第6話 大事なことを、忘れていました

 日ごとに日差しが強まり、日焼け止めリキッドが欠かせなくなってきた五月下旬。かおりがコンビニのバイトから帰ってくると、郵便受けに市役所から封筒が届いていた。

 その他の郵便物は母に声をかけつつリビングのローテーブルの上に置き、自分宛てのそれをカッターナイフで開封する。内容物は、ほぼ予想通り、縁結びの仕事に関する契約書と、それに伴う案内文&説明書。ほかに数枚、一ノ瀬の手書きと思しき便せんが添えられていた。


――やぁ、こんにちは。あれから2週間以上経ったけど、気持ちは変わらず、ボクたちのお仕事を手伝ってくれるのかな? 一応嘱託の公務員って立場上、しかもあのクソ真面目な菊池が準備した以上、面倒な書類の返送は必要になるけど、そこは適当によろしく。注意事項なんかの説明書も一緒に入ってると思うけど、まぁザクっとまとめたら『神様とか神アプリとか他言無用でよろしくね☆』っていう感じだから。

 君の気にしてたお仕事の設定だけど、ご両親やご友人になんの仕事をしているか尋ねられたら、末尾に書き添えるとおりに答えてくれれば問題ないと思う。コンビニや古書店のバイトは今までどおり続けてね。キミは、日常生活の中でついでに縁結びのお仕事ができちゃうくらいすっごい力を持っているから、こちらの仕事にも支障ないと思うよ。

 最後に。この手紙は読み終わると同時に自動で消滅します……とかさすがにないから(笑) 末尾の設定だけ頭に入れたら、シュレッダーにかけるなりして処分してね。じゃ、書類の書き方とか返送期限とかは案内文のほうを見てくれれば分かるはずだから。そろそろ暑くなってくるから、体には気を付けて。時々、神社に涼を取りに来ればいい。それじゃまた。――


 なんとまぁ筆まめな男か。可愛い金魚のイラストが泳ぐ便せん3枚にわたり、『設定』も含めて丁寧に手書きしてある。なんだかんだ、菊池といいコンビなのが頷ける。

 その『設定』の効果は、ほどなく発揮された。

「あら? かおり、それ市役所からのものね……少子化対策課? そんなところから、なんの用事であなたにそんなもの……」

 思案顔になった母親に、「役所の嘱託バイト始めるの」と答える。

「ほら、いま少子化って問題になってるじゃない? でも役所の偉い人たちってやっぱり男の人が多くって、女性の意見を積極的に取り入れたいんですって。そこで、一般人の幅広い年齢層の女性のバイトさんに協力してもらって、アンケートに答えたり、ときどき集まってフォーラム? 意見交換会? みたいなのを開いて現状の把握をする課が作られたんだって。けっこー報酬が良かったから、ダメもとで応募してみたんだけど、抽選通ったみたいでラッキーだわ。これは、その当選通知書」

 これが、一ノ瀬の指示した『設定』である。

 なるほどね、お役所もいろいろ考えているのね――と、母は素直に納得してくれた。これで市役所から封筒が届いたり、呼び出されて出かけたりしてもあやしまれずに済む。安心して縁結びのお仕事を始められるわけだ。


 その週末。かおりはさっそく、「意見交換会が隣町のホールであるから、行ってくるね」と、大手を振って自宅を出た。向かう先は、くだんの神社である。母にウソをついているという罪悪感は、ほんの少しだけ心の隅に渦巻いていた。しかし、その渦をそっと包み込み天まで昇って行くような活力に富んだ風に背を押され、かおりは歩く。

 使命感とか、誇りとか、そういう部類の感情だろうとぼんやり思った。自分は誰かの人生において大いに役立つことができる存在なのだ、という。

 電車でも車の往路とあまり変わらない1時間強で、かおりは神社の最寄り駅に着いた。案内板を見ると、あの神社の名は『野村神社』というそうだ。なんだかそっけない名前だなと思ったが、そもそも駅名が『野村駅』であり、案内板に『野村町立公民館』とい文字を見つけ、やっと自分が降り立った土地の地名を知った。

