第63話 異変

 光り輝く鋭利な曲線が、幾何学的な文様を描き上げる。

 幾筋も、幾筋も、眩く明滅しながら風を引き裂く。

 或いは不意に静止すると、半透明の真円となって空間に滲む。


 エリーゼの両腕は留まる事無く、めまぐるしく踊り続ける。

 その指先は、艶めかしく揺らめき靡く。

 背中に装備した特殊武装『ドライツェン・エイワズ』から蒸気が溢れる。

 紡ぎ出された特殊ワイヤーを、爪弾き、操り、波打たせては息吹を与える。

 宙を舞うのは十二本のスローイング・ダガーだ。


 片膝を着き、ワイヤーを操るエリーゼは紅色に染まっている。

 夥しい数の裂傷を全身に負い、血飛沫が点々と飛び散る相貌は蒼白に近い。

 更には、靡き続ける両の腕すら、薄紫色に淀んで見える。

 酷使に次ぐ酷使に耐え兼ね、内出血を起こしているのだ。

 それでもエリーゼの表情に、苦痛の翳りは無い。


 対するグレナディは、エリーゼの正面、五メートルの位置にて刃を振るう。

 全身に裂傷、肩と脇腹、背中に撃ち込まれたダガーが突き立っている。

 にも拘らず、左右の得物を打ち振るう姿に、乱れや衰えはない。

 精密機械を思わせる完璧な動作だ。


 今ここに至り、グレナディの望む事は必勝のみだ。

 身体的ダメージは深い。

 が、エリーゼのダメージも間違い無く深い。

 先の攻防で放った脇腹への打撃、明確な手応えを感じている。

 少なくとも肋骨を数本、砕いた筈だ。

 

 この攻防で決まる――グレナディは思う。

 エリーゼもきっとそう考えている。

 互いにダメージの深さ故、行動に支障が発生する瀬戸際まで来ている。

 先に限界を迎えた方が敗北する。


 いや、その瞬間が訪れる前であっても、勝機と見れば斬る。 

 もはやどの様な形であっても勝利する。

 ヨハンの為に、エリーゼに勝利する。

 絶対の勝利を。


「逃さないっ……」


 断続的に飛来するダガーを叩き落としつつ、グレナディは低く言葉を発する。

 呼応する様に飛翔するダガー群が、鬼火の様に揺らめいた。


 直後、円形に連なるダガー群のうち六本が、一斉に射出される。

 更に残る六本も、蛇行する銀のラインを描いて解き放たれる。

 全ての切っ先が、中心のグレナディ目掛けて収束してゆく。


「ふっ……!」

 

