第9話 過去

 言い様の無い沈黙の後。

 シャルルが静かに言った。

 

「……レオン、最後の我侭を聞いてくれ。せめて負傷箇所を綺麗に治療してやって欲しい。治療が終わってから……活動の停止と埋葬を……」


 レオンは、シャルルの横顔を見つめる。

 シャルルはアーデルツを見つめたまま動かない。

 青褪めた頬と虚ろな視線。

 

 レオンは視線を切ると、低い声で答えた。


「わかった……身体の損壊部位を治療する。肉体が生きている分、受肉練成は容易だ……ただし二点、問題がある。設備的に、ここでの修復は出来ない、特別区へ戻る必要がある。それと……知っているとは思うが、練成技術の流出を避けるという意味で、オートマータの一般埋葬は認められていない。ガラリアの練成技師として、公に認められた人物を立ち会わせた管理埋葬か、或いは再利用しかない。それで納得出来るなら、再生後、信頼できる練成技師に頼んで、管理埋葬の手続きを取る……」


 生きている人間と見紛うばかりのオートマータであっても、それは練成技術の結晶体であり、ガラリアの繁栄を支える機密情報そのものであるとも言える。

 故にその扱いは厳格であり、損壊等に因る死後の扱いについても、国が認めた練成技師による管理が義務付けられていた。


「それで構わない……すまない」


 シャルルはアーデルツの小さな手を握ったまま、短く答えた。

 その姿を見たカトリーヌは、胸に手を当てて俯き、黙祷を捧げる。

 そして傍らのレオンに小さく伝えた。


「少しだけ……ダミアン卿に時間を……」


 胸の前で手を組み、涙を滲ませるカトリーヌを見下ろし、レオンは頷いた。

 アーデルツを見下ろし動かないシャルルに声を掛ける。

 

「シャルル、外で待っている……」


 そのまま、レオンはカトリーヌと共に部屋を後にした。


◆ ◇ ◆ ◇


 部屋を出てすぐの廊下に、人の気配は無かった。

 老シスターが配慮し、子供達を遠ざけたのだろう。

 石造りの床と簡素な長椅子が、沈む夕陽の色に染め上げられていた。

 カトリーヌはレオンへ椅子に座るよう促し、自分も修道服の裾を軽くまとめると椅子に腰掛ける、その隣りにレオンも腰を降ろした。

 カトリーヌは、ほんの少し逡巡する様子を見せるも、すぐに口を開いた。


「レオン先生は……この孤児院で診療所を開く時、一般練成技師資格と医師資格、義肢修復の資格を修めていると仰って書類を頂きました……でも本当は、オートマータ練成技術も修めた『ピグマリオン』だったんですか……? 答えにくい事だったらゴメンなさい……でも、契約書類の不備は問題ですから……」


 レオンとシャルルとのやり取りを見ているカトリーヌは、何か曰くがある事に気づきつつも、子供達の生活を守るという立場上、それを訊かない訳にはいかないのだろう。

 真剣な、そして不安げな表情で、己の顔を覗きこむ娘の大きな瞳を見て、レオンは優しく微笑むと、軽く首を振って返答する。


「いや……書類に不備は無いよ。ただ、僕は『ピグマリオン』として正式に登録したつもりはない。高等練成技師資格と医師資格、義肢修復の資格は習得したけれど、ピグマリオンになる事を拒否して、そのまま練成機関院付属の学習院を自主退学したんだ」


「でも……あの子を練成されたと……」


 オートマータの知識を有する庶民は少ない、寧ろ殆ど存在しない。

 しかしカトリーヌは叡智を司る聖女・グランマリーに仕える信徒だ、そしてレオンの仕事をサポート出来るレベルで、練成医術も学んでいる。

 多少の知識はあるのだろう。

 レオンは正直に答えた。


「ああ……あの子を練成したのは僕だ。学習院でオートマータ練成技術の資格を得るには、在学中にオートマータを一体、練成しなきゃならない。それがあの子だ。だけど彼女は戦闘用のコッペリアじゃない、戦闘用に練成しなかったんだ。オートマータには、もっと別の、良き隣人としての役割が与えられても良い筈だと……当時、そう信じて練成したのが彼女だ……」


 そう言うとレオンは背中を丸め、俯いた。


「……そういう生き方を選択出来たオートマータも、ちゃんと存在する。グランギニョールに参加せずとも生きて行けるだけのスペックが、オートマータにはあるんだ。人を超える技術と力、そして知恵。それを戦闘だけに費やしてしまうなんて、どれほどの損失か。だから僕は、グランギニョールに因らないオートマータを練成したつもりだった……でも駄目だった」


 カトリーヌは、レオンの横顔を見つめている。

 レオンは言葉を続けた。


「……僕の家系は代々続く練成技師で、ピグマリオンを目指す事は半ば当然の義務だった。父もまた、過去に十数体ものコッペリアを練成したピグマリオンで、練成機関院でもそれなりの発言力を有していた。父は、僕がピグマリオンを目指していない事を知ると、僕に無断であの子を戦闘用コッペリアとして、学習院と教会に申請したんだ、しかも学習院はそれを拒む事無く快諾した……」


 レオンの表情に、仄暗い怒りと憂いの色が滲む。


「オートマータはただの人形じゃない、僕らと同じ命在る者だ、それを……下らない闘争に費やし、博打の駒にし、自己顕示欲の為に使い潰す……耐えられなかった。僕は父と決別し、学習院を自首退学し、ピグマリオンになる事を拒否した。そしてあの子をシャルルに預け、家を出たんだ……」


