第62話 限界

 ダークグリーンのコルセット・ドレスが、紅く染まり始めている。

 スカートの裾が、袖口が、黒いリボンが、深く切り裂かれている。

 左の肩口にはスローイング・ダガーが一本、突き刺さったままになっている。

 が、グレナディは気に留める様子を見せず、両手に得物を握り締めている。

 順手に握った右のグランド・シャムシールを、前方へ捧げる様に。

 左手に握った朱色の鉄鞘を、後方へ垂らす様に。

 そのまま顔を伏せ、左脚を後ろへ引き、深く身体を沈めつつ前傾している。

 力を溜めているのだと、はっきり伝わって来る。

 それは突撃の構えだった。


 グレナディの向く先、八メートルの位置。

 そこには全身を紅に染めた、エリーゼの姿がある。

 身に纏うタイトなドレスも、結い上げた髪も紅の色だ。

 それでも未だ、揺らぐ事無く真っ直ぐに立ち、グレナディを見据えている。

 両腕を華麗に躍らせながら、幾筋もの特殊ワイヤーを手繰っている。

 

 微かな風切り音が、耳鳴りの様に響いている。

 同時に一〇を超える光球が、ゆらりと宙に浮かび上がっている。

 ワイヤーで制御された、高速旋回を続けるスローイング・ダガーの群れだ。

 グレナディを取り囲む様に、凡そ半径七メートル、激しく煌めいていた。

 

 十二本だ――グレナディは思う。

 現在、十二本のダガーが円形に連なり、射出されるのを待っている。

 飛来する十二本を同時に打ち落とす……容易いとは言えない。

 とはいえ、十二本全てが同時に襲い掛かって来る事は無いと考えている。

 突撃による距離の変化でタイミングはズレる筈だ。

 その上で接近戦に持ち込めば。

 ワイヤーとダガーを用いた攻撃は難しくなるだろう。

 

 全方向を同時に目視、把握する事が可能な『天眼通』。

 あらゆる動作の精密性、正確性、反射反応を格段に跳ね上げる『神経網』。

 この二枚を切り札に斬り込むなら、如何な搦め手にも対応出来る。

 呼吸を繰り返すグレナディの耳に、エリーゼの声が響いた。


「――出し惜しみ無く、己が全てを吐き出しましょう」


 グレナディも応じる。


「それでは、グレナディも全力で――」


 呼気と共に吐き出された言葉が、急激な加速の中で融けて流れた。


「征きますよ――……」


 深い緑色が、闘技場の床面に半透明の帯を作る。

 圧倒的な踏み込みだった。

 恐らく一呼吸もしない間に、エリーゼに刃が届くのでは無いか。


 否。

 次の交錯まで、一呼吸の間すら無かった。

 エリーゼも同じタイミングで、あろう事か前方へ踏み込んだのだ。

 直後、床に倒れていたロングソードが一気に跳ね上がる。

 空中へ身を投げ、前転したエリーゼは、宙を舞うロングソードの柄頭を、足指にて捉える。

 そのまま両腕を躍らせると、着地よりも先にダガーを射出した。


 その光景を目の当たりにしつつ、グレナディは瞬時に考察する。

 この状況で前方へ踏み込む――その理由は恐らくふたつ。

 突撃に対し自ら間合いを詰める事で、ダガーの集約する位置とタイミングを調節したのだ。

 その上で敢えて接近戦を選択し、こちらの混乱を誘う意図もあるのだろう。

 

 が、この局面で混乱する事など有り得ない。

 グレナディの精神は、研ぎ澄まされている。

 そして目を凝らす。

 飛来するダガーと、対峙するエリーゼを、全方位から見据える。


 ワイヤーの制御を離れたダガーは六本。

 疾駆するグレナディの胴を狙い、一直線に解き放たれている。

 残る六本は攪乱する様に大きく曲線を描きながら、前後左右問わず、グレナディの上半身へ殺到する。

 絶妙のタイミングで繰り出された、的確な攻撃だ。 

 それでも今なら、完全に見切る事が出来る、完全に把握している。

 距離を詰めたエリーゼが、ここから直接加撃を狙ったとしても対応出来る。

 

