宿場の鴉

紫 李鳥

宿場の鴉

 


 その寂れた宿場町しゅくばまちは、門前雀羅もんぜんじゃくらを張るが如くに閑散かんさんとしていた。街道を抜けるこがらしは、竜巻のように土煙を舞い上げ、色づいた公孫樹いちょうの葉を吹雪のように散らしていた。旋風せんぷうに煽られて、どこからか転がってきた壊れた籠が、バタバタと音を立てている“茶屋”とある暖簾のれんの戸口で止まった。


 その茶屋のくりやでは、黒々とした豊かな髪を銀杏返いちょうがえしに結い、かすりの着物に市松模様の帯をした襷掛たすきがけの女が手を動かしていた。女の名はおよしあるじの娘だった。お淑には惚れた男もいたが、年老いた父親を一人残すこともできず、身の回りの世話をしていた。



「……お淑さん、仙造せんぞうさんの具合はどうでぃ」


 常連の八吉やきちが病にせている、お淑の父親を気にかけた。


「……ええ、相も変わらずで」


 お淑は顔をくもらすと、茶漬けを盆に載せた。


「……そうかい。早く元気になって、仙造さんの自慢の喉を聞かせてほしいな」


「ええ。私も、そう願っているんですが……」


 八吉の前に茶碗を置くと、お淑は小さなため息を吐いた。



「――お父っあん、おかゆができたよ。具合はどう?」


「……ああ、だいぶいいよ」


 布団からゆっくりと身を起こした。途端とたん


「ゴホッゴホッ!」


 仙造が激しい咳をした。


「お父っあん!」


 お淑は、仙造の丸めた背中を擦った。


「……すまねぇな」


「さあ、布団を掛けて。ゆっくりやすんで」


「……ああ」



 お淑はその足で家を抜け出すと、泣きながら駆けて行った。寒風に凍える路傍ろぼうに、下駄の音が響き渡った。



 裏の畑まで来ると、お淑は声を上げて哭いた。仙造の身を案じると涙が止まらなかった。


「……お父っあん、死なないで」


 お淑はそう呟いて、襦袢じゅばんの袖口で涙を拭った。


 と、その時。ふと、見上げると、強風に揺さぶられて葉音を立てている公孫樹の枝に、一羽のからすが止まっていた。


 カァー……カァー


 鴉はまるで、お淑に同情するかのように、哀しい声で啼いた。


「……慰めてくれるのかい? ……ありがとう」


 鴉は、漆黒しっくいの瞳を下瞼したまぶたで被うと、おもむろに瞼を閉じた。



 そんなある朝。暖簾を出そうと戸を開けると、一羽の鴉が戸口でお淑を見上げていた。


「あら、びっくりした。……こないだの鴉かい? どうした、お腹が空いてんのかい?」


 お淑の問いに、鴉は瞼を一度閉じた。


「……何か、あったかしら。ちょっと、待っておくれな」


 お淑は急いで廚に行くと、油揚げを一枚手にして来た。


「お食べ」


 敷居しきいに揚げを置くと、鴉はお淑をチラッと見上げて、それをくわえた。礼を言うかのように、くわえたままで、もう一度お淑を見上げると、どこへやら飛んで行った。次の朝も、その次の朝も、またその次の朝も、鴉は戸口で待っていた。お淑はその都度つど、団子だの、干物だのを与えた。



 そんな事があって、何日か経った頃。それまで、本復ほんぷくの兆しを見せなかった仙造の病が、いつの間にか癒えていた。なぜ、急に仙造の症状が治まったのか、その訳など知る由もなく、その時は単に奇跡とぐらいに、お淑は思っていた。


 仙造は以前のように、廚に立つと、愛想あいそよしのお淑が店を切り盛りした。同時に、あれ程までに荒んでいた宿場町には活気が溢れ、旅籠はたごも茶屋も客で賑わった。そして、にわかに元気になった仙造は、その自慢の喉を客に披露した。



 え~えんや~~

 山の~鴉はよ~

 色の~黒いが~

 自慢よ~

 惚れた~おなごを~

 引き立たす~



 え~えんや~~

 山の~鴉はよ~

 女房~子のため~

 気張るよ~

 女房~逝くときゃ~

 ともに逝く~



 仙造の唄が終わった途端、戸口からバサッバサッと羽ばたくような音がした。お淑が急いで戸を開けると、そこには、三羽の鴉が見上げていた。


「……あの時の鴉かい? ……家族かしら? ……あっ!」


 お淑は、この時思った。仙造の病を治してくれたのは、この鴉ではないかと。偕老同穴かいろうどうけつの鴉をあがめる、仙造の唄が聴きたくて……。


 三羽の鴉は、礼をするかのように、こくりと頭を下げると、一斉に飛び立った。



 濡れ羽色の三本の羽根を置き土産みやげにして。



 完

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宿場の鴉 紫 李鳥 @shiritori

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