 途端にグレナディの姿が霞む、小さな跳躍と共に高速で旋回していた。

 左右の獲物が朱と白銀の輝きとなり、空間を切り裂く。

 オレンジ色の小さな火花が、辺り一面に咲き誇る。

 弾き、逸らし、撃ち落としている。

 それは圧倒的な鉄壁の左証だ。

 全方位からの同時攻撃であっても、虚を突かねば、グレナディには届かない。


 それでもエリーゼの攻撃は途切れない。

 血に塗れた腕が艶めかしく波打ち、白い指先が踊る。

 風切り音は鳴りやまず、ワイヤーが縦横に連なり流れる。

 流星の如き勢いで飛び交うスローイング・ダガーの煌めき。

 何本も、何本も、続けざまに、矢継ぎ早に襲い掛かる。

 打ち払われ、叩き落されたとしても、唸りを上げつつワイヤーが絡め取る。

 そこから更に、フックを用いて折り返す様に射出、投擲を繰り返す。

 神業としか表現しようの無い技術だ。


 それでもグレナディはダガーを弾く。

 血の滲むドレスを閃かせては跳躍し、華麗自在に刃を振るう。

 着地と同時に身を沈め、あらゆる加撃を叩いて落とす。 

 握る得物を順手逆手と瞬時に切り替え、一切のミスを犯す事無く対応する。

 「天眼通」にて把握し「神経網」にて反応する、こちらも極限の神業だ。


 徐々に間合いを詰めつつ、グレナディは考察する。

 ワイヤーを用いた全方位からの攻撃は、確かに脅威だ。

 僅かでも集中力を欠けば怒涛の乱打に押し切られ、敗北の可能性すらある。

 ――が、そう長く続けられる技では無い筈だ。

 これまでの戦闘が、それを証明している。

 十二本ものダガーを同時に操作しているのだ。

 神業の如きジャグリングといえど、三度か四度の折り返しで精度が落ちていた。

 故にディフェンスを固め、鉄壁を持続するなら。

 エリーゼの連続攻撃は、いずれ失速する。

 そしてそのタイミングにつけ込むならば。

 一気に攻守を逆転出来る筈だ。 

 それがグレナディの読みであった。


 不意にエリーゼは、バネ仕掛けの様に後方へ跳ね、距離を取る。

 僅かずつ距離を詰めようと動くグレナディに、反応したのだ。

 この攻撃が終了した際、一気に踏み込まれる事を嫌ったか。

 いずれにせよこの行動に対し、グレナディは強引なアプローチを仕掛けない。


 ――否。

 仕掛けられずにいた。

 飛来するダガーの勢いが衰えないのだ。


 前後左右にワイヤーがうねり、次々と十二本のダガーが撃ち込まれ続ける。

 これをグレナディは左右の獲物で確実に防ぐ、防ぎ続けている。

 それでもダガーは際限無く、撃ち返されて来るのだ。

 想定していた回数……三度、四度の折り返しは、とうに超えている。

 七度、八度、九度、回数は増え続けて行く。留まる事無く攻撃が続く。


 つまりエリーゼは、徹底的な持久戦を選択したという事だ。

 この連続攻撃にて、こちらの防御を崩すつもりなのだ。

 或いは、どこかで奇策に打って出るか。

 ――が、これ程の連続攻撃だ、その余裕はあるまい。

 ただ、余裕が無いのはこちらも同じだ。


「くっ……」


 息詰まる様な憔悴と疲労を感じる。

 全神経を研ぎ澄まし、鉄壁の防御に徹した状態での戦闘。

 跳躍と旋回、斬撃を回避、完全な動作。

 ミスを犯さず対応し続ける程に、プレッシャーが増して行く。

 視界が滲み、揺らぎ、白く霞む。


 それでも、読みが外れたとは思わない。

 この攻撃は、間違いなくエリーゼ自身に強烈な負担を強いる技だ。

 耐え切れば、凌ぎ切れば、一気に流れがこちらへと傾く事は明白だ。


 何故なら見えている。

 エリーゼの疲労が、限界が見えているからだ。

 

 距離を取ったエリーゼは、再び床に片膝をついた姿勢だ。

 俯き気味にこちらを見つめる、白々と張り詰めた表情に変化は無い。


 しかし――鼻孔から溢れ出し、頬へと伝う流血。

 更には唇の端からも、細く血の糸が垂れ始めている。

 極度の集中によるものか。

 或いは、先の攻撃で折れた肋骨が内蔵を傷つけたか。

 何れにせよそれらは、エリーゼの危機を示す印だ。

 ならば、その限界まで押し込む。


 白銀と朱色の閃光を纏い、グレナディは高く低く舞い続ける。

 血の糸を引く両腕を躍らせ、エリーゼはダガーに息吹を送り込む。

 十二本のダガー群は光線と化して、縦横無尽に空を切り裂き、光を放つ。

 それは、血と死に彩られた輪舞だった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ 


 円形闘技場の最上段に設けられた、個室仕立ての豪奢なバルコニー席。

 その男はオペラグラス片手に、闘技場で行われている死闘を見下ろしていた。


 青い瞳にブラウンの頭髪、ウェーブ掛かった形にすっきりと纏められている。

 品良く整えられた口髭が似合う、美丈夫といった風情だった。

 歳の頃なら三〇代半ば、背が高く、引き締まった身体にシルバーグレーのタキシードを纏っている。

 ビロード張りの椅子に腰を降ろしつつ、同じくビロード張りの欄干に腕を乗せ、ゆったりと身体を預けているのだった。


 ガラリア・イーサの『特別区画』で暮らす者ならば、誰もが知っている筈だ。

 個人資産として多くの不動産と株を所有、『錬成機関院』の特別顧問をも務め『グランギニョール』の発展にも尽力する切れ者――ガラリア皇帝『ヴァリス四世』の第二皇子。

 エリク・ドミティウス・ドラージュ・ガラリアだった。

 エリク皇子は口を開いた。


「コッペリア同士の仕合は何時だって愉しいものだが……彼女達の仕合は格別だ、とても良い。しかも例の『コッペリア・エリーゼ』が、序列四位……実質二位の『コッペリア・グレナディ』相手に、ここまで善戦するとはね――素晴らしい性能だ。あの身体は、本当に戦闘用では無いのだね?」


 闘技場を見下ろしたまま、エリク皇子は楽しげに呟く。

 その問いに答えたのは、皇子の傍に立つ、もう一人の男だった。


「勿論ですよ、皇子――」


 男は長身痩躯に良く似合う、紫紺色のタイトなスーツを着こなしていた。

 輝く様な白いシャツの襟元では、白いクラバットが揺れている。

 グレーの瞳にグレーの頭髪、左目には細い鎖が揺れる銀のモノクル。

 年齢は五〇代半ば程か、しかし口許に浮かぶ笑みは妙に子供っぽい。

 一際目を惹くのは、ゴールドに輝く精密な機械仕掛けの左腕だ。

 ガラリア・イーサに於いて、黄金義手の使用者は、唯の一人しか存在しない。

 ガラリア随一の天才錬成技師――マルセル・ランゲ・マルブランシュだった。


「――『コッペリア・エリーゼ』の身体、アレはボクの息子・レオンが錬成したものですが、誰に似たのか随分とへそ曲がりな奴でしてね。『グランギニョール』の意義を問う為に、わざわざ錬成機関院付属学習院卒の肩書きを棒に振って、『コッペリア』としてでは無く『愛玩用』の身体に錬成したんですよ。ははっ……」


