第18話 日常
壁に設えられたエーテル水銀式の小型黄色灯が、部屋に明かりを燈した。
暖かな色合いの光源に照らされた二人部屋は、さほど広くは無かったが、きっちりと整理整頓されており、掃除も行き届いていた。
キルトカバーの掛かるベッドが二つ、壁に沿ってクローゼットが二組。
部屋の中心を挟んで対を成す様に、家具が配置されている。
大きめに作られた窓には厚手のカーテン、窓の外には木製の鎧戸。
使用感のあるベッド側に置かれたクローゼットには、モノクロの写真が質素な額縁に入れられ、飾られている。
写真の中には、子供の頃と思しきカトリーヌと、背の高いシスターが並んで映っていた。
「……この部屋が、エリーゼさんと私の二人部屋になります。家具はともかく、エリーゼさんが使うベッドのお布団は新調したので、寝心地は悪く無いと思いますよ?」
そう言ってカトリーヌは、傍らのエリーゼに微笑む。
ダークグレーのワンピースに身を包んだエリーゼは、シャルルが用意した着替え一式の詰まったトランクを手に、部屋の戸口で佇んだまま、ベッドと家具に視線を送り、そしてカトリーヌを見上げる。
「部屋の共用シャワーとご不浄はあちらに……あ、ヤドリギ園のシャワーは、生活用水も生活用蒸気も配管がしっかりしてるから、何時でも利用出来るんですよ」
「私には勿体無いお部屋です。シスター・カトリーヌ。不束者ですが今後とも、よろしくお願い申し上げます……」
銀の弦を震わせる様な声でエリーゼはそう言うと、手にしていた大型のトランクを床の上へ置く。
そしてスカートを軽く摘むと、カーテシーにて優雅に頭を下げた。
余りにも丁寧過ぎるエリーゼの姿に、カトリーヌは言及せざるを得ない。
「あの……そんなに改まらなくても良いですから……私も不調法なところがあって、迷惑を掛けてしまうかも知れませんし。もう少し、気楽な感じで良いですからね?」
頭を上げたエリーゼは、カトリーヌの言葉を聞いて軽く頷いた。
「左様でございますか……。それではシスター・カトリーヌ、私に話しかける時は、敬語で無くて結構でございます。そうして頂ければ、私も気が楽になるやも知れません」
エリーゼの提案は、カトリーヌにとって有り難かった。
共同生活なのに、何時までもよそよそしいというのも息が詰まるし、とはいえどの段階でどれくらい胸襟を開くのかという、タイミングの選択も難しい。
それを探る手間を思えば、ここでエリーゼの提案に乗ってしまうというのは、とても楽であるし、エリーゼもまた、自分と距離を詰めたいのだと想いに、ほっとした。
「えっと……そうだね、じゃあ解った、エリーゼ。とりあえず部屋に入って? それと、エリーゼも私に敬語で無くて良いよ? 部屋にいる時は、カティって呼んで貰えたら……」
思い切って、ざっくばらんに話し掛けてみる。
一応こちらが先住していた身だし、問題は無いだろうとカトリーヌは思う。
エリーゼは使用感の薄い方のベッドへ近づき、自分用のクローゼットを見上げながら口を開いた。
「恐れ入ります、ですが私はオートマータですから。ご主人様のご友人であるシスター・カトリーヌに、失礼な態度は取れません、そういう風に出来ている……と言えば、宜しいでしょうか。ご容赦下さい」
「あ……」
カトリーヌは口篭る。
エリーゼがオートマータであるという事実を知ってはいても、実際に接してみると、信じられない程に自然である為、忘れてしまう。
それでも彼女はオートマータであり、やはり人とは違う部分があるのだろう。
カトリーヌの知る高等練成技術の知識は僅かだが、オートマータに関しては幾つかの事柄を学んでいた。
オートマータは人造された人間であり、大衆の知り得ない存在である事。
貴族達が自身のボディガードとして、或いは領地守護の要として、或いは権力を示すべく所持しているという事。
グランマリー教でも予てより教皇聖下守護兵として、複数配備されているという事。
人間よりもはるかに頑強である事。
頑強であるが故に、オートマータには何かしらの『枷』『制約』が設けられており、その規律の中で活動しているという事。
つまりエリーゼの慇懃な口調や物腰は、彼女に課せられた『枷』や『制約』に関する事柄なのかも知れない。
とはいえカトリーヌは、人とオートマータを大きく隔てて考えたくは無かった。なのでその件について深く追求する事無く、明るい声で応じる。
