練成都市

第10話 悔恨

 歯車街の孤児院を出て三〇分ほど。

 幹線道路の両脇には手付かずの森と平原、後方に広がる街の灯りは工場地帯。

 溶鉱炉から漏れ出るオレンジ色の光が空に色をつけ、夕景を思わせる。

 不可思議な色彩に染まる景色を見送り、レオンは前方に視線を移す。

 フロントガラスの向こうに、巨大な石造りの壁が見え始める。


 イーサの特別区画を完全に囲う広大な壁は、高さ二〇メートル、厚さ五メートルの堅牢さに加え、要所に設置された張り出し矢倉が常に周囲を警戒しており、まさに何人も近づけない鉄壁の城砦だった。

 やがて駆動車は幹線道路を外れ、城砦に延びる道を走り出す。

 舗装された道では無いが、通行量が多いのか地面は硬く均されていた。

 程無くして、武装した衛士達の警備する楼門へと差し掛かる。

 巨大な城砦の周囲に複数存在する楼門は、どこも厳重に警備され、エーテル水銀式の灯りで照らし出され、賊の立ち入る余地など皆無だった。


 駆動車の運転手は車窓を開けると、近づく衛士に身分証と通行証を提示する。

 衛士はそれを確認すると、すぐに開門を指示した。

 重厚な楼門を塞ぐ二重の落とし格子が、音を立てて持ち上がって行く。

 衛士の敬礼を受けながら、駆動車は静かに城砦の楼門を潜る。

 そのまま特別区画へと乗り入れた。

 

 幾何学模様のペーヴメントが敷き詰められた、車両走行用道路。

 道路の両側にはエーテル水銀式街灯が等間隔に並び、夜の闇を払っている。

 林立する街灯に照らし出された景色は、緑豊かな庭園を思わせた。

 美しく手入れされた芝と植え込み、木立ちを演出するべく配置された常緑樹。

 遊歩道とベンチ、広々とした花壇、噴水広場、大理石で造られたガゼボ。

 そしてグランマリーに仕える天兵達を象った、数々の彫像。

 広大かつ美しい緑の景観は、車両通行用道路のペーヴメントと同じく、幾何学的な規則性に富み、この在り様を以ってグランマリー教に於ける天上世界を再現しているのだった。

 

 そのまま十数分。

 造園された緑の地区を走り抜けると、やがて天を突く程に壮大なゴート風建造物の建ち並ぶ、特別区画の中心地へと辿り着く。

 重厚、荘厳、そういった言葉すら霞む、豪奢な都市区画。

 切り出した岩を組み上げ造られた尖塔が幾重にも連なり、フライング・バットレスがそれを支え、切妻屋根が鋭角に聳える。

 バラ窓が刻まれた鐘楼とステンドグラス、そして精緻な彫像群。 


 これら巨大な建物の多くは、築後二百年以上が経過している。

 にも関わらず、劣化老朽の色は感じられない。

 適切な改築と修繕によって状態が維持され、或いは鉄骨とコンクリート、モルタルで随時補強され、常に最新の状態で維持されている為だ。

 ガラリア・イーサこそ、世界随一の練成都市である――その矜持が明確に示されていた。


 レオンとシャルルを乗せた駆動車は、蒸気を吐きながら街路を走り続け、やがて白亜の高層建造物が並び建つ地域から、貴族達の邸宅が点在する特別居住区へと辿り着く。

 レンガと石を組み合わせた堅牢な三階建ての建物が多く、テラスと前庭、そしてスレート瓦の屋根が特徴的だ。


 貴族の住まいと言えば、広大な己の領地に城の如きマナーハウスを構え、そこで暮らすというスタイルが一般的だったが、練成技術の進んだ今、その技術の管理運営こそが権勢を示す手段となっており、また警備警護の面から考えても、この特別居住区内のタウンハウスをメインに滞在する方が合理的で都合が良いという考え方も、広まりつつあった。


 程無くして二人の乗る駆動車は、小さな建物の前に停車する。

 運転手は一旦そこで屋敷の門扉を開放すると、改めて敷地内へと車をまわす。

 レンガで造られたその建物は、周囲の邸宅と比べて明らかに質素だった。

 テラスも無ければ前庭を彩る植物も殆ど無い、一階建て平屋の建物と、関係者が待機する為の別棟、そしてガレージがあるだけだった。


 ここがレオンの『工房』……練成工房だった。

 かつてレオンが練成機関院に入学した際、父より譲られた物件で、アーデルツを練成したのも、ここだった。

 後に父の所業と考え方、その全てに幻滅し、決別を申し出た際、建物の権利も突き返そうとしたが、父は笑顔でそれを固辞し、アーデルツのメンテナンスに必ず必要になると、そのまま権利を押しつけられた過去がある。

