第90話 複製

 腕が動かない。

 脚が動かない。

 撃ち放ったモーニングスターは彼方に転がり、用を成さない。

 射出した鎖付きの刃も振るえない。

 腕に、脚に打ち込まれた針が。

 ただそれだけの事で、こんな。


「こんな……」


 こんな事は有り得ぬと、フラムは驚愕する。

 いや――情報としては知っていたのだ。

 『コッペリア・マグノリア』は針を用いて、神経伝達を司る波動『エーテル・プルス』を外部から制御するのだと。

 敵対する者の体内に針を打ち込み、その動きを止めるのだという。

 己が魂の形である『バジリスク』の能力――『石化』を具現するかの様に。


 故に、ロングレンジ戦闘が可能な、特殊モーニングスターを使用したのだ。

 接近しての戦闘を避けるべく、三メートルという間合いを選択した。

 三メートルの間合いをキープし、相手の動きを見極める。

 三メートルの間合いにて攻撃を続け、攻防に関する思考の硬直化を狙う。

 接近時に、決死決着を狙う。

 身に纏う『強化外殻』に仕込んだ複数の暗器にて、一気に決着とする――と。

 にもかかわらず。


「なぜ……これほどの……」


 フラムは歯を剥き、鬼の形相で全身を震わせ、ギリギリと上体を捻る。

 マグノリアの方へ振り返ろうと、懸命にもがき、足掻く。

 もはや戦闘能力を失ったフラムの耳に、マグノリアの声が改めて低く響いた。


「貴様は『錬成機関院』にて独自開発されたオートマータだ」


 強張る首を強引に巡らした先――視界の隅。

 マグノリアは左の袖口から、細く短い針を一本、取り出していた。


「一か月前の『グランギニョール』で行われたエキシビジョン・マッチ。あのエキシビジョンに参加した『錬成機関院』所属の『コッペリア・ルミエール』――その動き、呼吸、タイミング、方向性を、私は覚えている」


「……なに?」


「貴様の動作、その他一切の癖は、何故か『コッペリア・ルミエール』に、驚くほど酷似している……全く、驚くほどにな。ここまでの酷似と一致は、本来有り得ない。しかし貴様がルミエールの『複製体』であれば――有り得るだろう」


「……っ!!」


 フラムは歯を軋らせた。

 ここまで攻撃して来なかった理由は、攻撃パターンを見切る為では無く。

 『ルミエール』との共通点を探る為だったという事か。

 その上で――『複製体』であると見抜いた、そう言うのか。

 そんな事が可能なのか。

 『ルミエール』とは、見た目はおろか所持する武装も違うのに。

 そんな事まで解るのか。


 無理矢理に、身体を捻ろうとするフラム。

 が、鈍重に過ぎる、戦うどころでは無い。


 ――しかし、まだだ。

 まだ手は残っている。

 『強化外殻』内に仕込まれた刃が、まだ残っている。

 マグノリアが手にした針は短い、あの針を打ち込むというのなら。

 仕込み刃の届く、射角範囲内へ踏み込む筈だ。


「敗北を宣言しないのか? もう打つ手は無いだろう――」


 マグノリアは言いながら、針を手に一歩、フラムの背後へ近づく。

 更に一歩。

 そこが射角範囲だった。


「――!!」


 初動の気配を見せる事無く、蒸気圧によって攻撃が放たれる。

 ガントレットの肘部分。

 先と同じ、鎖付きの仕込み刃による、至近距離からの不意打ち。

 それも左右の肘――共にである。

 敗北宣言を促すほどに、自身の勝利を確信したマグノリアへの不意打ちだ。

 これを回避する事など。


 鈍く、低い音が、背後から聞こえた。

 刃が、肉を突く音だ。

 ――捉えた!


