第4話 神様と黒髪の少年

 かおりたちが、社務所を訪れる15分ほど前。社務所の中では、ある意味男の沽券をかけた必死の防御戦が繰り広げられていた。攻防とは言わない。勝敗の明らかな戦には、ただ勝者と敗者があるのみである。

墨児すみじや、例の娘がやってきたようだぞ。さぁ、晴れ着で迎えてあげなさい」

 穏やかな笑顔で絹の着物をすくい上げるその男は、人ならざる美貌を輝かせていた。比喩ではない、二重の意味で。まず第一に、この男は人間ではないし、第二に、本当にほのかに発光している。

 一昨日、天井からぶら下がった裸電球の寿命が切れたようなのだが、面倒なので買いに行かずに放置していたら「ならば私が明かりをつとめよう」とのたまい、以降、水面に映る月影のようなほのかな明かりをまとって顕現するようになった。

 墨児としては、別にわざわざ人の姿を取ってくれなくても声や気配は分かるし、明かりなどなおさら必要ない。森林の暗闇で獲物を仕留めるヤマネコのように夜目が利くからだ。養父たる彼が、それを知らぬはずはあるまいに。つまり、墨児をからかって無聊を慰めたいだけなのだ。

 現在、彼はとても熱心に楽し気に目を細めて上等の着物を進めてくる。

 いけない、怒っては彼の思うつぼだ――分かっていながら、墨児は大声を出さずにはいられなかった。

「ふざけんな! 男の俺に、なんでウェディングドレスを着せようとするんだ! だいたいどっから持ってきた⁉」

 薄暗がりでふんわりと広がるオーガンジーの裾を優美な手つきで撫でながら、彼は当然のように言った。

「古い友達の、蚕の精が持ってきてくれた絹で作ったんだよ。私って器用だろう? 山の精たちの力も借りたがね。墨の色をしたお前の髪と瞳に、さぞ似合うだろうと――」

「似合う似合わない以前の問題だ! それは、男が着るもんじゃねぇの!」

 そうかなぁ、と彼はおっとりした仕草で首を傾げた。

「性別なんて、数百年も経てばなんだって良くなるよ?」

「俺はまだ二十年も生きてねぇし、百年生きる予定もねぇの!」

 そう、墨児は人の子である。約十九年前、産着にくるまれこの神社の境内に捨てられていたのを、養父に保護された。通常ならば、付き合いのある人間を通じて然るべき施設に預けるところを、彼はそうせず、自分の手元で育てた。何故そうしたのか、たった一度尋ねてみたが、彼はいつもの軽口を潜め、ただ静かに微笑むだけだった。以来、ふたりの間にその話題が上ったことはない。

 しかし今の彼は、心から愉快であることを隠そうとしない満面の笑みである。

「そうかい? ドレスがいやなら、せめてベールだけでも……」

 ティアラの付いたレースのベールをかぶせようとしてくる彼に、墨児は全身全霊であらがう。もうすぐ、あいつが来るのだ。この際、初対面の女子はどうでもいい。あいつにだけは、こんな姿を見られてなるものか!

 だが、時の流れとは無情なり。すでに、冒頭から15分が経過した。

「失礼しま~す……なんなの? 女装趣味でもあったのかい、きみ」

 薄い茶色の瞳が、明らかに蔑みを含んだ眼差しで、オーガンジーとレースの上でほとんど押し倒されかけている墨児を見下ろしていた。


 狭い社務所の入り口を一ノ瀬の背がふさいでしまったので、かおりは引き戸とのわずかな隙間からひょっこり目だけで内部を覗き見た。

 入り口から漏れる白っぽい光の中で、黒髪の利かん気そうな少年が、高価そうなウェディングドレスの上で何やら文句を言いつつもがいていた。さほど腕力のあるとも思えない優美な青年が、彼に乗り上げるようにして無理やり花嫁のベールを垂らしたティアラを乗せようとしている。少年は、眉を吊り上げてその手を振り払う。ティアラは、音を立てて木の床に転がった。

「なんて罰当たりな!」

 思わずかおりは叫んだ。隣で一ノ瀬が「おや」瞬きをしていたが、それには気づかない。社務所に飛び込み、少年を強引に押しのけ、ティアラとウェディングドレスを保護する。

「これも、これも! 超がつく高級品じゃないの! なんて雑な扱いをするのよ。あぁ、リボンは取れちゃってるし、飾り編みもほどけかけてるし……やだ、このティアラ銀製じゃない! 床に放り投げるなんて、信じられないわっ!!」

 ポカーンと鳩が豆鉄砲を食ったように、少年は傷まみれのウェディングドレスに嘆くかおりを見つめ、やがて視線で「こいつが?」と一ノ瀬に問う。一ノ瀬は頷いた。

 一部始終をにこにこ眺めていた青年は、長い指にそっとリボンを絡ませ、「大丈夫だよ」とかおりに囁きかけた。

「これは私の繕ったものだから、すぐになおせる。どうだい、いい出来だろう?」

 話しかけられたかおりは、ウェディングドレスから青年へと視線を移す。

 ハッと息を呑むほどの美貌だった。かおりの語彙ではどれほど言葉を尽くしても言い表せぬほどに美しい青年が、狭い屋内のほんの近い距離で微笑みをたたえていた。その笑みは、かおりが「愛らしい」と感じていた一ノ瀬の顔立ちがかすむほどに美しく、その瞳はこれまで見たどんな色よりも深い色だった。軽く束ねて背中に流している艶やかな長髪から、ふわりと森の香りが漂ってくる気さえする。

