第12話 つながる糸
ふたりを見つけると、エントランス付近の縁石に腰かけていた駿は立ち上がって「まってたよ!」と両手を振る。
つられてかおりも笑顔になった。
「こんにちは、駿くん。なんだか嬉しそうね」
「よ、元気そうだな」
ぼそぼそと挨拶した墨児の片腕を引っ張って、駿はふたりを店内に引き込んだ。
ドリンクバーと軽食を注文し、店員が去って行くと、駿は待ちきれないとばかりにしゃべりだした。
「お父さんとエミコさんが、サイコンに向けて話をすることになったよ。ケッコンシキもしようかって話になってるんだ。エミコさんは、来月ぼくのおうちにひっこしてくるんだよ!」
「まぁ! それは良かった! 本当に、良かったね駿くん」
かおりは、テーブルの上で駿の両手を握った。
「うん! おねえさんとおにいさんのおかげだよ。ありがとう!」
手を握り合うふたりを頬杖をついて眺めていた墨児も「良かったじゃねぇか」と
市役所からの報告によると、笑子(今回のターゲット)には離婚歴があり、前の夫との間に娘がいるらしい。彼女が再婚をためらっていた理由はそれだろう。問題が消え去ったわけではないが、彼女は問題との向き合い方を変えたのだ。駿と、新しい恋人の支えによって。
(人さまのご縁を結ぶお仕事って、とっても素敵)
かおりは笑顔で、駿の話を聞き続けた。横目で墨児をうかがうと、彼もいつになく穏やかな表情で相槌をうっている。
駿からの嬉しい報告を聞いた後、ふたりは駿を家まで送り、墨児のバイクでスーパーに寄って笑子の“えにしの糸”がしっかりと結ばれていることを確認した後、縁結びの神社に戻った。
待ち合わせしていた一ノ瀬も、すでに到着していた。
時刻は午後二時すぎ。社務所の中で、菊池に持たされたというスイートポテトがふるまわれる。
墨児がそれをかじりながら、一ノ瀬に「通販でこーゆーの買ってくれ!」と雑誌の切り抜きを見せている。
「おむつケーキって言うんだ。こないだすげー豪華な見舞いもらっちまってさ。こっちもなんかこう派手な出産祝い贈ってやりたいんだよ!」
一ノ瀬の視線は冷ややかだ。
「自分で買えば? 買いたいものが決まっているなら、なおさらさ」
墨児は断固として嫌がった。
「店頭より、通販のほうが種類が豊富じゃねーか! 第一、男がどんな顔してコレを買やぁいんだよ!」
「あ、こら!」
墨児が一ノ瀬のスマホを取り上げたので、一ノ瀬が秀麗な眉を吊り上げた。
「触るなよ。君が触ると、高確率で壊れるから!」
「知ったことか。通販のページを出せ」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ二人の間で、スマホが行ったり来たりしている。
(なんだか、子どもみたい)
小学生のケンカを見ている気分で微笑むかおり。
結局、一ノ瀬が折れ、有名な某A通販サイトで、おむつケーキを注文することとなった。
墨児が「サンキュ!」と一ノ瀬の背を叩く。
「金は、また今度な。今、新札の手持ちがなくてよ」
一ノ瀬は苦笑した。
「べつに気にしないけど。まぁいつでもいいよ。ボクのほうはどうしようかな、ロンパースとかいいかなと思ってるんだけど、ご両親の好みもあるしなぁ」
ロンパースとは、赤ん坊に着せる
いつも優雅な微笑みを絶やさない一ノ瀬が迷っている姿は珍しい。その彼が、「かおりちゃんは? お祝い、もう決めたの?」と水を向ける。
かおりは「私も迷ってるんですけど」と前置きして、両手でカメラのシャッターを押すジェスチャーをした。
「偽りの肩書きから、すっかり趣味になっちゃいまして。菊池さんご一家の写真を撮らせてもらて、それをデコレーションしてお渡ししようかと思ってるんです。赤ちゃん用のやわらかいタオルかなにかと一緒に」
一ノ瀬はうんうんと頷いた。
「手作り感のあるものはいいよね。それとタオルかぁ。いくらあっても困らないっていうしね、それもアリだよね」
「あー、オレもいくらあっても困らないからって書いてあったから、おむつにした。なんだよ、お前珍しくハッキリしねぇな」
