第72話 高揚

 観覧席の貴族達は、アリーナで行われている演武に魅入っていた。

 手に汗握るほどのレベルに達している、皆がそう認識していた。

 にも拘らず、既に命を削る領域へ踏み込んでいる――とは誰も気づかない。

 閃き踊る刃の煌めきが、紅の色に変化する瞬間まで。

 観覧席の貴族達は、気づかないのかも知れない。


「……」

 

 しかし、シスター・マグノリアは気づいている。

 シスター・ジゼルの介添人として、西方門脇に設けられた待機スペースより、闘技場で行われているエキシビジョンを凝視している。

 そして眼前の状況に、危機感を抱いていた。

 

 ◆ ◇ ◆ ◇


 白銀の軽鎧を纏うルミエールの攻撃が、更に激しく加速する。

 両手に構えた鉄槍を、縦横無尽かつ変幻自在に打ち振るう。

 連続で刺突し、穂先を左右に振るって斬撃を放つ。

 旋回させては意表を突く攻撃を繰り出し、更には石突を握って殴打を狙う。

 精密にして大胆な攻撃が、明確な殺意と共に繰り出される。


 受けて立つ黒衣のシスター・ジゼルも、尋常では無い技量を以て対応する。

 正眼に長剣を構えたまま、槍の穂先を的確に躱し、逸らし、受け流す。

 眼にも止まらぬ速度では無い、丁寧な、そして術理に適った卓越した技だ。

 攻撃に転じる際は常に後の先、見事な見切りを以てカウンターを放つ。

 が、それは決定打に至らぬ。訳は明白だ。


 シスター・ジゼルの攻撃は、あくまで演武の範疇にあり、命を断つ業では無い為だ。

 対してルミエールは既に、エキシビジョンでは無く死合と決め込んでいる。

 死を賭し臨むルミエールを、技術のみで御するなど容易では無い。


 シスター・マグノリアの懸念はここにあった。

 シスター・ジゼル――山河の精霊である『オレイアス』の化身である彼女は、ドライアドにも似た聡明さと慈愛に溢れ、同時に自然界の厳しさを象徴するが如き攻撃性を併せ持つ、非常に優れたオートマータとして錬成されていた。

 適切な実戦経験を積ませた上で本戦へ参加させる事が出来たなら、彼女は間違いなく『グランギニョール』の最上位に食い込むだけの実力を有していた。


 しかし『枢機機関院』及び『錬成機関院』の方針として、公職に携わるオートマータの『グランギニョール』参加は原則認められずという方針により、シスター・ジゼルは実戦経験が無いまま、エキシビジョンを行うコッペリアとして闘技場へ立つ事になったのだ。

 或いは『オレイアス』としての魂が、実戦の記憶を有している可能性もある、だがそれは、仮初めの記憶に過ぎない。

 命の奪い合いを、実の伴わない仮初めの記憶で凌げるのか。


 それでもシスター・ジゼルの剣技に澱みは無い。

 ルミエールが放つ刺突の一切を、確実に無効としている。

 実戦経験は無くとも、天賦の才にて足りぬ経験を補っているという事か。

 

 攻防一致、完璧な戦闘。

 互いに踏み込み、互いに回避し、留まる事無く戦い続ける。

 二つの歯車が見事に噛み合い、小気味良く回転し続ける様な完全さ。

 薄氷の上で抜き身の白刃を手に、踊り続ける舞姫を見る様な危うさ。


 次第次第に、円形闘技場内に熱が満ちて行く。

 賭けの対象では無くとも貴族達は皆、興奮していた。

 過去に行われたエキシビジョンとは決定的に違う、密度の高い演武。

 これほどのエキシビジョンが行われようとは。


 観客の想いを汲むかの様に、管弦楽団が勇壮な曲を奏で始める。

 青いドレスを着たマスクの女が、透き通る高音を発する。

 貴族達もそれに倣い、口々に歌い始める。

 美しい高音に野太い低音が絡みつき、やがて歌声は激しい混声合唱となった。


 舞い踊るが如くに斬り結び、祈るが如くに血花咲かせよ!

 斬り結びてこそ輝ける魂、我らが神に捧げよ!

 これぞ人が咲かせる叡智の花ぞ!

 この世の悪意に抗う花ぞ!

 我らが聖女・グランマリー、見給えこれぞ聖なる戦ぞ!

 神に捧ぐる兵の舞を観給え、血花咲く様を観給え、御霊の許へ届き給え!