 十二本ものダガーを自在に操作しつつ、足指に捉えたロングソードを使用する……その難易度を考慮するなら、繰り出される斬撃の軌道は、凡そ二種。

 後方旋回による下から上への斬り上げ。

 或いは先程見せた唐竹の斬撃か。


 この二種以外の技は、恐らく来ない。

 両腕をダガーの操作に使用している為だ。

 腕を支点とする様な技は使えまい、仮に使用しても威力が落ちる。

 支点を必要とする横薙ぎや刺突がそれに該当する。

 いかに奇特な技術であっても、理から外れた技は必殺に届かない。

 

 また、足指を用いた攻撃は単発でしか放てない。

 あくまで奇襲、鍔競り合う様な真似は出来ない。


 攻撃がここまで限定されるなら。

 ダガー群を処理しながらであっても、対応を誤る事は無い。


 そしてその事は、エリーゼも恐らく認識している。

 故に、速やかな後方回避を行うべく、保険を掛けている。

 退避用のワイヤーを一本、既に後方へ伸ばしているのだ。

 抜け目の無い仕掛けだ。

 しかしグレナディの『天眼通』は、その仕掛けを早々に見抜いていた。


 つまりは万全――万全にてグレナディは距離を詰める。

 その上で、万全を期してなお、ダメージをも覚悟していた。

 エリーゼは、それだけの相手だ。

 楽に勝てる相手では無い。

 ならば、ただ勝利する。

 ヨハンの為に、勝利のみを目指す。

 グレナディは白刃を閃かせつつ、激しく踏み込む。


 そこは弾雨の如くにダガーが降り注ぐ死地だ。

 グレナディは躊躇無く、全身を捻り上げる。

 直後、左右の獲物が鮮烈な螺旋を描き、火花を迸らせてダガーを叩き落した。

 全方位からの射出攻撃であっても、意を決したグレナディの防御に穴は無い。


 吹き荒ぶ疾風の如き斬撃が、途切れる事無く曲線を描く。

 硬質な金属音を響かせ、光を弾く。

 華麗かつ苛烈な動きと、澱む事の無い流水を思わせる足取りで肉薄する。


 グレナディの間近に着地したエリーゼは、流れのままに身体を低く沈める。

 先程も見せた、身体ごと浴びせ掛ける前転からの斬撃を狙うか。

 それともここから後方へ重心を寄せて旋回、下段からの斬り上げか。


 上下段からの斬撃ならば、鉄鞘で払い退け、二の太刀で斬り込める。 

 もしくはこの行動自体がフェイントか。

 後方へ伸ばした回避用ワイヤーで、逃れる可能性もある。

 しかし、いずれの場合も想定済みだ。


 その時、エリーゼの上体が一気に仰け反った。

 ならば後方跳躍は無い、下段が来る。

 下段からの斬撃を放った後、後方跳躍。

 つまり一撃で決めるつもりの無い攻撃。

 ダガーの連打と斬撃を組み合わせたコンビネーションを継続するのだろう。

 しかし、一撃での必殺を狙わないその発想は――。

 

「ぬるいっ……!」

 

 グレナディは、全力で間合いへ飛び込む。

 鉄鞘を下段へ翳しつつ、そこから神速の横薙ぎへ。

  

