲストルームは好評よ」

「だろうね。こんなバカデカいご立派なマンションのゲストルームだ。そりゃもう大層素敵だろうよ。てか今日は異様に優しいな、後でワタシの事でも殺す気か」

「そんな注文は多くないの」

「こいつぁ失礼」

 支払いはシロナがカードを一枚渡して終わった。二人は場を移す。シロナの言う通り、オーセンティックで格式的なバーだった。最近の若い連中がイメージするようなクラブとバーがごっちゃになったような物でもなく、志保が行きそうなアニメの曲が流れていてメイド服を着た店員がやたら甲高い声で接客しているような店でもない。一回、志保と凛に連れていかれた事がある。「イラッシャイマセゴシュジンサマァ!」と、想像を絶するとんでもない声で接客された。決してブサイクという訳ではなかったが、この顔からこの声が出るのかと内心笑ったものだ。

「スコッチを、マッカランあるかしら」

「何年をご用意いたしましょうか」

「そうね、この隣の心優しきババアが払ってくれるらしいから高いのがいい、18年以上」

「ですと18年の他に25年も御用意が」

「だったらそれがいい。25年シングル、ストレート。ハーフで。あとチェイサーを」

「あっ、私はホワイトレディ…ジンはタンカレーがいいわ。ナンバーテンをね。ソーダで割って?ロングで…まあ何時ものヤツ」

 手際よくバーテンが準備を進める。

「ここまで奢り?流石に怖くなってきたんだが」

「気にしないでいいのよ」

「フン」

「素直じゃないの変わらないわね」

「あーダメだ、吸わせてくれ、クソ」

 灰皿と御丁寧にマッチが提供された。たまらずタバコを取り出す。気取って火を起こして点けてみる。取り出し、着火し、タバコに移し、消火する。何時もならライターを取り出してトリガーを引き戻すだけだ。若干、手間が掛かっている。

「私の横でタバコを吸えるなんてあなたくらいよ深零?」

「光栄に思っておく」

「見ない銘柄…」

「ダンヒルファインカット。ゆっくり、けどイラつく程ではない丁度いい感じに燃えて余計な味がしない。お気に入り」

「前はパーラメントだったでしょう」

「いやこれの前はジタン。パーラメントは更にその前だ…ホントに“時短”だったからやめたの」深零は両手の人差し指と中指を動かして強調させる。

「あらそんなユーモアまで使えるようになったの?だいぶ人間的になったわね」

「バカにしてるゥ?」

「そんな事はないわー。さ、来た来た、私これ好きなのよー」

 洒落たグラスに注がれた白い液体。カウンターに埋め込まれた照明によって透き通り輝いて見える。シロナそのもの、と言っても過言ではないくらい本人と共通性があるカクテル。謎の噛み合った空気がある。

「なんだこれ、ホワイトレディって確かショートカクテルじゃなかったか」

「そう、だけど飲み始めは何時もこれなの。カクテルを更に炭酸で割るわけね。アルコール度数を低くして胃を慣らす」

「その為のチェイサーだろうに」

「話変わっちゃうけどカクテル言葉って知ってる?」

「いや、酒は楽しむために飲んでるからね…知識と言うより感触で飲んでいる」

「このホワイトレディの言葉は純心」

「似つかないな」

「いや、あなたにはピッタリよ」

「なぜ」

「純心なのよ」

「こんなで?笑わせる」

「自分に率直じゃない。恐れを知っているのよ。一周回って。その上で」

「なんだ?作詞家の本領発揮か?」

「なんてね。でも本当よ。この一時に乾杯と祝福を」

「乾杯」

 二人はグラスを傾ける。

「いいね、いい味」

「それは良かった。奢りの回があるわ」

 マッカラン。いい。深零はスペイサイドの頂点にしてスコッチのある意味頂点を極める銘柄と思っている。まるでウィスキーではない。25年と言う年数もあるが驚くほど口当たりがいい。アルコールのアタックが攻撃的でない。何処かブランデーを思わせる華やかさ。共存している。ウィスキーとして求められる要素が極めて見事に調和している。

「ウィスキー、美味しいの?」

「ワタシはうまいと思っている。だから飲むのよ」

「じゃあ私も飲んでみようかしら。おすすめはある?」

「目の前にいるバーテンダーに聞くのがイチバンだよ」

「あなたに聞いてるのよ深零」

「そうだな。ここでウィスキー嫌いにさせるなら問答無用でアードベッグなんだけどそうもいかない。それこそワタシが飲んでいるマッカランはスコッチを語るなら外せない。個人的に好きなのはアイラ。マッカランはスペイサイドだ。こればっかり飲んでいる…そうだね。ボウモアなんかいいかも。アイラの女王と呼ばれている。最高にバランスがいい。気品、荒々しさ。アイラの香り。海の香り。よく初心者向けって言われるけどそうじゃない。一通り巡って気付く至高の調和が確かにそこにはある。そこに戻るんだ。自分もよく飲むよ。というかこれしか家じゃ飲まない」

