Episode 001.新たな始まり
東京都内の住宅街に
一組の兄妹が食卓を挟み、対面するように着席している。
食卓には空の皿が何枚か並んでおり、残すことなく綺麗に平らげられていた。
兄妹が手を合わせて軽く一礼を始めたことから、たった今食べ終えたのだろうと判断できる。
兄は二年生、妹は一年生と一つ違いであり、逢見学園と称された高等学校指定の制服で身を包んでいた。
突如、玄関から開錠音が発せられ、何者かが訪れたことを知らせる。
兄妹の現在地はリビング――玄関から長くもない廊下を進んだ最奥部に位置する場所だ。
フローリング製の床を小刻みに歩く音が鳴り響き、音が大きくなるに連れて近付いてきていることが分かる。
兄妹どちらもその音に気付いており、何の反応を示さないことから不審者の類ではないのだろう。
兄が食卓に置いてある食器をまとめている最中、ついにリビングから廊下へ通ずる扉が開かれた。
「お邪魔しまーす! このちゃん迎えに来たよー!」
そう声を発しながら、姿を現したのは一人の少女――
相当な変わり者がいなければ、十人中十人が美少女と答えるであろう容姿。
妹と同じく白色を主体とした制服を着ており、肩甲骨まで伸びた綺麗な黒髪が映えて見える。
「今行くから待って」
朝から元気な優那の声に対し、
優那と並べば若干は劣るものの、このかもまた美少女といって差し支えない。
身長百五十センチを切っている小柄な体系であり、肩ほどの長さで整えられた水色の髪をしている。
その容姿と相まって、口数と表情も少ないことからミステリアスさを感じさせる。
ただ胸が大きすぎることがコンプレックスとのことだが、それを好む男性は多いだろう。
王道派美少女とは違い、ある一定の層から人気があるこのかは、二階にある自室へと鞄を取りに行った。
部屋に残されたのは優那と、このかの兄である
兄妹どちらかが美形であれば、片方も美形であると遺伝的可能性が高いだろう。
しかし、夕日の長い黒髪が目を隠しており、美形以前に清潔感すら感じさせない。
ヒエラルキーの最上層と最下層の人間――ある意味で対となるような二人は沈黙が続くと思いきや、優那の方から会話が繰り広げられる。
「先輩、おはようございます」
「おはよう。昨日はお疲れ様」
「本当に疲れましたよー……」
「俺も疲れたんだけどな……当分ああいうのは勘弁してくれ」
「私も嫌ですー! 次は海に行きましょう、泳ぎたいです!」
「う、海……?」
その言葉に夕日の煩悩が活性化し始める。
脳内では、優那のコスチュームが制服から別のものへと変換されているだろう。
白く透き通った綺麗な肌に局部を隠す布が二枚巻かれているだけ。
出るところは出ており、引っ込むところは引っ込んでいる体格。
完璧なルックスを兼ね備えたその姿は想像するだけでも
「先輩? もしかして想像しました?」
「し、してないって!」
「別に何を想像したかは聞いてませんけどねー? そんな動揺して、何を想像したんですか?」
「…………」
優那の策略にまんまと引っかかる夕日であった。
このままではいつものように遊ばれてしまうと、夕日は抵抗を試みる。
「優那の水着姿を想像してたんだよ……絶対可愛いんだろうなって」
「――――っ!?」
素直に白状されるかつ、反撃してくるとは思ってもみなかった優那の顔が真っ赤に染まる。
夕日はその姿を見て、笑いを堪えようと口を抑えていた。
髪の長さで顔全体が隠れているものの、それを見た優那はからかわれていることに気付いたようだ。
優那が再び反論しようと口を開こうとしたとき、このかが戻ってくることを告げる足音が鳴り響く。
それに気付いた優那は自分の気持ちを抑え込むように一度深呼吸をし、何事もなかったかのように口を
「お待たせ、行こ」
「う、うん! では……
夕日はそれに対して言葉を発さずに軽く頷くだけであり、引き続き皿洗い作業へと戻った。
三人とも同じ学校に通っているのだが、一緒に登校することはない。
美少女を二人を連れて登校となれば、良い噂など立つわけがないためだ。
それから約五分ほど経過し、皿洗いを終えた夕日は家を後にした。
今日が金曜日のためだろうか――夕日の足取りはどことなく軽く感じる。
まだ一限目も始まっていないのにも関わらず、土日どう過ごすかばかりを考えていた。
逢見学園でもULOが流行っており、学生の七割はプレイしている。
一学園ですら、ここまでの普及率を誇っている理由は、公式
公式RMTとは、ゲーム内通貨を円やドルなどの現実の通貨に変えることであり、本来であれば禁止行為をゲーム運営会社が率先して行っている。
