第70話 疑念

 広々とした石造りの通路を、エーテル水銀式の黄色灯が照らしている。

 灯りの下を歩くのは『グランマリー教団・マリー直轄部会』の面々だ。

 皆、黒い修道服を翻し、足早に闘技場入場門を目指している。


「――教義的にも人道的にも間違った事をしたとは言わん、しかし時間に遅れるのは困る。エキシビジョンとはいえ上覧仕合の一環だぞ」


「解っている、反省している」


 痩身の司祭は、厳めしい表情のまま小言を述べる。

 隣りを歩くシスター・マグノリアは、正面を見据えたまま答える。


「あまり気にしなくても良いですよ。『コッペリア・ルミエール』とは過去に何度も手合わせしていますし。介添人は不用なくらいですから」


 二人の後ろについて歩くシスター・ジゼルが、取り成す様に口を挟む。

 司祭は肩越しにシスター・ジゼルを見遣り、厳しい口調で言った。


「気を抜くんじゃない、シスター・ジゼル。エキシビジョンであってもな」


「はい、 ランベール司祭」


 シスター・ジゼルは短く切り揃えた前髪を揺らし、素直に首肯する。

 その表情に緊張の色は無い、口許に柔和な笑みを湛えたままだ。

 どう見ても、一般的なグランマリー教団のシスターにしか見えない。

 それでも彼女は『グランギニョール・序列三位』という立場にある。

 両手に携えたロングソードの鞘には、聖女・グランマリーを讃える聖句が刻まれていた。

  ランベール司祭は軽く頷き、改めてシスター・マグノリアに視線を送る。


「――それで? その『エリス』との接点を作る事は出来たのか?」


「いや、駄目だった」


 シスター・マグノリアは即答する。

 ランベール司祭の目つきが鋭くなった。


「……駄目だった? メンテナンスを申し出たんじゃないのか? あの状況、キミならそうすると予想していた、その申し出を断られたという事か? 『コッペリア・エリーゼ』のメンテナンスは、負傷したマルブランシュの息子が一人で行っていたと聞いている。キミの申し出は、渡りに船だと思ったんだが」


「――救護室へ搬送中の『コッペリア・エリーゼ』に直接、メンテナンスを請け負う旨、申し出た。在俗区の司祭から孤児院運営に関する話も聞いている、必要なら一時的に『マリー直轄部会』で君のメンテナンスを行っても良い……そう持ち掛けた」


 シスター・マグノリアの言葉が続く。

 背後を歩くシスター・ジゼルも耳を傾けている。


「私の提案に異を唱えたのは『コッペリア・エリーゼ』の搬送に同行していた救護班のスタッフだ。『マリー直轄部会』が『衆光会』所属のコッペリアをメンテナンスする事は認められないそうだ」


「――妙な話だ。そのスタッフは、どういう根拠を提示したんだ?」


 口許を歪めるランベール司祭。

 シスター・マグノリアは答える。


「今回の『グランギニョール』終了後、主催者側より『序列一位から八位までのコッペリア』を擁する団体に対して『相互不干渉』の要請が行われるそうだ。正式な通達は閉会式にて行われると言っていた」


「……『相互不干渉』の範囲に『マリー直轄部会』や『錬成機関院』も含まれるという事か? それはベッティング対象に対する措置だ、我々は博打になぞ参加しないと再三伝えたのに不愉快な話だな。閉会式での通達を確認した上で『枢機機関院』に問い質すか」


 眉間に深い皺を刻み、ランベール司祭は吐き捨てる様に呟く。

 『枢機機関院』と『マリー直轄部会』。

 いずれも『グランマリー教団』に属する公的な組織ではあるが、二つの組織は軽い対立関係にあった。


 『グランマリー教団』の実務を担う『枢機機関院』は、教皇『マリー』を補佐する五〇名の『枢機卿』達に維持されており、数多くの有力な貴族達と提携、更に『枢機機関院』とも協調する事で絶対的な権勢を獲得、その影響力はガラリア帝国議会の中枢にまで及んでいた。


 一方『教皇マリー』の警護を担う名目で設立された『マリー直轄部会』は、その独立性の高さから神聖ガラリア帝国の国防に深く関わっており、また『枢機卿会派』とは意見を異にする『在俗区派閥』の支持も篤く、更に『枢機機関院』内部にも複数のシンパが存在する、特殊な治安維持組織として知られている。