だってねぇ、と一ノ瀬は物憂げなため息をつく。その姿がまた美しい……と思ったが、だんだん慣れてきたので顔には出さないかおり。というか、男性全般に対する免疫がついてきたようだ。これまで避けまくってきたので、それが良くなかったのかもしれないと、今更ながらに反省している。
「ふたりを引き合わせたのはボクだし、仲人したのもボクだし。なんだかここまで菊池のライフイベントに関わっちゃうと、責任感じるっていうか、贈り物ひとつにもすんごく悩んじゃうんだよね」
なるほど、菊池は一ノ瀬には大変世話になっていたと言っていた。一ノ瀬のほうでも、それだけ思い入れが強いのだろう。
もう少し考える、と一ノ瀬は言い、本題である縁結びの成果報告に移る。
アプリを見ながら、一ノ瀬はひゅーと軽く口笛を吹いた。
「すっごいねぇ。今月に入ってから、確定が2件、確定待ちが3件……さっすが、ボクが見込んだだけのことはある! かおりちゃんは優秀だね」
「えへへ、どうも」
美貌の一ノ瀬がにっこり微笑むと、それだけでご褒美をもらった気分になれる。かおりは素直に喜んだ。
「おい。オレの功績を無視すんな」
「はいはい。墨児くん、よーく頑張ったねぇ」
一ノ瀬がぞんざいに墨児の髪を撫で、墨児は嫌がってその手を振り払った。
「ふざけんな! 男がんなもんで喜ぶかよ!」
「翠さまには、いつもしてもらってるじゃない」
「あいつは……あいつには言っても無駄なんだよ」
力なくつぶやく墨児。かおりと一ノ瀬は視線を合わせ、「さもありなん」と声を立てて笑った。
そして。かおりはおねだりモードに移行する。
「今月最後の案件ね。さっき片付いたばかりのやつだけど。とっても難しい案件だったのよ。円満解決を祝して、上司にご飯でも連れてってほしいな、なんて」
一ノ瀬は「おや」と肩眉を跳ね上げた。
「ボクにたかるなんて、この見返りは高くつくよ」
「その分、来月のお仕事も頑張ります! ね、いいでしょう?」
「そーだそーだ。
墨児が平手で床をバンバンしている。「餌をよこせ!」と地団太踏んでいる猫のようでかなり可愛い、とかおりは顔を逸らして吹き出した。
しょうがないね、と一ノ瀬も笑った。
「いいよ。じゃあ健康な胃袋を持つ若者たちよ、焼き肉なんてどうかな?」
「「イエーイ!!」」
かおりは墨児とハイタッチした。出来れば焼き肉が食べたいねと、打合せしていたのだ。ポケットからスマホを取り出すと、チェックしておいたお店のクーポン画面を提示する。
「ここ、今食べ放題がお得なの。どうです?」
一ノ瀬は「はいはい、仰せのままに」と肩を
日時を約束して、三人は解散した。
その日は、
約束の日。
できるだけたくさんの焼き肉を食べるため昼ごはんを抜いた墨児は、ぐるるる……と鳴る腹をなだめながら、スニーカーを履いていた。ポケットには、肉球キーホルダーのついたバイクの鍵。途中でかおりを拾い、一ノ瀬とは現地集合することになっている。
立ち上がった墨児は、背後に気配を感じた。誰かは分かっている、翠だ。だが珍しいことに、声をかけるでもなく静かにそこに居る。
不思議に思った墨児は振り返った。そして、驚きと不審に眉をひそめた。
翠の表情に普段の穏やかな微笑はなく、代わりに悲哀のただよう沈黙が張り付いている。
これはただごとではない、と感じた墨児は、床にたたずむ翠の目の前まで歩くと、片手で翠の片腕を取った。
「翠、どうした?」
握った手に、そっと力を込める。
「いつもやかましいあんたが黙ると、調子が出ねぇよ。言いたいことが、あるんだろう?」
ここ数日、翠がなにか物言いたげな様子であることには気付いていた。だてに生まれたころから世話になっているわけではない――あまり威張って言えることではないが。
翠が腕を持ち上げ、両の手のひらで墨児の手を包み込んだ。
「……墨児や。許しておくれ、お前に、言わなくてはならないことがある――」
そうして始まった翠の告白は、墨児にとって衝撃であるには違いなかったが、寝耳に水という驚きはなかった。
墨児自身、なんとなく感じ取っていたからだ。十九年という時間をかけて。