 無人駅を出ると、手作り感あふれる神社への木製看板が立っており『縁結びの神社へようこそ。東へ徒歩10分』と書かれている。さほど古いものには見えない。

(まさか一ノ瀬さんがノリで作ったとか……? 墨児が神社の印象を良くしようと作ったとか? 菊池さんがきちんとした案内板があって然るべきと主張して経費で立てた? どれもあり得るわ……)

 なんにせよ、道案内があるのはありがたい。方向さえわかればあとは一本道に等しい道のりだったので、無事、縁結びの神社(と、かおりは呼ぶことにした)にたどり着くことが出来たのだった。


「やぁ、いらっしゃーい」

 明るく迎えてくれたのは一ノ瀬だった。ほかの人間の姿はない。

 と思っていたら、急に森林の香りが強くなった気がした。「あ、来る」と感じると同時に、空気の中からじんわり溶け出すように、かわせみの姿が現れた。それはあたかも、大自然が『翠』という人物に必要な成分を抽出して空気を触媒にして人の形を作る、高等で繊細な化学変化のようにも感じられるのだった。

 かおりの心中には触れず、翠は「よく来たね。これでもお食べ」と棒アイスを差し出し、社務所の一角に座を占めた。かおりは、なんとなく二人に対して同等の距離を保ち、三角形を形作る場所に座った。床の上には植物で編んだと思しき円形の敷物があり、これがひんやりと心地よい。

 渡された棒アイスを全員が食べ終わると、一ノ瀬がさっと小さなビニール袋を差し出した。

「ごみはこちらへ。ここの敷地はゴミ箱ないし、墨児はあれでけっこう細かい性格で、社務所に生ごみ置いとくとうるさいんだよ」

 お言葉に甘えて、平べったい棒を入れる。ビニール袋の中には、一ノ瀬の分と合わせて2本、同じものがある。翠の分は――そう思っての人の手元を見たが、既に何も持っていなかった。一ノ瀬はそうと知っていたのだろう、袋を閉じると翠には声をかけずにバックパックの横に置いた。

「手紙、読みました。ビニール袋持参といい、一ノ瀬さんもわりとマメな人なんですね」

 一ノ瀬は笑った。悪戯が見つかった子どものような、邪気のない笑顔だった。

「もとはわりと大雑把だと思うよ。でもね。ほら、あの男のすることを間近で見ているものだから、ついね」

 言外に「菊池を手本にしている」ことを明かしているのだ。かおりもそれを汲みとり、「じゃ、ここだけの秘密にしておきますね」と答えた。一ノ瀬は、ちょっと照れくさそうに「よろしく」と微笑んだ。


 一ノ瀬がタブレットのようなものを取り出し、かおりのスマートフォンに『対象者一覧』と『神アプリ』をインストールした。後者はちょっといらないかも――とのほほんと見ていたかおりだったが、一ノ瀬は意外と真剣な声と表情で、「個人情報で機密情報だから、扱いはくれぐれも慎重に。これ、初期パスワード。月に一度は必ず変更してね」と申し渡した。もっともなことなので、かおりも素直に受け入れる。

 かおりも現代っ子だ。スマートフォンを危なげなく操って、新しくインストールしたアプリを色々と見てみる。どちらも限られた目的のために製作されたアプリなので、操作は難しくなさそうだ。

 その手元を、しげしげと眺めていた人物がいた。翠である。

「機械の操作が得意なのだねぇ。私なぞ、『フリック』を習得するのに、えらく時間がかかってしまったよ。墨児もほとんどの機械は苦手で、教えてくれないし」

「得意ってほどでは……翠さまも、難なくスマホを操ってらっしゃったじゃないですか。墨児が苦手っていうのは、意外ですね」

 パソコンやタブレット、スマートフォンなどと相性が悪いらしく、操作もなかなか覚えられないようで、しかも何故かよく故障するのだそうだ。今では、彼はこれらを持つことは諦め、とりあえず連絡だけ取れればいいと、フィーチャーフォン(いわゆるガラケー)を携帯しているという。それも、年配者向けに機能を絞って操作性を向上させた機種だという。

「スマホのままでも面白かったんだけどね。真正面からにらめっこして、さてどこを押せばいいんだと人差し指を待機させて、10分以上固まってる姿は、今思い出しても笑える」

「親の仇でも見るような表情かおをしておったのぅ」

 一ノ瀬と翠が、初孫のエピソードを語らうように茶をすする。そう、どこから陶器の湯飲みが運ばれてきて、三人はいつしかそれを飲みながら談笑しているのだった。気の利いた温度の緑茶は、アイスで冷えた内臓を心地よく温めてくれた。

(翠さまが墨児大好きなのは見たまんまだけど、一ノ瀬さんも案外気が合ってるんじゃないかな?)

