第12話 邪悪

「三日前にキミの父親『マルセル』の使いを名乗る男がやって来たんだ。近々、マルブランシュ卿のご子息が訪ねて来るので、その時にこれを渡して欲しいと……」


 ベネックス所長は、荷物の内容について確認すべく、電信にてマルセルと連絡を取ろうとしたらしい。しかし、マルブランシュ家のタウンハウスからは『マルセルは旅行に出ており、連絡が取れない』という旨の返信しか無く、以降は音沙汰無しな有様だったと言う。


 本人確認も取れない荷物を、ベネックス所長は訝しく思ったものの、鬼才との呼び声も高いマルセルの、奇矯極まる立ち居振る舞いと、突拍子も無い言動を、予てより知っていた為、杜撰でいい加減な今回の対応も、マルセルなら在り得るだろうと考えざるを得なかった……との事だった。


 しかし宛先がレオンである以上、勝手に中身を確認するわけにもいかず、かといって安閑と預かるには不審であった為、地下の専用保管庫で管理していたらしい。もしも近日中にレオンが現れず、その後もマルセルとの連絡が全く取れない状況が続く様なら、いずれは司法局へ内容の確認を頼む事も検討していた……と、ベネックス所長は語った。


 当惑しながら、レオンはベネックス所長から小包を受け取る。

 小包に添えられた封筒には、マルブランシュ家の封蝋印が押されていた。

 が、蝋に刻まれた紋章は、どことは指摘出来ないが、何かいびつに思えた。

 嫌な予感に囚われつつも、レオンは蝋印を割り、封筒を開く。


 そこには製図用の硬質なペンで書かれたと思しき文字が、びっしりと綴られていた。

 父の筆跡に似ている、が――線の太さが均一で、何故か強い斜体で記述されている事に、強い違和感を覚える。

 それでもレオンは、手にした便箋を読み始めた。



“久しぶりだね、レオン。元気にしていたかな? ボクは相変わらず元気だよ。まずはひとつ。時節の挨拶は省略だ。さらにもうひとつ。この手紙は一人で読んでくれると嬉しい。レオンにだけ伝えたい事なんだ。良いかい? 一人で読んでいると信じて続けよう”


“キミが四年前に練成した『アーデルツ』、アレは本当に素晴らしいモノだった。未熟で蒙昧で夢見がちな……甘いドライフルーツが好きで、自室にこっそりと持ち込んではつまみ食いをする様な……そんな甘い学生だったキミが造った一作目、一作目にしてアレ、アレは凄い、本当に凄い、キミの才能は本物だ、疑う余地など有りはしない、このボクが保証するよ”


“ともかく『アーデルツ』だ。あの身体にあの魂、戦闘用コッペリアとして調整されていないにも関わらず、実に良く戦った。実に素晴らしい、本当に素晴らしい。僕の想像を遥かに超えていた。でも、とても残念な事だが、キミがこの手紙を読んでいるという事は……『アーデルツ』は、ボクが企画立案した『ナヴゥル』に勝てなかった、という事だろうね”



 背筋に冷たい物が走るのを、レオンは感じた。

 この文面……この妙に砕けた、癖の強い文言。

 そして、他人が知り得ないレオンの過去についての言及。

 この手紙は確かに、父の手による物だ。

 レオンは言い様の無い不快感を覚える。

 更に、便箋に刻まれた文字を読み進める。



“キミはボクに似て、頭が良く察しも良い。ダラダラ書かなくても既に、十二分に理解し、気がついたかと思うが、全てボクが手配した”


“キミの友人、シャルルは本当に優しくて素直で良い奴だね。良い奴だ。得難い友だよね、衆光会の若き篤志家。ボクの思い描いたシナリオ通りに動いてくれた、アーデルツをグランギニョールへ登録してくれたからね――もちろん彼はボクの存在に気づいて無い。彼は、ボクとキミとの確執を多少は知っているからね。気がつけば、さすがにアーデルツをコッペリアにしようとはしなかっただろう”


“レオン。キミは塵芥の様な診療所で、下らない浮浪者共の義肢を治している様な人間じゃない、コッペリアを創造すべき人間だ、ピグマリオンだ、グランギニョールで花咲く人間だ”


“もし異論があり、ボクを憎いと思うのなら、ボクに挑めば良い。ボクはグランギニョールで待っている。キミならボクに、ボクの娘達に勝てる可能性がある。安心したまえ、キミは学習院を自主退学したつもりだろうが、形式上はきっちり卒業しているし、ピグマリオンとしても認定されているからね”



 ――モラル、倫理の欠如。

 肥大した好奇心と興味の赴くがまま、手前勝手に振舞う人間。

 喜びに目を光らせて昆虫の足を毟る、子供の様な精神。

 マルセル・マルブランシュ。

 それがレオンの父親だった。


 つまり、衆光会の金銭問題を嗅ぎつけ、練成技師の互助会である『シュミット商会』を介してシャルルを唆し、アーデルツをグランギニョールへ誘ったのは――父親のマルセルという事だ。

