第64話 崩壊

 決闘遊戯に狂喜する貴族達が群れ集う、円形闘技場の観覧席。

 その最前列上段に設けられた、関係者用ボックス席の一角。

 そこには熱と興奮を表さぬまま、黙して仕合を観戦する者達がいた。

 皆、黒の修道服を身に纏い、静謐な眼差しで闘技場を見下ろしている。


 司祭と思しき壮齢の男が一名。小型差分解析機『スチームアナライザー・アリス』を膝の上に乗せた男が一名。そして伏し目がちに座るシスターが二名。

 『枢機機関院』の要請を受けて派遣された『マリー直轄部会』の面々であった。


 今回の『グランギニョール』が急遽、エリク皇子観戦の元に行われる『上覧仕合』となった為、恒例のエキシビジョン・マッチを行うべく、『マリー直轄部会』有する序列第三位の『コッペリア・ジゼル』を伴い、会場を訪れていた。

 エキシビジョン・マッチの相手は、従来通り『錬成機関院』所属の序列第二位『コッペリア・ルミエール』が務める事となっていた。


 『グランギニョール』の序列二位、序列三位は、一位及び四位以下の序列とは違い、『錬成機関院』と『枢機機関院』の地位と立場に配慮した『不動の名誉枠』として知られている。

 故に、それぞれの『機関』を代表するコッペリアは、通常の仕合に参加する事無く、上覧仕合に際して、エキシビジョン・マッチのみ行う事となっていた。


「――もうすぐ決着する」


 不意に、修道服を纏ったシスターの一人が口を開いた。

 歳の頃なら二十代半ば、腰を下ろしていても解るほどに身長が高い。

 ウィンプルの下から見えるウェーブ掛かった頭髪は、腰まで届く漆黒。

 目つきは鋭く、前髪の下で仄暗く光る瞳は、黒曜石を思わせる。

 美しく整った相貌だが、研ぎ澄まされた刃の如き気配を滲ませていた。


「そうかね。個人的には……金銭トラブルを解決すべく仕合っている『衆光会』のオートマータに勝ち残って欲しいね――」


 傍らに座る壮年の司祭が低い声で応じた。

 痩せてはいるが弱さが無く、眉間に深い皺の刻まれた司祭だった。

 司祭は続けて言った。


「――あのオートマータと関わりがある『貧民居住区』の女性司祭から『在俗教区長』に補正予算の陳情があったんだ……が、額が額なだけに工面が難しい。しかし無下に断れば『枢機機関院』の連中がつけ上がる……嫌な話だ。『衆光会』側が勝てば、望みも繋げる可能性も――」


「――『エリス』と酷似した、あのオートマータが勝利する」


 ざらついた声でシスターは呟く。


「……『エリス』というのは? シスター・マグノリア」


 司祭は微かに眼を細めると、低く尋ねた。

 呟きを漏らしたシスター――シスター・マグノリアは、闘技場を見つめたまま答える。


「――三十年前、私がウェルバーク公国に潜伏していた時。向こうの貴族達が非公式に行っていた決闘ゲーム『ジングシュピル』にて、奇特な武装を駆使するオートマータを見た。『衆光会』所属の『コッペリア・エリーゼ』が使用している物と同じ武装だ、その者の名が『エリス』。数年に渡り無敗だと聞いた。しかしその後、失踪したという話だ……」


 シスター・マグノリアの口調は、決して丁寧な物では無い。

 しかし、厳めしい顔つきの司祭は気にした風も無い。

 地位や立場に配慮する様な間柄では無いのかも知れない。


「失踪……? オートマータがですか?」


 そう尋ねたのは、司祭の隣りに座る年若いシスターだ。

 柔和な顔立ちに、短く切り揃えたライトブラウンの頭髪が揺れている。

 温厚そうな風情のシスターだが、その手には鞘に納まった状態の剣が一振り、携えられていた。


「詳しい事は解らない。ただ――」


 シスター・マグノリアは、微かに首を振る。


「――『コッペリア・エリーゼ』の戦い方は、三十年前に見た『エリス』と酷似している。風貌と体格は別人だが……あの武装と挙動、佇まい、相似点が多い……血塗れで仕合う姿もな。失踪したという話を踏まえて考えると、何らかの関係がある様に思える……」


