共同生活

第17話 来訪

 仄白く霞掛かった空の下。

 太陽光が薄らぼんやりと滲んで見える。

 シレナ川沿いに広がるガラリア・イーサの工業地帯では、空が青く透き通る事など殆ど無い。

 しかしそこで暮らす人々にとっては、これでも好晴なのだろう、赤いレンガ壁の孤児院『ヤドリギ園』も、天気の良さを受けてか、各部屋の窓を開け放ち、子供達は総出で建物内の清掃を行っている。

 とはいえ遊びたい盛りの年頃だ、ともすれば脱線し、廊下で箒を振るって遊び始める。

 彼らを指導するシスター達は、呆れ顔で注意を繰り返しつつも、元気そうな子供達の姿に絆され、つい穏やかな笑みを浮かべてしまうのだった。


 掃除が行われている為か、マロニエの木が植わる前庭に、珍しく子供の姿が見えない。

 園の建物脇に蒸気駆動車を停めた運転手は、遊び回る子供達に注意を払う必要が無い為、のんびりと運転座席に座り、主人の帰りを待っている。

 駆動車の主――シャルルは、レオンとエリーゼを伴い、ヤドリギ園を訪れていた。


◆ ◇ ◆ ◇


 淡い陽光の差し込む窓には、ドレープのついたカーテンが掛かっている。

 エンジ色の絨毯が敷かれた部屋の中央には、木製のローテーブル。

 テーブルを取り囲む様に、複数のソファ。

 壁には聖女・グランマリーの肖像画。

 質素だが、清掃の行き届いた『ヤドリギ園』の応接室だった。

 

 ソファーに腰を降ろすレオンは、普段通りの白いシャツに黒いウェストコート、ボトムという出で立ちで、斜向かいに座るシャルルは、ダークブラウンのラウンジスーツ。そしてレオンの隣りには、飾り気の無いダークグレーのワンピースを着込んだエリーゼが座っていた。

 煌めくプラチナのロングヘアは、後頭部で丸く束ねられている。

 目を伏せる様に軽く俯いている為、白く細いうなじが見える。

 その容姿容貌は、驚く程に端正かつ美麗だった。

 

 エリーゼの向かいに座るのは、濃紺の修道服を身に纏ったカトリーヌだ。

 当惑した様に大きな眼を瞬かせては、美しい少女とレオンを交互に見遣る。

 そこはかとなく不安げな、そして居心地の悪そうな様子だ。


 そんなカトリーヌの隣りには、二人の尼僧。

 ひとりは皺深い口許に穏やかな笑みを浮かべた、孤児院の長たるシスター・ララ……ヤドリギ園の園長だった。

 園長の隣りに座るのは、がっしりとした体格で大柄な副園長、厳格さを絵に描いた様な顔立ちのシスター・ダニエマだ。

 レオンは三人のシスター達に、ここ暫く診療所をカトリーヌに任せ、不在にしていた事を詫びつつ、その理由について語った。


「診療所を不在にしていた件、深くお詫び致します。こちらのダミアン卿から受けた依頼に加え、練成倫理上、見過ごせない問題を抱えておりました」


 レオンの発言を受け、園長は軽く頭を振り、穏やかに応じる。


「私共はレオン先生を咎めるつもりなどありません。ただ、その問題について、もう少し詳しく聞かせて頂けますか?」


 レオンは、傍らに座るエリーゼに視線を落としながら口を開く。


「はい。まず……この子の名はエリーゼと言います。ある練成技師が秘匿していたオートマータで、深刻な機能不全であったのにも関わらず、特殊な研究の為、動く事も叶わぬまま放置されていました。その様な状況を医者として見過ごす事が出来ず、移植施術を行い、再生したのです」


 この発言には、事実と乖離した部分がある。

 父・マルセルの名を、挙げていない点だ。


 しかし、それは止むを得ない事だった。

 マルセルは、グランマリー教会上層部・枢機会派から高く評価されており、コッペリアとしてだけでは無く、練成技師としても数多くの成果を残している。

 そんなマルセルに対する過度な批判は、教会上層部に対する批判とも受け取られかねず、教会に属するシスターとしては、たとえ在俗区派閥に属しているとしても、レオンに理解を示しているとしても、立場的に同意も肯定もし難い。