 しかも、グランギニョールへ参加したシャルルとアーデルツに、勝利前提の片八百長を仕掛けた可能性もある。

 その上で、コッペリアとして上位ランクを賭けた、逃げ場の無い『完全決着』の条件戦へ挑む様に誘導、格上のコッペリアと仕合せたのだ。

 制作者であるレオンと、損壊したアーデルツを引き合わせる――そんな状況を作り出す為に。 

 全てはレオンの意識を、ピグマリオンへと向かわせるべく行われた奸計……という事か。 


 そんな馬鹿な事があるのか。

 そんな下らない事の為に、父はアーデルツを弄び、犠牲にしたのか。

 ふざけるな――その言葉をレオンは飲み込む。


 ピグマリオンになどならない。

 決してならない。

 こんな狂人と同じステージに立つ事など、在り得ない。

 胸の奥底から湧き上がる、黒々とした感情をレオンは噛み潰した。


 しかし、父の影響がシュミット商会にまで及んでいた事に、驚きを隠せない。

 シュミット商会と言えば、フリーランスの練成技師が集まった互助会であり、貴族や教会に因る事無く技術と叡智を磨き、多くの練成事業に参画している団体だ。

 そこに所属する技師の腕は、フリーとはいえ確かだと聞き及んでいる。

 いわば権威に阿らない姿勢を、善しとする団体だった筈だ。

 指先の震えを堪えながら、レオンは二枚目の便箋に目を通し始めた。


“ところで、小包の中身は何だと思う? 実に意外な物なんだ”


“マルブランシュ家に伝わる、秘伝とでも言うべきか……とても貴重な、エメロード・タブレットの原型なんだ。ボクが三〇年ほど前に、ある人物から受け継いだモノだ”



 初めて知る事柄だった。

 そんな物が存在していたとは思えない。

 父は過去に、そんな事を一言も口にした事が無かった。

 しかし、次の一文にレオンは戦慄した。



“中を開けて見れば解ると思うが――このエメロード・タブレットは生きている。三〇年間ずっと、三〇年前からずっと、身体の無いタブレットの状態で、生きているんだ”



 心臓が激しく乱れ打ち、息苦しさを覚えた。

 それは在り得ない……あってはならない話だった。

 エメロード・タブレットとは、オートマータの意識を司る部位だ。

 人間で言えば脳。

 確かにそこへ意識が宿る。

 しかし意識とは、脳だけで維持されるものでは無い。

 身体の存在が絶対に必要なのだ。


 人間が己を意識し、それを他と隔てる自我を保てるのは、身体に備わった機能、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、痛覚……複数の感覚器官に支えられている為だ。

 身体が、感覚が存在するからこそ、精神は安定を保てる。

 仮に健常者が、拘束されたまま視覚と聴覚、嗅覚を封じられた状態で放置されれば、一時間も経たぬ間に、精神に異常を来してしまう――いわゆるホワイト・トーチャーと呼ばれる拷問と同じだ。


 このエメロード・タブレットは。

 もし本当に、父親の言う通り生きて、意識が覚醒した状態のままだとするならば、五感の喪失に加え、体内に響く臓器感覚すらも失った状態で、放置されていた事になる。


 それも三〇年間。

 三〇年続く悪辣な拷問に等しい。

 肉体が無い為、自害する事も眠る事も出来ない無限地獄。

 絶対に逃れられぬ虚無の牢獄。

 

 何よりも純粋に犯罪だった。

 練成技師として、それは最低限守るべき倫理の筈だ。

 レオンは便箋へ視線を走らせる。



“このタブレットを解析したまえ、素晴らしいよ? 常人の発想を超えた素晴らしい筆致だ、このタブレットを参考に様々な作品が紡ぎ出された、キミの新作にも活かしたまえ。そうだ、新作を作るんだ。そして、その新作で僕に挑みたまえ。キミが真に練成技師ならば、必ず、必ず、そそられる”


“それが出来ないというのなら、このタブレットの中で苦しむ魂を救ってみるかね? キミは優しいからね、オートマータは戦いの道具ではないと言い出す程に。それともタブレットを打ち壊し、その魂を惨殺する事で救いだと言い張るかな? 或いは公的機関に提出して、私を罪人として告発するかね? どうするかは、もはや全てが、キミの自由だ”


“愛しき息子へ・マルセル・ランゲ・マルブランシュ”

 