 暗い眼差しでシスター・マグノリアは、そう告げた。

 司祭は暫しの沈黙を経て頷くと、低く答えた。


「確かに奇妙な話だ……必要な情報となるかも知れない。しかし今すぐどうこう出来る問題では無い。ガラリア帝国とウェルバーク公国は、予てより国交の無い状態だ……シスター・マグノリアが、かつてあの国に潜伏していた事は、伏せられておくべき事柄だしな……」


「解っている」


 シスター・マグノリアは短く応じる。

 闘技場に視線を向けたまま、言葉を続けた。


「今日は『シスター・ジゼル』の介添えを務めるだけだ、何もしない」


「よろしく頼みます、先輩」


 シスター・マグノリアの言葉を受け、修道服を身に纏った『グランギニョール』序列三位『コッペリア・ジゼル』は、口許に穏やかな笑みを浮かべた。

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ 


 エリーゼは石床の上に片膝を着いた状態で、激しく両腕を踊らせる。

 傷口から血を滲ませつつも、腕は力強く波打ち、或いは嫋やかにうねる。

 指先と手首、肘に取り付けた金具でワイヤーを捉え、融通自在に操作する。

 幾筋もの銀光が妖しく揺らめくと、風切り音と共に虚空が切り裂かれる。

 十二本のスローイング・ダガーは、意志を持つかの如くに乱舞する。

 旋回し、弧を描き、或いは最短での刺突を狙って飛翔する。

 雷雨の如き、圧倒的な連続攻撃だった。


 グレナディは鉄壁の防御を展開している。

 白銀の長刀に朱色の鉄鞘を閃かせては、辺り一面に火花を撥ねる。

 深く身を沈め、跳ね上がり、身を捻り上げては旋回する。

 精密に動き続ける機械仕掛けの人形を思わせる。

 淀み無く動き続ける有様は、完璧な舞踊を思わせ、美しいとさえ言えた。


 しかし、その身に負ったダメージは甚大だ。

 肩に、背中に、脇腹に、ダガーが深く突き立ったままだ。

 抜けば出血が激しくなるという判断か。

 裂傷も少なくは無い、身に纏うダークグリーンのドレスがドス黒く滲んでいた。

 エリーゼの姿も、余す所無く紅色に染まっている。

 全身至る所に負った裂傷の為だ。

 左右の腕は過負荷に依る内出血で、薄紫色に変色し始めている。

 あまつさえ鼻孔と口からも流血している。

 脇腹へ受けた打撃で肋骨が折れ、臓器を痛めたか。

 或いは神経への過負荷によるものか。

 片膝を着いた姿勢も、ダメージを軽減する為の措置なのか。


 壮絶極まりない持久戦であり消耗戦だ。

 その最中にあってグレナディは、集中砲火を受けつつ、隙を見ては距離を詰める。

 対するエリーゼは、後方へ跳躍する事で間合いを外し、再び片膝を着く。 

 一手違えば崩壊しかねない、そんなギリギリの攻防。

 相対する二人のコッペリアは、互いに極まった状況でしのぎを削っていた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ 


 待機スペースの内側で、レオンは食い入る様に闘技場を見つめている。

 エリーゼの様子をつぶさに観察しているのだ。

 必ず勝利すると告げて闘技場へ向かった、エリーゼの言葉を信じるなら。

 仕合後に早急な治療を施せるよう、備えるべきだろう。

 レオンは、エリーゼの現状把握に努めていた。

 

