第15話 敬意
エリーゼは施術台の上から、赤く煌めく瞳でレオンを見つめている。
レオンは椅子に腰を降ろし、負傷した右手首に包帯を巻きながら言う。
「……もう少しだけ待っていてくれ、すぐに最終工程を終える」
「はい、ご主人様」
エリーゼは素直に答える。
そして微かに表情を曇らせると、呟く様に言った。
「……その傷、申し訳ございません」
「僕達、練成技師が受けて然るべき報いのひとつだ、気にしなくて良い」
包帯を巻き終えたレオンは、医療セットを片付けつつ応じると、やがて椅子から立ち上がり、再びエリーゼの傍らへ近づいた。
「待たせたね、全身のコネクタケーブルを取り外す。暫く動かない様に……」
「はい、ご主人様」
エリーゼはレオンの言葉通り、施術台の上で俯きじっと動かない。
レオンはエリーゼの腕に挿入されたコネクタを取り外しつつ、口を開いた。
「……僕の事を、ご主人様などと呼ばなくて良いよ、エリーゼ。レオンで良い。僕は君を蘇生しただけで、立場上そうだというだけの事だから」
「何故でございましょう、私が認めた、私のご主人様でございます。故に私は名を告げた……その儀を以ってご主人様が、この現世(うつしよ)に於ける我が身の依り代にございましょう?」
エリーゼは身動きする事無く問い掛ける。
その言葉に間違いは無かった。
オートマータは、その魂を安定させるべく、信頼に足る主人が必要となる様、調整されている。
レオンは二つ目、三つ目のコネクタを抜き取りながら答える。
「それはそうだけれど……僕は他にどういう手段も思いつかず、必死になっていただけだ。こうしてエリーゼの言葉を聞きながらも、未だに混乱と困惑を感じている……その程度の人間だ。それに……僕は君の直接の創造主じゃないし、名付け親でもないのだから……」
「それは違います、ご主人様」
目を伏せたまま、エリーゼは静かにレオンの言葉を否定した。
レオンは驚いた様にエリーゼを見る。
エリーゼは言葉を続けた。
「命を賭す……口にするのは簡単でございます。ですが、実際に己の命を賭せる者など、そうはおりません。得体の知れぬモノに死を想起させる苦痛を与えられ、保身を考えぬ者もまた、そうはおりません。にも関わらずご主人様は私を救うと仰った、己に殉ずると仰った……そして」
エリーゼは、自分の首の後ろに繋がるコネクタへ手を伸ばし、指先で触れる。
その動作にレオンは息を飲む。
「エリーゼ、そのケーブルコネクタは……」
「このコネクタ、私のエメロード・タブレットに直接作用する……いわゆる『危機管理措置』でございましょう? 正しい手順を経ず、強引に抜き去る、あるいは切断すれば、アナライザーの音響機能が作動し、タブレットに刻まれた最初のスペル『EMETH』より『E』の文字が破砕されて消える……タブレットを物理的に壊す、そういった危機管理の役割が与えられている筈……」
エリーゼの推察は正しかった。
過去の事例に倣い、暴走状態に陥ったオートマータの破壊行為を最小限に抑えるべく選択される措置のひとつが、この方法だった。
オートマータを制御するエメロード・タブレットに刻まれた最初の一文、『EMETH(真理)』の文字列こそが、タブレットを魂の依り代足らしめる最大の鍵として機能している、そこから最初の一文字『E』を消去する事で『METH(死)』を示唆、タブレットから魂の依り代としての機能を奪うのだ。
エリーゼはケーブルから指先を離すと、再び言葉を紡ぎ始める。
「……つまりご主人様は、私が暴走した場合に備え、それを阻止する手段を予め講じておられたという事。私が右手首を潰そうとした際、ご主人様は即座に左腕を伸ばし、このコネクタをケーブルごと引き抜く事も可能だった筈」
「……」
「にも関わらず、それをしようとはしなかった。それは暴走した私と共に死ぬ覚悟があったという事。私の暴走に第三者を巻き込まず、タブレットの崩壊を以って私の魂を開放し、己は私に屠られて死ぬ……殉ずる……」
「……」
伏せられた目を縁取る長い睫毛、少女然とした白い美貌。
滔々と語るエリーゼの横顔を、レオンは言葉も無く見つめる。
「故にご主人様は、私が敬意を払い、誇るに足るお方だと認識致しました……」
エリーゼから視線を反らしたレオンは、自身の手元を見つめる。
己が胸の内を言い当てられたかの様で、戸惑いを覚える。
更に、怒りに任せて手首を潰そうとするオートマータが、そこまで思考を巡らせ得るだろうかという思いが湧き、不安が胸の奥に広がる。
なによりも。
音響機能による機能停止措置を、エリーゼが予め知っていた事実に恐怖する。
つまり暴走を防ぐ手立ては、無かったという事だ。
ギリギリの綱渡り、そんな状況だったのだ。
それでもレオンは口を開いた。
「エリーゼは、練成の知識も豊富なんだね……」
エリーゼの腰、そして足に取り付けられたコネクタを取り外す。
エリーゼはレオンに全てを任せたまま、身動きする事無く答えた。
「私はオートマータとして過去に三度、身体を乗り換えております……経験とは悲しいもの、習わずとも得られてしまう知識もあるのでございます」
レオンは耳を疑った。
そして問い直す。
「過去に三度? そんな事をしていたのか? ……破損か何かが原因で?」
「いいえ、破損等の事故ではございません」
それ以外の理由で、そんな事を行う練成技師――ピグマリオンがいるとは思えなかった。
極限まで情報を詰め込んだエメロード・タブレットの構造から考えて、エリーゼが戦闘用のコッペリアであった事は、ほぼ間違いない。