告白を聞き終えた墨児の心は、意外なほど落ち着いていた。むしろ、気落ちした様子の翠のほうがよほど気がかりだった。
墨児は、するりと翠の両手から抜け出すと、大きく腕を広げてがばっと翠の体を抱きしめた。
そこに存在していて、でも本当は人間が触れることのできないもの。それを、触れられるようにしてくれた。いつでも、墨児が求めたときに、翠はそばにいてくれた。そこに、人かそうでないかの区別はないと心から思える。
「ありがとう、翠。オレ、あんたに育ってもらって、あんたが親で、嬉しいよ」
怒っていないのかい?とやわらかい声が頭上から降ってきた。
墨児はフッと笑い、小さくを首を横に振った。
「ねぇよ。訊かなくても分かんだろ。翠、話してくれてありがとな」
翠の、深い森のような緑の双眸に浮かぶ悲しみの光は消えない。それはそのまま、翠がそれほどまでに墨児に心を砕いてくれたことを示すものだから、墨児にはただ笑って応える以外の道はなかった。
「
墨児は翠から離れ、ガタガタうるさい引き戸を開け放った。
そして、背を向けたまま語る。
「こうやって楽しい時間を持てるのも、あんたのおかげだよ。だから、たぶん難しいと思うんだけど、あんまり悲しそうな
墨児は境内を出ると、愛車にまたがり神社を後にした。
肌にあたる冷たい風が、心の中をいっそう冷静に、クリアに澄み渡らせていく。
(夕焼けが、すげぇキレイに見える)
映画のように過ぎ去っていく暮れなずむ町の景色を楽しみながら、墨児は少しだけバイクの速度を上げた。
夕闇の中からバイクの音が近づくたび、かおりは墨児の迎えではないかと、ベランダから道路を見下ろした。数回、そんな行為を繰り返した後、墨児は愛車を駆って現れた。彼はかおりのヘルメットを片手に持ち、手を振った。
二階から階段を駆け下りるかおりに、母が声をかけた。
「今日、お友達とご飯だっけ? あまり遅くならないようにね」
「分かってるって! ほどほどで帰りますー!」
そう返事はしたものの、かおりはほとんど上の空だった。
門扉を閉めると、墨児に駆け寄ってヘルメットを受け取る。
かおりが「ありがとう」を言う前に、墨児のほうが「言いたいことがあるんだ」と切り出した。
墨児は、大きく深呼吸をした。つられてかおりも、大きく深呼吸をした。
「お前の時間を、少しオレにくれないか? オレの残りの時間は、全部お前にやるから」
うっすらと染まった耳と頬が愛しい。かおりに、否やのあろうはずはなかった。大きく頷いて、墨児のそばに一歩踏み出す。
「もちろん、いいわよ! そう言うからには、私の残りの時間も全部もらってもらわなくちゃね」
墨児は小さく笑い、その笑顔がひどく嬉しそうで切なげで、かおりの胸は締め付けられた。彼はそっと手を伸ばし、かおりの体を片腕で抱え込んだ。ライダースーツ越しに、彼の鼓動が聞こえそうな気がする。
墨児は、いつのまにかすっかり伸びたかおりの髪に顔をうずめ、「悪いな」と囁いた。
「その要望には、こたえてやれそうにない。オレの残り時間は、たぶん、お前よりずっと短いんだ」
驚いて身を離そうとしたかおりを、墨児は強い力で引き戻した。
「それでも、オレのわがままかもしれないけど、お前といっしょにいたい」
だめか?と小さく訊かれて、断れるはずなどない。
かおりは、墨児の体をぎゅっと強く抱き返した。
「いいよ。いっしょにいよう。私も、いっしょにいたい」
ふたりの体がそっと離れる。かおりの頬を伝う涙を、墨児がグローブを脱いだ温かい指先で拭ってくれた。穏やかな笑顔は、かおりを落ち着いた気持ちにさせてくれた。
かおりはもういちど墨児に身を寄せると、その唇にそっと小さなキスを送った。
彼は大いに照れ、震えそる声で「乗れよ」とヘルメットを渡す。その背にしがみついてバイクに揺られている時間を、かおりは心から幸せだと思った。
(お母さん、ごめんね。今日は、帰りたくないな)
店に着くまで、じっと目を閉じてバイクの振動と恋人の体温を感じていた。左手の中に、墨児とつながれた赤い糸を包み込んで。
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