 とはいえ、状況の悪さに感情が揺らぐ。

 グレナディの精密かつ万全な挙動にも、不安を覚える。

 幾らほどのミスも無く刃を振るうグレナディは、脅威そのものだ。


 全方位から襲い掛かる数多のダガーを、確実に捌き続けている。

 深手を負ってなお、その動きに乱れは無い。

 どれ程の精度で錬成されたコッペリアなのか。

 何故、あれほどの攻撃を全て避け得るのか。

 あらゆる角度から迫る加撃を、同時に目視しているのか。

 押し寄せて来る不安に耐えながら、レオンは仕合の行方を見守り続ける。


 ――が、ふと。

 レオンは観覧席に居並ぶ貴族達の様子が、おかしい事に気づく。

 歓声と声援に混じり、言い様の無いざわめきが響くのを聞いた為だ。

 ざわめきは、観覧席最前列の各所で発生していた。

 異質な物を感じ、レオンは観覧席を見上げる。


 白いイブニング・ドレスを纏った一人の娘が、欄干から身を乗り出していた。

 それだけならば、別に驚く様な事でも無い。

 ただ、闘技場を睨みつける娘の、大きく見開かれた両の眼からは。

 紅色の血涙が、止め処も無く溢れ出していた。


 しかも一人では無かった。

 入場門脇・待機スペースから見える範囲内だけで、四人だ。

 ざわめきは、死角となっている場所からも聞こえて来る。

 アリーナ外周に沿って数十メートル毎に、全身を強張らせたイブニング・ドレス姿の娘が、血涙を流しているのだ。


 ぞっとする様な光景だった。

 娘達の傍らにはフロックコート姿の男が、それぞれ付き添う様に立っている。

 彼らは周囲の目を気にしつつ、娘の肩に手を掛けては、何事かを囁いている。

 諫めようとしているのか、落ち着かせようとしているのか。

 やがて娘達は、欄干にしがみついたまま、力無くよろめき始めた。

 

 レオンは、娘達の頬から滴り落ちる血涙を見て気づく。

 彼女達は皆、人間では無い――オートマータであると。

 人間の血液とは微妙に異なる濃縮エーテルの紅……その違いに気づいたのだ。

 いったい何が起こっているのか。

 一際激しいどよめきが、闘技場内に湧き上がるのを聞いた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ 


 視界が、白く霞んでいる様だった。

 疲労の為か。過度の集中によるものか。


 それでも敗北は許されない。勝利以外の結果は有り得ない。

 両手に携えた得物を振るい、グレナディは全身を躍らせる。

 片膝を着き、こちらを見上げるエリーゼにジリジリと近づく。

 持久戦、消耗戦であっても、隙があれば攻めに転じるつもりだ。

 

 何故ならエリーゼの疲労が見て取れるからだ。

 ダメージも間違い無く深い。

 血に塗れ、血を吐き、両の腕は内出血を起こしている。

 あと僅かで崩れる筈だ。

 あと僅かで限界へと追い込める筈だ。

 攻める事で圧力を掛け、崩壊へと追い込む。

 刃を弾き、奇襲を凌ぎ、前へ。更に前へ。


 不意に目に映る光景が、紅く滲み始めた。

 次いで視界の端々が湾曲し、歪んで行く。


「……っ!?」

  

 直後、飛び来るダガーを撃ち落とすべく振るった鉄鞘の一閃が。

 あろう事か空を切った。

 間髪入れず、グレナディの左肩に音を立てて、深々と刃が突き刺さる。

 声も無く、姿勢を崩すグレナディ。

 更にダガーが放たれ、その切っ先は脇腹へとめり込む。


「くうっ……」

 

 何が起こったのか、いや、何が起こったのかは解っている。

 『天眼通』が異常を来しているのだ。

 目視範囲が虫食いの様に千切れ、所々が消滅、暗転している。

 それだけでは無い、残る視界も紅色に歪み、仄暗く霞んでいた。


「なに……がっ……!?」

 

 紅く濁った空間を閃く鈍い光、飛来するダガーだ。

 グレナディは血を吐きながら長刀を振るう。

 よろめきながら態勢を立て直し、強引に鉄鞘を打ち振るう。

 虫食いの様に途切れた視界の端から迫るダガーを、辛うじて弾き飛ばす。

 しかし次の瞬間、完全な死角から背中へと撃ち込まれる、追撃のダガー。


「ぐぅううっ……!!」


 前のめりに姿勢を崩しつつも、無理矢理に身体を捻る。

 なんとか視界を確保しようとしているのだ。

 続いて飛来するダガーをギリギリで回避し、打ち落とす。

 ――が、そこに新たなダガーが叩き込まれ、大腿部に鈍い衝撃が走る。

 右脚から力が抜け、グレナディは崩れ落ちる様に膝を着く。

 更には右手の長刀を、床の上へ取り落とす。


 低く高く響いていた風切り音が鳴り止む。

 飛び交う全てのダガーが、床の上へ音を立てて散らばり落ちた。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 観覧席にて立ち竦み、震えながらに血涙を流していた娘達が頽れてゆく。

