第19話 外出

「レオン先生、お薬と素材のリスト、纏めました。不足分も合わせて電信で発注しておきますか?」


 書類整理を行っていたカトリーヌが、笑顔で声を掛ける。

 診察机に向かい、カルテの確認を行っていたレオンは顔を上げ、壁に掛かった時計を見る。


「ありがとう、シスター・カトリーヌ。でも今日は時間もあるし、散歩ついでに僕が郵便局まで行って来るよ。町のショップで購入出来る物もあると思うし」


 レオンは回転椅子から立ち上がった。

 白のシャツに黒のウェストコート、ボトムも黒という何時も通りの装いだ、おもむろに傍らのコートハンガーへ腕を伸ばし、山高帽とフロックコートを手に取った。

 そんなレオンを見て、カトリーヌも勢い良く椅子から立ち上がる。

 

「あっ、あのっ! でしたら私も一緒に! グランマリー聖誕祭用の飾りとか頼まれてて! 買出しに行こうと思っていたんです! その、よろしければ、一緒に街へっ……」


 濃紺の修道服を着込んだカトリーヌは、レオンを見上げながらそう言った。

 健康的な褐色の頬が、紅く染まっている。

 レオンは微笑んだ。


「そうか、じゃあ一緒に行こうか、シスター・カトリーヌ」


「はい!」


 カトリーヌは瞳を輝かせて返答した。

 束の間ではあるものの、レオンと二人っきりで買い物を楽しむ事が出来る。

 もちろん診療所内でもレオンと共に過ごす時間は長い、とはいえ仕事で一緒にいるのと、一緒に出掛けるのとではやはり違う。


 つまりそれは、小説で読んだ事のある『デート』という行為なのでは……いやいや、それほど大胆な行為では無いはず……などと考えながら、火照りそうになる頬を両手で抑え、カトリーヌは己を諌めた。

 とはいえ相好は崩れてしまい、知らず知らずのうちに口許が笑みを形作ってしまう。


 しかしその時、唐突に診療所のドアを開く者が現れた。

 同時に、小さな複数の足音が部屋の中へ飛び込んで来る。

 眼を輝かせた、元気いっぱいの子供達だった。


「レオン先生! 午後の診療時間、終わったんでしょう!?」


「夕食の時間まで、一緒に遊ぼうよ!!」


「なっ……なにを言ってるの!? あなた達!」


 戸口の方へ猛然と振り向いたカトリーヌは、眼を三角にして怒りを表明した。

 このタイミングは余りにも酷い。

 

「い、いつも言っているでしょう!? 入室の際にはドアはノックなさいって! それに、レオン先生は今から私とお買い物に行くのっ! あなた達と遊ぶ時間はないのよ? 明日になさい、明日に!」


 腰に手を当て眉根を寄せて、大きな声でそう宣言する。

 しかしそんな事で怯む子供達では無い。

 唇を尖らせながらカトリーヌを見上げ、抗議の声を上げる。


「レオン先生とは昨日の夜、約束してたもん!」


「最近遊べなかったから、明日の夕方遊ぼうって!」

 

 カトリーヌは傍らのレオンを振り仰いだ。

 レオンは子供達を見下ろし、頭を掻きながら苦笑いを浮かべていた。


「ああ、そうだった……そうだったね、ごめん。確かに約束していたよ」


「えっ……!? ええっ!? えぇ……そうだったんですか……」

 

 子供達と約束していた……という事なら仕方無い。

 とはいえ、悦び勇んでいた直後だっただけに辛い。

 カトリーヌは肩を落として落胆する。

 レオンは申し訳無さそうに言葉を続けた。


「すまない、シスター・カトリーヌ。薬と素材のリストは電信で発注して貰って構わない……特殊素材の類いはベネックス医院に……」


「いえ……買い物に行く予定がありましたので……ついでですから郵便局にも立ち寄ります……」


 弱々しい笑みを浮かべたカトリーヌは、背中を丸めて戸口へと歩き始める。

 子供達はそんなカトリーヌの様子を、不思議そうに見上げるばかりで。

 ふとその時。

 戸口の前に小さな影が現れた。


「失礼致します、ご主人様……いえ、レオン先生。子供達が診療所の方へ……」


 プラチナに輝く銀の頭髪、白磁の如き艶やかな肌。

 ピジョンブラッドの瞳。

 華奢な身体を包むのは、グランマリーの侍祭である事を示す灰色の修道服。

 人形の様に美しい娘……エリーゼだった。


 エリーゼは二人の子供に気づくと、真っ直ぐに見据えて口を開いた。


「……サムさん、アヴィさん。診療所では静かにという取り決めが、ヤドリギ園にはあったかと存じます」


 銀の鈴を転がすが如き澄んだ声に、子供達はピタッと動きを止めて振り返る。

 顔を強張らせ、なんとも言い様の無い罰の悪そうな様子だ。

 それは明らかに、苦手な物と相対した時の表情だった。


「ヤドリギ園という安住の地にて、皆が幸せに過ごす為にも、やはりルールは守るべきでございましょう。この園に於いては私よりも先達であるお二人ならば、ご存知の筈。また共に暮らす更に幼き保護児童に対する示しもつきかねます、どうかご理解の程を……」