 一ノ瀬はほぼ墨児の悪口しか言わないが、翠が少しも不機嫌にならないのだからそういうことなんだろう。

 かおりもすっかりくつろいで、スマートフォンを操作しながら二人の話に相槌を打っていた。

 ふと思いついて、対象者リストで心当たりの名前をカナ検索すると、3名がヒット。名前の漢字は知らなかったが、住所から見て3番目の人物で間違いない。一ノ瀬を手招いて、「見て見て」と画面を指す。

「さっき、こっちに来るついでにこの人の縁結びしてきたんだけど。『完了』ボタンを押したらいいんですか?」

 一ノ瀬は目をしばたいた。

「え。そんな通勤のついでに昼ごはん買ってきました~みたいなノリで仕事しちゃったの? まじで?」

 かおりは「まぁ、事前調査はしたから、今日だけでやっつけたワケじゃないんですけど……」と事情を説明する。

 その対象者は、かおりの自宅から駅へ向かう途中にある保育園の職員さんで、以前にその園で育児体験イベントに参加したことから、会えば世間話する程度の仲だった。その職員さん――50代とおぼしきふくよかなおばさん――が最近どうやら思慕を抱く相手を見つけたようで、気になったかおりは目を凝らして糸を追い、その相手が近くの商店街のお総菜屋の店主であることを突き止めていた。そこで昨日、その保育園名義で職員の数だけお弁当を注文し、今日のお昼に配達してくれるよう依頼しておいたのだ。もちろん「そちらの保育士さんが、以前、町で困っているときに助けていただいたとかでとても感謝してらっしゃって、ご迷惑でなければぜひご亭主自らの配達いただければ嬉しいです」というでっちあげを伝えることも忘れなかった。そして昼すぎ。総菜屋さんの古いバンが保育園に横付けされているのを目視で確認し、互いの糸の結びつきが強まったことを心の目で確認してから、慌てて駅に向かい電車に乗った。そして、現在に至る。

「うわー手際よすぎて引いちゃう」

「人をたばかるのが、なかなか堂に入っているではないか」

 一ノ瀬と翠がそう評し、少しも誉め言葉になってないよなと思いながら、「それで、『完了』ボタン押しちゃっていいんですか?」と再度尋ねる。

「その対象者で本当に間違いない?」

「住所と、だいたいの年齢と、名前のカタカナは会ってます。ほかにヒットした二人は県外ですから、たぶん間違いないと思うんですけど」

 ふむ、と一ノ瀬は思案顔になった。そして、念のために別の職員に確かめさせると言う。

「繰り返すようだけど、機密情報だから完了報告も慎重にいかないとね。ウラが取れたら、かおりちゃんのIDで完了報告を出しておくよ。結果は近日中に知らせるから、ちょっと待っててね」

 たしかに、とかおりは頷き「よろしくお願いします」と軽く頭を下げた。


 翠が優雅な手つきで、懐紙に乗ったおかきをつまみながら――これもどこからともなく運ばれてきた――かおりを揶揄する。

「まったく優秀なエージェントだねぇ。これは、墨児のお株も取られてしまったかな?」

 横文字の好きな神様だなぁと思いつつ、「そうなんですか」とあいまいな相槌を打つ。

「君が対象者を見つけて、墨児が嗅覚で追っかける。そのつもりでふたりを組ませようと思ってたんだけど。いいよいいよ、その調子でどんどんやっちゃって! 墨児のやつには、ボクから別の案件山ほどまわしてあげる~♪」

「……え。私、墨児と組んでお仕事することになってたんですか?」

 初耳だったかおりが尋ねると、

「なんだい。私の養い子に、不満でもあると言うのかね? いささか愛想は悪いが、とってもいい子なのだよ」

翠がズズイと身を乗り出してきた。その目は「自分ちの孫が一番かわいい!」と言い張る祖父母そのものである。あるいは「うちの猫ちゃんが世界一!」と愛猫に耽溺する飼い主か。

