第9話 子どものおつかいは立派に役に立ちます
「それで、お兄さんとお姉さんが、お父さんにあたらしいおくさんをつれてきてくれる人?」
まだ成長しきっていない体は、かおりより頭ひとつ分以上小さく、細い手足は健康的に日焼けしている。ランドセルを背負ったその少年の、大きな瞳が見上げてくることにたじろいだかおりは、少年のやや後方に立つ人物に険悪な視線を向けた。
(ねぇ、なんでこんなことになってるの?)
言葉に出さずとも、かおりの苛立ちは伝わっているのだろう、墨児は一瞬からんだ視線をあからさまに外すと、唇の動きだけで「わ・る・い」と謝った。
かおりは再び少年を見下ろす。彼の瞳は、とても期待に満ちた輝きを宿していた。
つまるところ、どうにかしてターゲットの息子――名を
ファミレスの4人掛けの席に着いたかおりは、駿をドリンクバーに追いやっておいて、墨児のわき腹をつねった。
「イタタ、これはイタイ。まじで痛いってば」
墨児の抗議を、当然かおりはスルーする。
「あんたねー。私たちの身分、バレちゃったらまずいんでしょ。どーすんのよ、この状況。だいたい、あんたにターゲットとの交渉とか、ムリだから。向いてないから。余計なことしないの。いいわね?」
「イタタタタ……わかった、悪かったって。とりあえず、婚活推進してる市の職員ぐらいのことしか話してないから、大丈夫だろうよ、たぶん」
市役所に少子化対策課が実在しているのだから、そのあたりは公にしても問題ないそうだ。
「アプリのこととか、オレたちの能力とか。そういう話はナシ。な?」
「ド正論だけど、あんたに釘さされるとなんか腹立つのよねー」
左の指でぎゅっとお肉(さほど量感がないのが憎らしい)を摘まむと、「お前、マジやめろって!」と墨児にしてはやや大きな声で悲鳴があがる。
オレンジジュースらしきものを持った駿はそれを見て、
「お兄さんたち、仲いいね。カレカノ?」
と尋ねたもので、真っ赤になって使い物にならなくなった墨児に代わり、かおりはありとあらゆる言葉を尽くして、恋人ではないと否定した。それで少年が納得したかどうかは、はなはだ疑問であるが。
「じゃ、お兄さんたちのことはおいておくとして。もんだいは、ボクのお父さんと、あたらしいおくさんのことだよね」
かおりがオレンジジュースだと思っていた野菜ジュースを一口すすり、駿は言った。
(ま、話が早いというか、切り口が出来たのはいいことかな)
かおりは前向きに考え直し、「えっと……」と前置きして、駿の父親に好きな人がいることを知っているのか尋ねてみた。
「もちろん、知ってるよ。スーパーでそうざいを売ってるおばさんでしょ。しずかだけど、しんせつで、笑うととても感じのいいひとなんだ」
ちらりと墨児を見ると、彼は小さく頷いた。駿は心から感じたことを話しているようだ。
「駿くんは、そのおばさんのこと好き?」
かおりの問いに、駿は「うん」と頷いた。
「でも僕より、お父さんのほうがもっとエミコさんのこと好きみたいだけどね」
「あらま、おばさんのお名前も知ってるのね」
駿はくすくす笑った。
「だって、さいしょに仲よしになったのは、ボクのほうだもん。それから、お父さんも話をするようになって、なんかだんだん、いい感じになっていったんだよ」
彼女がお総菜コーナーにいるときは積極的に世間話をし、彼女のいるレジを選んで並ぶ……そういう地道な、少年の努力によって、現在の状況が導かれたのだそうだ。
「まぁ、駿くんエライわね。どっかの誰かさんよりよーっぽどお利口だわ。パートナーにスカウトしたいくらい」
かおりは手放しで褒めた。この子は立派なエージェントになるだろう、本気でそう思ったからだ。
一方、ナチュラルに役立たず扱いされた墨児の機嫌はあまりよくなかったが、少年の手前、むっつりとメロンソーダを飲むにとどまっていた。
「パートナー? お兄さんとお姉さんは、カレカノってことじゃないの?」
「じゃないの! そうね、お仕事仲間、ってところかな。いっしょに組んでお仕事をしてるから、パートナーって呼んでいるのよ」
「ふぅん。おにあいだと思うけどね」
「ゲボゲボッ、ゲホッ!」
墨児が盛大にむせた。かおりは「ふん」と鼻から息を吐き出して、おしぼりで机を拭いた。墨児は、呼吸をととのえて、濡れた衣服をペーパーナプキンで拭いている。駿は動じず、「お兄さん、マナーがなってないよ」とダメ出ししてくれた。
「オレ、今日、安眠できっかな……」
疲れた声で墨児がつぶやく。
「自業自得でしょ。ほら、袖口も濡れてるわよ」
かおりがパーカーの袖口を、おしぼりでタンタン……と軽いリズムで叩く。
ジュースをすすった駿は、「いいな」とうらやましそうに言った。
