第92話 負担
シャルルの邸宅に設けられた、芝生張りの中庭。
広々とした中庭の中央に立つエリーゼは、刃を用いての演武を行っていた。
タイトな白いドレスの裾がはためき、小さな身体が宙に舞う。
長剣の柄頭を足指で捉えたまま、背面へと大きく跳躍、旋回を繰り返す。
二度、三度、四度、五度。
バネ仕掛けの如くに鋭く後方へ回転、移動する。
エリーゼが身を翻す度に、長剣の切っ先が、芝生の上に突き立つ。
移動するエリーゼの後を半透明に輝く六つの球体が、ゆらりと追従する。
地に落ちる事無く宙を漂うそれらは、妖しげな鬼火を思わせる。
しかし勿論、鬼火では無い。
陽光をはねて高速で旋回するスローイング・ダガーだ。
エリーゼの背に装備された特殊武装『ドライツェン・エイワズ』――そこから紡ぎ出されるフック付きの金属ワイヤーにて、操作されている刃だ。
エリーゼが腕を振るえば、幾筋もの金属ワイヤーが風切り音を響かせる。
それに伴い、旋回するスローイング・ダガーもまた、不可思議な軌道にて高速移動を繰り返す。
鋭く激しく空を切り裂く直線軌道で、或いは緩やかな弧を描きながら、エリーゼの周囲に陽光を乱反射させる。
その動きは『グランギニョール』闘技場にて披露されたものだ。
逆立つ長剣の柄頭に起立したまま、複数の光球をワイヤーにて自在に操る。
その姿は、言い様の無い優雅さと、底知れぬ恐ろしさを秘めている。
まさに、妖魔精霊の具現といった趣きだった。
◆ ◇ ◆ ◇
「おい……レオン? おいっ! 大丈夫か!?」
シャルルは声を上げ、ベンチから腰を浮かせる。
レオンの異変に気づいたのだ。
ベンチに座るレオンは身体を前傾させ、肩を震わせている。
口許を手で抑えているが、指の隙間から大量の胃液が溢れていた。
嘔吐しているのだ。
シャルルは困惑の表情でレオンの背を手でさする。
「なんだ!? どうしたんだっ!?」
「気に……しないでくれ……大丈夫……だ……」
レオンは低く呻く様に言うと、汚れた口許をシャツの袖口で拭う。
そのままゆっくりと上体を起こす。
その顔は真っ青だ。
「お前、その顔色は……駄目だ、実験は中止しよう」
「いや……続行だ……」
レオンは涙の滲む眼でエリーゼを見遣り、掠れた声で応じる。
シャルルは苦い顔でレオンを見下ろす。
「しかし――」
「ここで止めちゃ、意味がない……」
荒い息を吐きながらレオンは告げる。
確かに、レオンの言う通りではある。
この実験は、義肢内部に取り付けた『知覚共鳴処理回路』を通じ、エリーゼの『神経網』と自身の神経を同化させ『神経網』に掛かる負担を、レオンの神経と脳で正しく処理出来るか、確認するという趣旨だ。
今、ここで止めては実験にならない。
何より、エリーゼは平然と演武を行っている。
揺ぎ無く、淀み無く、背筋を伸ばして前を見つめ、両腕を躍らせている。
レオンが味わっている負荷を、エリーゼも同じく体感しているのだ。
これほどの消耗、これほどの倦怠、これほどの苦痛。
それでもエリーゼは、そんな様子など微塵も感じさせない。
「エリーゼの身体にも、僕と同じ負荷が掛かっている……」
「エリーゼは慣れてるんだ、お前はそうじゃないだろう、体調だって最悪の状態なんだぞ」
レオンの言葉にシャルルは、苦い表情で答える。
が、レオンは嘔吐感に耐えながら、途切れ途切れに言った。
「慣れというなら、これに慣れておく必要がある……何よりこれは、疑似体験に、過ぎないんだ……僕の身に、実際に、降り掛かっている脅威じゃない……その事を、認識する、必要がある……」
充血したレオンの眼は、中庭で舞うエリーゼの姿を捉えている。
エリーゼの周囲に浮遊する、六つの光球を捉えている。
煌めく金属ワイヤーのたなびきを捉えている。
長剣の柄頭にて腕を振るうエリーゼは、おもむろに大きく身体を前傾させた。
刹那、小さな身体はバネ仕掛けの様に仰け反り、高く跳ね上がる。
足指に捉えた長剣が空間を引き裂き、斬光が螺旋を描き上げる。
錐揉み状に身体を捻りながら、後方旋回にて刃を振るったのだ。
再び地面に着地すると、長剣の切っ先が芝生に埋まり、固定される。
同時に、エリーゼの周囲を漂っていた光球が一斉に動きを止める、全て小型のスローイング・ダガーとなり、そのまま大腿部のベルトに固定された革製ホルダーへと吸い込まれた。
演武を終えたエリーゼは長剣の上で、ひとつふたつと呼吸を繰り返す。
そしてゆっくりとレオンの方へ視線を送った。
ベンチに座るレオンは、崩れ掛かる上体をシャルルに預けていた。