 どうにか翠をなだめつつ、ふたりが語る墨児の総合すると、彼は大学には進学せず、神社の雑務をこなしながら役所のバイトで生計を立てているらしい。なお、嘱託アルバイトの成約報酬はちょっとしたものだということで、かおりも少しだけ振込日が楽しみになってきた。それに、行動範囲が私鉄の沿線、もしくは自転車で往復できる距離に限られる身としては、墨児が二人乗りできるバイクを持っている、という点にとても魅力を感じる。

 翠が、やや芝居がかった仕草で口元を多い、憂い顔で視線を逸らした。

「君にとって、うちの子の価値はバイクに乗れることだけなのかい……?」

「そのくらいだと思ってますけどねー」

 答えたのは、無論かおりではない。片あぐらをかいて、リラックスする一ノ瀬はご機嫌で「ねー?」とかおりにも同意を求めてきたが、翠をなだめるのが結構面倒くさいことに気付いてきたかおりは、丁重に無視を決め込んだ。

 両手で湯飲みを持ち上げたとき、引き戸がガタゴトと滑らかではない音を立て、墨児が帰って来た。

「お前ら。ひとんを集会所にすんじゃねぇよ」

 不機嫌そうに言いながら、それでも「麦茶とポテチ出してやる。ちょっと待ってな」と言いおいて奥に進んでいった。

 かおりは、本人の前ではこらえていた笑いの衝動を解禁した。

「ふっ、ふふふ。エコバックかわいー! 猫のイラストが描いてある!」

 そう、どこかで買い物してきたらしい墨児は、片手にキュートなデザインのエコバックを下げていた。カラフルでデザイン性の高いそれは、ほぼ黒一色の服装をした墨児が持つと非常に目立つ。

「あいつ猫派なんだよ。バイクのキーホルダーも猫だよ。ちょっとは照れとかないのかなと思うんだけどなんとも思ってないらしくて、その鈍さはすごいと思う」

 笑いながら教えてくれた一ノ瀬の証言によれば、彼はこの社務所の一角に居住しており、男の一人暮らしとは思えない片付いた部屋に、それなりの数の猫グッズが置いてあるのだという。

「わー! 見てみたいな! でもいきなりお部屋を見せてってお願いするのは図々しいかな?」

「どうだろ。ボクは『来るな。お前が触ると不純物が感染する』とか言ってあんまり部屋には入れてくれないんだけど、かおりちゃんならOKかもよ?」

 そんな話しているところに、氷の入った麦茶と、木の器に盛ったポテチを乗せた盆を持った墨児が戻ってきたので、かおりはさっそく部屋を見せてくれないかとお願いしてみた。

 墨児はつかのま、虚を突かれたように瞬きし、次いで鼻にしわを寄せてかおりを睨んだ。

(あ。やっぱりいきなりこんなお願いはまずかったかなー)

 かおりが謝ろうとする寸前、「あんたさぁ」と墨児が口火を切る。

「男苦手って聞いてたんだけど。大丈夫なのか? オレの部屋に入ったりして」


 どうやら墨児のあの表情は、怒ったのではなく怪訝に思ったためらしい。

 かおりがそう考えるに至ったのはもう少し先の話で、いま、古い造りの社務所にはかおりの悲鳴がこだましていた。

「あーーーー! その設定、忘れてたっ!!」

 なんで? なんで!? これまで飲み会とか、同窓会まで避けてきたじゃん。なんで平気なのわたしー!! というぐるぐるした思考を抱え込み、両耳をふさいで小さく背を丸めるかおり。


 一ノ瀬が肩を竦め、「だから君はアホなんだよ」と墨児に軽蔑した視線を送った。

「忘れさせときゃ、今後の仕事にも、彼女の人生にも好都合だったのにさ」

「るせーな。気ィ遣ったつもりだったんだよ、オレとしては」

 墨児も困惑した体で、手に盛った盆とかおりの姿を交互に見やり、とりあえず麦茶とポテチをそっと彼女の前に差し出した。

 若いっていいねぇ――という翠のつぶやきは、他の誰にも届かず空中に溶けた。

 


 

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