第14話 覚醒

 作業開始から二十日が経過していた。

 体力的には消耗を感じつつも、レオンの精神は張り詰めていた。

 不眠不休の作業は、集中力と気力の維持を優先した結果だった。

 都合四回の動作確認を経て、レオンは人造脳髄の拡張作業を完了させ、同時に作業を進めていた胴体部への四肢接続作業も終えていた。

 更に今より一時間前、拡張した人造脳髄の中心へ、エメロード・タブレットを埋め込む事に成功している。


 施術台の上に横たわるアーデルツの小さな身体は、骨、筋肉、神経、血管、全てに於いて問題が無く、心拍も呼吸も沈静時の正常値を示していた。

 後は身体を再起動し、エメロード・タブレットと接続するばかりだった。 

 

 その最終工程。

 スチーム・アナライザーを用いたチェック作業中。

 隣室から通話用直通テレフォンの呼び出しベルが響き、レオンは手を止めた。

 アナライザーによる自動解析はそのままに、隣室へ移動し受話器を取る。

 シャルルからだった。


「シャルルだ、レオン。そちらの様子が気になって、電話を掛けさせて貰った」


「シャルルか……」


 レオンは、疲労の滲む掠れた声で対応した。

 受話器の向こうでシャルルが言う。


「俺の間違いから始まった依頼だ、無理を言えるものでは無いが……『ヤドリギ園』のシスターや子供達も心配している。状況を教えて貰えないか?」


 シャルルやシスター・カトリーヌの心配も当然だろう……と、レオンは思う。

 二十日間、音信不通の状態では無いにせよ、こちらから連絡は入れていなかったのだ。練成術の基礎を学んだシャルルなら、アーデルツの肉体修復に、ここまで時間が掛かる事を訝しむのも当然だった。

 レオンは静かに切り出した。


「シャルル、頼みがある」


「言ってくれ、俺に出来る事なら協力する」


 シャルルはレオンの申し出に即答した。

 生真面目なその口調に、レオンは学生だった頃を思い出す。

 こういう奴だったな……ふと懐かしさを覚える。

 そのまま言葉を続けた。


「アーデルツの埋葬依頼を、取りやめてくれないか?」


 受話器の向こうでシャルルが押し黙った。

 束の間の沈黙を経て問われた。


「どういう意味だ? エメロード・タブレットが損壊して……死んでいるんだろう? まさか反応があったのか?」


「いや、もうアーデルツは戻らない。死んでいる……」


 微かな期待を抱かせてしまった事をレオンは悔いる。

 その希望が無い事を確認したシャルルは言葉を重ねる。


「そうか……じゃあ何故、埋葬の取り止めを頼むんだ? ……確かに俺は、レオンを裏切ってしまったかも知れない、だからこんな事を言えた義理ではないが……彼女は俺にとっても大切な存在だったんだ。形式上とはいえ、せめて人として埋葬して欲しい。取り止めを頼む理由を聞く権利くらい、俺にもあるはずだ」


 シャルルの要望は当然だろう。

 隠し通す事も出来ない。

 レオンは全てを話す事にした。


「……父から、エメロード・タブレットを託された」


「なに? タブレット? どういう事だ?」


 シャルルは尋ねる。

 

「三〇年前に、マルブランシュ家へ伝えられたタブレットだ。身体が無いまま、意識だけが今でも覚醒している。マルブランシュ家は、この生きたタブレットを解析する事で勃興したんだ」


「……三〇年前? そんなタブレットが存在するのか? そんな物……それは禁忌を無視した犯罪だぞ……それをマルブランシュ家が? いやそれよりも、ちょっと待て」


 説明不足で疑問は多い筈だ、しかし覚醒状態のまま放置されたタブレットの問題、その危険性についてシャルルは気づいたのだ。

 探るような口調でシャルルは問い掛けた。


「おい、事情はまだ良く飲み込めないが……レオン、そのタブレットを、アーデルツの身体に組み込むつもりじゃないだろうな?」


「……そうだ、このタブレットに囚われた魂を救わきゃいけない」


「やめろ、そんなこと! 危険過ぎる!」


 シャルルは憤った。

 レオンは静かに返答する。


「僕が救わなきゃ駄目なんだ」


「何を言ってるんだ! 救う救わないの問題じゃない、危険だと言っているんだ! 俺は高等練成術の初歩しか知らないが、そのくらいの事は解る! あらゆる感覚を失っているんだろう? 人間なら一〇分も精神が保たない、三〇年だと? タブレットに封入された魂は人間のモノじゃない、何が起こるか解らんぞ!」


「……マルブランシュ家が犯した罪だ、ならば僕が背負うしかない」


 シャルルの激昂をレオンは聞き入れなかった。

 

「……タブレットには魂が宿る、ピグマリオンにとって、その管理は絶対だ。そんな絶対初歩の基本を無視して、僕の一族はのうのうとピグマリオンを続けていた。富と名声、好奇心を満たす為に。許されるわけがない。せめて罪滅ぼしがしたい」


