第73話 危地

 闘技場内がどよめく。

 鮮烈な紅色を見た為だ。

 

 後方へと飛び退るシスター・ジゼル。

 左肘を振り切った姿勢のルミエールは追撃しない。

 結果、二人は三メートルの距離を挟み、再び対峙する事となる。


 白銀の軽鎧を纏ったルミエールは改めて腰を落とし、両手で鉄槍を構える。

 左前腕を覆うガントレットの肘部に、仕込みの刃がゆるりと収納される。

 シスター・ジゼルの右頬から額までを、斜めに斬り裂いた刃だ。


 対するシスター・ジゼルは手にした長剣を正眼では無く、八双に構える。

 顔の右半分が紅に染まり、溢れ出す濃縮エーテルが右眼を塞ぐ、死角を減らす為か、シスター・ジゼルは左半身を前に、握る剣は肩口まで引き、視界を確保している。

 

 しかしこの手傷は、危険だと言わざるを得ない。

 八双に構えを変えたからといって、即座に対応出来るものでは無い。

 

 ◆ ◇ ◆ ◇


 待機スペースにて闘技場を見守るシスター・マグノリアは、顔を上げた。

 観覧席前列上段に居並ぶ『枢機機関院』の、運営委員達を見遣る。

 赤紫色の布地に金の刺繍が施された修道服を纏う彼らは『コッペリア・ジゼル』が負傷したのにも関わらず、対応を取ろうとはしない。

 このままエキシビジョンを続行させるつもりなのだ。


 確かにエキシビジョンは仕合では無い、多少のトラブルがあれど、互いの配慮があれば大事に至らぬ様、調整する事が出来る。

 よほどの事が無い限り、上覧仕合の一環であるエキシビジョンが止められる事など無い。仮に、流血の伴う展開となっても、双方協力の元、無事に演武を終えられるだろうという判断か。

 しかしこのエキシビジョンは違う。

 コッペリア・ルミエールは、明確な殺意を以て攻撃を仕掛けている。

 先の攻撃――実戦ならばともかく、エキシビジョンで使うべき技では無い。

 その事に気づかぬというのか。


 シスター・マグノリアは会場内の時計へ視線を送る。

 エキシビジョン終了まで残り一分三〇秒……長い。


「ジゼル……」

 

 ◆ ◇ ◆ ◇


 驕りがあったか――シスター・ジゼルは奥歯を食い締める。

 ルミエールの繰り出す鉄槍での攻撃を、確実に捌いていた。

 刺突も、打撃も、斬撃も、薙ぎ払いも、全て的確に対応していた。

 しかしそうではなかった、そう感じていただけだ。

 殺意に平常心で抗する事は出来ても、殺意に対する認識が甘かった。

 殺意とは非情さであり、非情を伴い放たれた技を見切る事が出来なかった。


 しかも動揺している、精神が揺らいでいる。

 ルミエールの放った技を『卑怯』だと『有り得ぬ』と感じている。

 この心理こそが。

 状況を見誤っている証拠だ。


 『有り得ぬ』事など無い。

 『卑怯』も無い。

 全てが有り得る、それが戦場であると知っていた筈だ。

 そう認識し、記憶していた筈だ。

 ただしそれは精霊としての、仮初めの記憶。

 故にその認識は――


 見合う間は、ごく僅かだった。

 殺意を持って臨む相手が、この好機を見過ごす筈など無い。

 ルミエールは激しく踏み込んで来た。

 否――右側だ、右側面から回り込もうとしている。

 シスター・ジゼルは俊敏に反応して向きを変える、迎撃の構えだ。


 ルミエールは鋭いステップを見せながら、鉄槍にて刺突を狙う。

 連続して突き出される穂先を、シスター・ジゼルは的確に逸らす、流血で片目が塞がっているとはいえ、その剣捌きに乱れは無い。


 二合、三合、四合……剣と鉄槍が交錯し、火花が飛び散る。

 ルミエールの強烈な攻撃を、シスター・ジゼルは最小の動きで制し続ける。

 但し、カウンターを取る動きは見せない、片目故のリスクを嫌ったか。


 五合、六合、七合……そこから一際力強く撃ち込まれた八度目の刺突。

 ルミエールは左半身前に構えたまま、握る手の中で鉄槍を滑らせ、大きく距離を伸ばす様に突き込んで来た。

 慌てる事無く穂先を横へ払うシスター・ジゼル。

 鋭い穂先は黒い修道服に触れる事無く、側面を通り抜ける。

 直後、シスター・ジゼルは微かな金属音を聴いた。


「……っ!?」

 