「そっか、じゃあエリーゼはその口調で良いよ? あの、私はこんな感じで話し掛けても……良い?」
「はい。勿論です、シスター・カトリーヌ」
エリーゼはそう答えると小さく微笑んだ。
そして、失礼します……と、一言断りを入れ、身を屈める。
そのままトランクから着替えの衣服を取り出すと、クローゼットへと片付け始めた。
カトリーヌは、そんなエリーゼの後姿を見ながら、なんとか上手くやって行けそうかな、などと考えていた。
◆ ◇ ◆ ◇
エリーゼが『ヤドリギ園』で暮らす様になり、一ヶ月が過ぎた。
その間、変わる事の無い日常が、緩やかに流れていた。
しかし、穏やかと言うには些か騒がしくもあるのが、ヤドリギ園の日常だ。
シレナ川沿いの工業地帯では、連日の様に蒸気機関の駆動音が響き渡る。
日の出から日の入りまで、それらの音は途切れる事など無い。
慣れぬ者には辛い騒音かも知れない。
とはいえ歯車街に住まう者たちの耳には、すっかり馴染んでしまっている。
定期的に響く工場の駆動音などは、目覚まし時計代わりだ。
それは『ヤドリギ園』で生活する子供達も、同じだった。
皆、工場の音など気にも留めない。
工場の音よりも、園内に響く生活音の方が勝ってしまう為だ。
はしゃぎ声に笑い声、元気いっぱいで走る回る足音。
礼拝に勉学、そして就寝の時間を除けば、孤児院内は常に音で溢れている。
但し、そんな園内にあっても、それなりに静けさの保たれた部屋があった。
ひとつは園長室であり、厳格な副園長であるシスター・ダニエマの存在が、子供達の無法を寄せ付けない。
もうひとつは、レオンが管理運営している診療所だった。
診療所は孤児院内に部屋を借りているとはいえ、独立した施設である為、院を支えるシスター達が子供達に協力を呼び掛け、診療所の開業中は近づかない様にと、皆で取り決めているのだ。
子供の声など苦にならないレオンだったが、シスター達の配慮や、それに倣う子供達の心遣いが嬉しく、開設当初は仮の短期診療所とする予定だったのにも関わらず、結局は長居してしまっている状態だ。
他者との関わり、人との付き合い。
そういった事柄が心地良い。
何故そう感じられるのか、レオンにも良く解らない。
幼少期、そういう経験を送って来なかったせいかも知れない。
何れにせよ、孤児院に開設した診療所は、レオンにとって居心地が良かった。
午後四時を過ぎた頃。
レオンは本日最後の患者を見送ると、各種消耗品のリスト作成をカトリーヌに依頼した。消毒液や脱脂綿といった消耗品、細々とした金属パーツの類いは、定期的にストックを確認しては、まとめて発注する様にしている。
リスト作成を任されたカトリーヌは、診療所の窓際に設けられた机に向かうと、軽快にタイプライターを叩き始める。
リズミカルで小気味の良いタイプ音が室内に響く、カトリーヌのタイピング速度はレオンよりも早く、そして正確だった。故にレオンはこうした書類の作成を、ついカトリーヌに頼ってしまう。
レオンはカトリーヌにリスト作成を恃む傍ら、医療カルテのファイリング作業を行う。この作業もこまめに行わなければ後々面倒な事になる。
蒸気式小型差分解析機・アリスを立ち上げたレオンは、手書きカルテをデータ化し、入力してゆく。
作業を開始して一時間ほど。
一通りの入力を終えたレオンは軽く肩を回しつつ、タイプライターを叩くカトリーヌを見遣った。背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま、落ち着いた表情で入力作業を行うカトリーヌの横顔は、普段よりも幾分、大人びて見える。
レオンは椅子から立ち上がると、部屋の隅に設置された小型サモワル――蒸気熱式給茶器で、カップに茶を炒れる。
そして、タイピングを続けるカトリーヌに声を掛けた。
「お疲れ様、シスター・カトリーヌ」
デスクに湯気の立つカップを置くと、カトリーヌは輝く様な笑みを浮かべた。
「あっ、ありがとうございます! レオン先生!」
カップを手に取ると、嬉しそうに一口啜る。
レオンも手にしたカップに口をつける。
「レオン先生! 頼まれていた消耗品のリスト、もうすぐ出来ますから。それと、残り少ない特殊素材もリストアップしてます、以前教えて頂いた『ベネックス医院』で入手出来るんですよね?」
「ありがとう、いつも助かるよ、シスター・カトリーヌ」
笑顔で作業状況を報告するカトリーヌ。