 故にレオンは伝えられる範囲で、事の概要をシスター達に伝えたのだ。

 シスター達にしても、それはそれで納得出来る回答だった。

 レオンの人柄と過去の言動を踏まえ、信用に足ると判断出来る為だ。

 レオンは言葉を続けた。


「機能不全のオートマータを放置する事は、グランマリーの倫理規定に反する違法行為です。見過ごす事など出来なかった。しかしその練成技師を法的に裁く事は難しい。ピグマリオンは練成倫理的な部分でも優遇、擁護されている側面があります……研究の一環、その方向で押し通す事も可能でしょう……」


「そうですね……。ピグマリオンともなれば、グランマリー教会との関わりも深いでしょうし……」

「はい。残念ですが件の練成技師に関する事柄は、留保するつもりです……」


 ガラリア・イーサでは、一般的な法律や倫理より、練成技術の発展が優遇されている……そんな側面がある。歪な価値観だが、古より練成技術の発展を支え、そんな状態を認めて来たのは、他ならぬグランマリー教なのだ。

 教団に属するシスターという立場では、如何ともし難い事柄なのだろう。

 その事を理解しているレオンは、それ以上この件に拘る事無く、話を本題へと移した。


「それとは別に……いえ、話の続きではあるのですが、この子の件です。私の施術で救う事は出来たのですが、彼女には引き取り手も、暮らすところもありません。こちらのダミアン卿に引き取って頂く事も考えたのですが……この子の意向を確認したところ、再生主である僕の許で暮らしたいとの事でしたので……」


「せっ、先生の部屋で一緒に暮らすんですかっ……!?」


 身を乗り出す様にして声を上げたのは、シスター・カトリーヌだ。

 大きな目を丸くしての唐突な質問に、副園長のダニエマが咳払いで諌める。

 レオンは笑みを浮かべて軽く頭を振ると、カトリーヌの質問に答える。


「いえ、僕の部屋を彼女と二人で共有する事は、さすがに無理でしょう。スペースが足りません。ですので……」


 園長と副園長の方へ向き直り、レオンは言った。


「孤児院の一室で彼女を預かる事は可能でしょうか。彼女はオートマータですが……生活様式も感覚も人と変わりません。彼女の生活資金は僕が提供します。多少の練成知識もある様ですし、僕の助手という形で仕事を手伝って貰う事も可能です……」


「わっ、私が現在、先生の助手を勤めているのですがっ……!?」


 再びテーブルへ身を乗り出すカトリーヌ。

 つぶらな瞳の奥に、不安の色が揺れている。

 副園長のダニエマが、改めて咳払いを繰り返す。

 レオンはカトリーヌに頷いてみせた。


「勿論、シスター・カトリーヌには今まで通り、僕のサポートを頼みたいと思っています。助手の件は、彼女に出来る事の一例として挙げただけですから」


「そ、そうなんですか……」


 レオンの言葉を聞いたカトリーヌは、安堵した様に座り直す。

 その上で、言い難そうに言葉を重ねた。


「ですが先生……その、彼女の生活資金援助となると、相応の金額が必要になると思うのですが……大丈夫なんでしょうか……?」


 カトリーヌは、レオンの診療所に通う患者の多くが、治療費を滞納している事を知っている。

 それを踏まえた上での危惧なのだろう。

 カトリーヌの疑問に、ラウンジスーツ姿のシャルルが答えた。


「シスター・カトリーヌ。レオンは、学生の頃に複数の練成技術に関する特許を取っています。具体的には人工血管と人工神経に関する画期的な練成技法で、最近の義肢や人工臓器に、広く採用されている物です。そこから得られる利益を考えれば、彼女の生活を援助するくらいの資金は賄えている筈です」


