人造乙女

第13話 決意

 見上げた空は曇天模様。

 とはいえガラリア・イーサの工業地帯では、珍しくも無かった。

 あらゆる工業機器の動力が蒸気機関である以上、濃縮エーテルによるエネルギー効率上昇の恩恵があれど、黒々とした噴煙と蒸気の霧は避けられない。


 しかしそんな暗澹とした空の下であっても『ヤドリギ園』の子供達は、広々とした園の前庭を笑顔で走り回り、はしゃぎ回っては、付き添う者を困らせる。

 雨さえ降らなければ、子供達は元気なものだ。


「こらっ! 花壇に入っちゃ駄目! そっちもボールを拾いに庭の外へ勝手に出ちゃ駄目よ!? 工業地帯が近いんですからね、駆動車が走ってて危険なんだから!」


 そう子供達に注意するのは、張りのある褐色の肌に、濃紺の修道服が良く似合う歳若い尼僧、カトリーヌだ。

 腰に両手を当て、眉根を寄せたしかめっ面で声を上げる。

 しかし子供達は、そんなカトリーヌの叱責も何処吹く風、歓声を上げては跳ね回る、その有様にカトリーヌの表情も険しさを増して行かざるを得ない。

 他のシスターによる叱責ならば、子供達もここまで野放図な態度は取らない、年齢以上に若く見えるカトリーヌの弱点だった。


 そんな賑やかな孤児院の前庭に、幌の張られた黒塗りのカブリオレ型蒸気駆動車がスピードを落としつつ、ゆっくりと乗り入れて来た。

 フロントガラス越しに見える運転手は子供達に注意を払いつつ、器用にハンドルを切ると、孤児院の建物に沿わせて停車させる。

 駆動車から降りた運転手は後部座席のドアを開けると、ブラウンのフロックコートを着込んだ青年――シャルルが姿を現した。 

 駆動車を降りたシャルルは、前庭で子供達に囲まれているカトリーヌの傍へ歩み寄ると、胸元に右手を当て目を伏せながら、穏やかな口調で挨拶する。

 

「お忙しいところ失礼します。先日はご迷惑をお掛けしました、シスター」


「まあ、ダミアン卿、ごきげんよう」


 カトリーヌも胸元に手を添え、頭を下げる。

 歯車街には場違いなシャルルの姿と流麗な駆動車に、子供達は興味深々といった面持ちで集まって来る。

 シャルルは、そんな子供達の様子を微笑ましげに眺めつつ、言葉を続けた。


「所要で工業地帯へ出向いたのですが、少し確認したい事があり、立ち寄らせて頂きました。レオンは……レオン先生はいらっしゃいますか?」


 カトリーヌは少し表情を曇らせると、質問に答えた。


「いえ……来られていません。十日前に電信で、暫く手が離せない、という連絡があったのですが……ダミアン卿なら何かご存知かと思っておりました……」


 その返答を聞いたシャルルは、微かに眉根を寄せて口を開く。


「やはりそうでしたか……。レオン先生には、ヤドリギ園へ通う際、当家の駆動車を使ってくれと伝えていたのです。ですが十日前、しばらく迎えに来なくても良いという連絡を運転手が受けて以降、音沙汰が無くて。診療所の仕事はどうしているのかと気になり、立ち寄ったのですが……」


 思案顔のシャルルを見上げながら、カトリーヌはレオンからの言伝について話してみる。

 

「診療所を訪れる患者さん達には、レオン先生が往診先で治療を続けているので当分は戻れないと伝えて、今は私が対応出来る範囲で治療を請け負っています。それでも難易度の高い施術が必要な場合は、連絡してくれと電信にあったので、修復に専念したまま、まったく戻る事が出来ない……という事では無いと思うんです」


