第71話 殺意
闘技場にて対峙する二人のコッペリアは、見合ったまま動かない。
しかし、見合う二人の間には明確な温度差があった。
シスター・ジゼルは、怪訝そうな眼差しでルミエールを見つめている。
納得しかねる何事かを感じている様な、そんな表情を浮かべている。
対するルミエールは、空虚な眼差しでシスター・ジゼルを見ている。
いや、見ていると言うより――前方の景色を瞳に映しているだけに思える。
どういった些細な感情の動きも読み取れぬ、醒め切った目つきだった。
オーケストラ・ピット脇に設けられた演壇にて、司会の男が声を上げる。
「まずは西方門より出でし戦乙女! 我らが聖女・グランマリーに仕えし求道の信徒! 剣技の冴えは無二無双! その魂は山河を駆けるニュンペー・オレイアス! 『マリー直轄部会』所属! シスタァアア・ジゼェエエエル!!」
耳慣れたコールに合わせ、観覧席の貴族達がアリーナへ拍手を送る。
ただし、歓声や足踏みの類いは起こらない。
賭けの対象とはならないエキシビジョン・マッチだ、そこまでの盛り上がりには至らない。
また通常の仕合とは違い、司会者による『前世』の紹介が行われる。
儀礼的なエキシビジョン故、駆け引きの要素が皆無である為だ。
「そして東方門より出でし戦乙女! ガラリアの国内治安を維持する鉄壁の守護者! 電光石火の槍術は護国の要! その魂は天空を舞う翼・ハルピュイア! 『錬成機関院』所属! ルミエェエエエルゥッ!!」
改めて拍手が巻き起こる。
ルミエールの所属は『錬成機関院』だが、ガラリアの治安維持を行う『高等衛兵院』が事実上の預かり先となっている為、コールの内容もそれに準じた物となっていた。
「――それでは両者共に! 持てる技術の粋を尽くす様に! ――構えて!」
黒いラウンジスーツを身に纏う司会の男は、伝声管に向かって叫ぶ。
シスター・ジゼルは煌めくロングソードを正眼に構える。
ルミエールは鈍く光る鉄槍を両手に、腰を落とす。
虚無的な瞳でシスター・ジゼルを見つめるルミエールに変化は無い。
対するシスター・ジゼルは表情から迷いが消え、瞳に強い光が宿り始める。
「始めぇっ……!!」
開始を告げる男の絶叫を合図に、白く輝く軽装鎧姿のルミエールが動いた。
仮面の如き無表情とは裏腹な、一気呵成の突撃だった。
低い姿勢で真っ直ぐに踏み込み、両手に構えた得物を激しく突き出す。
閃光と化した鉄槍の長さは、二三〇センチ超。
鋭利な穂先がシスター・ジゼルを刺突するのに、一呼吸すら不要だ。
黒い修道服の胸元へ、鋭い一撃が何の躊躇も無く吸い込まれて行く。
交錯の瞬間、シスター・ジゼルは半歩後ろへと下がった。
次いで構えた長剣にて鉄槍を下方へ払い、受け流す。
その動きは素早くも無ければ、力強くも無い。
ただ、驚く程に洗練されていた。
高速の鉄槍を緩やかに打ち払ったシスター・ジゼルは、流れのままに長剣を寝かせると、柄を握る右手はそのままに、左手を刀身に沿え、構えた柄頭を前へ差し向けつつ、大きく踏み込んだ。
突撃するルミエールの胸元――ブレスト鎧へ、真っ直ぐに合わせたのだ。
それは完璧なタイミングで放たれた、最短のカウンターだった。
加速からの刺突を狙ったが為、ルミエールの重心は前方へ傾いている。
とても避け切れるものでは無い――と、そう思われた、しかし。
下方へ払われた鉄槍の穂先は、石板で組まれた床へ到達する。
火花を散らして滑り、そのまま石板の隙間と捉える。
穂先が固定され、鉄槍は緩やかな弧を描いて撓る。
鋼の弾力――その反動を利用し、ルミエールは後方へと距離を取ったのだ。
観覧席から一斉に感嘆の声が漏れた。
一瞬の攻防ではあったが、貴族達の多くが神妙な技に魅入っていた。
それはシスター・ジゼルの動きが、流麗かつ目視可能であったからに他ならない。
速度では無く精妙な技量を以て、ルミエールの刺突を制したのだ。
それはシスター・ジゼルの実力を明確に示していた。
対するルミエールの技も尋常では無い。
初手の突撃にしても、シスター・ジゼルで無ければ死を以て決着していたところだ。
しかも刺突に対する完璧なカウンターを、易々と回避している。
『グランギニョール』序列二位、三位、どちらも名誉枠とされているが、しかし実際には、その序列に相応しい技量を有したコッペリアが、ガラリアの公的機関からそれぞれ選出されている。