「え? そ、そうなんですか? じゃあ……大丈夫、という事なのでしょうか……?」


「はい、安心して下さい、シスター・カトリーヌ」


 再度確認するカトリーヌに、レオンが微笑みながら答えた。

 罰が悪そうにカトリーヌは恐縮する。

 副園長のダニエマは憮然とした表情のまま、横目でカトリーヌを睨む。

 レオンは言葉を続けた。


「如何でしょうか、園長。この孤児院で彼女を預かっては頂けないでしょうか」


「そうですね……常日頃からお世話になっているレオン先生の頼みとあれば……。当院の経済事情はご存知の通り芳しくありませんが、彼女の生活費をレオン先生が工面されるという事であれば、何も問題はありません、喜んでお引き受け致しましょう……と、言いたいのですが……」


 園長は穏やかな口調で、但し、少し気を持たせる様な返答を口にした。

 とはいえ決して不穏な反応では無さそうだ、口許に笑みが浮かんでいる。

 

「居住用の一人部屋に空きが無いのです……倉庫の様になっている部屋は、さすがにお貸し出来ませんし……そこで、もし宜しければ……良いかしら? シスター・カトリーヌ?」


「はっ、はい、何でしょうか? 園長」


 カトリーヌは姿勢を正して応じる。

 園長は優しく告げた。


「シスター・カトリーヌが現在使用している部屋は、二人部屋ですね? ベッドも収納ケースも、一人分、未使用で空いている筈です」


「えっ? ……はっ、はい……確かに二人部屋で、ベッドはひとつ空いていますが……」


 カトリーヌの返答を聞いた園長は、レオンとエリーゼの方へ向き直った。


「レオン先生、そしてエリーゼさん。一人部屋は無理ですが、二人部屋……相部屋で良ければ、すぐにでも入居して頂く事が出来ます……そうですね? シスター・カトリーヌ」


「えっ!? えっ……えぇ、その、は、はい……」


 にこやかに提案する園長の隣りで、カトリーヌは複雑な表情を浮かべたまま、気が抜けた返答を行う、色々と思うところがあるのだろう。

 とはいえ『ヤドリギ園』で暮らす尼僧達の殆どが、二人一部屋の相部屋で生活している以上、若輩であるカトリーヌに、文句など言えよう筈も無い。

 しかし急な話だけに……カトリーヌは引き攣れた笑みを浮かべるばかりで。 

 そんな微妙な空気が漂う中、エリーゼが静かに声を上げる。


「――ご迷惑をお掛けしてしまい、誠に申し訳ございません。園長先生のご慈悲に縋らせて頂けましたら幸いです。そしてシスター・カトリーヌ……」


「は、はい……!?」


 急に話し掛けられたカトリーヌは、上擦った声で答える。

 エリーゼは軽く俯いたまま、言葉を紡ぐ。


「突然この様な無理を持ち掛けてしまいました事、お詫びの言葉もございません。ですがどうか、同室の許可をお与え下さいませ。失礼の無い様、精一杯努めます故……」


「あ……」

 

 慎み深く頭を垂れて語る少女は、脆く壊れそうな硝子細工を思わせた。

 何よりも哀切に響く、鈴の音を思わせる細い声。

 これ程に、か細い声を聞いてしまっては。

 ましてや二人部屋を一人で独占したいが為に、可哀想な少女を忌避するなど。

 カトリーヌは心の中で自由な一人部屋生活に別れを告げつつ、胸を張って宣言した。


「いいえっ、気にする事はありません! グランマリーに仕える者として、私はあなたを快く迎え入れますよ? エリーゼさん」


「心より感謝致します、シスター・カトリーヌ」


 エリーゼは目を伏せたまま謝意を述べ、口許に笑みを浮かべた。

 快諾するカトリーヌの姿を見ながら、園長は微笑む。

 そしてレオンの方へ向き直ると、穏やかな口調で告げた。 


「レオン先生、その子は責任をもって、当園でお預かりしましょう。正式な書類の作成はまた後ほど……」

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