レオンが頷き、お礼の言葉を口にすると、カトリーヌは胸を張って答えた。
「このくらいの作業でしたら、何時でもお任せ下さい!」
タイピング作業に自信があるのだろう、普段より笑顔が不敵だ。
微笑ましげにレオンは目を細め、ふと、気になっていた事を口にした。
「ところでシスター・カトリーヌ。エリーゼと共同生活を始めて一ヶ月になるけれど……部屋でのエリーゼはどんな様子だろう。シスター・カトリーヌに迷惑を掛けたりはしていないだろうか」
園内ではエリーゼとも会うし、言葉も交わす。
時折、術後の経過を確認する為、身体メンテナンスを行う事もあり、エリーゼの日常は、それなりに把握しているつもりだ。
しかし、カトリーヌとの共同生活がどうなっているのか、その辺りについては解らない。
それをエリーゼに問う事は、カトリーヌのプライベートについて質問する様なもので、そこまで踏み込んで良いものか、という思いがあった為だ。
とはいえ全くの放置というのもどうかと思い、とりあえず一ヶ月という節目でもあるし、思い切って訊ねてみる事にしたのだ。
「迷惑な事なんてまったくありませんよ! エリーゼはとても物静かですし、私の事も気遣ってくれているみたいで……」
カトリーヌは明るい口調でそう答える。
嘘や隠し事といった、後ろ暗さを一切感じさせない口調にレオンは安心する。
カトリーヌは続けた。
「そうですね――良く本を読んでますよ、エリーゼ。夜は消灯前まで読書している事が多いですね」
「本? どんな本を読んでいるんだろう……」
「見せて貰った事があります、そうですね……近代史の本だったり、古い民話や伝承だったり、異国の文化や歴史の本もありました。子供向けの童話や、難しい学術書も……随分と幅広いなあって」
「そうなのか……」
近代史の本を読むというのは、なんとなく理解出来る。
エリーゼの記憶や歴史認識には、恐らく三〇年の空白がある。
それを埋める為の努力なのだろう。
民話に伝承の本は、趣味なのだろうか。
いわゆるオートマータ……そのエメロード・タブレット内に宿る魂は、それこそ神話や伝承に登場する妖魔精霊の類いであり、エリーゼも例外では無い。
そういった魂を持つ者が、人間の書き記した伝承に興味を示す……それは、己のルーツを探るといった感覚なのかも知れない。
レオンも以前、エリーゼが口にした『ナハティガル』――求道者を惑わす夜鳴きウグイス――それに類する精霊について調べてみた事がある、しかしそれらしい文献は見当たらず、既に失われた伝説、伝承である可能性を考えていた。
それとは別に、もうひとつ疑問が湧いた。
「ところでその本は、ヤドリギ園の図書室にあったのかな? 子供向けの童話はともかく、学術書の類いは置いて無かった様な気がするんだが……」
「ダミアン卿が時々、ヤドリギ園を訪ねて来られるのですが、その折に本をプレゼントしているんです。私もエリーゼに訊いてみた事があって、そうしたらダミアン卿に頂いたのだと」
「シャルルが? あいつ、エリーゼを甘やかして……困った奴だな」
カトリーヌの返答に、レオンは苦笑する。
とはいえ気持ちは解る。
かつて共に暮らしていたアーデルツの面影を、エリーゼに見るのだろう。
カトリーヌは楽しげに口許を綻ばせたまま、言葉を続けた。
「あと、エリーゼって凄く器用なんですよ? 裁縫なんてびっくりするくらい。みんな大助かりです」
「裁縫?」
「はい。子供達の服にツギを当てたり、繕ったり、ボタンを付け直したりするんですけれど、エリーゼはヤドリギ園で一番……ううん、きっとガラリアでも屈指の裁縫上手ですよ。ボタン付けなんかこう、クルクルクルクルッ、キュキュッ、クイッ! って感じで。あれはなんていうか……ソーイングマシンみたいで。いえ、変な意味じゃ無くて、凄いって意味で、とんでもなく器用なんですよ」
「へえ、どんなものか僕も一度、見てみたいな……」
身振りを交えて話すカトリーヌはとても楽しげだ。
それにしても、そんな家庭的な特技があったとは意外だった。
訊いてみなければ解らない事ばかりだ。
エリーゼは過去に、どんな生活を送っていたのだろうか。
コッペリアとして戦うばかりではない日常が、あったのかも知れない。
レオンはそんな事を考えていた。
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