 石突に近い個所を握るルミエールの右手が、捻る様に動いていた。

 真っ直ぐな素槍状の穂先から、左右に一五センチずつ、刃が迫り出していた。

 それは十文字槍の形状だった。

 

 疾風の勢いで通過した穂先が、同じ速度で引き戻された時。

 シスター・ジゼルの左肩から、夥しい量の鮮血が吹き上がる。

 変形した穂先に引き裂かれたのだ。

 片目故、目測に誤りがあった。


「しまっ……」


 シスター・ジゼルは姿勢を崩す。

 そこへ追撃の刺突が迫る、穂先を弾こうと長剣を――左腕が上がらない。

 想像以上に傷が深い、肩の筋を断ち切られている。

 右腕一本で刃を振るい、身体ごと移動して刺突を回避する……が、穂先が引き戻される時、膝裏に衝撃を感じた。斬り裂かれていた。


「あぅっ……」


 がくりと右膝が折れ、石床の上に膝を着く。

 腕の力が足りず、鉄槍の軌道を完全に逸らす事が出来なかった。

 いずれにしても脚へのダメージは不味い。


「くうっ……」


 ルミエールの攻撃は止まらない、十文字の穂先が突き出される。

 シスター・ジゼルは床の上へ飛び込み、ギリギリで避ける。

 しかし既に右脚が効かず、ここから立ち上がる事は難しい。

 更に左腕も効かない、右眼も見えない。

 その上、手にしていた長剣すら絡め取られ、弾かれてしまった。


 必殺の刺突は留まる事無く、連続で繰り出される。

 石床の上を転がり、懸命に回避するシスター・ジゼル。

 ――が、とても避け切れるものでは無い。


「うぐぅっ……」


 次第次第に傷が増える。

 胸元を切り裂かれ、血飛沫が宙に飛び散る。

 脇腹を切り裂かれ、石床に紅色の染みが撒き散らされる。

 太腿を深く抉られ、回避すら出来なくなる。


 観覧席にてエキシビジョンを見下ろす貴族達が、汗塗れで狂喜する。

 拳を振り上げ、熱狂と共に席を立ち上がる。

 歌だ、歌を歌わなければならない。


 恐れを知らぬ勇猛な魂よ! 聖戦の果てに昇天する意思よ!

 我らが聖女・グランマリーの御許に還り給え!

 新たなる叡智の礎となりて! 再び我らの元へ戻るその時まで!

 痛みは再生の源、死は安息、練成の奇跡に現れし戦乙女よ!

 眠れ眠れ、永久に! 眠れ眠れ、恐ろしくはない!


 怒涛の鎮魂歌が闘技場内に吹き荒れる。

 このエキシビジョンの行く末は決死決着しか有り得ぬと、皆が考えている。

 闘争と、暴力と、血と、死を望みながら、皆が絶叫する。


 大歓声と凄絶な鎮魂歌の中、シスター・ジゼルは床の上へ頽れる。

 両脚が効かなくなったのだ。

 右腕で上体を起こすが、もはや打つ手が無い。

 もちろん、ルミエールの攻撃は途切れない。

 殺意とは、殺す意志を完結させる事に意味がある。

 ここで留まる筈など無い。

 渾身の刺突が、シスター・ジゼルの喉元へ吸い込まれる。


「――くっ!!!」


 鮮血がしぶいた。

 鋭い穂先が皮膚を裂き、肉に食い込んでいた。

 しかし必殺の穂先はシスター・ジゼルの喉を貫通する事無く停止する。

 戦闘用オートマータの圧倒的な膂力にて突き込まれたのにも関わらずだ。

 ルミエールは両眼を見開いていた。


「……っ!?」


 全力で突き出された鉄槍、その穂先は。

 横合いから唐突に差し伸べられた左腕――その前腕部に突き刺さっていた。

 その左手は、硬く握り締められている。

 二人の間へ飛び込んだ人物を、ルミエールは見遣る。


 漆黒の修道服。

 漆黒のロングヘア。

 漆黒の瞳。

 抜き身の刃を思わせる野性的な美貌。


「――エキシビジョン・マッチだと聞かされていた」


 感情を押し殺した、低い声。

 シスター・マグノリアだった。

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