第8話 お仕事にはちょっとしたコツが必要です

 かおりは、待ち合わせのため、ハンバーガーショップにいた。

 時刻は14時を少しまわったころ。全国チェーンだけあって、さすがに客足が途切れない。それでも昼時ほどの喧騒はなく、それなりににぎやかな店内の二人掛けのブースでスマートフォンを操作する。単なる暇つぶしではない、少子化対策課の業務の一環として、最新の対象者リストを確認する作業だ。

 約束より10分遅れで、待ち人は来た。墨児すみじだ。ブラックジーンズの上に堂々とにゃんこプリントTシャツをONし、「悪い」と照れくさそうに視線を逸らして謝る。そろそろ慣れてきたその姿を、「いいわよ。いつものことだもん」とからかうと、彼は鼻の頭を掻いて向かいの席に座った。

 季節は梅雨の真っただ中。水滴に滲んだ窓ガラスの向こうには、色とりどりの傘を差して往来する人々の姿。五月の薫風がじっとりしめった梅雨前線に追い払われるまでの間に何度か待ち合わせの約束をしたが、彼が約束を守ったことは一度もなかった。

 別にそれを怒る気にはならない。バツの悪そうな表情で「悪い」と口にする姿は、自他ともに認める猫好きでありながら、叱られた子犬のようでちょっと可愛いと感じる。また、謝罪を忘れたことも一度もない彼だった。

(相変わらず不器用だこと。こりゃあパートナー探しが専門になるわけだ。対象者から話を聞きだすとか、ふたりをくっつけるためのアレやコレやを実行する時とか、小学生のお手伝いのほうがまだ役に立つんじゃないかしら)

 ――なんて私が思ってることには気づいてないんだろうなぁ。

 と、忍び笑いをもらすかおりの前で、墨児はポケットから端のよれたメモ書きを取り出した。

「お前のマークした対象者のうち、ふたり、パートナー見つけ出したぞ」

 どうやらそのメモには、パートナーについての情報が記されているらしい。

 どんな時でもスマートフォンを実にスマートな仕草で操作して必要な情報を取り出す菊池などと比べると、子どもがお使いのために一生懸命メモを取っている様子とイメージが浮かんでしまい、よけいに笑いを誘われる。

 その間もなにやらごにょごにょ説明を続けていたらしい墨児が、「おい、聞いてんのか」と睨みつけてくる――のではなく、くしゅっと鼻にしわを寄せるこの表情は、彼のクセになっているようだった。もちろん、感じが悪いので、女子受けはひじょうによろしくない。ちなみに、表情のガラの悪さに釣り合わず、声は小さい。一ノ瀬あたりとは大声で言い争いをしているが、基本が人見知りで、しかも女子が相手となるといつもの威勢の半分も出ない有り様だった。

 かおりにとって、墨児が「怖くない」最大の理由がそれだった。基本的にフェミニスト――というか、女子には頭が上がらず子どもの前ではいいお兄ちゃんをしたがる、単純で善良な人種なのだ。

 聞いてるわよ、と答えたかおりは、今までの笑いを引っ込めて、この一ヶ月ほど胸につかえていた疑問をぶつけてみることにした。

「一ノ瀬さんのことなんだけど。元気、ないよね? っていうか、明らかに無理してるよね?」

 ジュジュっと音を立ててシェイクを吸った墨児は、「まぁ、お前なら気付くよな」と遠回しに肯定した。

 あっという間に空になったシェイクの紙コップをクシャっと握り締めた墨児は、本人が話してないんだから詳しいことは言えないけど……と前置きして、彼にはずっと以前から悩みがあったが最近それが深刻化してるみたいだ、と話してくれた。

 まだ半分以上残っているアイスレモンティーのカップを意味なくちゃぷちゃぷ揺らしながら、かおりはさらに問う。

「その悩みがもし恋愛関連なら……わたしとあんたで、どうにかしてあげられるかもしれないんだけど。っていうのはおこがましい言い分かもだけど、少なくともなにかお手伝いできることがあるんじゃないかな? それとも、別口なのかな?」

 飲み物がなくなった墨児は、頬杖をついて窓の外を眺めながら、しばらく黙っていた。

 それ以上は何も言わず、ちまちまアイスティーを飲んでいたかおりだったが、墨児の声に、再び顔を上げる。

「何が問題ってさ。あいつが無理してること、ほとんど誰も気づかないことなんだ。で、気づいている連中には、意地なのか心配かけまいとしてなのか、さらに本音で話さなくなるんだよ。ほんのガキの頃からそうなんだぜ」