「アイラとかスペイサイドってのは何?」

「地域だ。作っている地域ごとにスコッチは分類がある。それより大きな分類としては国ごとだ。それこそこれはプロに任せるよ」

 他に客はいなかった。深零はバーテンダーに声を掛けるとスコッチの説明を頼む。要領がいい。簡潔ながらも分かりやすく説明してくれる。その間、深零はマッカランに舌鼓を打っていた。一通り説明が終わるとシロナは「飲みやすいアイラ」をオーダーする。

「飲みやすいアイラってのは基本的にない。どれもアイラ固有の味がする」

「あら、任せるって言ったのは嘘?」

「嘘はつかせられないだろ。飲みやすい、しかもド素人にアイラを飲ませるなんて殺人罪で訴えられても文句は言えない」

「そうなの」

「ノーハーフメジャー。アイラだよ。正しく言うならNo half measureだ。好きか嫌いか。中途半端はない。薄い濃いはあるけどあの独特の香りは消えない。ここまで言って飲みたいというならブルックラディはいい。ノーピート…の筈だったけな。多少はあるが飲みやすい。 ただ個性的な物を求めてはいけないな。ブナハーブンもいい。どちらも飲みやすいよ」

「それを踏まえておすすめは?」

「さっきからそればっかだねぇ」

「聞きたいから聞いてるのよ。飲みやすい、これはいいばっかりで」

「ワタシはプロじゃない。けど最近飲んだので良かったのはキルホーマンのマキヤーベイ。新しい蒸留所だから若いけど、それを感じさせないソフトさがいい。個人的には凄く女性的なアイラだと思う。女王ではなくガールなんだ。あの若さに満ち溢れている憎めない愛嬌がある。英語圏でいう“pretty”ってヤツ。スモーキーが先に来ない。カスタードタルトのような感触。ただ、すぐさま追い被ってくるピート。フルーティーさ。そしてキレがありながらも柔らかいフィニッシュ。さっぱりとした残らない、ただ時間は感じる余韻。いいぞ、特にトワイスアップで飲むと。このウィスキーが持つ個性を無限に引き出してくれる。熟成年数から加水はオススメしない、なんて言われてるけど書いてる連中は間違いなく飲んじゃいないさ。輪郭がぼやけるからこそ、まさにそこは永遠に晴れる事のない湿原の中。目的もなく彷徨えばいい。まるで何かの声に導かれるように。ただひたすらに。目を背ける事は決して許されず、延々と引き寄せられる、延々と歩き続ける、虜ではなく、これしか目に入らなくなる。ウェットで…クラスにそういうヤツいただろ、イーカゲンで、でも謙虚で、そういう魔力がある…」

「いいわ、回ってるとはいえ深零にここまで語らせるのはいいモノでしょう。作詞家する?ゴーストライターってやつで」

「原稿料高くつくけど。取り分なくなっちゃうわよ」

「人生ね、長く生きてるけどラクしたい時もあるの、深零、貴方なら分かるでしょう」

「ノーコメント。私の時は流れていない」

「過ちを認める…いや過ちではないわね。嘘をつくのは良くない。誰にでも等しく平等に時は流れている。その25年物のウィスキーのように。…キルホーマン?あるかしら?」

 ございます…マキヤーベイ、トワイスアップでよろしいので?との問いに対して、シロナは満足げに同意を示す。

「さあ楽しみね。それまでにこれを飲まなきゃ」

「ホワイトレディ。ピッタリねシロナ、あなたの見た目にも名前的にも」

「まだこの人生、炭酸が抜けきらないと良いわ」

「そりゃないね、ワタシが保証するよ。そして薄められた人生でもない」


 二本目に火を点ける。炙るように静かに火を。火種を大きくせずゆっくりと。巻紙にタールが滲みだすくらいに。ほのかな甘みが口に広がる。口に残るマッカランと合わさって絶妙な夢心地。全てを忘れ去ることが出来そうだ。二人には悪いが、深零にはこうした時間が必要だ。優に作ってもらうのもいいが、こうして見知らぬバーテンダーと知人でも友人でもない、かと言ってビジネス上だけの問題でもない…もしかしたら殺されるかもしれない。そういう関係の人間と酒を共にするようなスリリングと快楽に溺れる時間が。この時間、まだ寮でおねんねするには早すぎる。

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ネメシス・デイズ @detect

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