中にはULOで生活費を稼ぐものもいるが、それができるものはたった一握りの存在のみ。
数億とプレイヤーが存在している中での競争率は個々の想像を容易く絶するだろう。
大抵の人は小遣い稼ぎ程度にやっているか、純粋にゲーム性を楽しんでいるかに分かれている。
夕日もULOプレイヤーの一人であり、ログインすることは決定事項となっている。
どう過ごすかを考えているというよりも、ゲーム内で何をこなしていくかを考えているというのが正しいだろう。
夕日は基本的には狩りを中心にプレイしているのだが、たまには生産系をしてみたいとも考えていた。
そんな思考を張り巡らせている最中、夕日の携帯からメッセージ受信の通知音が発せられる。
ディスプレイには《黒木このか》と表記されており、簡潔にまとめられた文章が書かれていた。
『おにぃ。今日の夜、狩りに行こう』
『了解。何時?』
『ゆーちゃんは二十時から空いてるって』
ゆーちゃんとは優那のことを指しており、会話の流れからこのか達もULOプレイヤーと分かるだろう。
土日どう過ごすかは狩りの後に考えればいいと思った夕日は携帯をしまうと同時に校門をくぐった。
夕日の目前に広がっている逢見学園は広大な土地が使用されている。
校門から本館へと続く五十メートル程度の道、その左右を天然芝生が囲んでいる。
芝生上にはところどころテーブルやベンチが設置されており、昼食時に用いられることが多い。
本館は主に各クラスの教室があり、一階から職員、一年、二年、三年用と合計四階の建物だ。
本館の左右を二階建ての別館が挟んでおり、美術室や科学室などの特別教室がある。
そして、立ち並ぶ建物の奥にはサッカーグラウンドやテニスコートなどの運動場が並んでいる。
特に特別な用事のない生徒は皆、本館へと集うことになるだろう。
その一人である夕日も二年生の教室がある三階へと歩を進めた。
一学年四クラス、一クラス四十人の割り振り。
夕日の所属はD組であるが、A組に近いほど優秀などといったことはない。
学校によっては教師が選考してるという噂もあるが、そんなこともなくプログラムによる自動割り振りで決められている。
夕日が教室へと入ると、そこにはどの学校にもありふれているであろう風景が広がっていた。
大勢で雑談している者、携帯を操作している者、読書している者、机に突っ伏して寝ている者。
夕日はその日常風景へと溶け込むように入っていく。
誰にも話しかけることも、話しかけられることもなく、自席へと着席する。
朝のホームルーム開始まで残り五分を切っているが、夕日は自分の腕を枕として机に突っ伏し始めた。
昨日もULOを夜遅くまでプレイしていたため、夕日は睡眠不足になっていた。
たかが五分でも貴重な睡眠時間となるはずだったが、それを阻害する魔の手が伸びていた。
右隣に座っている少女――
身長百六十センチと女性の平均よりやや高い身長。
短めの赤髪でポニーテールを作っており、綺麗なうなじが露見している。
彼女の印象を聞けば皆が口を揃えて、礼儀正しく清楚な女性と答えるだろう。
「おはよう。どうしたんだ?」
「特に用はないけど……」
「そうか、おやすみ」
「待ちなさい」
せっかく始まろうとした会話だったが、夕日によって速攻で会話が終了される。
紗季は机に再び突っ伏し始めた夕日の腕を
抓る力を強くすると共に、机の脚を蹴って揺らし始めると、観念したかのように反応を示した。
反応を示すと言っても顔を軽く上げるだけであり、腕は机に密着したままである。
「…………なんだよ」
「せっかく私が話しかけてあげてるんだから、何か面白い話しなさいよ」
「お前、矛盾って言葉知ってるか?」
御覧の通り、礼儀正しい清楚キャラは表向きだけであり、今現在の口調と態度が彼女の素だ。
夕日に対してだけ素の態度で接するのだが、何か特別な感情があるわけではない。
偶然で素の姿を見てしまったためこうなったのだが、今回その話は割愛させていただこう。
「仕方ないわね……そこまで言うなら話題を提供してあげましょう」
「上から目線でされる話に興味はない」
「
その言葉に身体を起こして、紗季と視線を合わす。
合わせるといっても、夕日の目は髪で隠れているため、紗季からは見えていないのだが。
それにしても出回る情報がなんと早いことか……討伐後から十二時間と時間が経っていない。
「ULOの話には食いつくのね?」
「黒じゃなくて、
「様付けをしなさい! 崇拝なる黒様に失礼よ!