 ――凡そ練成技師ならば、凡そピグマリオンならば。

 否、寧ろ人であるならば。

 生命、魂に対する敬意は持って然るべきだ。

 この世に於ける最大の悪行は、他者の魂に対する侮辱だ。

 魂への侮辱など、あってはならない。

 万死に値する。


 それを、この父親は。

 否、己の一族は。

 侮辱の上に成り立つ一族だった。


 レオンは手にした便箋を畳み、封筒へと片付ける。

 何も話す事が出来ず、どんな顔をして良いのかすら解らない。

 ただただ激昂せぬ様、己を律し、押し黙る事で精一杯だった。


 しばしの沈黙を経てレオンは、調達予定の素材を書き出した用紙へ、更に『翠玉切片』を追加し、ベネックス所長へと差し出した。


「所長、こちらの調達もお願いします」


 ベネックス所長は用紙を受け取ると、無言で内容を確認する。

 レオンと父親の確執について、予ねてより察していたのだろう。

 故に敢て事情を問う事無く、事務処理に徹したのかも知れない。


 やがてベネックス所長は、椅子から立ち上がり口を開く、発注が必要な物もあるが、今すぐ用意出来る素材も幾つかある……少し待っていてくれ、そう言い残してバックヤードへ姿を消し、程無く素材を抱え、戻って来た。

 そのまま、ひとつずつ丁寧に梱包して行く。

 そして手元に視線を落としたまま、静かに言った。

 

「――レオン、もし私に出来る事があれば、何でも言ってくれ。力になれる様、手を尽くすよ」


 所長の申し出に、レオンは目を伏せたまま答えた。


「ありがとうございます、ベネックス所長……」


◆ ◇ ◆ ◇


 各種練成用素材と父からの小包を駆動車に積み込み、レオンは工房へ向かう。

 夕闇の赤に照らされた特別区画の街並みは、濃い陰影に沈み込んでいる。

 やがて駆動車は、静かに工房の敷地へと滑り込む。

 駆動車を降りる時、レオンは運転手に、ありがとう、暫く呼び出さないと思うが気にしないでくれ――そう言い残し、荷物を抱え工房へ戻った。


『シスター・カトリーヌへ。手が離せない状況になった。心苦しいが一時的に診療所の業務を頼みたい。しかし難易度の高い施術が必要になった場合は、すぐに電信で連絡してくれ。二時間以内にそちらへ戻る事が可能だ。迷惑を掛けてしまい、申し訳ない。レオン』


 レオンは控えの小部屋から『ヤドリギ園』への電信を打ち終えると、ベネックス所長から受け取った小包を開封する。

 包装用の油紙を剥ぎ取ると、中から木製のケースが現れた。

 ニスが塗られたケースには、蝶番を用いた蓋が取り付けられている。

 レオンは、ゆっくりとその蓋を開ける。

 

 そこにはビロード張りの緩衝材で保護された、ガラスケースが納まっていた。

 小型の簡易濾過装置が取り付けられた透明なガラスケースの内側は、薄紅色の希釈エーテル製剤で満たされており、気泡ひとつ無い。

 そんなガラスケースの中央に、七センチ角の翠色半透明な直方体が、しっかりと固定されている。

 エメロード・タブレットだった。


 極薄の翠玉切片を百枚以上積層したそのパーツは、機械的な反応に因らず、蒸気に因らず、純粋な練成概念の作用のみで作動する、奇跡の集積回路だった。

 そして、希釈エーテル製剤に浸した状態での保管方法は、起動前のタブレットを安全に維持する為の措置だ。


 今、ガラスケース内に固定されているタブレットは。

 覚醒状態である事を示す、自然発光現象を起している。

 半透明のタブレットは、淡い緑色の光を放っている。

 五感を失った状態で、眠る事も、死ぬ事も出来ず、放置されているのだ。


 レオンは工房の壁一面を覆う巨大な解析装置『スチーム・アナライザー・ローカス』に、測定用のケーブルコネクタを接続する。

 次いで、エメロード・タブレットが固定されたガラスケースを慎重に緩衝材から抜き取り、ケース底面に外部端子接続ソケットが設置されている事を確認すると、そこへローカスから伸びたケーブルを差し込む。


 低い作動音と共に、巨大なアナライザーはタブレットの解析を開始する。

 三〇〇を超える金属ドラムがゆっくりと旋回し、数字の刻まれた極小ギアが複雑に噛み合う、人間の耳で拾う事は出来ないが、音響による形状把握と細部調査が行われていた。


 アナライザーによるタブレットの解析が行われている間に、レオンは隣室の小型溶鉱炉を稼動させる。

 素材として入手した、モリブデン練成合金を融解させる為だ。

 融解した合金は、損壊した部位の練成置換素材として使用される。


 レオンは施術台脇のエーテル製剤で満たされた、カプセルに視線を移す。

 そこには損傷箇所を切除され、人造心肺の管と共に複数のケーブルが接続された、アーデルツの小さな身体が沈んでいる。

 もはやかつての面影は無い、人の形をした部品の様で。 

 レオンはその姿をじっと見つめる、瞳に宿る光は仄暗い。

 憂いと哀しみ、そして決意の色が滲んでいた。

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