Episode 002.兄と妹と友達と

 暗闇に包まれていたクロノの視界が徐々に光を取り戻し始める。

 その感覚は寝起き状態に近似しており、視界全体がややボヤけて見えている。

 数回瞬きを繰り返すことにより、ピントを徐々に調整していく。


 現在クロノはソファーに腰掛けているが、それは前回ログアウト時の姿勢と同様である。

 両手を挙げて伸びでもしようと考えたところ、何やら肩に触れている温もりに気付いたようだ。

 そこには白髪の美少女――シロナがもたれかかっており、クロノの心臓を大きく上下させることとなる。


 閉ざされた瞳から伸びた長い睫毛。

 体重を預けているのにも関わらず、重く感じない華奢な身体。

 そのあまりに無防備な姿はどことなく小動物を連想させる。



 それを目の当たりにしているクロノは全ての感情を無に帰そうと精神統一を始める。

 まずは深呼吸から始めようと鼻で息を吸うと、甘く香ばしい匂いが嗅覚を刺激させた。


 それは香水のようなきついものではなく、シャンプーなどの洗剤によって漂う嫌悪感のないもの。

 反射的にうめき声を上げそうになるが、それを必死に堪えるクロノ。



 美少女がこんな近くにいるのにも関わらず、何も感じないおとこがいるか――いや、いないだろう。

 クロノは無駄に反語を使いつつもそう自分にそう言い聞かせ、全神経をシロナへと集中させはじめる。

 視覚、触覚、嗅覚、聴覚……味覚以外の五感を駆使し、至福の時という現状を堪能し始める。


 流石に味覚をも刺激させるには舌を用いなければならない。

 クロノにそこまでの度胸は持ち合わせていない。

 むしろ持ち合わせていたら常識的にどうかと思えるが、味覚様のご登場はまたの機会にしてもらうとしよう。


 とても愛らしい容姿、柔らかい身体、甘い香り、小さく可愛い寝息。

 それらを感じることが出来るだけでも生き甲斐とも言える。



 ゲーム内システムの話になるのだが、本来であればログアウト時の姿は不可視状態であり、他プレイヤーから見ることは出来ない。

 しかし、許可した相手にのみ見せることが可能であり、クロノとシロナは両者共に許可していた。


 二人がログアウト時の可視化をしているのには理由があり、以前にも今日と同じ状態に陥ったことがある。

 今二人が座っているように、ULOでは前回ログアウト時のままデータが保存され、再ログイン時も同じ体勢のまま始まることとなる。



 ある日クロノが先にログインした時である。

 まさか寄っかかってログアウトしていたなんて思いもよらなかったクロノはそのまま立ち上がり、クエストに行く準備を整えていた。


 しばらくすると出現ポップ時の効果音が鳴り響き、ソファーの一部が光のエフェクトに包まれる。

 光と言えどそこまで眩しいものではなく、ゲーム特有の幻想的な効果だ。


 シロナのアバターが生成完了されると共に物理演算処理も働き始めたのだろう。

 支えが無く傾いていた身体が倒れ行くのは必然であり、シロナの側頭部がソファーの肘掛部へとヒットした。


 ULOは痛覚を遮断しており、痛みを感じることはないが、ぶつかった時に感じる衝撃はそうではない。

 先程クロノも感じていたようにログイン時は寝起きと同じような感覚であり、寝起き時に感じる衝撃ほど不快なものは無いだろう。

 シロナは弱々しい声を上げながら、ぶつけたであろう患部をさすっていた。



 以上の経験を機にログアウト可視を許可することとなったわけだが、これはこれでクロノにとっては堪えるものがあるだろう。

 昨日炎獄龍を倒して帰ってきた二人はそのままゲーム内で寝落ちてしまい、自動的にログアウトされ、今日先にログインしてきたのがクロノであるという現状だ。


 ついに意思を固めたのだろうか――シロナの頭へと向かって手を伸ばし始める。

 揺れなどの衝撃を与えないようにと最大の注意を払い、人差し指を曲げ、それを親指で抑え込む形状へと変化させる。


