死闘遊戯(一)

第94話 刺突

 汗の滲むタキシード、白粉に濁ったバッスルドレス。

 観覧席を埋め尽くす、割れんばかりの歓声に怒声。

 それら全てを管弦楽団の勇壮な演奏が、壮大な混声合唱に束ね上げる。

 享楽と愉悦、興奮と嗜虐に満ちた貴族達の歌声が、円形闘技場内に響き渡る。


 舞い踊るが如くに斬り結び、祈るが如くに血花咲かせよ!

 斬り結びてこそ輝ける魂、我らが神に捧げよ!

 これぞ人が咲かせる叡智の花ぞ!

 この世の悪意に抗う花ぞ!


「この歌は、何度聞いても好きになれないな……」


 レオンは猫脚の木製椅子に座り、闘技場を見下ろしながら呟いた。

 隣りに座るシャルルも、ビロード張りの欄干に肘を乗せ、鷹揚に頷く。


「俺もだ。趣味の悪さに辟易とする」


 そこは円形闘技場の最上段に設けられた、バルコニー席だった。

 数名での観覧が可能な小部屋となっており、プライベートが担保されている。

 チケットは高額だが需要が高く、予約の難しい観覧席だ。

 しかし『枢機機関院』は今回のトーナメント開催に際し、各団体の要望に応え、参加者への優先提供を認めたのだった。


 トーナメントに参加する有力な貴族の一部が『枢機機関院』より通達された『相互不干渉』の要請を受け、周囲に人の集まる一般席で観戦すれば、いらぬ憶測や疑惑を招く恐れがあると考え、この様な要望を提出したのかも知れない。

 巨大な利権が動くトーナメントだけに、解らぬ話では無い。 

 ただ、些か行き過ぎた配慮の様にも思える。


 そもそも仕合に参加する貴族同士が会話する事は、禁じられてなどいない。

 プライベートでの交流や挨拶を認めないといった、そんなルールは無い。

 或いは仕合に参加するオートマータのメンテナンスを、対戦相手である団体が代わりに請け負う様な、直接的な利敵行為で無ければ『相互不干渉』に抵触しないのだ。


 つまるところ彼らは皆、オートマータを所有出来るほどの有力な貴族なのだ。

 そのプライベートを完全に制限する事など、出来よう筈も無い。

 同時に貴族同士の談合や八百長も、疑い出せばキリが無い。

 ベッティング等に厳格なルールを敷き、利敵行為を禁ずる事で、最低限度の公平性を保つ――後は貴族達の信仰心に任せ、『グランマリー』に捧げる聖戦の誠を信じるばかりだ。


 故に今回の特別措置は、トーナメントに参加する有力貴族達の我が儘、無駄な特権意識に端を発している――そう考えるのが自然だろう。


 とはいえ貴族社会から反感を買っている『衆光会』所属のシャルルと、『アデプト・マルセル』の息子として好奇の視線に曝されるレオンにしてみれば、有難い配慮だとも言えた。