 ――が、次の瞬間。

 エリーゼの身体は右側面へと、大きく傾いでいた。

 ロングソードの切っ先が、小さな火花と共に勢い良く左へ横滑りした為だ。

 エリーゼはロングソードを爪先で捉えたまま、強烈に身を翻す。

 そのまま背を下に倒れ込むと、刀身が床の上で撓み、弓形のアーチを描いた。

 剣の切っ先が、石板と石板の隙間に掛かっている。

 機械仕掛けの様な素早さと正確さだ。

 エリーゼは仰け反った姿勢のまま、背中を支点に上体を捻り、足指で長剣を構えているのだった。


「っ……!」


 否、厳密には、背中を支点にしているのでは無い。

 背中に装備された『ドライツェン・エイワズ』だ。

 特殊武装『ドライツェン・エイワズ』に備わった金属アーム――その先端から短く伸びた、一本のフック付きワイヤーが石板を捉えていた。

 回避用では無い、確実な支点を作る為の短いワイヤーは固定用だ。


 後方へと吐き出されていた回避用ワイヤーは、既に切断済みだった。

 グレナディの誤認を誘うべく仕込まれた『偽装』という事か。

 実際の回避用ワイヤーは、前方へ――複数のダガーと共に放たれたうちの一本であり、六メートル先の石板をフックで捉えていた。


 エリーゼは今、ワイヤーを用いた二方向の張力により固定された状態にある。

 その固定を支点に身体を捻り、仰け反り、ギリギリと刀身に力を溜めている。

 つまり、床面スレスレの位置から横薙ぎを放とうというのだ。


 下段からの斬撃に照準を定めていたグレナディは、唐突なエリーゼの挙動に意表を突かれる。

 困惑から生じる一瞬の思考停止。

 その間隙を突く様に。

 地を這う角度から、ロングソードの横一閃が跳ね上がっていた。

 

「ちぃっ……!」


 更に、エリーゼの両腕が激しく踊る。

 間髪置かず、複数のダガーが唸りを上げて飛来する。 

 『ドライツェン・エイワズ』から紡ぎ出された特殊ワイヤーだ。

 弾き落とされたダガーを絡め取り、再び射出している。

 魔法の如き奇特な技術だ。


 足元から襲い掛かる、エリーゼの刃。

 全方位から乱れ飛ぶ、複数のダガー。

 思い込みから来る判断ミス。

 虚を突かれ、崩れた態勢。

 機先を制され、完全にカウンターを取られていた。

 それでもグレナディは反応する。


「まだっ……!!」


 交錯の瞬間、身を投げ出す様に跳躍する。

 エリーゼ渾身の下段を紙一重で回避しつつ、強引に身体を捩る。

 白刃を振るい、襲い来るダガーを立て続けに叩き落す。

 が、完全には回避し切れない。

 崩れた姿勢からの跳躍だけに、斬撃の軌道に無理が生じていた。

 頬に、腕に、新たな裂傷が刻まれ、脇腹にダガーが突き刺さる。


 それでもグレナディは折れない。

 折れないどころか、この状況から敢えて反撃を狙った。

 防御が薄くなる事も構わず、左手の鉄鞘をエリーゼに打ち込んだのだ。


「シィッ……!!」


 エリーゼは下段を避けられた時点で、回避用ワイヤーを発動させていた。

 しかし被弾を覚悟したグレナディの反撃に、牽引が間に合わない。

 床面を滑走しつつ上体を捻り、直撃を躱そうとする。

 その脇腹を打ち据える様に、グレナディの鉄鞘が唸りを上げた。

 鈍い音が響く。

 辛うじて直撃こそ避けたものの、エリーゼの小さな身体は弾けて飛んだ。


「……っ」


「ぐぅっ……」


 同時にグレナディの背中にも、新たなダガーが深々とめり込む。

 防御を犠牲にした代償だ。

 だが、怯まない。むしろ、この瞬間に勝機を感じる。

 ここで畳み掛けたなら。

 手応えを感じつつ、グレナディは前へ出ようと足を踏み出す。

 