その実力は、実際に仕合を行うコッペリアと比較しても、遜色の無いものである事は明白だった。
再び得物を手に見合う両者。
シスター・ジゼルは変わる事の無い、正眼の構え。
ルミエールは左前半身の構えにて腰を落とし、鉄槍の穂先を突き出している。
距離はさほど離れてはいない、三メートルといったところか。
「――あなたが誰であれ、どの様な意志をお持ちであれ、私は私の仕事をこなすのみです」
煌めく刃越しにルミエールを見つめ、シスター・ジゼルは低く言った。
その言葉にルミエールは反応しない。
熱を感じさせない眼差しで、シスター・ジゼルを見つめる。
が、次の刹那、ルミエールは新たな一手を仕掛けた。
鉄槍の撓りを利用し、穂先を旋回させつつ突き込んだのだ。
風を引き裂く鋭い刃は、空間に光る螺旋を描き上げる。
そのまま正眼に構えられた長剣を巻き込む様に払い落とすと、シスター・ジゼルの胴体を貫かんと迫った。
先の攻撃も、今の攻撃も、些かの手加減も感じられない。
僅かでも回避を誤れば死に至る、それほどの圧を感じさせる攻撃だ。
そんな危うい攻撃に対しシスター・ジゼルは、軽く左へ踏み込み移動する。
鉄槍の旋回に巻き込まれ、下方へと払われた刀身は、しかし柔らかな手首の返しを以て刃の向きを変えると、突き込まれる穂先を緩やかに脇へと逸らした。
その流れのままに前方へと踏み込みつつ、シスター・ジゼルは右下段からの斬り上げを狙う。
鉄槍を突き出した姿勢のルミエールは素早く両腕を交差させ、下段から旋回させる様に石突部分を前方へ跳ね上げると、シスター・ジゼルの一閃を弾いた。
振るった鉄槍は留まる事無く、ルミエールは後方へと送った穂先を、旋回の遠心力を以て、背面から前方へと弾き出す。
意表を突く背中越しの攻撃を、しかしシスター・ジゼルは冷静に捌き、一旦距離を取ろうとする。
が、ルミエールはそれを許さず、鉄槍を高速で横旋回させ、縦旋回させ、刺突では無く叩きつける様に用いての連続攻撃を行う。
強烈な撓りと共に、縦横に襲い来る鉄槍の連撃を、シスター・ジゼルは僅かな体捌きと精緻な剣技を用いて、確実に逸らし、受け流し、同時に攻撃を狙う。
斬撃、刺突、殴打、晦まし、欺瞞、迎撃。
鮮烈な技が繰り出され、めまぐるしく攻防が入れ替わり、得物を振るう二人の間に、無数の火花が乱れ飛び散る。
観覧席にてアリーナを見下ろす貴族達が、興奮を隠しきれずに声を上げる。
エキシビジョン故に如何ほどの金銭も賭けられてはいない、にも拘らず居並ぶ貴族達は、対峙する二人のコッペリアに目を奪われている。
振るわれる剣の軌跡に魅了され、薙ぎ払われる鉄槍の残像に心が躍る。
シスター・ジゼルとルミエールによるエキシビジョンは、それほどのレベルに達しているのだ。
しかし、西方門脇の待機スペースにてエキシビジョンを見守る、シスター・マグノリアの表情は険しい。
ルミエールの攻撃に、異質な物を感じているのだ。
「……」
本来『グランギニョール』で行われるエキシビジョンは、技術を披露する為の場であり、加撃する事無く止めを用いるべきとされている。
とはいえ、互いに高い技術を持つ者同士であるなら、危険な技術を披露する中で、ギリギリの線を超えた攻防が行われる場合もある。
それでも暗黙の了解を、互いが認識している中でのやりとりだ。
意図的に殺傷を狙う事は決して無い。
にも拘わらず、ルミエールの攻撃は違う。
明確な殺意に基づき、刃が振るわれているとしか思えない。
ルミエールとシスター・ジゼルは、過去に幾度もエキシビジョンを行っているが、ルミエールが致死性の高い攻撃を仕掛けて来る事は無かった。
今日のルミエールは決定的に違う。
鉄槍を振るう姿自体は変わらぬ筈なのに。
まるで別人だ。
対するシスター・ジゼルは、殺意と共に繰り出されるルミエールの刃を、あくまでエキシビジョンとして捌いている。
攻防ともに殺気を帯びる事無く、確実な剣技を用いて対処している。
美しく研ぎ澄まされた技術に、僅か程の曇りも無い。
――しかし。
刃を振るう上で殺意の有無は、不可視の差となって生ずる。
シスター・マグノリアは、その差を懸念していた。
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