ならば制作者たるピグマリオンは、その名声を轟かせるべく苦心した筈だ。
無双のコッペリアによるグランギニョールでの君臨――これを目指さぬピグマリオンは、まずいない。
よほど酷い損壊でも発生しない限り、元の身体を捨て、別の身体へタブレットを移すなど考えられない。積み上げた名声に疵がつく、タブレットと身体が馴染まで時間も掛かる、完全練成した身体も無駄になる。
エメロード・タブレットの制作も難事であれば、そのタブレットの座たる身体の完全練成も、資金的に、時間的に、技術的に、容易では無いのだ。
しかも三〇年前だ、技術も設備も、現在ほど充実してはいなかった筈だ。
にも関わらず、エリーゼの主は三度も身体を乗り換えさせたという。
その疑問にエリーゼが答える。
「ご主人様が先ほど仰った通り、グランギニョールは博打、コッペリアは博打の駒でございます――言葉通りの意味に於いて」
エリーゼの言う通りだった。
グランギニョールでは、練成技師とパトロンの貴族が己が命運を賭けるという事以外に、文字通りコッペリア同士の戦闘にオッズをつけ、金銭を賭けるという賭博が行われていた。
観戦達が冷静さを欠き無闇に興奮するのは、この賭博要素に由来する。
エリーゼは言葉を続けた。
「私もまた、コッペリアとして戦う博打の駒でございました。しかし博打という物は、勝敗が揺らいでこそ成り立つモノ。勝ち続ける駒が存在しては、博打は博打として成り立たなくなるのでございます」
「……エリーゼはそれ程に強かったのか?」
今のエリーゼの姿、月の光を思わせる程に白く儚げな姿からは想像し辛い。
レオンの質問に、エリーゼは眼を閉じたまま答える。
「負ける事が無かった、そういう事でございます……何れにせよ、負けず勝ち続ける程に博打が成立せず、仕合が組めなくなり、故に身体を乗り換えては別個体として参戦し続けたのでございます。ですが結局はそれが仇……。四度目の乗り換えまで、恐ろしく時間が掛かってしまいました……」
想像を絶する話ではあるが、一応の筋は通る。
エリーゼの、魂の依り代たるエメロード・タブレットは、尋常では無かった。
確かにガラリア・イーサのグランギニョールでは、オッズの偏りを防ぐ為、連勝を続けた序列第一位の者に対して、仕合数の制限等を設ける場合もある。
しかしその状況を避けてでも、連戦させるなどという話は聞いた事も無い。
名声よりも賭博の賭け率を気にするピグマリオンなど、存在するとは考え難い、少なくとも、あれほどのタブレットを組んだ人間のする事だとは思えない。
とはいえレオンには、エリーゼをコッペリアとして戦わせるつもりなど無く、この話が真実であれ虚偽であれ、さほど問題では無かった。
レオンはアナライザーを操作し、エリーゼの後頭部……首の後ろに繋がるコネクタと、エメロード・タブレットとの接続解除を入力する。
そして改めてエリーゼに近づくと、最後のコネクタを抜き取った。
「全てのコネクタを取り外した……もう安全だ。手足の感覚を確かめてみて欲しい。僕は君が着れそうな服を探してみる」
「解りました、ご主人様」
レオンの言葉に頷いたエリーゼは、腕を前へ伸ばすと指を動かし始める。
その間にレオンは隣室へ移動し、エリーゼが着用出来そうな服を探す。
当然大した物は無く、仕方無く医療用の白い検査衣を取り出した。
「すまない、エリーゼ。今はこんな物しか無い、暫くはそれで我慢して欲しい……直ぐに新しい服を購入する」
「お心遣い、感謝致します」
施術台の上で身を起し、指の動きを確認していたエリーゼは、レオンの言葉に微笑みを浮かべ、検査衣を受け取ると、袖を通し始める。
「手足に痛みや不快感、違和感の類いは無いかい? もし何かあれば教えて欲しい、可能な限り調整する。その身体は元々、君の為に練成した物じゃないから……もし君が望むなら、かなり時間は掛かるが、君のタブレットに見合う新しい身体を完全練成しても良い……」
スムーズに動くエリーゼの様子を確認しながらも、レオンは声を掛けた。
エリーゼは検査衣を留める細い腰紐を、片手で器用に結びながら答えた。
「いいえ、全く問題はございません……指先まで良く馴染み、驚くほど良く動いております。鮮明な神経伝達……細やかな身体感覚……。これ程の身体……素晴らしゅうございます。床へ下りてもよろしゅうございますか?」
「ああ、構わないよ。足元に気をつけて、ゆっくりと降りてくれ。」
レオンはエリーゼの申し出に頷く。
エリーゼは検査衣の裾を手で押さえつつ、両足を揃えると床の上へ降ろした。
そのままゆっくりと立ち上がる。
その時。
工房の玄関口から物音が聞こえ、レオンは振り向いた。
複数の足音が響き、すぐに部屋のドアが激しく開け放たれる。
「レオン!! 無事か!?」
シャルルだった。
髪型の乱れもシャツの皺もネクタイの歪みも一切構わず、部屋へ飛び込んだシャルルは、血相を変えて叫んでいた。
更にシャルルの背後には、拳銃を手にした男達の姿。
作業状況を電話で確認したシャルルは、施術の失敗とオートマータの暴走、そしてレオンの危機を予想し、邸内にいた複数の使用人に武装を命じ、共に乗り込んで来たのだった。
しかしシャルルは施術台の脇に立つ検査衣姿の娘、エリーゼを見て固まる。
エリーゼは戸口で動かないシャルルと男達の様子を、静かな眼差しで見遣る。
レオンは罰が悪そうな表情を浮かべつつ、口を開いた。
「あ……ああ、大丈夫だ……すまない、シャルル……」
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