第95話 別人

 円形闘技場の観覧席は、熱と歓声に湧き返っていた。

 眼前で仕合う人造乙女達が、血飛沫の花を咲かせた為だ。

 貴族達は皆、両眼を見開き声援を送る。

 はち切れそうなタキシードに包まれた身体を揺すり、固めた拳を突き上げる。

 或いは白粉の匂いが染み着いたドレスを震わせ、オペラグラスを覗き込む。

 残酷と興奮に彩られた決闘遊戯を、皆、存分に堪能していた。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 ジャクリーヌは肩で呼吸を繰り返しながら、正面を睨みつける。

 ただし視界の左半分が、紅色に染まっている。

 額に負った裂傷から濃縮エーテルが溢れ出し、左眼に流れ込んだのだ。

 左眼は、半ば見えていないも同然だった。


 対するコルザは表情を変える事無く、軽く腰を落とし、身構えている。

 右腕を覆う強化外殻――その肘部からはジャクリーヌの額を捉えた、長さ二十五センチほどの、仕込み刃が突き出していた。


 隠し武器による一撃で、コルザは仕合の流れを引き寄せた……かに思えた。

 しかし先手を取って動いたのは、ダメージを受けたジャクリーヌの方だった。


 ダークグレーのスカートを跳ね上げつつ、一気に疾駆する。

 ただし突進では無い、大きく左から回り込む様な動きだ。

 右側の視界を確保する為だろう。

 地を這う如くに低い姿勢、両手に携えた刺突剣を左右に垂らしている。

 石床の上で擦れた切っ先が、後方へと火花を飛び散らせる。


 この突撃は、決して悪い選択では無い。

 ジャクリーヌの刺突剣――スティレットは、防戦に適さない。

 元々、行動不能状態の相手に止めを刺す為の武器だが、ジャクリーヌの様な使い方をするならば、常に機先を制する事が肝要だ。


 しかも眼前のコルザは、己が主武装である巨大な鎌を既に放棄している。

 コルザの左右前腕部を覆う強化外殻に、それぞれ刃が仕込まれているとしても、ジャクリーヌが得意とする近接の間合いで攻防を行う事になる。

 近接戦闘を行うならば、こちらに一日の長がある――ジャクリーヌはそう考えたのだ。


 迎え撃つコルザは、回り込むジャクリーヌを見据えつつ、後方へ移動する。

 小回りの利かぬ巨躯ゆえに、いきなり懐へ飛び込まれる事を嫌ったか。

 主武装の大鎌では無く、仕込み刃を用いての攻防に際し、慎重を期したか。


 コルザは更に下がろうとする、ジャクリーヌは懐へ飛び込もうとする。

 二人の距離が一気に詰まる。


 しかし次の瞬間。

 コルザは上体を大きく仰け反らせた。

 そのまま弓なりに、弧を描く様に、コルザは背面へ手を着いた。

 巨躯をしなやかに翻しながらの、後方回転だった。


 予想外の挙動に、ジャクリーヌは虚を突かれる。

 大鎌を振るうコルザとは、これほどの身軽さを有したコッペリアだったか?


 ジャクリーヌの裡に、髪一筋ほどにも満たない一瞬の迷いが生じる。

 意識と意識の、ごく僅かな間隙を突く様に。

 血に塗れて完全に死角となった、ジャクリーヌの左下方から。

 コルザの右爪先――そこに仕込まれた隠し刃が襲い掛かった。

 右下段から高速で跳ね上がる、蹴りによる斬撃だった。


 慮外の一撃は、突き出されたジャクリーヌの、腕の付け根を斬り裂いていた。

 夥しい量の濃縮エーテルが留めようも無く、一気に撒き散らされる。

 動脈を断たれたのだ。


 ジャクリーヌは前のめりに崩れた姿勢で、コルザの横を通り過ぎる。

 石床の上へ流血のラインを描きながら、ヨロヨロとした覚束ない足取りだ。

 コルザがブーツの仕込み刃を収納すると同時に、ジャクリーヌは頽れた。

 ゆっくりと振り返ったコルザは、両腕の仕込み刃を光らせながら歩き出す。

 その時。


「敗北を認める!」


 大音声にて宣言したのは、ジャクリーヌの介添人達だった。


 『コッペリア・ジャクリーヌ』は敗北を認める!

 我々に継戦の意志は無い!


 黒いスーツ姿の介添人達は叫びながら、待機スペースより雪崩れ込んで来る。

 バルコニー席にて観戦していたジャクリーヌの主人・モルビル伯が、敗北を認める様に合図を送ったのだろう。

 いずれにせよ、介添人が場内へ立ち入った時点で、ジュスト男爵が所有する『コッペリア・コルザ』の勝利が確定した。


 円形闘技場内の熱気をかき回すほどの歓声が、観覧席から湧き上がる。

 大量の汗を撒き散らしつつ貴族達は立ち上がり、頭上で両手を打ち鳴らす。

 オーケストラ・ピットの管弦楽団が、絢爛たる曲を奏で始める。

 更に青いドレスを纏い目許をマスクで隠した女が、高らかに謳い上げる。


 見よ! 彼の者を見よ!

 聖女・グランマリーに選ばれし、勇者たる者の姿を見よ!

 聖戦の高みを望む猛き魂、そのありかを見よ!

 嗚呼! 我らグランマリーの子! その叡智を顕し給え!

 嗚呼! 我らグランマリーの子! その勇気を示し給え!


