第7話 新しい恋と、古い憂いと

 嫌悪感は、訓練と経験でそれなりに隠せる。

 一ノ瀬はそう思っていた。彼は自分の血族を嫌悪していたが、この23年という決して短くはない人生で、それと悟られたことはない――いや、曾祖母あたりは気づいていたかもしれないが、すでに他界した人間はカウントしないことにしよう。

 そして同時に。愛好・憧憬など、そういう「キラキラした感情」は隠せない、という持論もあった。おそらくホルモンの関係だろうが、瞳は潤んでらんらんと輝き自然と頬が緩む。声が弾む、仕草が優しくなる。たとえばケーキ好きの人間が、街中で新しいケーキ屋を発見したとき。どんな表情でショーウィンドウを眺めるか、想像にかたくないだろう。

 普段は決して愛想がいいとは言えない男の、そしてとくに友人とは思っていない男のそういう一面を見たとき。

 どういうリアクションをするのが正しいのだろうかと、笑顔の下で一ノ瀬は首をひねっていた。


「わー可愛い~! これ300円のガチャガチャだよね? ちょっと高いからどうしようかなって思ってたんだけど、思ってたより実物が可愛い! しかもシークレット含めて全種類コンプリート! すごすぎる! 私も、お目当ての子出るまでやろっかな~」

 テーブルの上に並べた『ねこ侍シリーズ』のストラップ13体を、かおりは端から順番に人差し指で撫でていった。ゲームセンターでよく見かけるいわゆるガチャの景品なのだが、丸いシルエットともちもちの触感で小中学生を中心にブームを巻き起こし、今やファミリーレストランの待合スペースなどでも見かけることが多くなった。どこで集めたのか、墨児は全種を飾り棚に侍らせており、かおりがそれにがっつり食いついている。

(好きなものに目を輝かせる女の子、可愛いね)

 おそらく、翠がいれば全力で肯定しそうなことを考え、笑みを深くする一ノ瀬。

 しかし。

「ば、ばかやろう。コンプリートしてる以上、が出てくんのは当然だろ。欲しいのがあったらやるよ」

 などと、もはや青年と言える年代に差し掛かった男が鼻の頭を掻きながら頬を染めていたら、「……はぁ」と小さなため息をつきたくなるのは致し方ないだろう。大丈夫、バレていない。かおりはストラップに夢中だし、墨児はかおりに夢中だ。

(えー、やりにくーい。翠さまー)

 すっかり緩んだ釣り気味の目じり、かおりを見ようとして正視できない黒い瞳、墨児の心中を現すかのようにあちこち跳ねた黒く硬い髪。

 見慣れた知人の見慣れぬ様子を目の当たりにし、一ノ瀬はそっと墨児の部屋を去った。


 一ノ瀬は、草の生い茂った社務所の裏道から階段を上り、正面向かって左手から拝殿に足を踏み入れた。翠の姿はない。

 正面には簡素だが年代の感じられる神棚が据えられ、献酒や果物が並んでいる。ひんやりとした畳、三方に掲げられた立派な額装の古い絵、そして天井から睨み下ろしてくる龍。

 それらすべて、階段のたった一段を上るのことにも苦労した幼いころから慣れ親しんだ、心落ち着く場所を形作るものだった。

(かおりちゃんは大丈夫です。これまで「苦手だ」と思い込んで男性を遠ざけてきただけで、心の声は男性ボクたちを拒絶していない。いいコンビになるでしょう。見守るほうは、多少面倒くさいですけどね。ようやく菊池が結婚したかたづいたと思ったら……)

 一ノ瀬は、閉じていた目を開いた。気まぐれに差し込む光の加減で、薄い紅茶の色のようにも見える、色素の薄い瞳だ。肌も白く、日差しに気を付けなくてはすぐ赤くなってしまう。肉付きも薄く、背も165cmを超える日は来ないだろう。

 一ノ瀬家の直系は、みなこの体質を受け継いでいた。心の声を聞く能力も含めて。代々、一子相伝のように、の子どもに受け継がれていく。たいてい子どもは一人しか生まれず、稀に双子や、二人目の子どもを授かっても、なんらかの理由で死亡し、一人しか残らないからだ。

 これは一ノ瀬家に伝わる呪いだと、一族は言う。

 バカバカしいと、一ノ瀬匡は思う。

 そんな呪いを、子々孫々まで受け継ぐ理由とは、一体なんだろうか。

(少子化対策課に勤務させてもらってる身としては不謹慎だけど、ボクは子どもなんて作りませんからね)

 こんな一族は、自分の代で滅びればいい。

 昔は、神の声を聞くためのはふりが必要だったのだろうが、その手の能力を持つ人間は、探せば結構いるものだ。そして、現代にはそれを見つけるネットワークというものがある。もう、一ノ瀬の能力は世の中に絶対に必要なものではないのだ。

 墨児の部屋の、ふたりの様子を瞼に描く。はちゃぐかおりと、そわそわする墨児。まったく、世の中には恋だの愛だのあふれているではないか。

(ふたりの縁結びを最後にして、ボク引退しちゃおうかな……ねぇ、翠さま。どう思います?)