紗季のように崇拝までしている者は珍しいが、黒が尊敬されることはさほど珍しくない。
黒白は稀にプレイ動画を投稿するが、投稿から一ヶ月で一千万再生される知名度がある。
「はいはい、黒様黒様。それで、それはどこから仕入れた情報なんだ?」
「普通にモク速に乗ってるわよ」
ULOモノクロ速報――通称モク速。
モノクロとは黒白のことを示しており、二人の情報が事細かに記載されているサイトのことだ。
ステータスや所持アイテムなどの情報は他人が閲覧できないため、飽くまでも予想で書かれている。
有名プレイヤーが某チャンネル掲示板などで専用スレを建てられることはよく見かけるが、専用サイトまで開設されているのは中々ないだろう。
紗季は携帯を取り出して三回ほど画面をタップした後、夕日へと向けて携帯を差し出した。
ホーム画面に直リンクを登録しており、朝昼晩チェックするのが紗季の日課らしい。
夕日は向けられた携帯に視線を移すと、見出しに大きく《炎獄龍討伐》と書かれており、クリア時間も秒単位で記載されていた。
炎獄龍が出現するマップはレイドパーティー専用になっており、特定のメンバーしか入場することができないようになっている。
クリア時間を測るには、出てくるまでずっと待ち伏せる必要があり、実際にそれを実行したのだろう。
普通のレイドパーティーでは三十分以上とかかることもあるのだが、その時間以上はずっと張り付く覚悟だったのだろう。
ここまで来ると、ゲーム中はずっと監視されているのではないかと疑問に思うレベルだ。
監視している時間があれば、もっと別の事をやればいいのにとしみじみ思う夕日であった。
「かったるいけど、朝のホームルームを始めるぞー」
夕日がその記事を軽く読み流していると、言葉通りやる気のない声が教室へと響く。
その言葉を発したのは、二年D組の担任教師である
紫色に近い黒色の髪が腰まで伸びており、明るめの灰色をしたスーツを身にまとっている。
身長百六十七センチ程と高い身長ではあるものの、それに対しては少々慎まやかな胸。
顔も一定以上に整っており、
「出席を取るぞー、いないやつは手を挙げろー…………よし、いないな」
このようにガサツな場面を包み隠さず出しているため、女性として見れないという意見が多い。
実は料理がとても上手と家庭的な女性なのだが、それが露見する機会がないため、今後とも女性としての評価は平行線だろう。
一応、空席がないかの確認は
「特に連絡事項はない。各々諸君、勉強を頑張りたまえ、以上」
これが夕日の教室、二年D組の日常風景であり、いつものよう適当に終えられるホームルーム。
あまりの適当さに困惑する人もいたが、それも最初の一週間だけ。
高校生であるためか適応能力が高く、二年が始まって三ヶ月程経った今は無反応だ。
夕日は放課後のULOライフを満喫するため、今日も授業を頑張るのであった。
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