001/111
訳の分からないただ価格が高いだけの代物、奇妙な色彩を放つドリンクを買ってもらい、それを片手に持たされながら再びタクシーに乗っている。恐らく志保はどちらかと言えば池袋の方が居心地がいい――本人が言っているが彼女の趣味はもっとダークであり裏の世界だ。こういう海綿体頭男が闊歩するような場が好ましくない事くらい深零にも分かっていた。分かりきっている。それでもこの三人の奇妙な関係性、友情ではないのかもしれない、そうした物を纏ってさっきとは打って変わって、いたって普通のタクシーに揺られている。こういう類の車、こういう類と言うのは決してタクシーだけではなくマフィアやヤクザどもの送迎車なども含むからだが、独特の臭気があるのだ。それに紅茶かコーヒーかフルーツか、区別のつかない境界線などない各々の手に収まるプラスチック製のカップから放たれる匂い。これは香りではない、匂いだ。
「記録更新」
「なにが?」
「凛がスカウトやモデルやナンパなど声を掛けられた回数」
「そう…」
深零が特に興味のある事柄ではなかった。どちらかと言えば優が言っていたプロトタイプの416の方が頭の中を占める割合は大きい。
「でも今日はれいがいたから特に心配もなかったけどね!!!」
いや、だから被せるな…とかと思いつつも深零は応える。
「なんでよ」
「いや、強いし…」
「ワタシのコト、脳筋ゴリラ女かなんかと思ってるワケ?」
「イッ、イヤ、そうじゃないもん、そうじゃないもん」
「分かりやすくて好き」
「えっ、好き、好きって言った?マジ!?しほ、これはアブナイね、アブナイッ☆」
そうこうしている内にクレイオが眠るマンションへとついていた。一人は身軽に、二人は多少の荷物を手に提げて降車する。
「うっわー…バカデカいマンション…いやこれマンションか?ホテルかなんかじゃないの?もはやなんだこれは…語彙力がおかしくなる、うっわ、えぇ…?マジかよ、どういう生活すりゃこんなトコ住めるの???」
「まあ住居だけじゃないよ、階によっては他にも色々入ってるから」
語彙力がおかしくなった、と言う割には早口でベラベラと語りたてるオタクモードを発動させた志保、一方で目をパチクリさせているのは凛だった。
「二人とも何してるの?送るから早くして頂戴。車、地下なの」
ああ…シロナ?ここにいる警備員どうにかしてと連絡する。どうも事前に連絡が行っていなかったらしく、タクシーロータリーから繋がる数あるエントランスの一つに配置されている警備員に足を止められてしまった。オートロック等というレベルではない程にセキュリティが強固である。著名な芸能人、各界の要人も住人だ。
邪魔だ、どけ、私の顔すら分からんのか等と二人の警備員相手に一歩も引けを取らない深零を1メートル程離れて傍観する凛と志保。言い合っている本人よりも先に気付いたのは後方に控えている二人だった。
「なんだあの盛りに盛ったレイヤー写真の実世界への具現化みたいな美人は…」
「ヤバ、お人形さんじゃん…」
二人が好き勝手に口から漏らす。
「ごめんなさい?私のミスで連絡が届かなかったみたいね。そこの一人…あら?三人か。客人なの、通して貰えるかしら?」
シロナだった。警備員が瞬間移動した。道が開けた。それ位、速かった。
「別にわざわざ来なくても良かったのに」
「あらあら、そんなサディスティックなコトは言わないで?」
オメーの口からそんな言葉は聞きたかないよ、と内心は思いつつ取り敢えず礼は言っておいた。実際問題、こんな所で延々と足止めを喰らっている訳にはいかない。
「後ろの二人は友達?それともオトモダチ?」
「友達よ」
「あらそう、それは良かったわ…オトモダチばっかりなんかじゃないかって心配してたんだもの」
「そういうの、今はよしてくれない?」
「そうね、これから時間ある?料理するんだけど」
「料理?あー…ケッコーよ、ケッコー。どうせ新鮮なのが手に入ったからとか言うんでしょ?ワタシ知ってるからさぁ」
「それは残念ね、なら久しぶりにお茶でもしない?さっきのチップはチャラにしてあげる」
「嬉しいけど連れがいるから送らなきゃいけないの」
「もうこんな時間だしお二人は早めの夕食でいいでしょう。なんでも好きなの食べていいわ、25階にカフェフロア、40階にレストランフロアが入っている。後で払っておくから」
「って言ってるけど…どうする?」
深零は振り返る。やたらと体を密着させて此方をボケっと見つめていた二人の返答はなかった。あったかもしれないが少なくとも聞き取れる物ではなかった。