 それがシロナの頭に到達した瞬間、ペチッと甲高い音が周囲へと鳴り響いた。

 所謂いわゆるデコピンであり、目を閉じていたシロナはそれを避けず受けることとなった。



「痛い…………」



 寝ていたフリ・・をしていたシロナがおでこを抑えながらそう呟く。

 クロノはシロナから発せられていた寝息に違和感を覚えていた。


 最初の方は一秒おきに呼吸を繰り返しており、それがログアウト中にシステムが行う自動モーションである。

 後になるに連れて、0.99秒、1.01秒などと微妙なズレが生じていた。

 そのことからシロナが途中からログインしてきたことに気付いたのだろう。



「ふっ、全神経を集中させていた俺を騙すなど三年くらい早いわ」

「ぐぬぬ……妙にリアリティのある数字ですね!! それよりも、なんでそんなに集中してたんですか?」

「え? あ、いや、それはあれだよ――準備運動的な……?」

「へー、準備運動ですか! それはモンスターを狩る準備運動ですか? それとも……」



 クロノの動揺した言葉を聞いた瞬間、一度は離れていたものの、再度ここぞとばかりに接近し始めるシロナ。

 クロノは距離を離そうとするも、ソファーの肘掛部に阻止される。

 完全に追い込まれて成す術を無くし、シロナの口がクロノの耳元へと接近した。



「…………私を――ですか?」



 トドメの一言をくらったクロノは叫ばずには居られなかった。

 すぐさま振り向き、後方にある壁へと接近したかと思えば、両手をつきはじめて頭を振り上げる。

 振り上げられた頭は小さな孤を描き、壁へと頭突きした。


 思い切りぶつけられた頭ではあるが、流血などの演出もバッドステータスも付与されていない。

 ここがレッドエリア――戦闘可能エリアであれば、ヒットポイントを多少削るダメージを受けることとなるが。



「うおおおおおおおおおお」

「先輩、ストップ! ストーーーップ!!」



 雄叫びと共に幾度となく繰り返される頭突きを止め始めるシロナ。

 その声に反応を示したクロノは頭突きをやめ、心配そうに見ているシロナと視線を合わせる。

 二人は少し見つめ合った後に微笑みを交わした。



「こんばんは、シロ」

「はい、こんばんは。クロ」



 お互いに仕切り直しと言わんばかりに挨拶からやり直す。

 ここはゲームの世界であり、お互いのアバター名こそが名前となる。

 郷に入れば郷に従えとはこの事だろう。スポーツにも関わらず、ゲームでもマナーやルールを守ってこそ、真のプレイヤーと言えよう。



「今日は昼に約束したとおり、このか達――いや、《兄弟達ブラザーズ》との狩りか……」

「そうですね、何度名前聞いても笑っちゃいそうですが」



 ギルド《兄弟達》、ギルドマスターを務めるのはクロノの妹、《Blancブラン》であり、選りすぐりのブラザーコンプレックスを集めたギルドだ。

 ブランというアバター名も、フランス語で白を表す意味ではなく、ブラコンから来ていることは言うまでもないだろう。


 現実では至って普通に見えるこのかであるが、その正体は真性のブラコンである。

 《兄弟達》のメンバーで実際に兄弟がいるメンバーは少ない。

 そのため、実際に兄がいるかつ、それを愛して止まないと自負しているブランこそがマスターとして相応しく、その兄であるクロノとの仲は公認のものとなっている。

 勿論もちろん、《兄弟達》の中に限った話ではあるが。



「そろそろ準備していくか」



 クロノがそう言いながらシステムウィンドウを操作すると、黒をベースとした装備が一転し、茶色をベースとした革装備――如何にも初心者装備と言わんばかりの服装となる。

 いつもは背中に背負っている太刀もインベントリへと収納し、腰に貧相な片手剣を携えるだけである。


 シロナもピンクをベースとした可愛らしい衣装となり、クロノよりは多少上級者感のある装備ではあるが、アバター装備と呼ばれ容姿を重視したものであり、性能はお察しである。