「しかし……エリーゼは本当に来なくても良かったのか? ここで勝ち残った相手と、対戦する事になるんだろう?」


 シャルルはレオンに視線を送る。

 レオンの横顔は少しやつれており、状態があまり良く無い事を示していた。


「先入観を持ちたく無いそうだ、僕達からの伝聞で良いと」


「……実際に仕合を見て、対策を立てるべきなんじゃないのか?」


 納得しかねるのか、シャルルは首を捻る。

 その表情には、複雑な想いが滲む。


 ここ数日、レオンはカトリーヌと共に『知覚共鳴処理回路』の使用に耐える訓練及び、調整の実験を行っていた。

 実験の最中、レオンは何度も嘔吐と発熱を繰り返した。

 カトリーヌは事前に詳細な説明を受け、全て納得していたが、それでも実際に苦しむレオンの姿を目の当たりにして、強いショックを受けていた。

 緊張と不安に青褪めながら、カトリーヌは震える指先で『蒸気式小型差分解析機』を操作し、大きな目に涙を溜めつつ、苦しむレオンを介抱していた。


 仕方の無い事だとシャルルは思う。

 カトリーヌにとってレオンは、家族も同然なのだろう。

 如何に芯の強い娘だとしても、長年医療に従事して来たのだとしても。

 苦しむレオンの姿に、無反応でいられる筈は無い。


 ――が、エリーゼは違う。

 レオンに対する言葉も無いまま、揺らぐ事無く、演武を続けたのだ。


「俺には理解出来ないな……」


 実際に仕合を行うエリーゼの立場が、最優先である事は理解している。

 レオンがエリーゼを信頼している事も、理解している。


 それでも――エリーゼの態度に、些かばかりの憤りを覚えずにはいられない。

 せめてカトリーヌに対する配慮があっても、良かったのでは無いか。

 その想いがエリーゼに対する懐疑的な発言として、口をついてしまう。

 しかしレオンは、気にした風も無く答えた。


「手の内を隠す事も、装備の変更も可能だからと言っていた――解る気もする。仕合う事、戦う事、僕には理解の及ばない分野だ。エリーゼの言葉を信じるしか無い」


「――伝聞で良いというくらいなら、俺達が観戦する必要はあるのか?」


 シャルルの問いに、レオンは闘技場を見据えたまま応じる。


「伝聞として知り得る情報なら、有効なのかも知れない。それにトーナメント戦のレベルは知っておきたい。序列を定める事が優先なら、参加するコッペリアが『決死決着』を望まず、敗北を認める展開が増える可能性もある。それはエリーゼの戦い方にも影響する筈だ……」


 筋の通る解答だった、返す言葉も無い。

 シャルルは頷き、レオンと同じく闘技場へ視線を送る。

 

「そうだな……俺も可能な限り、情報収集のつもりで観戦する」


「ああ……そうして貰えると有難い」


 謝意を口にするレオンに、シャルルは軽く首を振り、苦笑する。

 そのまま黙して、次戦の開始を待つのだった。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 円形闘技場は、喧騒に包まれていた。

 下位リーグの仕合を全て終えてなお、貴族達の興奮は治まらない。

 それも当然だろう、皆、メイン・イベントの開始を待ち侘びていたのだ。

 程無くしてオーケストラ・ピット脇の演壇に、黒いスーツ姿の男が現れる。

 男は姿勢を正すと壇上の伝声管に向かい、張りのある声で高らかに宣言した。


「お待たせ致しました! 只今より! ガラリア皇帝陛下・第二皇子! エリク・ドミティウス・ドラージュ・ガラリア様が主催! 特別トーナメント予選を! 開催致します!」


 途端に激しい歓声が観覧席から湧き上がり、辺り一面に轟いた。

 間髪入れず、壇上の男はコッペリアの呼び込みを行う。

 貴族達の興奮を更に煽り立てる。

 再び貴族達が、管弦楽団の演奏に併せて歌い始める。

 沸騰寸前の円形闘技場に、得物を携えたコッペリアが姿を見せた。


 入場門・東側。

 モルビル伯所有、暫定序列九位の『コッペリア・ジャクリーヌ』。

 入場門・西側。

 ジュスト男爵所有、暫定序列十二位の『コッペリア・コルザ』。


 先に姿を見せたジャクリーヌは、ブラウンのロングヘアが優美な娘だった。

 タイトなダークグレーのジャケットに、同色のスカートを併せている。

 腰に巻かれた幅広のベルトには、革製の武器ケースがセットされており、そこには刺突剣の一種であるスティレットが複数本、納められていた。

 その魂は悪意と刺突の精霊『アーチン』であると、紹介された。


 対するコルザは、隆起した筋肉のラインが美しい、巨躯の娘だ。

 逞しい上体を覆うのは黒革のレザー・コルセット、引き締まったウエストには革ベルト、下半身はショートパンツ、そして膝丈のロングブーツを身に着けている。

 両手に構えた武装は二・五メートル程のサイズ――巨大な鎌であり、前腕を覆う強化外殻の手甲に握られていた。

 その魂は命を刈り取る剛力の精霊『フェノデリー』である、その様に宣言された。


「――トーナメント決着のルールはみっつ! 損壊沈黙即敗北! コッペリアによる敗北宣言! ならびに介添人による敗北宣言! このみっつを以って、決着とします!」


 双方の紹介に続いてコールされたのは、何時ものルール宣言だ。

 ただ、通常の本戦ルールと違い、このトーナメントでは『介添人による敗北宣言』も認められている。

 つまりは所有者の意向が反映されるという事だ。

 『グランギニョール』の序列を最適化する為のトーナメントと考えれば、決死決着を減らすという意味で、妥当なルール変更かも知れない。


「それでは、お互いに構えて!」


 演壇に立つ男が宣言する。

 貴族達が見守る中、二人のコッペリアは武器を手に身構える。

 闘技場内の空気が静かに張り詰めてゆき――


「始めぇ……っ!!」


 開始を告げる絶叫が響いた。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 先に動いたのは、ジャクリーヌだった。

 ダークグレーのスカートを閃かせ、全身が霞むほどの勢いで疾駆する。

 両手に構えた刺突剣を下方に垂らしているのは、攻撃の軌道を読ませぬ為か。

 