 墨児がぼんやりと物心ついたころ。一ノ瀬はすでに小学生になっていた。これから六年間背負っていく、そのランドセルを背負ったまま拝殿に正座する姿が、とても印象に残っているという。

「俺はそのころから鼻が利いたから、あいつがすごいショックを受けたり、なんかこう、子どもが抱えるにはでっかい重しみたいなのを持ってるのは知ってたんだ。知られてることを知ってたからだと思うけど、あいつは俺のこと気にくわなかったみたいで、記憶に残ってる最初のセリフって、『すみじのバーカ』だしな。俺もんなこと言われて黙ってられるほどおしとやかな性格じゃなかったんで、あいつとの口ケンカ歴はもう十年超えてるよ」

 かおりが思っていたよりふたりの付き合いは長いらしい。なんと、墨児が赤ん坊のころからだというので、ちょっと驚きだ。

「じゃあ長年の友だちでも、どうにもできない問題ってことなんだね」

 かおりの言葉に、墨児は嫌そうに唇を曲げた。

「その言い方は、ちょっと。さぶいぼ出そうだからやめてくれ」

 と言いつつも「どうにか出来たら、してやりたいと思っちゃいるけど」なんてセリフが出てくるあたり、やっぱり仲がいいんだなと思うかおり。

 可哀想なシェイクの空紙コップをさらにクシャクシャに握りつぶしながら、墨児はもう一方の手で硬そうな黒髪をかき回す。

「あいつ、根暗なんだよー。世の中の悩みなんてさ、『金がない』か『女にモテない』の2種類しかないわけよ。それをグダグダグダグダと……。俺なんか、孤児で、育ての親は過保護だけど人間じゃねーし、友だちもカノジョもいねーし、学校行ってた時は問題児扱いだったし、周りが俺のことどんなふうに思ってるかも鼻で分かっちまうしで散々な人生だったけど、けっこう前向きに生きてるんだぞ」

 人それぞれの悩みを断言してしまうのはどうかと思うが――そう言われてみれば、墨児には世を拗ねている様子が感じられない。愛想がないのと不器用なのは、それもひとつの個性だろう。『他人の心がある程度分かる』のはかおりも同じで、それは時には大変な重みだった。でもそれを、『友だちのキューピッドになる』という方法でプラスの方向に使用してきたかおりと同様、墨児もその“鼻”を、誰かの恋の役立てることで自分の特技あるいは特性として受容してきたのだと思う。

 ならば一ノ瀬はどうか。彼の場合『ある程度分かる』というレベルではなく、一定範囲においては『だだ漏れの丸分かり』という能力なので、その精神的負荷はかおりには計り知れない。少子化対策課という業務に邁進することでは消化しきれない、マイナスの感情を抱えているのかもしれなかった。

 やっと飲み終わったアイスティーをトレイに置いたかおりは、スマートフォン画面に表示されたリストを指さして「あんたのと合わせて、近日中に三件が片付きそうね」と言った。今このハンバーガーショップにいる若者グループの中に、偶然にもカップルとなるべき糸で結ばれた一組がいたからである。そして、かおりが瞬時にリストの人物であると認識できたのは、バイト先の先輩の友人という位置づけで、その人と面識があったという幸運が作用したから。

 得意げに微笑むかおりに対し、墨児は「俺たち、けっこう仕事早いよな」となぜか呆れ気味に鼻の頭を掻いた。

「なかなかの成績だと思うわよ。というわけで、この三件が片付いたら、上司にごはんをたかるっていうのはどうかしら?」

 墨児は笑った。ちらっと覗く犬歯が、彼の笑顔を幼い印象にさせる。

「いんじゃね? あいつのおごりで食うメシはうまいぜ」

 ふたりとも椅子を引いて、席を立つ。件のグループが、片づけを始めたからだ。まずは彼らの後を追わなくては。

 二人分のトレイを所定の位置に返して、グループの後をついて歩いていた墨児に追いつくと、彼は「こう蒸し暑いと、ビアガーデンとかいいよな」と呟いた。未成年の飲酒は家庭内のみOK(そんなわけはないけど)と思っていたかおりは墨児の手の甲をつねってやったのだが、彼は歩を緩めることもなく、くすぐったそうに小さく笑うのだった。


 若者グループカップルの恋愛を成就させるにあたり、かおりはこれまでに何度も成功成績のある「イベントを控えた、写真部の女性高校生カメラマン」を演じた。墨児も、同じクラブの生徒という設定になっている。そして、「今度のイベントで、『素敵なカップル』をテーマに展示しようと思うんです。おふたりの写真を撮っても構いませんか?」と、カメラのフレーム中にいざなう。このカメラがちょっとしたポイントで、現像に時間のかかる一眼レフなどの本格的なものではなく、その場で撮った写真をプリントアウトできるチェキという種類を使っている。撮った写真をその場で手渡すと、彼らはくすぐったそうな笑みを交し合って、一緒に写真を覗き込む。そしてたいてい、その瞬間には恋に落ちている。