 重く痺れた手足を引き摺る様に動かし、フラムは向き直る。

 倒れ伏すマグノリアを見ようと。

 そして眼を見開く。


「手の内は割れていると言った筈だ」


 仕込み刃の直撃を受けたマグノリアは、しかし平然と立っている。

 左構えにて喉と胸部をガードする様に、肘を曲げた状態で左腕を前へ。

 その左腕――肩口に、上腕に、射出された仕込みの刃が突き刺さっていた。


「!?」


 否、刺さってはいるが、酷く浅い。

 腕から染み出す濃縮エーテルも、ごく僅かだ。

 そんな筈は無い。

 蒸気圧による射出は、厚さ七ミリの鉄板をも貫通する威力だ。

 オートマータとはいえ、置換錬成した肉体であっても防ぎ切る事は不可能だ。

 なぜ貫通しないのか。


「先の『グランギニョール』で『コッペリア・ルミエール』も、同様の攻撃を仕掛けていた。武装は違えど、取るべき手段は変わらん、故に不意打ちは警戒して然るべきもの。そしてこの局面、致死を狙うしか逆転出来ぬ状況、出し惜しみは無い筈。これで打ち止めか」


 フラムの眼に、マグノリアの右手が映る。

 その右手は自身の左上腕部に、摘まんだ針を打ち込んでいた。

 先ほど左の袖口から取り出した針だ。 

 筋肉を極限まで収縮させる事で刃を通さない――それが針の効果だった。


 マグノリアは右手で仕込み刃と繋がる鎖を掴むと、左腕に巻きつける。

 回収の後、再利用されぬ為の措置だ。

 フラムは混乱の中で、次に打つべき手段を必死に模索する。

 しかしマグノリアは、その猶予を与えない。


「くうっ……!?」


 フラムの膝裏へ蹴りを入れると、その場へ跪かせる。

 元より力の入らぬ両脚だけに、フラムはあっさりと頽れた。

 更にマグノリアは回収した鎖を、垂れ下がるフラムの両腕に絡める。

 もはや動く事すら叶わない。

 仕込み刃による奇襲を仕掛けて後、ここまで僅か数秒。


 マグノリアは片膝を着くと、更に新たな針を取り出す。

 そのまま一切の躊躇無く、フラムの首筋――盆の窪へと打ち込んだ。


「ぐぅ……っ!」


 その針には、細い糸が結ばれていた。

 絹糸だろうか、細く繊細な糸だった。

 マグノリアは、針と繋がる糸をピンと張る。

 フラムの首筋とマグノリアの指先が、糸で繋がった状態となる。


「……」


 マグノリアは無言で仕込み刃が刺さった左腕を伸ばし、フラムの頭髪を掴む。

 手足に続き、頭部も固定したのだ。

 もはやその様子は、仕合と呼べるものでは無い、捕縛だ。

 しかし糸を手に、マグノリアはいったい何をしているのか。

 ――が、数秒も経たぬうちに。


「……お、お、おおおおおおっ!!」


 一切の動きを封じられたフラムが、突然に絶叫する。

 身も世も無い、血を吐くかと思えるほどの叫びだった。

 次の瞬間。


「……っ!?」


 眉を顰めるマグノリアの眼前で、フラムの全身から一気に力が抜けた。

 更にその口腔から、鼻孔から、眼から、そして耳からも大量の流血。

 そのまま横倒しとなって動かない。

 完全に事切れていた。


 マグノリアは無言で立ち上がる。

 客席最前列の上段にて立ち尽くす『枢機機関院』の幹部職員達を見遣る。

 彼らの顔面は蒼白であり、信じられぬという表情を浮かべている。

 身を翻し、歩き始めたマグノリアの背に、仕合終了のコールが響いた。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 円形闘技場の地下通路を、マグノリアは歩く。