 対立の原因は利権の衝突、或いは派閥の違いと言うべきか。

 いずれにせよ、人が集まれば必ず派閥が出来る。

 それは信仰を以て繋がる『グランマリー教団』であっても同じという事だ。


 通路の奥から、ざわめきと管弦楽団の演奏が聞こえ始めると、三人の向かう先に、巨大な鉄扉が見えて来る。

 ランベール司祭は立ち止まると、低く告げた。


「私は座席へ戻る。後は頼む。『枢機機関院』には私が掛け合う」


「はい。ランベール司祭」


 シスター・ジゼルは穏やかな面持ちで返答する。

 その傍らで、シスター・マグノリアも頷く。

 ランベール司祭は、観覧席へと続く狭い関係者用通路に姿を消した。


 二人のシスターは入場門を見据えたまま、再び歩き始める。

 闘技場へ近づくにつれ、漂う熱気が肌に絡むのを感じる。

 先に行われた仕合の興奮が醒めやらぬ状況なのだろう。 


「シスター・ジゼル、気をつけた方が良い。状況に不穏な物を感じる」


「――心得ました。シスター・マグノリア」


 シスター・マグノリアは低く警告する。

 シスター・ジゼルは静かに応じる。

 愛らしい顔立ちに、格段の変化は無い。

 ただ、優しげな目許に光が宿っている。

 

 門の前に辿り着き、二人は立ち止まる。

 シスター・ジゼルは、手にした長剣を鞘から抜き出す。

 鞘をシスター・マグノリアに預け、抜き身の剣を右手で保持する。

 眼前の入場門が、ゆっくりと解放された。

 

 ◆ ◇ ◆ ◇


 叩きつける様な、激しい歓声などは無かった。

 潮騒を思わせる拍手のみが、静かに押し寄せて来た。

 賭けの対象とはならないエキシビジョン・マッチだ。

 観覧席に居並ぶ貴族達の反応は、当然と言えた。


 代わりに、くぐもったスチーム・オルガンの音色がはっきりと聞こえた。

 管弦楽団の力強い演奏が、オーケストラ・ピットから朗々と響いた。

 目許をマスクで隠した青いドレス姿の女が、白い喉を震わせ歌い始めた。


 見よ! かの者を見よ! 現世に降り立ちし戦乙女の姿を見よ!

 崇めよ! かの者を崇めよ! 練成の奇跡に現れし戦乙女の勇姿を崇めよ!


 小声で雑談に興じていた貴族達も、蕩ける様な美声に誘われ、声を発する。

 声は歌となり、徐々に連なり、やがて清と濁の混声合唱となって湧き上がる。


 祈り捧げし求道の乙女! グランマリーの剣となりて!

 清浄なるかな賛美の乙女! グランマリーの力となりて!

 この世の悪意を刈り取る兵! この世に光をもたらす乙女!


 聖歌が反響するアリーナを、シスター・ジゼルは悠々と歩く。

 右手には抜き身のロングソードが携えられている。

 黒い修道服に包まれた身体は、どちらかと言えば小柄だ。

 しなやかではあっても、強靭さを秘めている様には見えない。

 短く切り揃えられた艶やかな頭髪に童顔。

 本当に剣を扱えるのかどうか、知らぬ者なら訝しく思えるだろう。

 それでも彼女は『グランギニョール』序列三位の『コッペリア』なのだ。

 闘技場の中央まで進み出たシスター・ジゼルは、そこで足を止めた。


 直後、アリーナの対角線上に位置する巨大な鉄扉が、音を立てて開かれる。

 門の奥から歩み出て来たのは、白金に輝く軽量鎧を身に纏った娘だ。

 『グランギニョール』序列第二位、『錬成機関院』所属。

 『コッペリア・ルミエール』だった。

 

 両手に携えた長大な得物は、鈍く光る鉄槍だ。

 彫金装飾の施されたバック・アンド・ブレストが、胸元を覆っている。

 前腕部には蛇腹構造のガントレット、足元ではグリーブが白々と輝いていた。


 すらりと身長が高く、流麗な曲線が身体のラインを美しく形作っている。

 髪の色はブロンドでショートにカットされており、整った相貌に映える。

 端麗な容姿の娘だった。

 

 ――が。

 シスター・ジゼルを見据える眼差しは、驚く程に凍てついていた。

 感情の籠らぬ冷たい瞳は、ガラス玉の様な空虚さを漂わせていた。

 シスター・ジゼルは歩み寄る対手を見つめ、微かに眉を顰める。

 

 やがて二人のコッペリアは、闘技場中央で向かい合った。

 その距離およそ、六メートル。

 どちらも身動ぎせず、黙して見合う。


 観覧席に設えられた演壇へ、初老の男が近づいた。

 そのまま壇上の伝声管に向かい、大声で宣言する。


「只今より! ガラリア皇帝陛下・第二皇子! エリク・ドミティウス・ドラージュ・ガラリア様にご高覧頂く! 五分間のエキシビジョン・マッチを行います!」


 アリーナへ向け、観覧席から盛大な拍手が降り注ぐ。

 無数の拍手を全身に浴びつつ、シスター・ジゼルは『コッペリア・ルミエール』を怪訝そうに見つめていたが、やがて低く問い掛けた。


「……貴方は、どなたです?」

 


※次回の更新は10/24(土)となります。

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