 クロノと同様にメイン武器である愛用の魔術書をしまい、適当な杖を取り出し始めた。


 二人は駆け出しの初心者剣士と、初心者に毛が生えた程度のヒーラーといったところだろう。



「先輩、髪……忘れてますよ?」

「あ、さんきゅ」



 クロノは準備完了と思っていたが、どうやら見落としがあったらしい。

 再びシステムウィンドウを操作し始めると、緩くかかったパーマが現実と同様であるストレートへと戻った。

 軽く頭を左右に振ることで髪を動かすと両目が隠れた。今の姿はまさに現実そのもの、セルフ劇的ビフォーアフターである。



「はい、それで完璧です!」

「ん、それじゃあ行くか……といっても現地集合だけどな」

「分かってますよ。遅れないでくださいね?」

「この状況で遅れたりしたら逆に才能だろ」



 時刻は十九時五十五分――集合の五分前であり、既に準備は整っている。

 集合場所もグランディアのワープポイントであり、あとはシステムウィンドウからワープボタンをタッチするだけである。


 シロナはそれもそうですねと納得した後、いつも通りグランディアへと先にワープした。

 同タイミングだと怪しまれるため、念のための措置である。


 そろそろお察しの通り、《黒白》であることを隠しており、リアルでも二人の関係を知る者はいない。

 ただ知られると面倒、無駄に絡まれたくないというのが二人の意思である。


 実際に付き合っている訳では無いため、わざわざ報告するのもおかしな話であり、実際にする必要もないだろうと二人は感じている。



 シロナがワープしてから二分ほど経過し、そろそろ良い頃合だろう。

 クロノは自分の姿を再確認し、何の異常もないことを確かめてからシロナの後を追った。

 グランディアへとワープしたクロノは辺りを見回すと、すぐにシロナ達の姿を見つけた。


 シロナとブランの容姿もあり、その二人が一緒にいれば視線が集まる。

 周りの視線を辿れば、必然的に二人を見つけることができるのだ。


 それ程までに容姿が長けている二人が揃っていれば、絡まれること間違いなしではと思われるが、実際に話しかけるものなどいなかった。

 二人がゲームを始めた当初はどこを歩いても絡まれ、マントして移動していたことを懐かしく思うクロノである。

 シロナに至っては《白》の状態に限り、今現在もマントを着て動くハメになっているのだが。



 二人が絡まれなくなった理由は大きく二つあった。

 一つは非公式シロナファンクラブが設立されているからだ。

 ファンクラブ会長が最大規模ギルド《守護者ガーディアン》のギルドマスター、《Arealエリアル》である。


 どこからかシロナの出現情報を入手し、到着五分前には親衛隊を配置している。

 以前、シロナに話しかけようとした不審な輩がいたが、辿り着く前に女性口調の屈強な男性達に連れていかれたとのことだ。

 その後は路地裏に連れ去られ、大きく悲鳴をあげていたようだが、何を――いや、ナニをされたかは言うまでもないだろう。

 念のため補足しておくが、このゲームは全年齢対象版である。



 二つ目はブランの存在そのものである。

 ふざけている名前と言ってはブランが納得いかないだろうが、ギルド《兄弟達》はULOで第四位に君臨するギルドだ。

 所属人数七名と少数であるものの、全員がトップランカーであり精鋭揃い。


 並大抵の人であれば、自分が接点を持とうとするなんておこがましいとまでは行かないが、自ら関わりに行く人は少ないだろう。

 むしろブラコンという異様な空気を放っていることから、関わりたくないという意見の方が多いかもしれないが。

 以上の二点から、今二人に絡もうとするのは何も知らない初心者か、悪い意味で無知な自称上級者くらいだろう。



 そう思っていたクロノであったが、シロナとブランに近付く一人の影が視界へ映る。

 明らかにそいつの視線は二人に向いており、何やらちょっかいをかけようとしている様子だ。

 クロノは命知らずが一名と心の中でカウントする。


 しかし、二人へと到達する前に屈強な男性三人組が近付く輩を囲い始める。

 クロノは若干遠目から見ていたから気付いただけであり、シロナとブランはそれに気付いた様子はない。