 糸が切れた人形の様に揺らぎながら、ひとり、またひとりと意識を失う。

 同時に、闘技場のグレナディが急激に失速、エリーゼの攻撃に倒れる。

 その凄惨な状況を目撃しながら、レオンは口の中で小さく呟く。


「そんな事が……」 


 気づいたのだ。

 今、グレナディの身に何が起こっているのか。

 そしてグレナディが、どの様に空間を把握していたのか。

 全方位を同時に認識する様な、圧倒的な空間把握能力の謎とは。

 つまりあの娘達は。


 しかし、そんな事が本当に可能なのか。

 それは現存する錬成技術の延長線上には無い、驚異的な発想だ。

 だが、そうとしか考えられない。

 ヨハン・ユーゴ・モルティエ。

 『革命児』『アデプト・マルセルの再来』と呼ばれる男。

 間違い無く、異形の才を有する者だった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ 


 五メートルの距離を挟み、二人は片膝を着いた状態で向かい合っている。

 どちらも傷つき血塗れで、拭い難い疲労の色がはっきりと伺える。


 しかし――もはや誰の目にも、勝敗の行方は明らかだった。

 グレナディの身体には、七本ものスローイング・ダガーが突き立っている。

 背中に、腹部に、肩に、脚に、容赦無く深々と撃ち込まれている。

 身に纏うドレスは濡れて黒ずみ、痛々しく切り裂かれ、無残極まりない。

 口から溢れ出す紅色の流血、内蔵を痛めている事は明白だった。

 既に幾らほどの余力も、残している様には見えない。

 血を吐きながら荒々しい呼吸を繰り返すばかりだ。


「はぁ……はぁ……はぁ……ぐはぁ……」


 そんなグレナディを、エリーゼは静かな眼差しで見つめている。

 紅色のドレスに紅色の頭髪、口許を汚す血潮もまた紅の色だ。

 それでもエリーゼは身体を起こすと、まっすぐに立ち上がる。

 掠れた声で言った。


「己が周囲の有様を完全に見通す『天眼通』の能力。『精霊ラミアー』の逸話に因むなら……観覧席よりこちらを凝視していた複数の少女達は、いわば貴方の『娘』。そして貴方の『千里眼』そのもの。そうとしか考えられません……」


 グレナディは顔を上げようとする。

 が、むせながらに咳き込むと、床に血を吐いた。


「……本来それは、有り得ぬ技術。ですが貴方の主、ヨハン・ユーゴ・モルティエは『疑似生命』による『精神交換』を電信技術に導入、革新をもたらした人物。恐らくは『親子』の関係に特殊性を見出し、娘達と貴方との『視覚情報』共有を可能足らしめたのでしょう」


 言葉を続けつつ、エリーゼは手のひらで口許の血を拭う。

 持ち上げた腕は、内出血の状態を示す薄紫の色に滲んでいた。


「驚愕の技術ですが『視覚情報』とは本来、心身に多大な負荷を掛けるもの。睡眠時に人が目蓋を閉じるのも『視覚情報』という圧倒的な負荷を減らす為。にも拘わらず貴方は全ての娘達と『視覚情報』を共有していた、精度の高い貴方の身体ならば、長時間の過負荷にも耐えられましょう、ですが戦闘用では無い彼女達に、耐えられるものでは無かった――」


 濁りの無いピジョンブラッドの瞳が、グレナディを映している。

 グレナディは蹲ったまま、浅い呼吸を繰り返している。

 顔を上げたまま右手を動かし、落とした長刀を探している。

 傍らに転がっていても気づかない、手のひらで床の上を探り続ける。

 しばしの沈黙を経て、エリーゼは告げた。


「身体的ダメージに加え、視力の喪失。逆転の目は、もうございません」


 ◆ ◇ ◆ ◇ 


「馬鹿な……」


 ヨハンは右手のオペラグラスを足元に取り落とし、ヨロヨロと後退る。

 額から、首筋から、汗が滲み出して止まらない。


 グレナディが負ける。

 戦闘用で無い筈のオートマータに、グレナディが。

 あの男が錬成した『エリーゼ』に、敗北するというのか。

 アデプト・マルセルの血を受け継いだ、あの男に負けるというのか。


 『血の繋がり』とは『親子』とは。

 やはり、これほどに――。


 ヨハンは闘技場の有様を見つめたまま震えていた。

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