 結局レオンはその権利を、アーデルツの後見人として恃んだシャルルに譲り、管理と維持の全てを任せたのだった。


 レオンとシャルル、そしてカブリオレとスチームワゴンの運転手二人、合計四人で、アーデルツの身体が乗せられたストレッチャーを工房内へと運び込む。

 レオンは施術室のエーテル式水銀灯を点灯した。

 そこは何処か寒々しさを感じさせる白い空間だった。

 足元の床は白いタイル、天井も白く、窓の無い漆喰の壁も白い。

 室内に複数設置されている巨大な機器、机、施術台にも、塵や埃を避ける為の白い布が被せられていた。

 窓の無い部屋の換気は、排気ダクトと換気扇で全て補うのだろう。

 部屋の奥にもドアが在り、そのドアの向こうには小型溶鉱炉と旋盤機等が並ぶ金属加工用の工房が存在する。


 レオンは山高帽とフロックコートを脱ぐと、工房入り口脇に設えられた小部屋のコートハンガーに掛けた。

 そして、工房内の様子を改めて確認して回りつつ、壁面を伝う鋳鉄ダクトのバルブを、二つ、三つと開放してゆく――それは、精製水と濃縮エーテル、工業用蒸気のバルブだった。

 更に各機材に掛けられている白い布を、順番に取り去っては回収する。

 部屋の中も、機材も、想像以上に掃除が行き届いており、機材に関してはフェノール希釈溶液での消毒で事足りそうだった。

 衆光会の雇ったピグマリオンが時々使用していたという話だが、恐らくシャルルは以前から一般練成技師を雇い、定期的に機材の清掃を行わせていたのだろう……アーデルツの為に。


 レオンは小さく息を吐くと、アーデルツの身体をストレッチャーから施術台へ移すのを手伝う様、シャルルと男達に告げた。  

 意識も自我も無いアーデルツの小さな身体が、施術台の上へ移される。

 レオンは静かに口を開いた。


「後の事は僕に任せてくれ。シャルルも君たちも、引き上げてくれて構わない。シャルル、何かあれば電話で連絡する……備えつけの電話は使えるんだろう?」


「ああ……。レオン、工房と孤児院の往復には、うちの送迎車を使ってくれ。孤児院からの移動も、電信で時間を指定してくれたら、迎えを出すようにする」


 シャルルの申し出にレオンは、解ったと答え頷く。

 やがてシャルルは、運転手達を連れ立って工房の外へ向かう。

 玄関を出た所でシャルルは振り返ると、呟く様に言った。


「本当にすまなかった……レオン……」


 レオンはシャルルの後姿を無言で見送り、ゆっくりと戸口を閉めた。


◆ ◇ ◆ ◇


 工房に戻ったレオンは、小部屋で施術用の服に着替える。

 次いで、工房の換気扇を作動させると、診療所より持ち込んだフェノール希釈溶液で、工房内と各種機器を消毒する。

 更に壁一面を埋める程に巨大な装置、スチーム・アナライザー・ローカス……『蒸気式精密差分解析機』を起動させた。


 およそ一〇〇年程前に、グランマリー教団より聖人認定を受けた賢人・サージュ・ミュレーが原型を作ったとされるこの装置は、診療所に設置された小型アナライザーとは比較にならない規模と精度を誇り、個人が所有できる解析機としては最大級の逸品だった。


 重厚な金属フレームの内側には、長さ一.三メートル、太さ五センチの金属ドラムが三〇〇本以上、縦方向に重なりながら隙間無く組まれている。

 金属ドラムには無数の極小アームとギアが配置されており、整然と列を成して並ぶそれらが、演算機能の肝だった。ドラム下段にはドラムを回転させる為のウォームギアが取り付けられており、蒸気機関からアンクルを経て動力を得たガンギ車と噛み合っている。そこへ精緻に組まれたギアボックスがアームを介して干渉し、キータイプ入力されたデータの解析を行うという構造だ。

 『オートマータ』という、人知の限界に挑むかの如き高性能機器のメンテナンスには、必要不可欠な解析装置だった。


 更に精製酸素吸入器、エーテル製剤濾過器、人造心肺装置、施術用ツールの煮沸消毒器と、レオンは次々に練成用機材を起動させて行く。

 スチーム動力を得た各機材が、低く篭った作動音を響かせ始めた。

 

 移動中に使用していた精製酸素吸入器を、工房に備え付けの物と交換する。

 アーデルツの寝衣を脱がせ、全身をフェノール希釈溶液で拭う。

 そしてエーテル測定用ケーブルの束を取り出し、アナライザーに接続、接続されたケーブルのコネクタ群を、全身に埋設されたソケットへ繋ぐ。

 レオンは改めて、アーデルツの内部構造のチェックを開始した。

 練成心臓の鼓動と呼吸をアナライザーが拾い、アーク管の仄暗い明滅で示す。

 しかしアーデルツの身体が既に死に体だ、精神が失われている。

 

 レオンがアーデルツと過ごした期間は数ヶ月、それほど長くは無かった。

 父の思惑から逃れるべく、シャルルにアーデルツを預けて四年ほど。

 その間、数えるほどしかアーデルツと面会していなかった。

 立場上、レオンがアーデルツの『親』である事を考えれば……酷い話だ。

 アーデルツがどんな物を見聞きし、どんな事を考え、どんな風に生きたのか。

 それすら解らない、間違いなく父親失格だろう。


 もう少し、アーデルツと会う機会を設けていたのなら。

 こんな事になる前に、何か対処出来たのでは無いか。

 微動だにしない小さな身体を見下ろしながら、レオンは呟いた。


「すまなかった……アーデルツ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る