「お父さんにも、そういうひとがいればいいのにって、ちょっと前から思ってたんだ。お父さん、ぶきようだし、でもなんでもがんばっちゃうから、いろいろとたいへんなんだ。助けてくれるひとがいればいいなって、そう思ってた」
かおりは手を止めて、駿を見た。
「それで、お父さんに奥さんが出来ればいいと思ったの?」
声に出さず、駿は頷く。
「お父さんに奥さんが出来るってことは、駿くんにも新しいお母さんが出来るってことになるけど……ハッキリ訊くね。それは嬉しい? それとも、ビミョーな感じ?」
駿は顔を上げ、「きっと、楽しい!」とハッキリ答えた。
「ぼくはエミコさんが好きだし、お父さんもそうだし、エミコさんもきっとぼくたちと仲良くしてくれると思う! 思う、けど……」
「……気になることが、あるんだよな?」
ボソボソと言った墨児の言葉に、駿は少しうなだれて「うん」と言った。
「エミコさん、ぼくたちのことキライじゃないと思う。思うのに、ぼくたちを見て、すっごくさみしそうな顔をするときがある。エミコさんは、あんまりサイコンにのり気じゃないのかもしれない」
かおりは我知らず頬を掻いた。
(今ドキの子って、すごいわね。再婚って言葉の意味ちゃんと分かって使ってんだもんねー)
そこへ、ファミレスの店員がフライドポテトとチキンナゲットの盛り合わせを運んできた。墨児が、「ま、食えよ」と子ども用の取り皿に取り分けて、駿の前へ押しやった。彼は「ありがと」と言って、指でポテトをつまむ。
「で、そのエミコさんが再婚に乗り気じゃなかったら、お前は諦めんのか?」
駿は答えない。二本目のポテトに手を伸ばす。
「そりゃまぁ、夫婦の問題って考え方もあるんだろうけど。でもオレは、これって家族の問題だと思うんだな。で、お前って、家族の一員なわけじゃん。そのへん、どう思うよ?」
これは子どもには難しい問いかけなのでは――とかおりは危惧したが、駿は以前から真剣に父親の再婚について考えていたらしい。その回答は明晰だった。
「ぼくは、エミコさんなら新しい家族になってほしいとおもう。でも、お父さんと、エミコさんと、ふたりが納得して家族になるんじゃなければ、けっきょくダメになっちゃうかも、とも思う」
自分の皿にポテトを盛りながら、かおりは訊きづらい内容を尋ねてみた。
「あのね、ちょっと参考っていうか、訊きたいんだけど……駿くんを、産んでくれたお母さんは、今どうしているの?」
駿は控えめに笑って「おはかの下だよ」と言った。この答え方に慣れている様子が、かおりの心チクリと小さな痛みをもたらした。
「きっと、お母さんも、ぼくたちの幸せをおうえんしてくれるとおもうから。だから、しんぱいいらないよ」
「そっかぁ……」
それ以上は言うべき言葉を持たず、かおりはいったん黙ってポテトを食べることに集中する。
しばらく経って、新しいドリンクを持ってきてから「そういえば」と口を開いた。
「バイトの先輩が、たしか、小学生のころ親が再婚したんだって。お互い連れ子で、生意気な弟と可愛い妹が出来たって、そんな感じの話を聞いたわ」
何気なく語ったかおりの先輩の話に、駿が食いついた。
「そのひと、会える? おはなし聞きたい!」
「え!? んーと、先輩がいいって言ったら、いいよ」
何か参考になる話が聞けるかもしれない……駿の意欲に押される形ではあったが、かおりもヒントを求めて先輩にメッセージを送った。すぐに折り返しのメッセージが入り、電話のため、席を立つ。
男ふたりになってしばらく無言の時間が続いたが、ファミレスの入り口付近で電話しているかおりの横顔を遠目に眺めながら、墨児は人生の先輩らしく、小さな後輩にアドバイスすることにした。
「新しいお母さんが出来ることは、いいことだと思う。けど、女ってのは時々コワイ生き物なんだぜ」
駿はにっこり笑って答えた。
「知ってるよ。カナイアンゼンのためにはお母さんがおうちのちょうてんに立つのが一番だって、学校の先生が言ってたもん」
駿の学校の先生は、なかなかためになる話を披露しているようだ。
駿は続けた。
「でもお兄さん。お兄さんは、女のひとのことをかたれるほど、ジョセイケイケンがほうふなの?」
そうは見えないなぁ、という反語が含まれているのが明らかな視線に、墨児は深く傷つき、意味もなく胸をさすりながらもうひとつアドバイスを与えた。
「お前さ、正しいことばかり言ってると、時には人を傷つけることもあるんだぜ」
「ごめんね。やっぱり、ジョセイケイケンは、ほうふじゃなかったんだね」
「…………」
墨児は机に突っ伏した。誰か、タオルを投げてやってください。
電話を終えて戻ったかおりは、なにやらどん底まで落ち込んでいるらしい墨児と、ご機嫌な駿を見て首をかしげるのだった。
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