「……!?」


 が、それが叶わず驚愕する。

 ダガーが飛来し、グレナディの前進を遮ったのだ。

 攻撃が途切れない。

 背後から、足元から、ダガーによる冷徹な狙撃が繰り返される。

 グレナディは左右の獲物を打ち振るい、対応せざるを得ない。

 視界の中では弾き飛ばされたエリーゼが、床の上をバウンドしていた。

 打撃を受けて身体がくの字に折れる程、大きく姿勢を崩している。

 それでも両の腕が動いている。

 弾き飛ばされながらもワイヤーを操作している。


 グレナディは先の一撃にて、エリーゼの肋骨を砕いたと確信していた。

 にも拘らず止まらない。

 信じ難い意志の力だ。


 そのままエリーゼは、力強く身を翻す。

 更に牽引用ワイヤーにて姿勢を制御、上体を起こすと、片膝をついた状態で床を滑り、静止した。

 俯き気味に垣間見えるその表情は、静謐そのものだ。

 一切の感情が読み取れない。

 ただし、顔色は蒼白に近い。


 血に塗れた両腕が踊る、指先がしなやかに波打つ。

 ワイヤーが風を裂き、旋回するダガーが光を放つ。

 濡れ光るピジョンブラッドの瞳が煌めいていた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ 


 鉄製の欄干を握り締め、レオンは青褪めている。

 闘技場西側に設けられた入場口脇の待機スペース。

 介添え人として、エリーゼとグレナディの仕合に立ち会っている。

 介添え人と言っても、仕合中に出来る事は何も無い。

 であるなら、見届け人と言った方が正しいのかも知れない。


 ただ――かつてガラリア・イーサの円形闘技場では、仇と決めた相手を討つ為の『合法的決闘』も、仕合の一環として行われていたという。

 レオンが立つ『待機スペース』は、仇人、咎人、双方の縁者が、敵討ちに際して、いざとなれば助太刀も辞さぬという覚悟で『決闘』の行方を見守る、そんな場所であった。


 現在に至っても、介添人に関する基本的理念は変わらない。

 助太刀といった直接的な加勢を行う事は無くなっても、『待機スペース』にて医療行為等のサポート活動を行う者は、コッペリアと共に闘技場で仕合を行っているも同義である――そう見做されていた。


 レオンは、戦うエリーゼの姿を凝視し続けている。

 仕合中はどうする事も出来ない、出来る事があるとするなら仕合後だ。

 仕合終了後、直ちに可能な限り適切な治療をエリーゼに施す。

 その為にレオンは、エリーゼの様子を観察し、状況把握に努めている。

 

 エリーゼには痛覚抑制措置が施されていない、体内感覚も通常のままだ。

 しかも元より万全の状態では無い、神経に、筋繊維に、問題を抱えていた。

 それでもエリーゼは体調の不良を、おくびにも出さず立ち回っている。

 信じ難い精神力で、苦痛を抑え込んでいるのだ。

 その上で、荒れ狂う暴風雨の如き連続攻撃を繰り出している。


 しかし――顔色に、肌に、不調を示す兆候がありありと浮かび上がっている。

 激しく踊り続ける腕の色すら……内出血の為か、変色している様に見える。

 いかな精神力であっても、身体的反応までは隠す事が出来ない。

 確実に身体を痛め、精神を擦り減らしている。

 あと、幾らも動けるとは思えない。

 限界が、そこまで近づいている筈だ。

 人智を超えた戦闘の中で、エリーゼは消耗している。


 それと同時に、相対するグレナディも、酷く憔悴している様に見えた。

 命を削る様なエリーゼの連続攻撃を、徹底的に弾き続けている。

 どれほどの集中力が、これほどの鉄壁を可能たらしめているのか。

 背後からの攻撃も、死角からの攻撃も、全てを完璧に防いでいる。

 全てを同時に『見て』『認識し』『把握して』いるとしか思えない。

 そんな事が可能なのか。

 全方位を同時に『目視』する事など。

 そんな事が出来たとして、心身にどれほどの負荷が掛かるのか。

 

 いずれにせよ、レオンは戦いの行く末を見守る事しか出来ない。

 エリーゼは必ず勝つと言っていた、ならば、その言葉を信じて待つ。

 勝利を信じ、エリーゼの状態を観察する。すぐに対応すべく備える。

 自分にそう言い聞かせながら、レオンは唇を噛んだ。

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