鼻孔からは大量の鼻血が吹き出し、口許からは胃液が溢れている。
更に右の義肢からも、ドロリとした血液混合希釈エーテルが漏れ出している。
それでもレオンは濁った眼差しで、エリーゼを見つめている。
シャルルはレオンの肩を抱えたまま、屋敷の方へ声を上げた。
◆ ◇ ◆ ◇
「人心地着いたか?」
「ああ……」
シャルルの質問に、レオンは眼を伏せたまま低く応じた。
シャワーを浴びたレオンは、布張りのソファに腰を下ろしている。
くるぶし丈の白いスリーパーを着込み、頭からバスタオルを被っている。
シャルル邸のリビングだった。
南向きの大きな掃き出し窓は開け放たれ、陽光が差し込んでいる。
シャルルはレオンの向かい側に座り、卓上のコーヒーカップに手を伸ばす。
はす向かいにはグレーのワンピースドレスを纏った、エリーゼが座っている。
シャルルはカップに口を着けて後、厳しい口調で言った。
「さっきの実験……演武が行われていた時間は五分ほどだ。『知覚共鳴処理回路』だったか? それを介して体感した疲労に倦怠、筋骨への負荷、それらを五分間共有しただけでこれだ。仕合に耐えられると思えない」
「……」
レオンは俯いたままでいる。
傍らのエリーゼもまた、コーヒーカップを手に俯いている。
シャルルは発言を続けた。
「過去二戦、エリーゼの仕合を見ただろう? こんな事は言いたく無いが……きっと仕合での負傷は免れ無い。さっきの状態に加えて負傷だ、本当にこの方法しか無いのか? 俺はこれが正しいとは思えん」
「……いや、これで良い」
シャルルの言葉を遮る様にレオンは答えると、顔を上げた。
眼の下に、濃い色の隈が出来ている。
「慣れるまでは多少時間が掛かるかも知れないが……水泳や乗馬と同じだ。訓練と慣れで克服出来る」
レオンの答えにシャルルは首を振り、否定の意を示す。
「負傷による苦痛なんて克服のしようが無いだろう? 『知覚共有』に慣れる為の時間も、それほど残されちゃいない」
しかしレオンは、応じない。
「覚悟の上だ」
「そんな事をっ……!」
シャルルはレオンの言葉に、異義を唱えようとする。
が、黙したまま目を伏せているエリーゼを見て、口を噤む。
僅かに逡巡する様子を見せて後、シャルルはエリーゼに尋ねた。
「――エリーゼは、レオンの対応をどう考える? 仕合うのはキミだ、レオンの想いも結局は、そこに尽きるだろうから」
シャルルの言葉を受け、エリーゼは静かに顔を上げる。
「ご主人様のご提案は有難く――今はこれに勝る方針を思いつく事、叶いません」
穏やかな口調だった。
表情も、眼差しも落ち着いていた。
迷いの様な物は感じられない。
「そうか……」
シャルルは短く応じた。
応じながら、エリーゼの答えに不安を覚えた。
どういった種類の不安であるのか、解らない。
ただ、言葉に出来ない、微かな憤りを感じる。
レオンの事が心配では無いのか――そういう想いを感じた為か。
しかしそれは短慮だ、子供染みた考えだ。
レオンの為『ヤドリギ園』の為、実際に仕合を行っているのはエリーゼだ。
そんなエリーゼの判断を、無下に出来る筈も無い。
シャルルは目蓋を閉じ、指先で目許をマッサージしながら告げた。
「――解ったよレオン。可能な限り、お前の訓練につき合おう。ただ……せめて体調は整えろ。エリーゼの足を引っ張る事になる」
「ああ、解ってる……」
レオンは頷き、シャルルと同様にソファへ身体を預ける。
目蓋を閉じつつ言った。
「心配を掛けてすまない……シャルル」
レオンの言葉にシャルルは低く笑い、今更だろう――そう答えた。
◆ ◇ ◆ ◇
レオンは連日の様に、シャルルの邸宅にて訓練と実験を行った。
――が、芳しい成果を上げるには至らない。
いや、エリーゼの『神経網』に掛かる負荷は、確かに激減している。
問題はレオン自身の耐性だ。
ある程度の耐性は得られど、所詮は付け焼刃に過ぎない。
或いは長期に渡り、訓練すれば違うのかも知れない――が、時間が足りない。
トーナメント戦の開催まで、既に三週間を切っている。
また、レオンに掛かる身体的負担以外にも、『共鳴』時の過負荷に耐え切れず、溢れ出してしまう『血液混合希釈エーテル』の喪失も問題だ。
義肢が機能不全を起こしかねず、そうなれば『知覚共鳴処理回路』も正常に機能しなくなる。
この状況にレオンは、新たな方針の追加を余儀無くされていた。
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