 対するコルザは後方へと大きく飛び退りつつ、巨大な鎌を振り上げる。

 懐へ飛び込まれる前に、迎撃する構えだろう。

 二人の間合いは六メートルほど、瞬く間に距離は詰まった。


 ジャクリーヌがコルザの間合いに踏み込むや否や、銀光が流れて奔る。

 完璧なタイミングにて放たれた、鎌による横薙ぎ一閃。

 死を感じさせる白刃が空を裂き、ジャクリーヌの上体へと打ち込まれる。


 回避不能か――そう思われた次の刹那。

 ジャクリーヌの首筋から後方へ、大量の火花が帯を引いて撒き散らされた。

 苛烈極まるコルザの斬撃を、ジャクリーヌの刺突剣が防いだのだ。

 その首筋には絶妙な角度を以て、二本の刺突剣が添えられていた。

 致死の一撃を後方へと受け流したジャクリーヌは、そのまま深く一息に、コルザの懐へ飛び込む。

 両手持ちの鎌という小回りの利かぬ得物が災いしたか、眼前に迫るジャクリーヌを討つ術が、コルザには無い。

 低い姿勢にて滑り込む様に、ジャクリーヌの刺突剣が放たれた。

 

 胸部を貫いたか――そう見紛うほどの一撃。

 しかしそんな至近距離からの一撃を、コルザは回避していた。

 驚くほどに俊敏、そして完璧なバックステップであった。

 ジャクリーヌは眼を見開く。

 これほどの速度をコルザは有していたのか、そう感じているのだろう。

 巨躯に似合わぬ俊敏さだ、その挙動に観覧席もどよめく。

 

 否、そうでは無い。

 コルザはバックステップに際し、己が得物である巨大な鎌を手放したのだ。

 その事に貴族達は、驚きの声を上げていた。


 確かに両手で保持するサイズ――巨大な鎌は、かなりの重量だ。

 更には二・五メートル超の大きさ、特異な形状である事も、俊敏な動きの妨げとなる。

 だからと言って回避行動の為に、自らの武装を手放すなど尋常では無い。

 

 旧序列十二位のコルザ。

 剛力を活かし、巨大な鎌を自在に振るうコッペリアとして知られていた。

 裡に秘めたる魂も『サイズ』を振るう妖精『フェノデリー』だ。

 豪快にして豪放、下位リーグの頃は、勝つにせよ負けるにせよ、多少のダメージなど意に介さぬとばかりに攻め続ける――そんなコッペリアであった。


 過去に一度も、この様な回避を行った事は無い。

 己が象徴とも言える武装『サイズ』を手放した事も無い。

 まるで別人と化したかの様な――それが居並ぶ貴族達の認識だった。


 全力にて刺突を放ったジャクリーヌの姿勢は、腕も脚も伸び切っていた。

 ここから回避に繋げる行動は難しいが、コルザは武装を放棄している。

 そしてジャクリーヌは左右に得物を携えている、右の刺突が躱されたのならば即、左にて刺突すれば良い。

 右が躱された――そう認識した次の瞬間には、ジャクリーヌの左腕が始動していた。

 後方へ逃れようとするコルザに対し、ジャクリーヌは容赦の無い追撃を仕掛ける、狙いは回避困難な胴体の中心――下腹部だ。


 如何に機敏俊敏なコッペリアであれ、ここまで踏み込まれた状態からの強烈な刺突だ、易々と躱す事など難しい。

 ましてやコルザの手には武器も無い、反撃に転ずる事が出来ない。

 躱したとしても直ぐに三の手、四の手に繋がれる事は目に見えている。

 にも拘らず。


 ジャクリーヌは視界の隅に、閃く刃を認識した。

 吸い込まれる様に、自身の頭部へと――。

 

「……っ!?」


 驚愕する、コルザは武器を放棄した筈だ、なのに何故?

 仮にこのままコルザの胴体へ、全力の刺突を行ったとしても。

 予想外の斬撃は自身の頭部へと迫っている。

 相打ちの結果となれば、倒れるのは急所を打たれる自身の方だ。


 ジャクリーヌは身を捻りつつ、右の剣を頭部へと翳した。

 この挙動により、左の刺突は正確性を欠く。

 結果、刺突剣の先端は、コルザの脇腹を微かに掠めたのみだ。

 直後、ジャクリーヌの側頭部を、鋭い斬撃が襲う。

 右のガードは片手故に不完全だったか――パッと、血が飛沫いた。


「……くっ!!」


 ダメージを受けたジャクリーヌは、即座に大きく飛び退き、距離を取る。

 跳ねる様にサイドへ、更に後方へ。

 改めてコルザと向き合うが、額左側に深く裂傷を負っていた。

 左顔面が紅く染まっている。

 傷口からは流血の如き濃縮エーテルが、止め処も無く溢れ出している。

 左眼は、濃縮エーテルが流れ込んだ為か、目蓋が半ば閉じられている。

 残る右眼は、離れた位置にて悠然とこちらを見据えるコルザの、右前腕を覆う強化外殻……その肘部より突き出る、鋭い仕込み刃の煌めきを捉えていた。

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