 シャルルは小さく頷いた。


「なるほど……しかし……」


 シャルルは一旦言葉を切る。

 彼もかつては練成機関院付属の学習院で、練成技術の基礎を学んでいた身だ。

 その知識に照らして考えると、損壊したオートマータの身体部位修復作業にしては、少し時間が掛かり過ぎている様にも思える。

 しかし自分の過ちが発端である以上、レオンに直接事情は尋ね難い。

 シスター・カトリーヌの呼び出しには応じるという事なら、取り敢えずはそれで納得すべきだろう……シャルルはそう考えた。


「……いえ、私の無理な要望から始まった事です。シスターにまで負担を掛けてしまい、申し訳ない」


 シャルルはそう言って謝罪すると、カトリーヌは軽く首を振り、笑顔で答えた。


「いいえ、私もレオン先生も、引き受けた事は責任を持って対応します。負担とは考えません。ダミアン卿に安心して頂ける様、最善を尽くします」


 グランマリーの助祭に相応しい、凜とした佇まいだった。

 カトリーヌの言葉にシャルルは頷くと、謝意を示した。


「……ありがとう。もし何かあれば、当家まで連絡頂ければ私も駆けつけます。アーデルツの件、よろしくお願いします」


 そんな二人の足元に、子供達の遊ぶボールが、コロコロと転がって来た。

 シャルルは身を屈めると、そのボールを追って来た子供の足元へ返球する。


「ありがとう! おじさん!!」


 ボールを受け取った子供は嬉しそうな笑顔を見せ、元気良くそう言った。

 それを聞いたカトリーヌは、慌てた様に声を上げる。


「こ、こらっ、アヴィ!? おじさんだなんて、この方は貴族で……」


「はは、構いませんよ、シスター。子供は元気が一番です」



 賑やかな『ヤドリギ園』の前庭を見渡し、シャルルはそう言って笑う。

 屈託の無い子供達の声は、憂鬱な色を帯びた空の下であっても朗らかに響く。

 衆光会に参画するシャルルにとって、こういった施設で暮らす子供達の笑顔は喜びだった。

 この幸せな光景を守りたいと、シャルルはそう考えていた。

 それが、アーデルツへの手向けになるだろうと、思っていた。


◆ ◇ ◆ ◇


 今が昼なのか、それとも夜なのか。

 レオンは気にも留めていなかった。

 ダークブロンドの髪は乱れ、目の下には隈、頬が削げた様にこけていた。

 食事も睡眠も、まともに摂っていないのかも知れない。

 ただただ眼前の作業に没頭し、作業机に向かい続けている。 


 素材搬入の為に工房を訪れたベネックス所長が、レオンの様子を気遣い、定期的に食事を提供していなければ、もっと酷い状態に陥っていた可能性もある。

 窓の無い工房の照らし出すのは、エーテル水銀式のアーク灯だ。

 壁に掛けられた時計の針は、午前二時を指し示していた。


 レオンの左目に掛けられているのは、複数のレンズが連なる拡大ルーペだ。

 重厚なホルダーに固定された『翠玉切片』を大きく映し出している。

 切片の大きさは七センチ角程で、厚みが〇.五ミリしか無く、しかも脆い。

 その脆く儚い薄緑色の極薄石板に、レオンは微細な数式を刻みつけて行く。

 繊細な作業を行う右手には、先端を鋭く研磨した、鏨(タガネ)が握られていた。


 練成概念を数値化して翠玉切片に刻み込み、一〇〇枚以上積層させた物が『エメロード・タブレット』――オートマータに魂を定着させる中枢回路だ。

 しかしレオンがいま行っている作業は、エメロード・タブレットの練成では無く、エメロード・タブレットとオートマータを結合させ、相互作用をサポートする為の人造脳髄……その拡張回路の作成だった。


 アーデルツの損壊部位に関しては、内臓は勿論の事、骨、筋肉、血管、神経に至るまで既に再練成、修復済みだった。

 複数に分割された手脚も適切な修復が施され、傷ひとつ無い状態で、エーテル製剤が満たされたカプセルに沈んでいる。

 シャルルの依頼は既に達成されており、現在レオンが行っている練成作業は、シャルルの依頼を超えた所で行われていた。


 父、マルセル・マルブランシュより預かったエメロード・タブレット。

 三〇年間、五感を喪失した状態で放置され続けた魂。

 死ぬ事も出来ず、眠る事も出来ず、ひたすら続く虚無の拷問。

 その地獄に囚われた魂を開放するべく、レオンは作業を続けていた。


 件のタブレットを『スチーム・アナライザー・ローカス』で音響調査したレオンは、そこに刻まれた数式の異質さに眼を奪われた。

 一行目に刻まれた文言『EMETH』の文字――これは練成概念の基礎であり、この点は現存する全てのエメロード・タブレットと共通だったが、そこから続く二行目以降の記述が不可解だった……いや、驚異的と言っても良い。