 青年はつと腕を伸ばし、かおりの頭をポンポンとやさしく撫でた。子犬か子猫にでもするような、無造作で愛おしみに満ちた仕草だった。

「初めまして。みなには、かわせみと呼ばれている。私の社へようこそ、かおり」

 翠は首の角度を変え、視線で黒髪の少年を指した。

「これは墨児という。私の養い子だ。以後、よしなに可愛がってやっておくれ」

 そしてかおりにしたように、その硬そうな髪をあやすように撫でた。墨児と呼ばれた少年は、渋面を作ってはいたが、それが照れ隠しであることはだれの目にも明らかだった。

 トン、と肩を叩かれ、かおりは我に返る。

「は、初めまして! 青空かおりです。よろしくお願いいたします!」

「うん。よろしく頼むよ」

 そのやわらかな声と視線を受け止めたかおりは、体の中でシュワシュワと炭酸のようないくつもの想いが弾け、飛び散り、内側から小さく揺さぶられるのを感じた。翠と名乗った青年の双眸は深く、どこまでも広がりのある慈愛を秘めていた。

 彼が、この神聖なる場所を守護するもの、縁結びの神様に違いないと確信した瞬間だった。


 なにか小さな生きものの気配がして、ウェディングドレスは床からほんの少し浮き上がり、ゆらゆら真っ白な波のようにゆらめきながら座敷の奥へ消えて行った。かおりの感じた小さな生きものたちが運び去ったのだろう。

 その横顔を、無遠慮な視線で撫でまわしていた墨児が、「見えるってのは、どうやら本当らしいな」と呟いた。

「そうさ! ときどき、菊池を買い物に行かせるコンビニで店員さんやってる子でね、なんとなくそんな気がしたから声をかけてみたら、ビンゴ! すごいでしょ、きみよりよ~っぽど役に立っているよね、ボク」

 胸を張るその仕草が子どもじみていて、かおりはクスっと笑う。

「あーはいはい、役に立ってる立ってマス。きっと半分は偶然の産物で、半分はコンビニで買い物したきくっちーの手柄だと思うけど、お前の手柄にしといてやるよ」

「パシリでもアッシーでも、喜んでやらせていただきますけどね。私、あなたがたと違ってふつうの人間ですから。しかしねぇ、欲しい品物が売ってないときに八つ当たりするのは、いい加減自重してくださいね」

 墨児と菊池がそれぞれ答えた。ここで菊池はあらためて「ご無沙汰しております」と翠に向かって頭を下げた――つもりだった、本人は。一ノ瀬が彼の腰を両手でつかんで、「もうちょっと左」と向きを修正する。修正された菊池は、あらためて同じ挨拶を繰り返した。その間も、翠はにこにこ笑っている。

「? ひょっとして、見えてないんですか?」

 誰にともなく尋ねると、墨児から応えがあった。

「フツーの人間には見えないくらいの濃さで出てきてんだよ、こいつ。お前、こいつがほかの人間と変わんねーくらいハッキリ見えんのか?」

「うん、そう……っていうか、神様に『こいつ』は良くない気がするんだけど」

 墨児は笑った。笑うと、ちらっと犬歯が見えて、ずっと幼い印象になった。

「いんだよ。オレにとっちゃ、ひいじいさんの、そのまたひいじいさんみてぇなもんだから」

 それってすっごい遠い関係なのでは? と思ったかおりだが、「誰にもつっこまない」という誓いを守り、それに関しては何も言わなかった。

「あなた、いくつ? 見たところ、私とそんなに変わらない感じだけど……」

 19歳フリーターと聞いて驚く。なんと、この場の最年少だった。

 フリーターと自称しているが、ふだんは神様のお手伝いをしているということなのでそれは立派なお役目だと思うのだが、世間には言えないのでやっぱりフリーターと名乗るしかないのだろうか。ちょっぴり気の毒だ。

 菊池がスイと前に進み出て、「だいたいの自己紹介も終わったところで、お仕事の内容を説明させていただいてよろしいでしょうか」と口火を切った。

 いよいよ本題――かおりは、ごくりと唾をのむ。一ノ瀬や墨児はリラックスした様子で、翠は相変わらず笑顔で座していた。

「かおりさん、あなたにお願いしたいのは、ずばり『縁結び』のお仕事です。あなたのその目で、運命の恋人たちを見つけ出し、カップルを成立させてうまく性交渉に誘導し、日本の出生率を……痛い」

 一ノ瀬にわき腹をつねられ、菊池はうめいた。

 墨児も呆れを隠さずにため息をつく。

「あんたなー。なんでも正確に説明すりゃいいってもんでもねぇだろ。ほれ、あんたの責任だぞ」

 全員の視線の先に、エサを欲しがる鯉よろしく口をパクパクさせるかおりの姿。

「せ、セイコーショー……ひとさまにセイコーショーさせるのがお仕事……」


 菊池は、もう一度思いっきり一ノ瀬に頬をつねられた。

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