第3話 ふたりに支えられて、古びた神社の石段を上る

 菊池と一ノ瀬は、その日のうちに青空かおりの自宅を訪ね説得を試みることにしたが、運転手たる菊池は、そのまま車内で待機を命じられた。

「作戦遂行の邪魔だから、おとなしく待っててね」と、極上の笑顔を寄越した一ノ瀬に対して無言・無表情を貫いていると、「つまらないなー。女の子なら真っ赤になっちゃう場面なのに」とうそぶいて助手席から降りて行った。つまらないと言われたところで、菊池は傷つきはしなかった。自分は女の子ではないのだから、これが至極まっとうなリアクションである……と思いたい。

 一ノ瀬の能力――ふつうに話して声が届く範囲にいる人間の心の声を聞くことができる能力――は、少子化対策課の実績に大きく貢献していた。質問次第で、相手が何を考えているのか正確に読み取ることが出来るのだから、カップル成立率が大幅に跳ね上がる道理である。また菊池個人としても、仲人として心を砕いて世話をしてもらい、一ノ瀬には尊敬と恩義を感じてはいた。

(だからといって、毎回あの人に遊ばれてどういったリアクションを取るのが正解なんだ?)

 素直に遊ばれてやればいいのか、いや、それはそれで相手をバカにしている気がしないでもないし、そもそも年長者としての矜持もわずかに残っている。

 一ノ瀬とかおりが家から出てくるまでの間、菊池は腕を組み小難しげな表情でそんなことをつらつらと考えていた。つまり、菊池という男はクソがつくほど真面目な男なのである。


 菊池の運転で、一行は郊外へと向かっている。

 一行の内訳は、『運命の糸』が見える少女、『心の声』が聞こえる少年、そしてクソ真面目な公務員、それで全部である。かなり奇妙なメンツであるが、珍しくもない国産の白っぽいセダンは、誰の注目を浴びることもなく、1時間強で目的地にたどり着いた。

 そこは神社だった。そこそこ広い駐車場に降り立ったかおりの目に、まぶしくゆらめく新緑と、そこから垣間見える古ぼけた屋根の先っぽが映った。神社だとわかったのは、立派な朱色の鳥居が立っていたからである。

(関係者を紹介する、って言われたんだけど……神社の人?)

 新緑のすき間を縫ってすべり降りてきた涼風は、心地よく髪をなぶる。住宅街より、2~3℃体感温度が下がっているのだろう。ピクニックでもしたくなるような爽やかで心地のよい場所だった。かすかに水の気配がする。近くに水場があるのだろうか。

 かおりと同じように、心地よい風に全身をひたしていた一ノ瀬が、同行者を振り返って「行こうか」と言った。かおりは頷き、彼の後に続く。少し遅れて、菊池が最後尾に付いてきた。

「いやー、それにしても。よくこんなあやしげな話を信じる気になったねぇ」

 のんびりした口調で一ノ瀬が言うので、かおりはケツを蹴飛ばしてやりたくなった。

「あやしくない、立派に社会の役に立つ仕事で報酬も魅力的、って説明したのはどこの誰よ」

 振り向いた一ノ瀬は、いたずらっぽい視線で菊池を指した。

「彼の受け売りさ。天地神明に誓ってやましい仕事じゃないんだから、ちゃんと事情を説明して、高額の報酬を用意したら引き受けてくれるだろうって」

「はぁ、たしかに言いましたけど。しかし、かおりさん、と呼んで構いませんかね? よく信じる気になりましたね、この胡散臭い人の言うことを」

 最初にスカウトって言いだしたのはあんたでしょ――とは突っ込まないことにした。先ほど自宅で小一時間ほど一ノ瀬の相手をしている間に、「ツッコミ疲れ」を起こしてしまったからだ。もう今日は、誰にもなにも突っ込むまい。固く心に誓う。

 そんなわけで、かおりは素直に答えた。

「信じないわけにいかないでしょ。だって、私には『人の縁を見る』力があって、この人には『人の心を聞く』力があることが、証明されちゃったんだもの」

 ここで、かおりの心に、ちょこっとだけいたずら心が顔を出した。

「あなたには、奥様の前で失敗ばかりする才能があるそうですね」

「……っ⁉」

 普段はうすい表情の菊池の頬に、さぁっと朱がさした。

「あんた、一体なにを喋って来たんです?」

 一ノ瀬は、これぞ会心という笑みを放ち、

「きみと奥さんの出会いから結婚に至るまで、いろいろと、ね」

うふふと笑って、かおりと顔を見合わせた。かおりも、菊池夫妻の可愛らしいエピソードを思い出したら、おかしくなって一緒に笑った。

 いつの間にやらすっかり距離を縮めてしまった二人を見て「若いからか。それとも……」とブツブツつぶやく菊池を後方に置き去りにして、かおりは一ノ瀬とともに、石段の最上段に片足をかけた。


 まっすぐと伸びた石段は、遠近法のためではなく、実際的に頂上にいくほど幅が狭くなっていた。ゆえに、そこに立つ鳥居が下にあるものより小さいことは不自然ではないが、丹塗りの立派な鳥居に対し、こちらは石造りの、古びて苔むした鳥居だった。表面に細かなひび割れも多く、そこに根を差し入れながら這い広がるように、蔦植物がすくすくと育っている。