 その後ろに続くのは、小型差分解析機を手に歩く眼鏡を掛けた司祭と、眉間に深い皺を刻んだ痩身の司祭――ランベール司祭が続く。

 ランベール司祭は前方を見据えたまま、口を開いた。


「とどめを刺した――という事では無いんだな?」


「――そうだ。あれは恐らく『強化外殻』の機能を用いた自害……『エメロード・タブレット』を、物理的に粉砕した結果だ」


 マグノリアも暗い眼差しで前方を見つめたまま、答えた。

 『強化外殻』を用いた自害――単純に、機能として考えたならば可能だ。

 フラムが使用した仕込み刃のギミックは、いわば簡素な多腕化とも言える。

 その攻撃機能を外部へでは無く、内向きに設けたという事だ。

 想定するなら『強化外殻』内に機能破壊用の音響機能を仕込む――そんなところか。

 ランベール司祭は訝しげに呟く。


「オートマータが自害か――尋常では無いな」


 そう考えるのも当然だろう。

 基本的にオートマータは、自害などしない。

 数多の人間が望む理想、或いは畏怖の対象を具現した存在だ。

 そこに人間的な脆弱さは無い。

 それでも自害を選択するという事ならば、己が主の為に、或いは状況によっては自らの命を断つ必要性があると、主より厳命されていた――そういう事になる。

 『強化外殻』内に、自害用の機能が組み込まれている時点で、そう考える方が自然だろう。

 マグノリアは低く応じた。


「私が打ち込んだ針の意味を推察し――主の意志に沿って実行したのだろう」


「なるほど、己が体内情報の漏洩を推察し、恐れたか」


 シスター・マグノリアの針。

 それを延髄部へと通ずる神経網に打ち込み、繊細な絹糸を張る事で、マグノリアは指先から『エーテル・プルス』――神経伝達の『波動』を把握し、対象者の大まかな身体情報を得る事が出来る。

 ランベール司祭の眉間に刻まれた皺が、更に深まる。


「つまりフラムの主人たる『枢機機関院』の連中は、フラムの内部構造を探られると不味い事になる、そういう認識があったと?」


「恐らく違う……自害したフラムを目の当たりにした『枢機機関院』の職員達は、慌てふためいていた。自害に至る機能を知らなかったのだろう。ならば『枢機機関院』はフラムの管理を、自ら行っていない可能性が高い」


 マグノリアの言葉に、ランベール司祭は渋い表情で頷く。


「……『錬成機関院』との共同開発が聞いて呆れる、実質丸投げか。良くそれで『枢機機関院』は『ガラリア帝国軍』に取り入ろうと思ったモノだ」


 そう吐き捨てたランベール司祭は、マグノリアの背に向かって問い掛ける。


「それで? 幾らかでも情報を得る事は出来たのか?」


 マグノリアは振り返る事無く返答する。


「――『コッペリア・フラム』、アレは『サラマンダー』の魂を有するオートマータでは無い、そう感じた」


「……どういう事だ?」


「多機能な『強化外殻』を完全に使いこなし、難易度の高い武装を手足の如くに扱う。機転も利き、状況から物事を推察する能力も高い。結果ほどぬるい相手では無い。『グランギニョール』の上位ランカーとも互角以上に渡り合えただろう。その動きは先のエキシビジョンで、シスター・ジゼルと仕合った『コッペリア・ルミエール』――アレと『同種同一』のモノだった。『複製体』である可能性が高い。シスター・ジゼルとの戦闘を見て無ければ、私も手を焼いた筈だ。なにより――」


「なにより?」


 『マリー直轄部会』のネームプレートが掛けられた部屋の前で、マグノリアは立ち止まり、ドアをノックする。

 先を促した司祭に、抑揚の無い声で言った。


「――あれほどの高性能……私が針で捉え、指先に感じた『エーテル・プルス(波動)』は、『コッペリア・フラム』に内蔵された『エメロード・タブレット』の異常性を示していた」


 ドアが内側から開かれると、マグノリアは室内へと立ち入る。

 ランベール司祭と、眼鏡を掛けた司祭も後に続く。


「……異常性だと?」


「四〇年前――『神性帯びたるオートマータ』を制圧した際に把握した『異常性』……今では錬成が禁止されている高密度な『エメロード・タブレット』、つまり『タブラ・スマラグディナ』から発せられる『エーテル・プルス』と、近似していた」


 マグノリアは室内のソファに腰を下ろしながら、そう告げた。

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