「おい待て! 悲しむべき事なのは解る、それでも待て、話をきけ!」


「――シャルル、ずるい事を言わせてくれ」


「な、なんだ!?」


「アーデルツの事で、お前が俺との約束を破った件だが、全て忘れる」


「待て! それは話が別だろう!? 俺は許さないぞ!? おい!」


 レオンは受話器を置きながら、許さないと怒るシャルルに心の中で詫びた。

 もとより、シャルルが敢てアーデルツを引き取る義理など無かった。

 友人だからという、ただそれだけの理由で、シャルルは手を差し伸べたのだ。


 アーデルツもそうだ、アーデルツにはアーデルツの自由意志があった。

 衆光会の件も、グランギニョールの件も、アーデルツが選んだ道だ。

 レオンは制作者であっても、アーデルツの想いは、魂は縛れない。

 

 シャルルも同じだったのだろう。

 ならばシャルルをこれ以上、責める事は出来ない。

 それ以上に、己自身が責め苦を負って然るべきだ、レオンはそう思った。


◆ ◇ ◆ ◇


 工房へと戻ったレオンは、スチーム・アナライザーの解析結果を確認する。

 出力用紙に印字された数値が、全て正常である事を示していた。

 レオンは施術台の上に、目蓋を閉じて横たわるアーデルツの身体を見下ろす。


 亜麻色の長い髪。

 端正に整った顔立ち。

 華奢で小さな身体。


 グランギニョールに参加させる意思など無い、オートマータ同士を戦わせるグランギニョールは間違っている、その考えを、敢て身体の小さなオートマータを作る事で表現した……つもりだった。


 しかし現実は、そんなレオンの思惑など関係無くアーデルツは戦いへと赴き、小さな身体故に、ただ苦しんだだけだったのかも知れない。

 結局のところ自分も、己が主義主張の為にオートマータを練成し、その魂を弄んでいただけなのではないか。

 その身勝手さは、数多のピグマリオンと変わらないのではないか。


 レオンはスチーム・アナライザーへ近づくと、危機管理措置を再確認する。

 そして、アーデルツの肉体とタブレットの接続を行う最終工程を入力した。


 アナライザーに組み込まれた三〇〇を超える金属ドラムが低い音を立て、ゆっくりと旋回し始める。

 アーデルツの体内で、全ての神経回路が脊髄を経由し、エメロード・タブレットへと接続されてゆく。更に生命維持を優先するべく必要最小限に抑えられていた心拍と呼吸が、少しずつ身体活動に必要な値へと近づいてゆく。


 施術台に横たわるアーデルツの身体に、変化が起こる。

 肌が、唇が、頬が、艶やかな潤いを帯びる。

 胸元が、大きく上下し、呼吸が深くなる。

 指先が、睫毛が、微かに震えて。


 亜麻色の長い髪が、少しずつ色素を失ってゆくのをレオンは見た。

 雪の様に白く輝くプラチナへと変化し始めて。

 肌の色も白く淡く、瑞々しく透き通る。 


 そして気がつけば、目許が、口許が、顔立ちが、以前とは違っていた。

 どこが、どうとは言い難い、しかし、確実に違う。

 神秘的なその変化は、レオンにとっても初めての現象だった。


 やがてアーデルツだった娘は、ゆっくりと目蓋を開く。

 かつてブルーだった瞳の色は、ピジョンブラッドの赤へと変化していた。 

 再起動したばかりの、雪の様に白い娘は、施術台の上で身体を起す。

 視線は下へ、自分の手を、指先を見つめている。

 そのまま数秒。


 おもむろに小さな手で顔を覆うと、嗚咽を洩らし泣き始めた。

 しゃくり上げては啜り泣き、肩を震わせ涙を流す。

 レオンはその様子を、じっと見守る事しか出来ない。

 彼女はもはやレオンの知る、アーデルツでは無い。

 アーデルツよりも巨大な意思を持つ、人間では無い何かだ。


 それでもその姿は痛ましく思えて。

 レオンは娘の腕に絡むケーブルコードを取り外そうと、施術台へ近づく。


「そのまま動かないで。身体からケーブルを取り外す」


 そう言ってレオンは、娘の肩口へと右手を伸ばす。

 その手首を、いきなり掴まれた。


 鋼鉄製の万力で締め上げられる様な、圧倒的な力。

 手を引く事も、振り解く事も出来無い。

 細い指先が手首に食い込み、血が滲み肘へと流れ出す。

 骨の軋む音すら聞えて来そうな激しい痛み。


 オートマータの身体は、鋼鉄と鉱石を置換練成し、受肉させた物だ。

 たとえ少女の姿をしていようとも、戦闘用のコッペリアで無くとも、人の力を凌駕し得る。

 しかしこの力は。

 レオンの想定を遥かに上回る筋力だった。

 