 かおりの目も、墨児の鼻もそれを察知し、ふたりは目線でうなずきあった。にこやかに彼らと別れ、次のターゲットのもとへ向かう。移動はもちろん、墨児のバイクだ。

「お前の手際が良すぎてコワイ」

「優秀と言ってちょうだい」

 ゴウゴウとうなる風の音にかき消されるため、ふたりともそれなりに大声で話している。かおりの両手は、墨児の胴体を抱え込んで離さない。最初、照れに照れた墨児だったが、安全のためにこれは致し方のない行為である。そう納得して、今ではだいぶ落ち着いてくれた。ちなみに、かおりのかぶっているヘルメットは、墨児からのプレゼントだ。就職祝いということらしい。

「次は、たしか40代の二人よね? どうしよっかなー。写真部の手は、若い世代のほうが効き目あるのよねー」

 ふたりはバイクから降り立った。ターゲットのお相手である40代男性の家の近くにある、コンビニの駐車場である。きっちりスタンドを立て、倒れないよう点検する墨児の姿に、「まじめだなぁ」という印象を深くする。そして、今から見に行く男性は、どんな人だろうと思った。

 かおりが見つけたターゲットは女性で、その男性のことを強く想いながら、一歩踏み出すことを戸惑っているようだった。けれど、出来ることなら彼と一緒に残りの人生を生きたい――そう願っているように感じられた。なんとなくだが、結婚の経験のある女性だろうと思った。

「父親のほうじゃなく、子どもを撮らせてくれって頼んでみたらどうだ? たしか今、小学3年生だ」

 墨児が、くしゃくしゃの手書きメモを見ながら言う。

「あら、子どもさんがいるのね。んー、となると、写真撮影の場に、お相手の女性を連れてこられたら一番いいわね。お父さん、どんなお仕事してる人?」

 会社員、経理関係の仕事で、課長補佐。仕事の間、子どもは学童保育に預け、遅くなることが分かっている日は、通いの家政婦を雇っている――という情報によると、それなりのお金持ち、と推測できる。

「その家政婦さんが『運命の人』だったら話が早いんだけど、違うなぁ。お相手の女性は、この近所のスーパーで働くおばさんなの」

「接点は、買い物?」

「そう。お父さんがお仕事帰りに、ときどきお買い物しているスーパーみたい」

 並んで歩き、とりあえずターゲットの自宅を目指す。といってもいきなり訪問するわけにもいかないので、外から「雰囲気を見る」あるいは「雰囲気を嗅ぐ」だけで済ませるつもりだ。

 時刻は、そろそろ夕刻と呼ばれる頃合いにさしかかっていた。住宅街の空を走る電線の向こうに、赤みを増した太陽がひそんでいる。

「そのおばさんのほう、子どもの存在は、当然知ってるんだよな?」

 墨児の問いに、かおりは「たぶん、ね」と無意識に首をかしげながら答えた。

「なにかを迷っている感じがして……それが、相手に子どもさんがいるからという理由なら、まぁ説明はつくかな」

 かおりの知る限り、たいていの人間は恋愛をすると多少はしり込みするもので、「当たって砕けろ!まずは告白だ!!」タイプは少数派だと思われるが。

 ターゲット中に、「新しい母親になること」に対しての戸惑いがあると考えるのはごく自然なことだろう。

 男性の家は、新興住宅街にある一軒家だった。黒っぽい外壁と片流れ屋根のシャープな外観で、塀はなく、シンプルな門柱に電灯と表札が取り付けられている。建屋の間に広がる灰色コンクリートの駐車スペースには白い乗用車が停まっていたが、そろそろ日が沈もうとするこの時間帯に、どの窓にも明かりはない。まだ仕事から戻っていないのだろう。

 二人がそう結論付けて歩き出そうとしたところで、曲がり角から、父子連れがやってくるのが見えた。

 墨児が低く「おい」と囁く――一歩間違うと恫喝になりそうな声色だが、単にその父子がふたりの目的であることを促しているだけである。かおりもかすかに頷き、ふたり連れだって歩き始めた。父子に向かって。ただし、無関係なふりを装って。