 澱み無く言葉を紡ぐエリーゼに、二人の少年は言葉も無い。

 語る内容が理解出来無いという事は無いだろう。

 しかし、どう対応して良いのか解らず、居た堪れない……といった様子だ。

 カトリーヌよりも更に身長の低いエリーゼではあるが、その物腰と発言には、明確に子供達を圧する何かがあるのだ。

 そんなエリーゼを、レオンは苦笑と共に諌める。


「エリーゼ、二人とも反省している様だから、その辺で。診療時間もちょうど過ぎた所だ、それに彼らとの約束を忘れていたのは僕なんだ」


 二人の少年はレオンを見上げ、笑みを浮かべる。

 助け舟を出して貰えた事が嬉しかったのだろう。

 エリーゼはレオンの言葉を受け、静かに目を伏せる。


「左様でございましたか。出過ぎた真似をしてしまい申し訳ございません。ご容赦下さいませ」


 慇懃過ぎるその態度は、眉目秀麗な少女の姿にそぐわない様でいて、人形の様に整い尽くしたその美貌には、相応しいとも思える。

 いずれにせよ、周囲に酷く取っ付き難い印象を与えている事は間違いない。

 ふと、思いついた様にレオンは口を開いた。


「エリーゼ。シスター・カトリーヌが街まで買出しに出掛けるんだ、本当は僕が同伴する筈だったんだが、子供達との約束があってね。良ければ僕の代わりに、シスター・カトリーヌの買い物に付き合ってあげてくれないか?」


「え?」


 レオンの提案に、カトリーヌは思わず声を上げてしまう。

 そういう事では無いのです……と、言いたいところだ。

 しかしレオンは純粋に親切で提案しているのだろう。

 その親切さが、つらい。


「承知致しました、レオン先生」


 レオンの言葉を受けたエリーゼは、一切の逡巡無く返答する。

 その様子は何と言うべきか、とても機械的で。

 オートマータであるエリーゼに、そういう印象を抱くのは良くないとは思いつつも、その様に見えてしまう。

 レオンに対するエリーゼの対応は、概ねいつもこの通りだった。


 エリーゼと共同生活を始めて、はや一ヶ月。

 出会った当初は、レオンとエリーゼの関係を、何となく勘繰ったりした事もあった。

 しかし、そういう事では無い様な気がする。

 ときめくモノと言うか、高揚感というか。

 そういった物が、二人の間からは全く感じられない。


 エリーゼが時折口にする『ご主人様』という呼称にしても、レオンに対する親しみなどから来るものでは無く『主人』と『召使い』の関係性を思わせる。

 よそよそしさは感じない、でも、必要以上の親しみも感じさせない。

 その感覚は理解し難い。

 でも、それがオートマータというモノなのかも知れない。


「それでは参りましょう、シスター・カトリーヌ」


 透き通った声で名を呼ばれ、カトリーヌは我に返った。

 戸口の前に立つ、エリーゼを見遣る。

 華奢な身体に灰色の修道服を纏い、口許に浮かべた微笑みが美しい。

 何事も機械的に対応するエリーゼだが、時折この様な笑みを浮かべる。

 品良く落ち着いた、静かな笑みで、好ましく思える。

 カトリーヌは軽く頷き応じた。

 