「あれ多分ほっといたら一生あそこに立ってると思うから答えは了承って事で。あれでも40階のレストラン、コードなかったっけ?あの二人の恰好じゃ、ちょっと」
「あの背の高い子なら私の服を貸してあげられると思うんだけど、一人だけに貸してもねぇ…」
「カフェでも十分でしょ。志保、凛、標識の案内に従ってエレベーターで25階まで上がればカフェエリアだ。好きなものを食べて飲めばいい。代金はこの人が払ってくれるらしいから」
「らしいじゃないわ、払うに訂正して?」
「払うってさ、ほら行った行った、帰りはまた連絡するから」
背中をバンバン叩くと二人は歩き出した。未だ状況を掴めていないらしい、ロボットのような歩き方で、普段のあの二人を思うと深零は面白くて仕方がなかった。
「れい…あの女の人だれ…??」
「知り合い、ここの管理人。以上…志保は何か質問ある?」
「いや、なんだ、あんな尊い存在が実在していいのか」
「言うほど?少なくともワタシは志保の方がよっぽど可愛らしいと思うけど」
「おこがましい…分かってないなぁ深零…」
再びスイッチが入った。凛には気の毒だがもう大丈夫だろう。
「行ったわね…私たちはどうする?」
「同じカフェはムリだよ。どうせまた役に立たねえ情報でも高い金で買わせるんだろ」
「いーや、そんな事はないわよ?素敵な食材も提供してくれた事だし?今日は私が奢ってあげる。レストランでもいい。それとも私の部屋の方がいいかしら…」
「それは遠慮しておくよ」
長身。透き通るように白い肌と銀の髪。グレー系の目。まるでこの世の物とは思えない、人間離れした外見と美貌。美貌ではないか、ここまで行けば一周回ってただの自己満足だ。そんな女がこんな世には出せない趣味を持っていて、こんな大層な複合マンションの管理人をしているのだから世の中分からない。
まさかあの大物芸能人…確かシャブだったが、入手経路を片っ端から漏らしたヤツが行方不明になって数か月、世間は未だに騒いでいるし警察の捜査も表面上は動いているようには見えるが――、あの女を連れ回しシロナに引き渡したのは紛れもなく深零自身だった。それこそライターの火を切らし、イラついていた所にジッポーを投げて来た雇われの殺し屋、その雇い主のガラークチカ。下部組織経由で流していた覚醒剤を始めとする違法薬物。ある意味では御得意様だったのが情報をバラまかれるとまでは想像が行かなかったらしい。裏の世界には裏の掟があるが、彼女はそれを破ってしまった。まさか本人も服を破かれ皮膚を破かれ心臓まで裂かれるとは思っていなかっただろう。あの時の依頼は「殺害と掃除」だった。少なくとも、深零の知る限りではこの隣にいる狂気の塊、自身もだが、それ以上だと言える存在。殺戮の過程を楽しむ存在。これ以上の適任者はいなかった。警察との裏取引によって逮捕を免れた彼女は簡単に死んだ。この女の手によって。
「シロナ…最近、ツけられてない」
「いや?」
「ならいいんだけど」
「どうかしたの?」
「いや、なんでもない」
二人はエレベーターに向かう。無性にタンメンが食べたい。
*
40階。窓からの景色。ただ高さがある――それだけだった。
「深零…あなたはこの景色を見て何とも感じないんでしょうね。綺麗だとか感動だとか」
「あなたもでしょ、ワタシあいにく不感症なもんで」
フロアの受付にやや嫌な顔をされたが入る事は出来た。確かにややタイトでフォーマルだがドレスコードが定められている程に厳格な格好ではない事は確かだ。そういう意味で凛のセンスはいい。しっかり好みを把握したうえで服を勧めてくれたり時にはプレゼントしてくれる。ファッション、と言うほどには気にしない深零だったが各々にも好みと言う物はある。方向性、というヤツ。
「中華がいい…」
「ならそうしましょう?」
一階が丸々レストランの階になっているので基本的にレパートリーはなんでもあった。イタリア、フランス、日本、中華、鉄板焼き、バー、カフェ。どの店もシックでオーセンティック。騒がしくなく、子供のキーキー頭に刺さる声もない。
「タンメン大盛、単品」
店に入ると個室に案内された。席に着くなり深零はオーダーする。本日のコースは…等と店員が説明しようとする店員を遮る。一瞬、面食らった様子だったがすぐに立て直した。「私はお任せ、シェフに伝えて?」とシロナが付け加える。メニュー表を片付けると一瞬で店員は引っ込んでいった。
「ここタバコ吸えたっけ」
「吸えるわ、けど私のコト考えてよ深零?」
「タバコ嫌いだっけか」
「そうよ、臭いが付いちゃう」
「じゃあ後にする…あー、ダメだ。酒が飲みたい」
「後で飲めばいいじゃない」
「車なんだよ」
「泊っていく?もうこんな時間だしゲストルーム用意してあげるわよ」
「考えとく、後で優さんのトコも行かなきゃいけなくてさ」
「あら優さん?あの人元気にしてるの」
「ピンピン」
「でしょうね、もしあの人に何かあったら書ヶ谷は大騒ぎなんて話じゃないだろうし私の耳にも入るでしょう」
「たまにはおいで書ヶ谷に。あの世界一きったなくてゴミみたいでクソみたいな町に」
「遠慮するわ…もう引退組ですから」
正直、いつ殺されてもおかしくない。そんな緊張感がこの場にはある。それは恐らくシロナも思っているのだろう。書ヶ谷最高の殺し屋。書ヶ谷の元女帝。トップ会談と言ったところか。
「そういやまた一人やったんですって?風の噂で聞いたの」
「風の噂かは知らないけどその情報は正確ね…情報部より役に立つ“風”を持ってるようで羨ましいわ。元々あんな連中を信用しちゃいないけど」
「誰?」
「香港系とロシア系に繋がって金が流れてる裏ビデオのトップ、イチオー、同級生だった。今となっては過去形」
「それは個人的にやったの?それとも仕事?」
「そこまで答える必要は無いんだけど、どーせ知ってるんでショ」
「バレた?」
「バレバレぇー…そうね、仕事よ。仕事。ワタシがロシア人からジッポーを借りる割にはそういう事もしてるワケよ。いつ殺されるかってヒヤヒヤしてる」
「深零の口から聞いてもなんの面白みもないわ」
グラスに注がれた水を口にやる。
「さて私から情報は渡した。次はこっちの番。そこまで知ってるんだったら知ってるんでしょう。あの場には国際指名手配の中島がいた。そして中島を取っ捕まえる予定で待機していたSATは全滅した」
「SATの全滅は知ってるけど中島…亨だっけ?…まで居たのは本当に初耳ね。あなたに冗談じゃない嘘をつくと殺されるから本当の事を言うけど」
「そう、じゃあまた情報を渡しちゃったわけか…いいや、で、その隠密待機していたSATを一瞬で全滅させた存在。それについて何か知ってる?」
「多少はね。でも恐らく優さんから色々と聞いてるだろうし…、あ、でも一つだけこれは私しか分からないであろう情報はある」
「ほう」
「あの部隊、ナイン…あれには私も少し関わりがあるの。私の元の夫があの場所にいる。恐らくだけど」
「はえー…」
「手際、手並み、彼のニオイがした…あー、ニオイってのは分かってもらえると思うけど第六感に近いアレね。決して嗅覚がどうとかいう話ではないから」
「夫なんていたんだ」
「知らないのはムリもない。結婚離婚同棲を延々と繰り返してたんだけどここ数年連絡が途絶えてたのよ、最後は元特殊部隊系の人間を雇ってるPMCに入ったとか何とかって聞いて、それが最後だった。まー今じゃ特に思い入れもないし対峙する事があったらパーンと殺してくれちゃっていいわ」
「元特殊部隊って聞いたけど所属は?」
「SEAL、SEAL.TEAM6、一時期はSASにも出向いてたらしいわね、本人からは聞いてないけど間違いない」
「うっわ、DEVGRUか。元SEALは何人か潰したけどDEVGRUはキツイ…相手にしたくないな。足を一本か二本くらい潰さなきゃならないかも」
「その気になれば街一つごと吹き飛ばすのにそんなコト言うのね」
「いや、連中を見たんだけど装備がアホみたいにいいんだ。米軍の対テロ系特殊部隊でもここまで金がかかってないって思わせる程だよ。もし連中とやりあうなんて事があったらこっちは強化外骨格でも着るしかなさそう。ボディーアーマーをぶち抜く12.7mm徹甲弾を軽々とバラまいてさ。レールガンでも持ってくるか、あー、どこぞの漫画みたいにコインを手で撃ち出せないもんかな、文字通り銭投げ」
「珍しい、漫画なんて読むようになったんだ」
「いや、マイ・フレンズの趣味。オタクがいる。ほらさっきの、背が小さいほう」
「あーあの子ね。なんかそんなカンジには見えないけど。おっぱい大きくてふにっとしてかわいいコ」
「どうせアタシャまな板でコンクリートだよ、アーマーはお陰で着やすいけど」
「それはそれで良いものよ?」
「フン」
料理が運ばれてきた。山のように盛られたタンメン。シロナの元に置かれたのはいきなりのフカヒレ。
「いきなりフカヒレかい」
「そうよ?大好きだもの。やっぱり健康の為には自分が好きなものを食べるのが一番!」
いつも食べている馴染みの味ではなかったが、良い味だ。なんというか、こう、表現がしづらいが高尚な味だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます