第91話 共鳴

 トライ&エラーの繰り返しは、仕方の無い事だと認識していた。

 思いつく限りの手法を模索し、試すしか無いと考えていた。

 しかし時間は限られている。

 工房に籠り一ヶ月、睡眠時間を削っての研究は、困難を極めた。


 ――が、希望が無いわけでは無い。

 むしろ、はっきりと希望は見えている。

 既にヨハンが、近似の技術を実現しているのだ。


 離れた場所に居ながら、視界情報の共有を可能にした驚愕の技術。

 『コッペリア・グレナディ』が有していた『千里眼』の能力だ。

 情報開示されていない技術だが、それは間違いなく実在する。


 その技術の一端でも理解出来たなら。

 その技術を解明し、応用出来たなら。

 エリーゼに掛かる負荷を、大幅に軽減する事が出来る筈だ。

 近似の技術が既に実在する以上――諦めるわけにはいかない。


 髪型が乱れ、白いシャツの襟首が垢染みようと、頬がこけ、目の下にクマが出来ようと、レオンは意に介さず、自身の錬成工房に籠り、研究と開発に打ち込む。

 電信に関する最新の論文に目を通し、過去の文献も調べ上げる。

 『一般練成科学』のみならず『神学的技術体系』に基づく検証も行う。 

 複数の仮説を立て『蒸気式精密差分解析機』にて仮説をシミュレートする。

 検証を繰り返し、記録を取り、記録から新たなアプローチを模索し続ける。

 飲まず、食わず、眠らずの状態で作業机に向かう。


 そんなレオンはサポートするのは、エリーゼとシャルルの二人だ。

 神経網のメンテナンスを終えたエリーゼは、レオンの研究と検証を、献身的にサポートする。

 シャルルは休息を取ろうとしない二人の為に、食事と着替えを届け続けた。

 時にレオンを強く諫めては、無理にでも食事と睡眠を取らせる様な事もした。


 研究と検証に必要な素材等はルールの都合上、トーナメント参加が確実な『ベネックス創薬科学研究所』に頼む事が出来なくなった為、『シュミット商会』へ手配を依頼している――が、トーナメントの件が無くとも、ベネックス所長にはもう、何事かを頼む事は出来ないだろう。

 いずれにしてもレオンは、残された時間内に成果を得るべく、全身全霊で研究に打ち込んでいた。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 エリーゼの仕合戦績は二戦二勝、上位ランカーを下しての勝利だ。

 が、いずれの仕合も辛勝だった。

 被弾が多く、試合後の身体的ダメージが深過ぎる。

 全身に裂傷を負い、濃縮エーテルの消失も激しい。

 骨格及び臓器への損傷も浅くは無い。

 そして『神経網』への深刻なダメージ。

 戦闘用に錬成されていないが故――そう言い換えても過言では無い結果だ。


 戦闘用と比較すれば、非戦闘用であるエリーゼの身体は、筋力、瞬発力、耐久力で大幅に劣る。

 何より、痛覚遮断措置が施されていない。

 日常生活を送る上での、利便性と快適性、精密性を優先した結果だ。

 レオンが独自に開発した、鋭敏にして繊細な神経網が採用されていた。


 それだけに、負傷すればダイレクトに痛みを感じる構造となっている。

 むしろ激しい運動を行うだけで、人間と同じく苦痛を感じるのだ。

 戦闘用オートマータは、そうならぬ様に構成されている。

 神経に掛かる負担は制御可能な範囲内に抑えられており、更に痛覚のみを遮断する事も可能だ。 

 

 或いは『強化外殻』を装備すれば、動きの精密性に多少の制限は掛かるが、筋力と瞬発力、耐久力を補った上で、痛みの抑制も実現出来る。

 もちろん、身体的ダメージの軽減も図れるだろう。

 にも拘わらず、エリーゼは『強化外殻』を装着しようとしない。

 仕合を行う上で、痛覚も、ダメージも、必要なのだと言うのだ。

 筋力や瞬発力、耐久力を補う事すら否定し、痛覚の維持を優先している。

 危険な状態である事を望んでいるのだ。


 そこにどんなメリットがあるのか、レオンには理解出来ない。

 理解出来ないが――実際に仕合を行うのはエリーゼだ。

 その言葉を否定する事など、出来よう筈も無い。

 

 しかしエリーゼの『神経網』は、仕合ごとに焼けついていた。

 過剰な痛みが、限度を超えた『エーテル・プルス』を発生させ、錬成した『神経網』に深刻なダメージを与えている。

 そのダメージは仕合中の動きにも、影響を与え得るものだ。

 エリーゼが精神力で苦痛を抑え込もうと、過負荷によってダメージを受けた『神経網』は、正常に機能しなくなる危険性もある。

 仕合の最中に身体制御の維持が難しくなり、動けなくなる可能性もある。

 また、ダメージに焼けついた『神経網』の再錬成は、メンテナンスと調整の時間をも圧迫する、次に参加する仕合はトーナメント戦なのだ。


 レオンは入院中、ヨハンが構築した『千里眼』についての考察を行っていた。

 どの様な方法を用いたのか、そればかりを考えていた。

 微弱な『エーテル・プルス』に感応する事で、神経伝達を把握していたのか。

 或いは『電信』『電話』にて使用される様な『電力』を流用したか。

 が、それらの方法では、満足な結果は得られぬだろう。

 試行錯誤の末、辿り着いた結論が『エメロード・タブレット』の流用だった。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 レオンは作業台に向かい、黙々と手を動かしている。

 左目には、複数のレンズが連なる拡大ルーペが掛けられている。

 右の義肢には、極限まで研磨された鏨(タガネ)が握られている。

 義肢の動作性は完璧だった。震えの類いなど一切発生しない。

 

 眼前の作業台に設置されているのは、金属製の重厚な固定具だ。

 固定具には黒い松脂の塊が固定されており、松脂には『翠玉切片』が埋め込まれていた。


 『翠玉切片』とは薄さ〇.五ミリ、七センチ角の切片であり、これに数値化した錬成概念を刻みつけ、一〇〇枚以上積層させる事で、オートマータの魂を定着させる為の憑代であり回路――『エメロード・タブレット』が完成する。

 しかしレオンの眼前に固定している切片は、二センチ角……『エメロード・タブレット』を構成する切片の半分にも満たない。

 それは『エメロード・タブレット』に、似て非なるモノと言える。


 レオンが今、開発している代物は『知覚共鳴処理回路』――端的に言えば『痛覚の処理を肩代わりする回路』とでも言うべきか。

 『魂』の憑代たる『エメロード・タブレット』の特性を流用した代物だ。

 レオンはこの回路を、義肢内部へ取り付けるつもりでいる。

 マルセルに依頼した追加施術は、この為の準備だった。


 仕合に際し、エリーゼは、避けようも無くダメージを受ける。

 戦闘用に身体を錬成されていないが為の、これは必然と考えるしかない。

 戦闘時に激しく動くだけで、全身に疲労とダメージが蓄積されるのだ。

 如何ともし難く、仕合後のメンテナンスで適切に対応するしか無い。


 しかし、先に述べた通り『神経網』への過負荷は問題だ。

 仕合の最中に蓄積されたダメージで動きが鈍る――それだけで致命的だ。

 身体能力で劣るエリーゼの勝機が遠退く。

 いや、勝機どころか、生きて帰れぬ可能性が高くなってしまう。


 故にレオンは、エリーゼの『神経網』に掛かる負荷を減らす為、義肢に仕込んだ『知覚共鳴処理回路』を通じてエリーゼの『魂』と『神経網』に干渉、自身の『神経』と『脳』を用いて、エリーゼの痛覚を処理しようとしていた。


 エリーゼの痛覚を、レオンが処理する――この方法ならば。

 エリーゼの『神経網』に掛かる過負荷を、大幅に軽減する事が出来る。

 エリーゼが苦痛を感じると同時に義肢内部の『知覚共鳴処理回路』が感応、レオンの『神経』と『脳』が、痛覚処理を代行するのだ。


 人為的に錬成した『神経網』は、過剰な『エーテル・プルス』にてダメージを受けるが、人間の『神経』と『脳』ならば、損傷に焼けつく事は無い。

 何よりそのダメージは疑似的な信号であって、実際の負傷では無いのだ。

 出血も骨折も実際には発生しておらず、その傷で死ぬ事など無い。

 それがレオンの考案した、エリーゼの『神経網』を保護する為のシステムだった。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 三階建ての煉瓦造り、切妻屋根の瀟洒な建物。