「え、ええ……うん、そうだね、行こうか。ではその……レオン先生、行って来ますね……」


 気をつけて、というレオンの言葉に笑みを浮かべつつ、カトリーヌはエリーゼと共に診療所を後にした。


◆ ◇ ◆ ◇


 雑然とした貧民居住区『歯車街』を、カトリーヌとエリーゼは歩く。

 辺りに漂うのは赤錆とオイルの匂い。

 無造作に配管された鋳鉄ダクトから、白く漏れ出す生活蒸気。

 板金板で組まれた粗末なバラック小屋が、工業地帯まで延々と連なっている。


 道端には解体途中の機械群が、無造作に積み上がり、その周囲では薄汚れた作業着姿の男達が、銜え煙草で工具を振るっている。

 いかにも粗野な風貌の男達だが、カトリーヌとエリーゼを見掛けると、親しげな笑みを浮かべて声を上げた。


「ごきげんよう、シスター! お買い物ですかい?」


「レオン先生によろしくな!」


「この辺りはこの通り、俺達みたいなのがいて物騒だし、街の方だって最近は不景気で物騒だ、気をつけなよ?」


 そう言って彼らは笑う。

 治安の悪い貧民居住区『歯車街』ではあるものの、ここで生活する住民達は皆、『ヤドリギ園』のシスターに対して敬意を払っていた。

 衆光会と共に子供達を保護し、時に無償の食料配給を行う『ヤドリギ園』は特別なのだ。加えて歯車街に診療所を開き、安価で住民達の治療を請け負うレオンの存在も大きい。


「皆さんも作業、お気をつけて!」


 彼らに対し、笑顔で手を振るカトリーヌ。

 馴染みの住人も多く、これから訪れる一般居住区よりも安心感がある。

 カトリーヌの隣りを歩くエリーゼも、彼らに対して静かに黙礼を返した。


 歯車街を抜けると、そのまま工業地帯へ足を踏み入れる事になる。

 シレナ川に沿って広がる工業地帯には、レンガとコンクリートで造られた巨大な金属精錬施設、金属加工施設が建ち並んでいる。

 それら建造物の壁面には、何千という数の鋳鉄ダクトが整然と這い、その有様は人間の血管、或いは神経網を思わせる。


 各施設に面した通りには、資材運搬用の大型蒸気駆動車両が列を成している。

 この工業地帯で生産された資材及び金属加工品は、ガラリア国内だけで無く、幹線道路を、或いは河川輸送路を経て、遥か遠く異国の地にまで運ばれるのだ。

   

 工業地帯を通り過ぎれば、一般居住区へと辿り着く。

 夕暮れ時の目抜き通りは、今日も行き交う街の人々で、ごった返している。

 あらゆる種類の商店が軒を連ね、目を惹く色合いの看板が並んでいる。

 この界隈でなら、一般家庭での必需品程度は大体何でも揃う。


 各店舗のレンガ壁には、数多のアパートメントと同じく、生活用水と生活蒸気の鋳鉄ダクトがうねり、そこから溢れ出す白い蒸気が敷石舗装の路上に漂う。

 人ごみの中で前へ進む事の出来ないレシプロ蒸気駆動車も、排気ガスと蒸気を吐いては街の空気を濁らせている。

 やがてカトリーヌとエリーゼは、一軒の雑貨屋へと辿り着いた。


 狭い店内には、様々な日用品が並んでおり、店舗奥のカウンターでは、老いた店主が新聞を読んでいる。カトリーヌは店主に声を掛けると、薄暗い店内をゆっくりと見て歩く。

 やがて繊維雑貨の棚に、子供用色紙と色鮮やかなリボン、可愛いイラスト入りの便箋があるのを見つけ、それらを纏めて購入する。

 子供用雑貨満載の買い物袋を抱えたカトリーヌは、次いで診療所で使う薬品や資材のリストを送付するべく、郵便局へと歩き始めた。


「シスター・カトリーヌ、その荷物は子供達の為の知育玩具でしょうか?」


 傍らを歩くエリーゼの質問に、カトリーヌは答える。


「これは毎年ヤドリギ園で行われる、グランマリー聖誕祭の飾りつけに使うの。はさみと糊を使って子供達と一緒に、花を作ったり星を作ったりして、部屋を飾るんだよ。そうやってグランマリー様の聖誕をお祝いするの」


「左様でございますか……ですがシスター・カトリーヌ、買い物の様な雑務なら、侍祭である私に遠慮なくお申し付け下さい」


 エリーゼは得心した様に頷きつつも、言葉を重ねる。


「ううん、エリーゼの侍祭って肩書きは形式上だからね、ちょっと頼めないよ。それに私、子供達が好きそうな雑貨とか、可愛い小物とか、見て回ったりするの好きだから」


 カトリーヌは軽く首を振り、笑顔で応じる。


「左様でございますか」


「うん……子供の頃ね、私、グランマリーの孤児院で生活していたんだ。どうしても貧しくってね、玩具だとか楽しい物って、なかなか手に入らなかったんだけれど、時々、シスターが、こういう物を用意して下さって、それが嬉しくってね。だから私も、出来るだけ子供達が喜びそうな物を、自分で選んであげたいなって……」


 そう言いながらカトリーヌは、自分の子供の頃を、思い出していた。


 ――子供の頃。

 戦災に巻き込まれて、何もかも失って。

 当ても無く、逃げ惑う事しか出来なくて。


 そんなカトリーヌを救ったのが、グランマリーのシスターだった。

 グランマリーのシスターに救われ、カトリーヌは孤児院に引き取られたのだ。


 辛くて、苦しい事も多かったけれど。

 それでも頑張れたのは、救ってくれたシスターの姿を覚えているからだ。


 あのシスターがいたから、私は頑張れた。

 あのシスターがいたから、私はまた、笑える様になった。


 カトリーヌは子供の頃に見上げた、背の高いシスターの背中を思い出していた。

 泥と、灰と、血に塗れて。

 それでも、小揺るぎもしないシスターの背中を、思い出していた。

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