 通常、タブレットに刻まれる数式は、左から右へ、等間隔に整然と並ぶ。

 それは作業の精度を上げ、記述ミスを防ぐ為の基本的な措置だ。

 しかし、マルセルから預かった、このタブレットは違った。

 左から右への記述こそ同じだが、十数文字毎の文節に、余白と思しき意味不明のスペースが設けられており、そのせいで本来なら整然と均一に連なる筈の文字組みに、不規則な斑(ムラ)が発生していた。


 尚且つ、一行辺りに刻み込まれている文字数が、驚くほど多い。

 確かに文字数を増やす事で、情報密度を増すという手法は、原始的ではあるが有効だ。しかし当然、作業の難易度が上がる為、ミスも発生し易い。

 その上で文節毎に無駄としか思えない空白を設ける――その理由が解らない。解析当初は困惑するばかりだったが、数日の考察と検証を経て、ようやく理解に至った。


 この奇妙な記述式は、一見無意味な余白を設ける事で、各数式の行頭を擬似的に揃え、左から右へという行の処理だけでは無く、上から下へという列の処理にも、対応させる為の措置なのだ。しかも、ただ列方向へのみ連動させているのでは無く、同一記述の行頭を複数設ける事で、処理の無効化、簡略化を発生させ、数行、或いは数十行を隔てた行頭同士を連動させている。つまり、複数の行に書き込まれた数式を、二重、三重に活用し、練成概念の増強を行っている。


 それは一枚の翠玉切片に、通常の二倍、或いは三倍強の情報が詰め込まれている事を意味する。


 過去に例を見ない、前代未聞の技術だった。

 少なくとも、練成機関院付属の学習院では習う事の無かった方法であり、学習要綱からの発展形として考える事も不可能な、在り得ない発想だ。

 こんな記述式は、理解と想像を超えていた。


 それでもレオンは、その三倍近い概念情報を有するエメロード・タブレットを、自身が練成したアーデルツの肉体に接続しようとしていた。

 しかし、ここまで肥大化したエメロード・タブレットの作動に、アーデルツの肉体が耐えられるかどうか、そう考えた場合――やはり、現状のままでは厳しいと判断せざるを得ない。