 マルセルは小さく笑うと、手にしたワイングラスを傾け、唇を湿らせる。

 余人であれば、不敬の謗りを受けかねない態度だ。

 が、ガラリア屈指の天才錬成技師であるマルセルは特別なのかも知れない。

 エリク皇子は微笑みを浮かべたまま、気にした風も無い。

 個室入口に立つ皇子護衛の近衛も、スーツ姿のまま身動ぎひとつしない。


「……まあ、そんな偏屈な奴ですが、錬成技師としての腕は悪くない。『コッペリア・エリーゼ』に組み込まれた『エメロード・タブレット』……あれは錬成機関院推奨の『規格』に則った物じゃ無い。以前、皇子にお伝えした通り――」


 マルセルは言葉を切り、ワイングラスをサイドテーブルの上へ置いた。

 そのまま、傍らのソファへ右手を伸ばす。

 そこには純白のシュミーズ・ドレスを纏った娘が背筋を伸ばし、座していた。

 天に愛でられているとしか思えない程の、白い美貌の娘だった。


 ゆったりとウェーブを描くブロンドのロングヘアは、眩い程に輝いていた。

 エメラルド・グリーンの双眸は、宝玉の煌めきを思わせた。

 繊細な柳眉、形の良い鼻梁、蠱惑的な微笑みを湛えた紅い唇。

 そして一切の無駄を省き構成された、美の結晶としか思えない完璧な肢体。

 背筋が凍る程に、研ぎ澄まされた娘。

 グランギニョール・序列第一位。

 『コッペリア・オランジュ』だった。

 マルセルはオランジュの肩に手を置くと、笑顔で言う。

  

「この子――オランジュに組み込んだ魂の憑り代と同種、五〇年前『エリンディア遺跡』で発掘された『タブラ・スマラグディナ』、いわゆる『神性帯びたるエメロード・タブレット』の深化複製品が使用されている……」


 エリク皇子は楽しげな笑みと共に、オランジュへと視線を送る。

 オランジュは蕩ける様な微笑みを湛えたまま、微かに小首を傾げて応じる。

 傾城傾国とは、斯様な有様を指して言うのか。

 マルセルはモノクルの奥で眼を細めながら続けた。


「ですが『コッペリア・エリーゼ』のタブレットは、私が錬成した物じゃ無い。『ウェルバーク公国』の某錬成技師が秘密裏に組み上げた代物だ。オランジュの妹達――皇子所有の『近衛天兵隊』とも根本的にタイプの違う、『神性帯びたるオートマータ』と、言ったところでしょうか」

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ 


 闘技場入場口・東方門に設けられた、待機スペース。

 ヨハン・ユーゴ・モルティエは、額に脂汗を滲ませていた。


 グレナディの『天眼通』に死角は無い。

 グレナディの『神経網』は、エリーゼに比肩し得る。

 グレナディの『身体能力』は、エリーゼを遥かに凌駕する。

 総合力では、確実にグレナディがエリーゼを上回っている。

 にも拘わらず何故、苦戦を強いられているのか。


 グレナディならば、圧勝出来ると思っていた。

 対ナヴゥルの仕合を観て、そう確信していた。

 優れた『神経網』を有していようが、戦闘用の身体で無ければ限界があると。


 しかし、勝負の行方は未だ見えない。

 神速精妙なグレナディの攻撃が、エリーゼに届かない。

 エリーゼが用いる奇怪な射出攻撃を、グレナディは攻略出来ずにいる。

 勝ちの目が見えて来ない状況に、ヨハンは焦りを覚えていた。


 否。

 見えていない事が、もうひとつあった。


 ポタリ、ポタリ、という奇妙な水音が、ヨハンの耳に届いた。

 響き渡る歓声の中、妙に寒々と響く水音だった。

 思いの外、近くから聞こえて来る。

 なんの音だ――ヨハンは音の方へ視線を送った。


 白いイブニング・ドレス姿の娘が、待機スペースと闘技場を隔てる、鉄製の欄干を鷲掴みにしながら、身を乗り出す様にして立っている。


 ――が、様子がおかしい。

 熱気渦巻く闘技場内にあって、極寒の地であるかの様に全身を震わせている。

 寒いからという訳では無い。

 奥歯を食い締め、全身を強張らせているのだ。

 顔面は蒼白、頬肉を痙攣させ、浅い呼吸を繰り返している。

 欄干を掴む指先にも、爪が割れんばかりに力が込められている。


 何より、見開かれた両の眼から。

 真紅の涙が溢れ出し、白い頬を濡らして流れ、顎まで伝っているのだ。

 ポタリポタリという音は、顎先から滴る娘の血涙が、床で弾ける音だった。


「グレナディ……」


 紅く濁った両眼から血を染み出させる娘の横顔を、ヨハンは茫然と見つめる。

 それは、闘技場で仕合うグレナディの異常を、明確に示すものだった。

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