 華美な装飾などを排したモダンな邸宅。

 シャルルのタウンハウスだった。


 建物はコの字型に設けられており、その中央が中庭となっている。

 中庭はゆったりと広く、青々とした芝生が張られていた。 

 そんな、広々とした中庭の中央。

 タイトな白いドレスに身を包んだエリーゼが、ひとり佇んでいた。


 刺繍入りのボディスーツに、背中の大きく開いたボディス・コルセット。

 白い背中には、特殊武装『ドライツェン・エイワズ』がセットされていた。

 エリーゼの両腕――その両肘、両手首には、金属製の小さな円盤プレートが黒い革ベルトで固定されており、両手の指にはそれぞれ、幅広の指輪が嵌められていた。

 そしてスカートから覗く上腿部には、スローイング・ダガーを納めたホルダー付き革ベルトが巻きついている。

 更に、垂らした両手に携えた得物は、鞘に納まった状態のロングソード――長剣だ。

 『円形闘技場』で仕合う時と、全く同じ姿だった。


 芝生の上にて直立不動のエリーゼを見守るのは、レオンとシャルルだ。

 スーツを着た二人は、建物脇の木製ベンチに腰を降ろしている。

 エリーゼから、七メートルほど離れた場所だ。

 ふと、シャルルは傍らに座るレオンの横顔を見遣り、口を開いた。


「レオン、本当に大丈夫か? 酷い顔色だ……」


「――少し寝不足なだけだ、気にするほどじゃない」


「少しは休む事を覚えろ、そのうち倒れるぞ」


「実験が成功したら休むさ」


 そう言うレオンの声は掠れており、頬もやつれている。

 夜を徹しての作業を繰り返した為だ

 シャルルは眉を顰めると、ため息をついた。


「ヨハンだって言っていただろう、このシステムは危険だと。せめて体調を整えてからにした方が良く無いか?」


「システムの危険性を試してから判断するよ」


 心配そうなシャルルをよそに、レオンはにべも無く答える。

 視線は芝生の上に立つ、エリーゼを捉えたままだ。

 義肢に仕込んだ『知覚共鳴処理回路』の成果を、確認したいと考えている。

 その為にレオンはシャルルの中庭を借りたのだ。

 既にエリーゼの『神経網』と自身の神経を、レオンは同期していた。


 『知覚共鳴処理回路』の組み込み施術を請け負ったのは、ヨハンだった。

 レオンとシャルルの依頼を快諾し、完璧な施術を行った。

 その際、ヨハンは『知覚共鳴処理回路』の構造と発想に驚愕していた。

 自身が極秘裏に構築した『天眼通』システムから着想を得たのだとしても、こんな発想は慮外である、そう言っていた。

 同時にヨハンは『知覚共鳴処理回路』の危険性についても意見を述べた。

 オートマータの『神経網』に加わる負荷を、自身の脳と神経で肩代わりする――確かにエリーゼの『神経網』は保護されるだろうが、受けるダメージの全てがフィードバックされた場合、どんな問題が発生するのか想像もつかない。

 それがヨハンの見解だった。


 それでもエリーゼの負担を軽減する方法など、他に思いつかない。

 危険である事は承知している、やるしかない。

 それがレオンの決定だった。

 

 不意に、エリーゼの両腕が動いた。

 手にした長剣を、革製の鞘から抜き放ったのだ。

 その流れのままにエリーゼは、二度、三度と刃を振るう。

 白々とした輝きが、白く小さな身体の周囲に踊った。


「始まった……」


 青褪めた表情のまま、レオンは呟く。

 その言葉に、シャルルもエリーゼの方へ目を向ける。


 直後、エリーゼは全身を翻し、軽やかに宙へと舞った。

 俊敏にして切れ味の良い動きは、機械仕掛けであるかの様だ。

 振るう刃が、虚空に巨大な真円を描き上げる。

 そのまま鋭い切っ先を下に、長剣は芝生の上で起立する。

 エリーゼも逆立つ長剣の柄頭を爪先で捉え、直立と同時に背筋を伸ばす。

 その姿は、湖面に立つ脚の長い水鳥を思わせる。


 更にエリーゼは、垂らしていた両腕を左右に広げ、緩やかに躍らせる。

 途端に微かな風切り音が、幾つも連なり響き始めた。

 『ドライツェン・エイワズ』より紡ぎ出された特殊ワイヤーの靡く音だ。

 気づけばエリーゼの背後に、煌めく六つの光球が浮かび上がっている。

 特殊ワイヤーにて制御され、高速旋回を続けるスローイング・ダガーだった。


 逆立つロングソードの上、爪先にて直立するエリーゼ。

 優美かつ自在にうねり踊る、左右の腕。

 風切り音は鳴り止まず、空中に浮かぶ六つの光球は、激しく飛翔し始める。

 旋回し、弧を描き、直進しては折り返す。

 幾筋もの、輝く軌跡が帯を引く。

 六本のスローイング・ダガーが、エリーゼの周囲に、光る結界を描いていた。


「……相変わらず、凄いな」


 シャルルの口から感嘆の言葉が漏れる。

 確かに人智を超えた、理解不能の技術だ。

 どの様に人間が訓練を積もうと、オートマータであったとしても。

 エリーゼの戦闘技術を、そのまま再現する事など不可能だろう。

 その卓越した戦闘技術にシャルルは、エリーゼの完調を感じる。

 これならば、次の仕合も勝てるのでは無いか。

 微かな期待と安堵を覚えながら、シャルルはレオンの方に顔を向ける。


「――レオン?」


「……」


 レオンはベンチに座ったまま前のめりとなり、顔を伏せていた。

 眼を見開き、口許を両手で抑えている。

 指の隙間から、大量の胃液が零れていた。

 エリーゼの『神経網』に掛かる負荷を、ダイレクトに体感した結果だった。

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