「くっ……」


 どうする事も出来ず、レオンは娘を見た。

 娘は涙に濡れた眼で、真っ直ぐにレオンを見上げていた。

 冴え冴えと輝く、月明かりの様に白い美貌。

 憂いを帯びた赤い瞳。

 ビロードの艶やかさを湛えた唇が、そっと囁く。


「漆黒無音、虚無の狭間で永劫を過ごす、その地獄……」


 寂しげな表情に、ハの字を描く柳眉。

 銀の弦が爪弾かれ震える様な、可憐な声だった。


「恐怖に震え絶望し、消滅に救いを求めようとて得られぬ無限の煉獄……」


 娘の囁きが哀切に響く。

 しかしレオンの手首は砕けんばかりに締めつけられ、食い込む指先が皮膚を破り、激痛と共に血を滴らせている。


「……オートマータに宿る魂は、人に非ず、人で無し。人に語り継がれ、人に畏怖され、人の裡に在る事で存在する妖魔精霊の類であると……。その本質はもはや魔物に近しい……その様な魂が地獄以下の地獄に落とされ、苦しみに喘いでいたのでございますよ? 気は確かでございますか……?」


 その口調はとても静かだ。

 決して怒りや憎しみの感情に濁った物では無い。

 しかしそれだけに、引き千切れんばかりに痛む右手首の感覚が生々しい。

 娘は更に続ける。


「今の私は、この世の所業、全てが呪わしい、忌まわしい、生きて動くもの全てに虫唾が走る、狂おしい程に憎しみが募る、貴方も死ぬ、今ここで、惨たらしく残酷に死ぬ……」

 

 右手首の圧迫が更にきつくなる。

 焼けた火掻き棒を押し当てられたかの様な痛み。

 レオンは額から汗が滲み出すのを感じた。


「痛みは誰に対しても平等、誰もが真実を語る処方。……唯一つ知りとうございます……なぜこんな事を? こうなる事は解っていた筈。エメロード・タブレットを扱える程の練成技師ならば……好奇心や手慰みに、この様な事はされますまい……正直にお答え下さいませ」


 赤く輝く瞳には、僅かほどのくすみも無い。

 驚くほど静謐な、安らぎすら感じさせる眼差しで。

 レオンは、その瞳を見据え、痛みに耐えながら静かに言った。


「魂を侮り……魂を弄び、魂を食い物にする、僕ら練成技師の所業は……万死に値する……」


 手首から溢れ出す血が、肘から施術台へと滴り落ち、赤い染みを作り始める。

 

「君を救いたかった。偽りの聖戦……神の捧げ物……そんな下らない理由で、魂を侮辱し続けた練成技師の一人として救いたかった。もし救えたなら……僕にとっても救いだったんだ。その結果……罰が下り、僕が死ぬのなら。それは練成技師として受け入れるべきだ、それだけの事をした、僕達は……」


 苦痛に揺れるレオンの視線を、娘は静かに見つめ返す。


「――覚悟があったと? 理不尽に死ぬ覚悟が? 難儀を背負い、私を助けた上で私に殺されて死ぬ? 無間地獄より救うという名目ならば、タブレットを打ち壊せば良かったのに。この痛みが意味するところを理解して尚……そう仰いますか? この痛みの延長線上に、死に際の激痛が在ると知って尚、そう仰るのですか?」


 ふた呼吸ほど置いて、娘は呟く様に問い質す。

 優しく響いたその言葉は、残酷だった。


「決して楽に死ねない……そう理解した上で、言い張れますか……?」


 レオンは手首をこれ以上無いほどに締め上げられ、骨の軋む音を聞いた。

 苦痛を噛み殺しつつ、レオンは娘の紅い瞳を見つめ、答えた。


「そうだ……僕は、僕に……殉じる……」


 レオンの言葉を聞いて、娘はそっと眼を細めた。

 ほぅ……と、小さく吐息を洩らして。

 そして呟いた。


「酔狂な……」


 娘の指先が、レオンの手首を開放する。

 手首には青黒いアザと、血の滴る五つの指跡が残った。

 娘はしなやかに腕を伸ばしつつ、指先から肩口までを目で追う。

 更に己の肩を、そして腰を指先でなぞり、抱き締める様にしながら呟いた。


「ずいぶんと小さな身体にございますね……コッペリアではない……?」


 レオンは血の滴る手首を抑えながら返答する。


「コッペリアは造らない……オートマータを無駄に戦わせ、博打の駒にする様な真似はしたくない……」


 娘はじっとレオンを見つめる。

 幾許かの時が流れて。

 やがて、口許に微笑みを浮かべた。

 それは驚くほどに妖艶な、大人びた笑みだった。

 レオンの方へ、両手を差し出し呟く。


「戦わせるつもりも無く、私を救う為だけに……この様な無茶を?」


 レオンは一瞬戸惑うも、すぐに施術台の上で上体を起す娘へ、身を乗り出す様に近づく。

 レオンに身を寄せた娘は、差し伸べた手をレオンの背中に回す。

 そのまま、自身の頬をレオンの頬に、二度、三度と近づけ、親愛の情を示す。

 そして囁いた。


「私の名は『エリーゼ』と申します。前世は夜鳴きウグイス……ナハティガル。櫟の実を啄ばみ、求道者を惑わせし精霊にございます……ご主人様」

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