 闘技場内が一気に湧き返る。

 地鳴りの様な足踏み、突き上げられる拳。

 貴族達は汗に塗れ、喜色満面に声を上げる。

 人造乙女同志が刃を以て交錯する倒錯の宴に、狂喜する。

 アリーナの二人が斬り結ぶエキシビジョンは、仕合と同じ高みへ達していた。

 

 ◆ ◇ ◆ ◇


 シスター・ジゼルは高揚感を覚えていた。

 与えられた仕事を完遂する、その事に誇りを持っていた。


 この世は既に一〇〇年続く『喜ばしき凪の時代(カルム・エポック)』にあり、大規模な戦争も行われないと言われている、喜ばしい事だと思う、それでも抑止力は必要だ、それが我々だと――シスター・ジゼルはそう考えていた。

 が、シスター・ジゼルに抑止力として力を行使する機会は与えられなかった。

 上覧仕合に際してエキシビジョンを行う、それが彼女の任務だった。


 その事について、不満は無かった。

 抑止力としての『マリー直轄部会』――その実力を示す場だと思えば、不満など無かった。

 ただ、実戦経験の無い己が本当に『マリー直轄部会』の実力を示す存在として相応しいのか、真の有事に際し力を行使し得るのか、それを測る事が出来ぬ状況に、不安を抱えていた。


 その不安と迷いが今、払拭された。

 襲い来る必殺の攻撃を的確に躱し、致死に至る刃を完全に制している。

 命を賭けた状況にあっても、私は確実に仕事を遂行する事が出来る。

 私は『マリー直轄部会』の一員として、戦力足り得る。

 私は『マリー直轄部会』の実力を示す事が出来る。


 鉄槍を長剣で弾く、受け流す、凌ぐ、踏み込んで刃を振るう。

 死をもたらす加撃に対し、平常心にて抗する。

 エキシビジョンの時間は五分、その五分を完璧に制御する。

 シスター・ジゼルは持てる力の全てを存分に発揮していた。


 長剣を躍らせるシスター・ジゼルの、黒い修道服が波打つ。

 鉄槍にて襲い掛かるルミエールの、軽装鎧が白々と煌めく。

 休む事無く紡ぎ出される、一進一退の攻防。


 身体は軽く、流れのままに動く。

 心は波打つ事無く、僅かほども揺らが無い。

 どこまでも研ぎ澄まされ、張り詰めて行く。


 

 その時、身体を低く沈めたルミエールが、一際大きく踏み込んだ。

 シスター・ジゼルの足元を狙った刺突――からの薙ぎ払いだ。

 複数の攻撃を繰り出す中で放たれた、いわゆる崩し技の一種である。

 一撃必殺となる技では無いが、対応を誤れば死に繋がる。

 故に一切油断する事など無い。


 シスター・ジゼルはルミエールの刺突に合わせ、前方へ踏み込む。

 長物は懐へ飛び込む事で威力を制限出来る――その基本に則った立ち回りだ。

 更に、突き出された鉄槍の柄に長剣を沿わせ、左へ大きく払った。

 左前に構える槍の穂先を右へ払ったなら、次弾には繋ぎにくい。

 そのままシスター・ジゼルは、初手に放った柄頭でのカウンターを狙う。

 手首を返し、長剣を寝かせ、最小の動きにてルミエールの胸元へ。


「……っ!」


 そこへルミエールが、更に半歩踏み込む。

 柄頭を併せようとするシスター・ジゼルとの距離が、一気に詰まる。

 ルミエールは逸らされた鉄槍から左手を放していた。

 右腕一本で得物を保持、肘と脇で固定している。

 更に解放された左腕を折り畳み、シスター・ジゼルの頭部目掛けて、激しく肘を振るったのだ。

 エルボーによる攻撃か。


 シスター・ジゼルの放つ、柄頭でのカウンターに被せるタイミングだった。

 相打ちを狙うつもりか。

 長剣の柄頭が狙う個所はブレスト鎧の胸部分だ。

 一撃食らったとしても、致命傷では無いという判断か。

 ならばここは退き、距離をとって――。


「くっ……!?」


 が、次の刹那。

 シスター・ジゼルの頬から額までが、ざっくりと引き裂かれた。

 紅色の飛沫が飛び散る。

 距離にはまだ余裕があった筈だ。

 驚愕の形相で回避行動を取ろうとするシスター・ジゼル。


 力強く振るわれたルミエールの肘――その前腕を覆うガントレットから。

 長さ三〇センチ程の、仕込み刃が突き出していた。

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