 その鳥居を一歩超えた瞬間、かおりは、「世界が変わった」ことを感じた。

 高速道路を走っていて、「はい、ここからが埼玉県です」というような、形骸的なものではない。肺に取り込む空気が、踏みしめる大地が、目に映る緑が、かおりの知りえない美しく生き生きとした粒子で構成されているのだという気がした。これを神聖さというならば、ここは間違いなく神聖な領域なのだろう。

 ほぅ……とため息をついて立ち尽くすかおりを見て、一ノ瀬は小さく微笑み、追いついた菊池はかおりに並んで御手水を指した。

「神社に来たら、まずすることは決まっているでしょう」

「は、はい」

 一ノ瀬が待っていて、「ボクがお手本を見せてあげるね」と、白木の柄杓を右手に持った。竹筒から、しとやかに流れ出る波紋に柄杓を差し入れなみなみと水を汲み上げ、左手を漱ぎ、柄杓を持ち換えて右手を漱ぎ、また柄杓を持ち換えて椀の形にととのえた左手に水を注ぐと、それを軽く口に含んでから吐き出し、もう一度左手を漱いで、かおりを見てにっこりと笑う。

「どこの神社でも、まぁこのへんは変わんないから緊張せずにどうぞ」

 濡れた唇と手を拭う仕草にすこしドギマギしながら、かおりと菊池は並んで身を清めた。緊張せずにと言われて「それならば遠慮なく!」と思えるほど、かおりの神経は太くなかったから、一連の動作はややぎこちない。ポシェットからハンカチを出し忘れていたことに気付きひとり慌てていると、菊池が「どうぞ。未使用品です」とハンカチを差し出してくれたので、素直に礼を言って受け取った。この男は常に未使用品の予備ハンカチを持ち歩いているのだろうか。この神社の境内を出たら聞いてみよう。

 とにかく今のかおりの心には、この神聖な場所でふざけて遊ぼうなどという気持ちは、欠片も湧いてこなかった。


 対して、心臓がアフリカ象のように硬い皮膚に覆われている一ノ瀬という男は、

「こまったな おもったよりも がっちがち」

などという川柳めいた表現で、かおりの緊張を表現した。

 当のかおりは聞いていない。「初めてなんだし、ゆっくり景色でも眺めながらついておいでよ」という一ノ瀬の言葉に素直にしたがい、ぼんやりと木々や草花を眺めながら後方を歩いている。美しい、と心の声が賛美している。ゆえにいっそう緊張を募らせているようで、ゆっくり境内を歩いたのは不正解だったかもしれない。

 斜め後ろを歩く菊池が、感嘆の吐息を漏らした。こちらは、景色に対してではない。

「やはり、彼女にも分かるのですね。この場所の独特な空気が……」

「きみは分かるようになったのかい?」

「いえ、まったく。私には、手入れのされていない雑木林と雑草にしか見えません」

 酷評だが、事実である。ここの主は、敷地の手入れなどというものにとんと興味がない。ゆえに、生えるに任せ、枯れるに任せている。そのすべてに宿る、主の慈愛を感じ取ることのできる人間は、そういない。長くここに出入りしている菊池でさえそうである。特別な素養、あるいは特殊な訓練がが必要になるのだ。

 そこへ、「あのぅ……」とか細い声がかかり、菊池は振り向く。か細い声、というのが彼女らしくない。そう感じて、菊池は相手にわからない程度に眉をひそめた。彼女の協力が今すぐにでも必要だと主張したのは菊池だが、そのために彼女の闊達さを失わせたのだとしたら、大いに責任を感じるところだった。

「どうしたんだい? 急にボクたちが怖くなったかい? 人気のないところに連れ込んで、イケナイことしようとしてるんじゃないかとか考えちゃう?」

 そういう想像も成立しなくはない、と思ったからこそ、「よく信じる気になりましたね」とかおりに言ったのだが、むろん彼女がそんなことに怯えているわけではないことは、一ノ瀬も承知の上でおどけているのだろう。

 案の定、「そんなことは、全然思ってませんけど……」と小さな返答があり、「うんうん。分かっているけどね、全然思ってないっていうのは、おにーさんちょっと心配だなぁ」と一ノ瀬が軽くたしなめていた。なかなか珍しい光景である。

 かおりは、意を決したように顔を上げた。

「あ、あの! この流れって、かかっか、か神様とか出てきちゃったりしませんよね!?」

 ほとんど祈るような仕草だった。別に何に祈っているわけではないだろうが、必死さはありありと伝わる。

 菊池と一ノ瀬の視線が交錯した。「本当に、敏い子ですね」「だよねー」という無言の会話が交わされ、一ノ瀬はくるりとかおりに向き直った。

 シャキーンと音のしそうな勢いで、かおりが背筋を伸ばす。

「うん。出てきちゃったりするんだなーこ・れ・が」

 ふらりと、かおりの体が傾いだ。予想していた菊池は、素早く受け止める。

「で、出る……出る……ふぁ、ファブリーズを……」

 ファブリーズ? なぜここで、衣類用消臭芳香剤の名前が?

