100ポイントで旅行

 

 高校を卒業する前の春休みは長い。春休みになるころ、俺は母方の祖母の家がある田舎町に行きたくなった。子供のころの記憶がよみがえったのだ。あの時、とても楽しい毎日だった。夏休みにはセミの声、ひまわりの花、入道雲に青い空、川遊び、盆踊り大会……全てがきらきらした宝石のごとく光っていた。父親がいなくても祖母の愛は深く、安心できるものだった。もう祖母は生きていないけれど、あののどかな町が好きだ。あのセミの声が聞こえた日差しのまぶしい夏休みに戻りたかったのかもしれない。

 

 かぐやと一緒に行きたい。そう思って、彼女に提案したところ、

『旅行に行くには100ポイント必要です』

 というメッセージがスマホに表示された。なにやら、課金制のようなシステムに背筋が凍ったが、最初で最後の旅行だ。100ポイントなんて安いものだ。もちろん、『了解』と返事をした。


 祖母の町は電車で二時間ほど揺られると到着する距離だった。早朝に出発して、日帰りで帰ろうと思った。電車にゆられる時間さえ、これから冒険が始まる幸せな時間に感じられた。電車の音、すぎゆく景色は俺の白黒の色を鮮やかに変えてくれそうだった。隣にはかぐやがいる。嫁みたいだ。だからより一層、幸せに感じているのかもしれない。

 

 駅に着くと、懐かしい駅は今でも田舎のままで安心した。田舎の香りと田園が広がる田舎は、俺のふるさとのように感じていた。ふるさとは心のよりどころなのかもしれない。都会は便利だけど、田舎に帰るとほっとする。誰もが抱く心境だと思う。

 

 人間とは勝手気ままな生き物なのだろう。今は春だから、日差しは柔らかく暖かい。まずは、今はもう取り壊された祖母の家があった場所に行くことにした。途中、よく遊んだ河原や雑木林があって、一つ一つが自分の心の中のアルバムにある景色だった。

 

 夏祭りの盆踊りを開催していた広場……全てが懐かしい。

 夜店で買って食べたこと、花火をしたこと。朝顔が朝露を残したまま開花していたこと。入道雲の下で汗だくになって遊んだこと。夕暮れのセミの鳴き声が心地よかったこと。まつりのあとの広場がやけに静かだったこと。おばあちゃんの梅を干している梅干しの香りが夏を感じること。すいかの味がすごく甘くて、種を庭に飛ばしながら食べたこと。庭に落ちたすいかの種から芽がでたこと。夕暮れ時はこうもりが空を飛びまわっていたこと。


 冬休みに来たときは、おばあちゃんと雪遊びをした。雪うさぎを作っておばあちゃんが南天の実をうさぎの赤い目としてつけてくれた。おばあちゃんと遊んだ冬の思い出は暖かい。しかし、空気は冷たく凍っていた。頬が痛くなる冷たさを思い出す。あたり一面白銀で、しんとした風景を思い出す。まるで今日の日差しのように暖かく柔らかで優しい記憶。広場はまつりのあとのように誰もいない。



 俺の記憶が蘇る。記憶が今の俺を形成している。これはまぎれもない事実だ。記憶という存在は不思議だ。忘れていてもどこかで覚えている。人格を形成する元となるのだ。あの時、俺は子供だった。今もまだまだ幼い。

 

 でも、少しばかり知恵がついたせいか現実を知ったせいか――俺は現実から逃げ出すことばかり考えていた。現実は残酷で、生きれば生きるほど世の中の厳しさ大変さを知っていく。それは決して楽しいことではない。夕暮れ時に感じた不安な気持ちを思い出した。みんなが帰ってしまった後の寂しい取り残された気持ちだ。そういえば俺は寂しがり屋で、人の中にいることで紛らわせていた。おばあちゃんといたときの安心した気持ちをずっとしまっていたような気がする。


 忘れていた記憶が風と共に蘇る。ここの空気は心地いい。

 もしかしてここへ来ることは必然だったのかもしれない。

 どうしようもない俺のために、この町は待っていたのかもしれない。


 でも、横を見るとかぐやがいる。俺は孤独を感じることはない。

 かぐやを見ると彼女も俺を見上げる。

 視線と視線が交差する瞬間は、とてもくすぐったい。


 おばあちゃんの家は取り壊されて、空き地になっていた。売ってしまったが、新しい家は建っていない。なぜか少しほっとした。自分の所有物のように感じているのかもしれない。子供のころの思い出は心の中にしまって、これから社会に出ていこう。ちゃんと生きよう。なんだかそう思えた。


「この町、いい香りがします。」

「だよな」

 古い商店が今もやっていて、昔からあるベンチがそのまま置いてあった。

 いつかはなくなるもの。でも、俺の中にちゃんと残っている。この町の風も、香りも空気も変わっちゃいない。季節の香りがするこの町は、今でも優しく包んでくれた。変わったのは、成長した自分なのかもしれない。もう小学生ではないし、家族はいない。あの頃知らなかった世の中の厳しさも少しは理解している。変わったのは俺で、田舎町はそのまま時間が止まっているように感じた。だから、時間が止まったこの町に足を運んでみたかったのかもしれない。


 俺はすっかりポイントのことを忘れかけていた。そして、静かな幸せの中にいたのだ。まさか彼女がいなくなるとは、想像もしていなかったんだ。


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