第3話


 何かが軋むような音で目が醒める。


 上半身を起こしてみて、次の瞬間にぶるりと身体が震えた。周りを見回すと、もう周囲は真っ暗で、今が夜であることを認識する。

 ——そしてここは、霧花さんの拠点。

 そう思い出した途端、すぐ隣から安らかな寝息が聞こえてきて、僕は心臓が止まりそうになる。

 辛うじて音を立てずに首を回してそちらを見ると、使い古された布団の上でぐっすりと眠りについている、無防備も無防備な赤髪の少女がいた。

「……ええと」

 ……とりあえず、こんな状況が出来上がった顛末を思い出そう。


 雪が降っていている上に化け物も徘徊している屋外に出るわけにも行かず、かと言って窓ガラスもない他の部屋で夜を明かしたりしたらいよいよ凍死しかねないので、僕は結局、彼女と同じ空間を寝室に使うことを許された。

 倫理的にどうかという抵抗はもちろんあっが、霧花さん本人が、「あなたみたいな子供に襲われる心配はしてないわ」なんて言っている以上、じゃあまあ良いのかな、なんて思ってしまったのも仕方がないだろう。

 おまけに僕自身、昼の恐怖体験を思い出すと、まだ誰もいない空間で眠りにつくのは不安だったりした。

 そう言う事情があって、なし崩し的に、僕はお言葉に甘えることを決めてしまった——の、だが。

「……寝るって言ってから、四時間も経ってる」

 目が醒める、というのは勘違いだった。正確には、眠れないということを自覚しただけらしい。

 二十一時過ぎ、霧花さんに夕飯を分けてもらって、それから疲れたのでもう寝ようと決めたのち、僕は一睡もできずにいた。

 ……おかしいな、と思う。

 確かにこの状況で安らかに眠れるほど僕は人間が出来ているわけではないけど、それにしたって疲労は溜まりに溜まっていた。精神的に落ち着ける環境では全く無いが、とっくに身体的な限界が来ているはずなのに。

 今にしても、僕が感じるのは「疲れた」という感覚だけで、「眠い」とは思わない。

「……ん、どうしたの?」

 隣で動く気配に気付いたのか、霧花さんは寝惚けた声でそう言いながら、むくりと身体を起こした。

「眠れないの?」

「……そう、みたいです。どうしてだろう、こんなに疲れてるのに」

 一度寝たのに気付いてないとか、目が冴えるだとか、そういう話でもやはり無いように思える。

 肌を刺す冷気の感覚はあまりに鋭くて、僕の身体には、一度でも眠りについた気配というものが全くない。

 色々なことが起こりすぎて、身体がおかしくなっているのだろうか。

「……ねえ、群咲。アイツって、誰のこと?」

「アイツ?」

「化け物に襲われてた時、……私が助ける直前に、あなた言ってたじゃない。『アイツを殺してない』とか、なんとか」

 そんなことを言った——のだろうか。

 思い出そうとしても、記憶にない。化け物に襲われた時なら、ほんの半日前のことなのに。

 やっぱり僕の頭は、何かしらどうにかなってしまっているのだろうか。……そんな不安を懐いたのを見通したように、霧花さんは微笑した。

「大丈夫よ。駅ビルに行けば、お医者さんもいるから。記憶の方もきっとどうにか……」

「……そうだと良いんですけど」

「眠れないなら、外を見ていれば?」

 霧花さんは唐突に、そんな提案をしてきた。

「ここからの景色、綺麗だから。……どれだけおかしいことでも、クリスマスの夜は綺麗。寝惚けてれば、楽しそうだな、なんて思うことも出来るの。寒かったら、台所のコーヒーメーカー使って良いから……」

 そんな風にはっきりとしない声で僕を気遣ってくれた後、霧花さんは再び、抗い難いだろう眠気に呑み込まれていった。


 彼女の言った通りに、僕は用意してもらった予備の布団から這い出て、掛け布団を肩から羽織ったまま、台所に立った。

 見当たるのは散らかりっぱなしの包丁やまな板、それに野菜、米、生魚などの食品。意外に健康的な食生活を形成できそうなその場所の隅っこに、霧花さんの言っていたコーヒーメーカーはあった。

 豆もお湯も準備されていたので、僕がすることは傍にあったマグカップを注ぎ口の下に置き、機械のスイッチを入れるだけだった。

 そうして出来上がった熱々の真っ黒い液体を手に、僕は窓際に足を運ぶ。

 ご丁寧にそこには、窓ガラスの外に向かって机と椅子が置いてあった。霧花さんも、たまにはここから景色を眺めたりするのだろうか。

 腰を下ろして、一口コーヒーを啜る。

 ……苦い。砂糖もミルクも入れていないから当然だが。

 それでも飲めなくはなかった。

 胃袋に落ちていった液体の温度は熱湯に近くて、僕の身体は、内側からカイロを使ったみたいになっていく。

 自分が温まるのを実感しながら、窓の外の風景を眺めてみると、……確かに綺麗だな、と思った。

 もう時計の針がとっくに天辺を回ったこの時間でも、町にはイルミネーションが燦々と輝き、遠くからはクリスマスソングが聞こえてくる。

「——これは、確かに聖夜だな」

 十二月二十五日。一年のうちでも、特に町が眠らなくなる日。

 いや、眠らなくなるのは正確にはイブなのか、経験不足の僕には分からなかったけど——ともかく。

 歪んで、矛盾した景色であることは解っていても、この景色は綺麗だった。

 これを俯瞰しながらコーヒーを飲んでいると、確かに意識がぼやけてくるような感覚がある。

 隙間風が冷たくて凍え死にしてしまいそうでもあったけど、眠れるならそれも良いかな、なんて思った。

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矛盾聖夜 オセロット @524taro13

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