 そこまで語り、レオンは口を噤んだ。

 軽く頭を振り上体を起すと、カトリーヌに謝罪の言葉を述べた。


「すまない……シスター・カトリーヌは、グランマリーの助祭だったね。叡智と繁栄、技術と戦略、グランギニョールで闘争を示す行為は、聖女・グランマリーの教えになんら反していない、練成技術の発展に貢献している部分が無いとは言い切れない……そういった所を踏まえず、下らない博打だなどと言って、悪かったと思っている」


「いえ、そんなこと……」


 カトリーヌは、レオンから自身の膝の上へ視線を移しながら、呟く様に言った。


「私は……シスターとしてグランマリーの教えに習い……人々を、子供達を、導く事が出来ればと考えています。大国同士の武力衝突が無くなり、内戦も徐々に減り、グランマリーの教えにある戦略と闘争は、遠くなりつつある……叡智と繁栄の教えが、闘争と戦火を遠ざけたのだと……私はそう感じます」


 時折口篭りながらも、カトリーヌは自分の考えを口にする。

 レオンは、懸命に言葉を紡ぐカトリーヌの横顔を見つめた。

 

「……グランギニョールがどの様な物か、私はこの目で見た事はありません……。なので、グランマリーが伝えるところの、戦略、闘争が、具体的にどの様なものを意味するのか、理解出来てはいないんです。私の至らなさではあるのですが……」


 やがてカトリーヌはレオンを見上げ、そっと微笑んだ。


「でも、これだけは確かです……私は孤児院の子供達に、私の様に戦乱に巻き込まれて逃げ惑うような目に遭って欲しくない、内戦や戦争を経験して欲しくないと思います……もっと別の、素敵な事の為に生きて欲しいと思うんです……だから私、レオン先生の選んだ道を否定しません」


「……ありがとう、シスター・カトリーヌ」


 カトリーヌの気遣いにレオンは目を伏せると、感謝の言葉を伝えた。

 廊下の石床を染める紅が更に濃くなり、二人の影も長く伸びていた。


◆ ◇ ◆ ◇


 レンガ造りの孤児院は、湿り気を帯びた夜霧に包まれていた。

 暗がりの中、施設の前庭に停められているのは、二台のレシプロ蒸気駆動車。

 幌を張ったカブリオレ型車両と、衆光会の貨物運搬用車両――いわゆるスチームワゴンだった。

 スチームワゴンには、既にアーデルツの遺体が運び込まれていた。

 

「シスター・カトリーヌ。明日の開院は午後になるかも知れない。義肢治療の患者が訪ねて来たなら、僕が午後に戻る旨を伝えて欲しい。もしシスター・カトリーヌが対応可能ならお願いしたい、すまない、負担を掛けてしまって……」


「いいえ、レオン先生。診療所の事は任せて下さいな。行ってらっしゃい」


 黒いフロックコートを着込んだレオンは、カトリーヌに診療所の留守を頼む。

 カトリーヌは修道服の胸元に右手を添えながら、笑顔で応える。

 アーデルツの身体修復を引き受けたレオンは、シャルルを伴い特別区画に在る『練成工房』へ出向く事になった。

 孤児院内に設えた設備では、損壊した箇所の修復が出来ない為だ。

 

 蒸気機関の低い音が響き、レオンとシャルルが乗り込んだカブリオレの駆動車はゆっくりと走り出す。

 駆動車は入り組んだ貧民居住区――『歯車街』を避けてシレナの川沿いに走り、イーサの工場地帯と他の街を繋ぐ幹線道路へと抜け出す。

 移動距離は長くとも市街を走行するより、こちらへ迂回する方が、早く特別区画を目指す事が可能だ。


 輸送の為に拡張整備されたタール・マカダム舗装の幹線道路は、駆動車の走行に適しており、車体の揺れも少ない。

 前方を照らすヘッドランプが闇の中に標を示し、駆動車は快走する。

 やがてシャルルが、低く話し始めた。


「もう、どうする事も出来ないが……アデリーがグランギニョールに参加した理由について、話しておく……」


「……ああ」


 確かにもう、どうする事も出来ない。

 しかし、理由は聞いておきたい。

 シャルルは言葉を続ける。


「衆光会からガラリア下院へ、更に多くの議員を輩出しようという動きが活発になった……そのせいで会の資金繰りが苦しくなり、段階的に衆光会で行われている複数の孤児院運営と、失業者の保護に回している予算を、圧縮するという流れになっていた……その予算削減の対象に、君が携わっているヤドリギ園が含まれていたんだ……」


「……」


「そんな時……衆光会の内情を知ったシュミット商会の技師が、グランギニョールの事をアデリーに伝えたんだ、勝てば報奨金が出る、ギャンブルとして資金を得る事も可能だと。アデリーは俺に黙って技師の検査を受け、グランギニョールへの参加資格を満たしているかの確認を取ってしまった……」


「……」


「アデリーは、君に恩を返すのだと言っていた、やっと君の役に立てると……私も子供達の為に戦えると喜んで……俺の言葉は彼女に届かなかった、俺は彼女を止める事が出来なかった……」


「……」


「罪滅ぼしとは言わない……でも、衆光会の資金問題……いや、ヤドリギ園の予算について尽力する……それが、アデリーの望みだったから……」


「そうか……」


 シャルルは俯くと口を閉ざした。

 レオンはそっと、窓の外へ視線を移した。

 駆動車は走り続けた。

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