 まさに神業の域であるが、もっと別の場所で活かしてほしいと思うクロノであった。


 そのまま路地裏へと連れ去られて行き、クロノは合掌する他なかった。

 後日談となるが、その男は後にこう語っていた――俺が今まで見ていた世界は間違っていた、と。

 大事なことなので二回言うが、このゲームは全年齢対象版である。



 閑話休題、クロノはそろそろ行かねばと二人の元へと歩を進める。

 しかし、先程の輩と同様にどこからとも無く現れた三人組に行く手を阻まれた。

 先程とは打って変わって、屈強な肉体でも女性口調でもないことが唯一の救いである。



「貴様、我らがシロナ様に何用か」



 クロノはその言葉を聞き、眉間にシワを寄せたくなる。

 ここが対人可能マップであれば、その言葉を発した男の身体は既に消滅していたであろうに違いない。

 反論しようと口を開こうとするクロノであったが、その前に男三人組のもう一人が話し始めた。



「こいつ、シャイン・・・・だぞ」

「……なんだと? お前があの・・シャインか。とっとと失せろクズ」



 まるで唾をも吐きかけられるような勢いで罵倒され始めるクロノ。

 俺が何をしたって言うんだと、苛立ちを通り越して泣き出したくなる程である。


 シロナ親衛隊の中では、クロノのことをシャインという隠語で呼んでいる。

 理由はとても単純であり、《Shineシャイン》をローマ字読みするだけだ。


 一方的に絡んできた男三人組はそれぞれ文句を吐いた後に去っていった。

 最後までなすがままだったクロノは流石に理不尽さを感じるも、待ち人である美少女二人の姿を見て元気を出そうと思うのだった。



 クロノが近付いてきたことに気付いた二人はそれぞれ笑みを浮かべた。

 この瞬間、これと同等の笑顔を向けられた者がいた場合、そいつをシャインと名付けようとクロノは心に決めた。

 クロノは「都合がいい」という言葉を己の脳内辞書から抹消済みであり、責められるものは何もないと心の中で謎の自己完結をしていた。



「おにぃ!」



 ブランが現実とは正反対の明るく元気な声を発しながらクロノへと走り寄っていく。

 ある程度近付いたところでブランが飛び込み、クロノはそれを難なく支える形となる。


 クロノの胸に顔をスリスリとしながら、鼻をスンスンと上下に動かしている。

 ブランもシロナと同様に容姿は何も弄っておらず、現実そのものである。



「おにぃ、今日は何狩りに行く? おにぃのためなら炎獄龍だって頑張っちゃうよ!」

「いやいや、無理だろ。あれってフルパーティー二つでやっと攻略できるとか聞いたぞ」



 本来であれば、タンク・ヒーラー・バッファー・火力二名の編成をしたフルパーティーが二つ必要となるダンジョンボスだ。

 それも職によっては七十レベ以上なければ、一撃でヒットポイントバー全てを持っていかれるため、難易度としては最高レベルだ。



「でも《黒白》は二人で攻略したって聞いたもん!」

「そ、それは……おかしいからな、あの二人は」



 ブランの言葉を聞いて、もう出回っているのかと驚きつつも、咄嗟に出た言葉が自分を貶していて複雑な気持ちとなる。



「たまに思うけど、おにぃって黒白のこと、妙に詳しいよね。この情報も昨日の話なのに……驚くと思ったんだけどなぁ……」

「た、たまたま記事を見る機会があっただけだよ。それに伝説と言われてるあの二人ならおかしくない、だよな?」

「おかしくないけどなんか納得行かない!」



 それでも食い下がるブランに対し、そろそろ言い訳が苦しくなってきたクロノは、シロナへと助けを求む視線を送る。 

 しかし、シロナは傍観者としてその会話を楽しんでおり、助け舟など一向に出す気配がないようだ。



「そんなことより狩り行こうぜ。何する予定だったんだ?」

「なんか話を逸らされた気もするけど……飛龍はどうかな?」

「どっちみち俺じゃ狩れないから、お前が無理のない範囲であればいいよ」

「それじゃあ決定! 今すぐに行こう!」



 こうしてクロノ、シロナ、ブランの三人は飛龍狩りへと赴くこととなった。



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