 同様の疑問を感じたらしい一ノ瀬が尋ねると、「ファブリーズには、消臭、除菌、除霊の効果があるって聞いたから……」と震える声が答える。かの有名な衣類用消臭芳香剤にそのようなキャッチコピーがあるとは知らなかった。

「菊池。きみまで、彼女の世界に片足突っ込まないで」

 ピシャリ、と一ノ瀬の声が降って来て、菊池は我に返る。

「そうですね、すみません。かおりさん、神様を除霊してはいけません。境内に、ファブリーズを持ち込んではいけませんよ」

 その時、一ノ瀬は宇宙生物でも見るような目つきでふたりを見ていたが、幸いふたりは気づかなかった。

 コホン、とお決まりの咳ばらいで注目を集める一ノ瀬。

「怖がらなくて大丈夫。言ったでしょ? 関係者に会わせるって。こちらの神様は、僕たちのとっても強力な味方なんだ。つまり、ここは縁結びの神社なんだよ」

 ほけーっと間の抜けた表情で、かおりは一ノ瀬を見ている。その肩から力が抜けてきたことを感じ、菊池はそっと体を離した。

「特別外務部っていうのは、つまりこちらの神様のような、本来ぜったい公務員にならないような方たちと協力する部署ってこと。ボクの一族は、この部署が出来る以前からこの神社に仕える祝(はふり)の家柄だった。ボクも小さいころから出入りしているけど、怖いことなんてひとつもないよ。だから、大丈夫!」

「だ、だいじょうぶ?」

「大丈夫!」

 一ノ瀬がかおりの両手を自分の両手で強く握りしめ、「大丈夫! 大丈夫!」と何度も繰り返した。次第にかおりの体から余分な力が抜け、頬に赤みが戻り、弱弱しいながらも笑顔が戻り「そうよね、大丈夫よね」と言って立ち上がった。

 これは一ノ瀬の、裏返しの能力にあたる『オポジット』である。相手の心の声を聞くのではなく、自分の心の声を聞かせる力である。「大丈夫」という強い気持ちを、両手を通じてかおりに伝えたのだ。たいていオポジットは表の能力に比べ効果範囲が狭く、威力も弱いことが多い。今、一ノ瀬がやったことも実はたいしたことではなく、転んで泣く子どもに母親がかける言葉「痛いの痛いのとんでけー」と、原理としては変わらない。しかしこれが、初対面の人間と気さくに打ち解けられる一ノ瀬の人柄をかけあわさったとき、なかなかの効力を発揮するのである。

 今やかおりの両足はしっかりと石畳を踏み、本殿へ向かっていた。


 本殿に着くと、また一ノ瀬をお手本にして‎二礼二拍手一礼を行う。この辺の作法はは各地の神社によって細かいバリエーションがあるそうなのだが、ここの神様は大雑把な性格なので間違えても大丈夫だよ、と一ノ瀬は請け負ってくれた。ゆえに、かおりは緊張しつつも失敗せず、挨拶をすることが出来た。

「あの、神様って、やっぱりこの本殿のなかにいらっしゃるものなの?」

 かおりの質問に返って来たのは「そうでもないよ」という一ノ瀬の声だった。

「こちらの神様は、気まぐれな方だから。むしろ重々しく本殿に鎮座してる姿なんて見たことないかも。まぁ常に人間の目に見える『形』を保っておく必要もないわけだし? その気になれば出てくるんじゃないかな」

「それじゃあ、紹介したい関係者っていうのは、神様のほかにもいる…いらっしゃるってこと?」

 菊池は「うん、そう」と答え、いっそう輝く笑顔をかおりに向けた。

「でも、あいつに敬語なんて使う必要ないからね」

 社務所に向かって歩き出す一ノ瀬を追おうとすると、後ろから菊池がそっと耳打ちをした。

「今からお会いするお方は、神様のお手伝いをしておられる方なのですが、有体に言って、一ノ瀬とはひじょーに仲が悪いんです」

「はぁ……」

 社務所へ続く道は、砂利の中に飛び石で示されていた。そのあちこちから、ふさふさと緑の草が顔を出している。雨後にはすさまじい成長ぶりを見せることだろう。そんな小さな緑たちまで含めて、この空間はキラキラと輝いて見えた。ここで、神様の手伝いをしているのは、一体どんな人物だろう。お手伝いとは、どんなことをしているのだろうか。

 さっきまであれほど緊張と不安でいっぱいだったのに、今は対面が楽しみですらある。会う人が神様その人ではないと聞いたことも大きいが、それよりも、力強く励ましてくれた一ノ瀬の体温、つかず離れず見守ってくれる菊池の眼差し、そいうものが自分を守り導いてくれるのだと、はっきり自信を持って感じることができた。

 仕事の内容について、また報酬について、まだ十分な説明を受けている段階ではなかった。しかし、かおりはこの時点で、ほとんど仕事を受ける決意を固めていた。

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