 ◆ ◇ ◆ ◇


 レオンは眉を顰めながら、仕合の結果を見下ろしている。

 エリーゼが行う以外の仕合を見るのは、子供の頃以来だろうか。

 『グランギニョール』で行われる仕合が、吐き気がするほどに嫌いだった。

 錬成科学の結晶を、精霊の魂を、こんな形で消費してしまうなど。

 その想いは、こうなってしまった今も変わらない。

 ふと、隣りに座るシャルルが口を開いた。


「気なる事がある……」


「どうした?」


 レオンが振り向く。

 シャルルは複雑な表情で、闘技場を見つめたまま言った。


「少し言い難い事なんだが……今の仕合に勝利した『コッペリア・コルザ』は、過去に下位リーグで『アーデルツ』と試合を行った事があるんだ」


「そうか……」


 その言葉に、レオンは短く応じる。

 アーデルツの損壊を招いた件で、未だ忸怩たる想いを抱えているのだろう。

 シャルルは続ける。


「結果的にアーデルツが勝利したんだが、あのコルザというコッペリアは、大鎌を駆使して、力押しで仕合を展開するタイプだった。悪く言えば大雑把な戦い方だったと思う。なのに今の仕合……まるで別人だ」


「……僕は以前のコルザを見ていないので何とも言えないが、特殊な改修を行ったのかも知れない――もしエリーゼと仕合う事になったなら、大鎌だけで無く、仕込みの武装も使用すると伝えておくべきだろうな――」


 レオンは頷き、そう答える。

 シャルルの懸念は確かに気になる、しかし明確な何かを掴む事は出来ない。

 ただ、警戒すべき点として参考にはなるだろう。

 そして、もうひとつ確認出来た事がある。


「――このトーナメント、『決死決着』は強く望まれて無いらしい、これなら敗北を認めるケースが多くなるかも知れない」


「確かにな……相手次第だが、ダメージを抑えて勝ち進める可能性もあるか」


 レオンの呟きにシャルルも同意する。

 観戦している貴族達も、決死決着を待たずして成された敗北宣言に、異を唱える様子など見せなかった。

 今回のトーナメントが『第二皇子主催』による『序列確定トーナメント』である――その周知が徹底されている為だろう。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 闘技場では勝利を収めたコルザが、歓声に応えつつ退場を開始していた。

 軽く右手を上げ、口許には微かな笑み。

 これまでのコルザには無い、不可思議な鷹揚さが示されていた。


 瀕死の重傷を負ったジャクリーヌも、介添人達と共に担架で退場する。

 溢れる濃縮エーテルに黒く染まったジャケットとスカートは、残酷の極みだ。

 その有様にすら貴族達は、狂喜と好奇の眼を向け愉しむ。

 『グランギニョール』の歪みと澱みが、如実に表れていた。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 管弦楽団の演奏に、貴族達の聖歌が続き、やがて次戦の紹介が成される。

 熱気と狂気をはらんだ闘技場に、また新たなコッペリアが姿を見せる。


 トーナメント予選・第二仕合。

 入場門・東側。

 ランドン男爵所有、暫定序列十位の『コッペリア・クロエ』。

 入場門・西側。

 ベネックス勲爵士所有、暫定序列七位の『コッペリア・ベルベット』。


 先に姿を見せたのは、西側の『コッペリア・ベルベット』だ。

 門扉が開かれ、ゆっくりと歩み出る。


 俯き目を伏せ歩く娘は、小柄だった。

 身長が一五〇センチに届かぬエリーゼと、さほど変わらないのでは無いか。

 漆黒のワンピースドレスを身に纏っていた。

 胸元には、水色のコサージュと白いリボンがあしらわれている。

 細いウエストにはレザー・コルセット、足元のブーツもレザーだ。

 顔立ちは愛らしく、端正に整っている。

 セミロングの頭髪は後頭部で二つに括られ、御下げに纏められている。

 特徴的なのは、黒縁の眼鏡を掛けている事だろう。

 眼が悪いという事はあるまい、伊達眼鏡なのかどうか。

 そして両手に携えられた二振りの短剣――鈍く光るグラディウスだ。

 彼女の入場に歓声が湧き上がる、同時に歌声が響く、貴族達による大合唱だ。

 青いドレスを着込んだマスク姿の女も、高音で主旋律を謳い上げる。


 可憐に踊らば血花を咲かせ! 無慈悲に舞わば敵を討つ!

 侮るなかれ! 不可思議の妙技! 我らを守護する美々しき戦乙女!

 錬成科学の神妙深遠! 我らが祖国を守護する戦乙女!  

 我らが聖女グランマリー! 奇跡の娘に勝利を授けよ!

 偉大なるかなグランマリー! 不屈の娘に勝利を授けよ!


 広大な闘技場内に、ベルベットとグランマリーを讃える歌が響く。

 高く低く、うねる様に轟き渡る。

 狂喜の相で拳を握り、貴族達はベルベットの為に熱唱する。


 ――我らを守護する美々しき戦乙女!


 闘技場の中央付近まで歩み出たベルベットは、そこで足を止めた。 

 俯いたまま、顔を上げる事無く、そこに立ち尽くす。


 ――我らが祖国を守護する戦乙女!


 貴族達の歌を聞きながら。

 ベルベットは、口許をふわりと綻ばせる。

 上弦の月を思わせる口許から、ギザギザとした鋭い歯並びがゾロリと覗いた。

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