 父親が、一瞬ふたりを見たような気がしたが、すぐに興味は息子のほうへと戻っていった。

 父子と入れ替わりに曲がり角を折れたふたりだったが、そのままひらりと塀に張り付き、父子の会話を見守る。

 小学校3年生だという息子は、元気で素直そうな子どもだった。父親の「夕飯は、カレーだよ」という言葉に、「おとうさんは、カレーとかシチューとか、とにかくどろっとしたお料理しかつくらないよね」となかなか辛辣な言葉を返している。

「ガキって残酷だな……」

 墨児と似たようなことを思ったのだろうか、カバンからキーケースを取り出そうとした父親は、あやうくそれを落とすところだった。

 苦笑いしながら、父親は言った。

「そんなことはないぞ。父さんが作ったハヤシライス、おいしいって言ってくれたじゃないか」

「おいしいけど、それもどろっとしたお料理だよね」

「……」

 こらえきれず、かおりも笑った。なかなか心あたたまる親子の会話である。

 キーケースから銀色のカギを取り出す父親の顔には、なにやら男の意地めいた気配が漂っている。

「サラダだって、つけたじゃないか」

「洗って切ったお野菜、スーパーのそうざいコーナーにあるよね」

「……父さんだって、頑張ってるんだぞ。そりゃ、スーパーやコンビニに助けてもらうこともあるけどな。一番頑張っているのは、父さんだからな」

 自分を指さす父親に向かって、息子は遠慮なく言いたいことを言った。

「わかってるよ。努力はみのるとは限らないけど、努力することには意味があるって、学校の先生も言ってるもんね」

 ガリっと嫌な音がして、墨児が塀に爪を立てたことを知った。

「……切ない、切なすぎるぞ! あれか、世間の家族ってこんなもんなのか? あのガキ、ちょっと冷たすぎるんじゃないか?」

「あんたね、なに父親のほうに感情移入してるのよ。こんなのフツーだってば」

 かおりの家でも、父親が家族に軽くあしらわれてしょんぼりしている光景がたまに見受けられる。平和で、心が和む光景である。そんな日は、かおりは台所から缶ビール1本とポテトチップスを拝借して、父に渡すことにしているのだ。

 いよいよ黒っぽい玄関扉が開き、父親が息子のランドセルをそっと押した。

「さ、父さんの作ったカレーと、父さんの買ってきた野菜サラダを食べよう。ドレッシングは、好きな種類を選んでいいぞ」

 父親はスーパーの袋から、2・3本の瓶を取り出して見せた。

「あのね、お父さん。ドレッシングにもしょうみきげんがあるって知ってる?」

 扉の中に吸い込まれていく息子の声は、かすかにあきれを含んでいた。


 ガチャリ。車の走っていない住宅街に、その音は予想以上に重々しく響き、扉は閉ざされた。

「ひでぇ。ひでぇよ……きっと喜ぶと思っていろいろ買ってきたのに……」

 墨児は頭を抱え込んでなにやらブツブツ言っているが、かおりは無視する。

 かおりの見たところ、親子仲はひじょうに良好。そして間違いなく、父親の“運命の糸”は赤く濃く色づいている。つまり、誰かと愛し愛されることを望んでいる状態だ。息子はやや素直すぎるきらいがあるが、父親に恋人ができたとしても、理由もなくだだをこねて反対する、というような真似はしないタイプに思えた。

(まぁ、理由があれば、それを存分に使って反対しそうな子ではあるけれど)

 考えながら、考えすぎている自分に気づき、かおりは深呼吸した。

 “運命の糸”と違って、ひととなりは「見て」わかるはずのないものだ。わかったつもりになって仕事を進めれば、いつか思いがけない事態を引き起こすかもしれない。

(“運命の糸”が引き合うふたりの背中をそっと押すこと。仕組まれた偶然の出会い、予定調和のちょっとしたアクシデントがあれば、それでいい)

 あらためて自分の「お仕事内容」を確認しているかおりの横で、墨児はまだ落ち込んでいた。イラっときたかおりが、その背中を思いっきりはたく。

「イタイ! なにすんだよ!?」

「あんたも、ちょっとは考えなさいよ! わたし、個人的なのも含めて縁結びは今までいろいろやってきたけど、子どもづれのパターンは初めてなんだから!」

 墨児は、鼻にくしゅっとしわを寄せた。どうやら、考えようとしているらしい。ただ、それが無駄な努力だったことは次の発言で察せられた。

「あのガキんちょに、『この人が、カレーとシチュー以外も作ってくれる新しいお母さんだよ』って紹介してみるか?」

 もう一発殴ろうと思ったが、やめておいた。

 本人は一応真剣に考えた結果発言したようだし、「努力することには意味がある」と、先ほど聞いたばかりだったから。

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