 故にレオンは、巨大過ぎるタブレットを受容させるべく、人造脳髄の増設を行う事にしたのだ。


 オートマータの生体反応維持の役割を担う人造脳髄は、同時に練成された肉体とタブレットの意思を適切に繋ぐ、コンバータの役割も果たしている。

 そのコンバータの規模を限界まで拡張する事で、レオンはアーデルツの肉体に、タブレットを接続しようとしているのだった。 


 そうする事で、三〇年の無明無音地獄に囚われた魂を救うつもりだった。

 この件を刑事告発する事は、端から考えていない。

 マルセルにまで捜査が及ばぬよう、先手を打たれていると理解出来る為だ。

 タブレットの破壊も論外だった。

 この罪業を正しく清算する事こそが、魂を侮辱したマルブランシュ家の血を受け継ぐ、己の責務だと考えていた。 

 その結果どうなろうとも、レオンは全てを受け入れるつもりでいた。


◆ ◇ ◆ ◇


 エメロード・タブレットに宿る『魂』。

 そこに宿る『魂』は、練成技師の手による創造物では無い。

 タブレットに刻まれた数式は、いかに複雑精緻であっても『魂』そのものを構成する事など出来ない。


 エメロード・タブレットは、魂を宿す『器』であり『依り代』だ。

 練成技師達は、概念情報を有する数式により『魂』を召喚し、タブレットに定着させる事で、オートマータの中枢回路として使用しているのだ。


 ただし『魂』という物は、往々にして酷く繊細で脆く、儚い。

 古の練成技師達も、不老不死の実現に挑む過程で、その事実に直面していた。 まず、タブレットという依り代に、人の魂を召喚する事自体が難しい。 

 運良く召喚に応じた魂も、タブレットに定着せず、維持出来ない。


 結果的に人の不老不死化は叶わなかったものの、このシステムを応用する事で『人造人間(オートマータ)』練成への足掛かりとした。

 つまり、人よりも強靭な魂であれば、召喚後の定着が可能である事に気がついたのだ。


 魂の強靭さとは何を指すのか。

 それ以前に、魂とは何なのか。


 練成技師達は、この問いに一定の解を与えていた。

 それは『自己』が『自己』足り得る理由に由来する。

 『自己』とは、第三者と己を別つ個性を以って『自己』と定義し、その個性を認識する己と第三者の存在を以って、人は『自己』を『自己』と認識する。


 人は弱さ故に、第三者を介してでなければ、己を確かめる事が出来ない。

 魂とは本来、自己の個性が第三者に認識可能な状態、つまり生きた肉体に於いてのみ存在し得る物なのだ。

 肉体を喪失した魂は、第三者に認識されず自己を維持できない。

 故に、死した人間の魂は脆いのだ。


 もとより人は弱く儚い生き物である、それは練成技師たちの共通認識だった。

 弱さゆえ道具に頼り、弱さゆえ他者を求め徒党を組む、弱さゆえ己を繕い、弱さゆえ祈りに縋り、弱さゆえ競い、弱さゆえ死を恐れる……逆にその弱さ故、人は己を磨き、己の『個性』を活かし、発展し続けたのだ。

 人を人たらしめる最大の要素は『個性』、或いは『意思』と言い換えても良い、他と個を隔てるその要素は、人の弱さを埋めるべく突出した能力であり、『人の個性』こそが魂の脆弱さに繋がっている……練成技師たちはそう考えていた。


 ならば強い魂とは。

 それは死せる肉体を持たずとも、第三者から認識される『魂』の事だ。

 しかも人の様に、弱さを補う衣として『個性』を有しているのでは無い。

 数多の第三者より、その『個性』を願われ、祈られ、有した存在だ。


 そんな者が存在し得るのか。

 目に見えず、感じる事も出来ず。

 にも関わらず絶大な力を有すると人々に信じられている者。


 或いはそれは、神の様な。

 遍く人々の心に在り、敬意、畏敬、羨望を集める『魂』。

 それが答えだった。


 そして試行錯誤が始まった。

 オートマータの中枢であるエメロード・タブレットに、神性を宿そうという試みだった。

 しかしそれは困難を極めた。

 まず、絶大な支持を集めている『グランマリー』を宿す事は不可能だった。

 不敬である事以上に、タブレットに刻まれた数式の練成概念程度では、全く維持出来ない規模だった。

 『グランマリー』の教義を知らぬ国々、そこで広く信仰されている神々にしても同じ事で、その魂は人が扱える代物では無かった。


 そこで練成技師達が目をつけたのは、太古の昔に失われた神々だった。

 特定の時代、特定の土地、世界各地に存在したとされる古の神々。

 人々の記憶に残り、畏敬と関心を集めども、グランマリーの浸透故に、信仰対象としての力が失われつつある存在。

 今は、精として、霊として、妖として、魔として、人々に語り継がれる存在。

 練成技師達が捜し求めた、強靭な『魂』そのものだった。


 人に在らざる魂、人の畏敬を集める強靭な魂。

 だが、その扱いは酷く危険だった。

 まず、その魂が強靭であれば在る程、その意思が巨大であれば在る程、練成概念を刻んだ数式程度では制御が難しい。

 それは現存する神性が、タブレットで維持出来ない事と同じ理由だった。

 維持出来たとしても、人に危害を加えかねない。


 彼らの多くは、現在の常識やモラルを超越した所に存在している。

 何より人ならざる魂は、肉体を超越した存在なのだ。

 身体など無くとも感覚は万物と繋がり、物を見聞きし、思考し語る。

 その様な存在をタブレットに閉じ込め、人造の肉体を以って再生する――その結果、濃厚過ぎる生の実感に、過剰な拒絶反応を示す事例も少なく無かった。


 多くの練成技師が多くの犠牲を払う事になった。

 努力と研鑽を嘲笑うかの如き事故が多発した。

 それでも、彼らはオートマータの完成を目指し続けた。

 叡智と技術を以って、数多の神性を凌駕し、人造する。

 それは練成技師達の本懐だった。


 数え切れぬ程に挑戦と失敗を繰り返し。

 雨垂れが岩に穴を穿つ程の時間を掛けて。 

 やがて練成技師達は、オートマータ練成技術を体系化するに至った。

 学問としての人造人体練成技術を、確立させたのだった。

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