女梅雨、みたいな

soldum

女梅雨、みたいな

「今年の梅雨は先輩っぽいと思うわけですよ」


「なによ、いきなり」


 この後輩の話が唐突に始まるのはいまに始まったことではないけれど、今日は唐突さに加えて意味までよくわからなくなっていた。


 現在、特に目的もなく後輩に連れられてぶらついていたら雨に降られて喫茶店に避難している。なんとなくだが、彼女の計画通りに事が運んでいる気もする。寂しがりなのか騒がし好きなのか、いつも駅で別れるのを渋るからなぁ。


「まぁ見てくださいよ」


 知り合ってしばらく経つが物腰からはどんどん遠慮が無くなるのに、彼女の口調だけは会ったときと変わらない。これほど敬意の感じられない敬語も珍しい。そんな後輩の無駄に綺麗な指が窓の外を指さした。


「雨です」


「……雨ね」


 どしゃ降りというほどのことはなく、この店から駅の方まで行くくらいなら別に歩いてもいいかな、と思うくらいの雨だ。そもそも私は折りたたみ傘を持っている。後輩に引っ張り込まれていなければさっさと帰っているところだ。


「最近ジメジメしてますしー、ほら、長雨じゃないですかー」


「それがどうしたの?」


「先輩みたいだなーって」


「……なに、喧嘩売ってんの? 買うわよ?」


「違いますって!」


 慌ててぱたぱたと顔の前で手を振って否定してくる。


「先輩、陰性と陽性の梅雨って知ってます?」


「そんなのあるの?」


「はい。スコールっていうんですかね? どざーっと降ってぱっとやむような雨が続くのが陽性で、今年みたいにあまり強くない雨がじとじとずーっと降ってるのを陰性の梅雨って言うらしいんですよ」


「へー、初耳だわ。何であんたはそういうところで無駄に博識なの?」


「フリー百科事典って便利ですよねぇ」


「付け焼き刃だったか」


「それでですね」


「ほいほい?」


「陰性の梅雨を女梅雨、陽性の梅雨を男梅雨って呼んだりするらしいんですよ」


「ジメジメしてる方が女ってわけ?」


「ですねー」


 まぁ、男女にはそういうイメージの違いもある。勿論個人差はあるわけで、そういう意味で目の前の後輩と私とを比べれば私の方が女梅雨、後輩の方が男梅雨というのもわからなくはない。


「どーせ私はジメジメしてるわよ」


「確かに先輩って湿っぽいとこありますね痛っ! なんでぶつんですか!」


「なんかあんたに言われるとムカつく」


 理不尽ですよぅ、と赤くなった額を擦りながら、彼女はぷーっと頬を膨らませた。


「いい褒め言葉だと思ったんだけどなぁ」


「褒めてるつもりだったの?」


「あれ、伝わってませんでした?」


「普通に悪口だったわよ」


 湿っぽいとかジメジメしてるとか言われて私が喜ぶと思ったのか、この子は。


「参考までに聞いておくけど、一体どの辺りが褒め言葉だったわけ?」


「え、だって陰性で女梅雨ですよ? なんかこう、字面がえっちぃじゃないですか!」


「なんであんたはそう桃色脳なのよ」


「エロくないです?」


「ないわよ。だいたいなんでそれが褒め言葉なの」


「色っぽいって褒め言葉ですよね?」


「そうかもしれないけど、色っぽいとジメジメしてるじゃ別物でしょうが」


「いやいやジメジメする場所によっては十分色っぽ――痛いッ!」


「誰がセクハラしろと言ったこの変態後輩」


 パチンといい音をさせて頭をひっぱたいてやった。


「痛いです先輩、容赦ないです」


「大げさねぇ……あ、ほら雨やんだわよ」


 通りを見ると降り続いていた雨はやみ、道行く人たちも傘を閉じている。相変わらず雲は厚く膨らんで空を覆っていたけれど、すぐにまた降り出す様子はなかった。


「さ、帰るわよ」


「えー、もうちょっとゆっくりしましょうよー」


「また降って来たら帰るの遅くなっちゃうでしょ」


 ぶー、とわざとらしく口を尖らせる後輩の手を引いて立ち上がらせ、会計を済ませて店を出る。駅に向かう人の流れに合流し、少し急ぎ足になりながら歩いた。


「好きなんですよ、わたし」


「なにが?」


「女梅雨ですよ」


「エロいから?」


「いえ、先輩に似てるからです」


「まだ言うか」


「似てるんですよ、ほんとに」


 くっ、と手を引かれて足を止める。振り返ると後輩と目が合った。


「じめじめして、湿っぽくて、肌にまとわりつくみたいにしつこいですけど。でも、いつでも一緒にいるんだって感じがして、ぬるま湯みたいに優しい温かさで、なんとなくこの時期が過ぎるのが惜しいなぁって思うんです」


 なんか恥ずかしいですね、と目を逸らしてぎこちなく笑う。……まったく、恥ずかしいのはこっちだっての。


「別に、雨なんか降らなくたって一緒にいるわよ」


 行くわよ、と手を差し出すとわーいと抱きついてきた。いやいや手を繋ぐくらいのつもりだったんだけど?


「えへへー、先輩とデートです」


「もう帰るだけなんだけど」


「いいんですよー」


 ……まぁ、いいか。寂しい顔をされるよりは、笑っている方がこの子は可愛い。どうせ一緒にいるなら、笑っていてくれた方が私の気分もいい。


 灰色に曇った空を見上げて、駅に着くまでに折り畳み傘を使えたらいいなと思った。

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