 開け放たれた拝殿に、爽やかな風が吹き抜けていく。

 どれほど耳を澄ませても、梢のこすれるさざめきのほか、いかなる声も聞こえてこなかった。


 一ノ瀬を見つけたかおりは、勢いよく右手を振った。

「どこ行ってたんです? 見てください! 『居眠り侍』もらっちゃった!」

 かおりが手の平に包んでいたものは、まるまるした猫侍が刀を振り上げながら居眠りしている『居眠り侍』という名前のついたストラップだ。シリーズの中で、かおりが最も気に入っていたものである。

 一ノ瀬は「よかったね」と微笑んだ。相変わらず、花も恥じらうような可憐な笑みだ。

 しかし、かおりは「おや」と違和感を感じた。こんなに晴れた気持ちの良い午後なのに、一瞬、彼の姿が雨に濡れた白百合のように寂しげに感じたのだ。

(我ながら、男の人を百合に例えるのもどうかと思うけど……)

 かおりは、ちらりと彼の左手に視線を這わせた。

 最初から、気になっていたのだ。

(この人の縁の糸、まるで刃物で切ったみたいにきれいに切れてる)

 まるで血管のような透き通る細い赤い糸。それがプツンと途切れている。当人の見目の良さも相まって、なんだか痛々しく見えてしまうのだ。

 他愛のない雑談をしながら、なんだか違和感が拭いきれないまま時間が過ぎていく。


 一方の墨児は、また別の意味で落ち着きを失っていた。

(かわいい……女子ってあんないい匂いするもんだっけ? にゃんこグッズ見てるときの、嬉しそうな匂いがたまんねぇ)

 こちらは完全に恋の病というやつで、先ほどまでかおりが座っていた猫の肉球プリントクッションを、ちょっと抱きしめてみる墨児。

 すんすんと匂いを嗅ぐ。うん、やっぱりとてもいい匂いがする。

「追っかけたくなる匂いって、初めてだな……」

 仕事柄、いろんな人間のにおいをたどってきたけれど、中には快いと感じるにおいもあったけれど、こんなに墨児の胸の中にいっぱいに広がるかぐわしい香りは初めてだ。

 もっと嗅ぎたい、と若干アブナイことを考えていた墨児の頭に、ふと、それとは別の「気になる匂い」が心をよぎる。

 子どものころから知っている匂い。この神社に何度も何度も訪れた匂い、ひねくれて意地悪だけれど時には手を引いて遊んでくれた、4歳年上の青年の心の匂い――。

(あいつ、なんかまた沈んでんな)

 親しい人間の匂いなら、多少離れていても分かるし、心理状態もよくわかる。

(あいつもかおりが気になるとかじゃねぇよな? いやいや、そんな甘酸っぱい感じじゃねぇ。この湿気でいっぱいの蔵ん中みたいな感じは……)

 抱きしめていたクッションを、そっと床に戻した。

「また家のこと考えてんな。呪いなんてナンセンスって言いながら、自分が気にしすぎちゃ、意味ねぇだろ」

 と、折に触れて遠回しにも直截にも言っているのに、少しも理解してくれない。

 彼はいつもなにか考え事をしている。そして、煮詰まると拝殿にのぼって、心で翠に語り掛けるのだ。その内容をような無粋な真似はしないが、翠がそれに答えるつもりのないことを、墨児は良く知っている。

 神は人間の願いを聞く存在。存在ではないと、翠はいつも言っているからだ。

 ゆえに、縁結びの仕事は、人間が現代技術と人海戦術で実行しているわけである。翠はときおりアドバイスこそすれ、人間の領域を超えた力は一切行使しない。唯一、人外の力で、この結界の中に数百年存在し続けている。

 翠は、一ノ瀬についても、その語りかけを聞くのみで、答えは与えない。与えられないことを知っていて、それでも一ノ瀬はすがるように、拝殿にのぼる。

 一ノ瀬を友人だとは思ってないし、なんなら勝手に人の家に入ってくつろぐ図々しい男だと思っているが、幼いころからずっと「気になる」存在ではある。

 いつか、彼の心の匂いが、雨上がりの森のように健やかになればいいのに。

 彼が拝殿にのぼった日は、そう願わずにはいられないのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます