破れないテープ

息子は生まれつき、心臓と肺が弱かった。お陰で小さい頃は病院で寂しい想いばかりさせてしまった。そのせいか、息子はとても無気力な人間へと育っていき、今じゃ部屋と病院を行き来するだけの生活ばかりするようになった。何か言っても息子はお前等のせいだと言い放って聞いてはくれなかった。


ある日、ふとテレビを付けた時にある人物が目に入った。決してその人は芸能人でも何でもない、息子と同世代の少年だった。その少年が、日常ではまず走らないであろう距離を走り切り、涙を流しながら笑っているのだ。私の目には、何故かその少年が自分の息子と重なって見えた。

テレビを消すと私はすぐにあの少年がやっていた事を調べ上げ、担当医の許可を取った上で息子に薦めてみた。案の定、息子は断ってきたが、満更でもなさそうな表情を見逃さなかった。多少の興味を持ってくれている。そう思い自分でもしつこいと感じる程何度も薦め、ようやく息子は始めてくれたのだ。

息子の身体のことも考え、病院と家に近い場所を調べ、送迎も毎回私の車で行っていた。始めのうち、ハードな練習に息子は追いつくだけでも精一杯で見てるこっちはとても不安だったが、それでも辞めることなく続ける息子を見て毎度の如く涙を流した。


練習を続けていくうちに息子はどんどん成長し、病院でも驚かれるくらい健康的な身体になっていた。それだけじゃない。精神面でも息子は大きく成長したのだ。

ほんの少し前ではありえなかった家族揃っての外出や食事が増えた。何より嬉しかったのが息子が笑顔で話しかけてくれるようになったことだ。その笑顔は私がいつぞやにテレビで見た少年にとても似ていた。

身体が弱く、あまり学校にも行けてなかった息子は交友関係があまり恵まれていなかった。しかし最近では家に招待する程の友人が何人もできたではないか。これ以上ないくらいに息子の全てが上手くいっていて、とても誇らしかった。


その息子が今、ひとりで頑張っている。あの時の少年と同じ、あの道を息子が走っているのだ。いつもの練習よりも過酷で長いあの距離を息子は走り切ろうとしている。

私達はゴール付近で待った。昔の息子なら絶対に現れることのないと思うのだろうが、今は違う。今の息子は昔に比べ大きく成長したのだ。息子はきっと走り切ってくれるはず………。


息子が現れた。しかも一番だ。ふらふらとしながらもしっかりと走っている。その姿を見るだけでも私の目からは涙が溢れ、すぐ下のアスファルトを濡らした。

私は唾が飛ぶのも承知で息子の名前を呼びながら大きく手を振った。それが合図かのように周りの人達も思い思いの応援を叫びながら手を振りだした。それに息子は気付いたのか、ぐんぐんとスピードを上げ、ゴールへと近付いていった。

あと少し、あと少し………!

近付いてきた息子は泣いていた。息子も泣いていた。何だかそれがおかしくなって笑えてくる。

泣き笑いをしている私を見て、息子も同じ泣き笑いをした。

もう少しで息子はゴールテープを切り、あの少年の姿とぴったり重なるのだろう。あの少年はきっと私の願望だったのだ。つまらなさそうに生きている息子に、何かを成し遂げる楽しさを知って欲しかったのだ。息子に、もっと良い人生を送って欲しかったのだ。

息子がゴールテープを切ったら真っ先に抱き締めよう。そして一番にあの笑顔を見るのだ。息子のいきいきとした、幸せに満ちた顔を。


「………え」


思わず間抜けな声が出た。ゴール数センチ前、息子が急に胸を抑えて倒れたのだ。ほんの一瞬前まであんなに元気に走っていた息子が、顔面蒼白で倒れているのだ。

何が起きたのかわからない。私の頭の中はすっかり空っぽになってしまって、大勢に囲まれていく息子の白目をただ見つめることしかできなかった。

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とまらないとまれない 蛇穴 春海 @saragi

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