音楽が全ての生き方(独奏)『悪意と音楽/実害と後悔』

「……これは一体どういう事ですか?なぜあなたがヴァイオリンの弦を弄っているのでしょう?そもそもの話、あなたはヴァイオリンの担当ではないですし……。私の納得のいくような回答をどうぞ。」


「…………っ!」



 ーー演奏会前日、会場奥の控え室にて。


 私、水無瀬 聖みなせ ひじりは目の前で固まる上級生。3年生の吹奏楽部の先輩を前に、呆れる気持ちを隠す事なくして彼女を問い詰める。



 現在の状況を整理すると、まず演奏会の前日、リハーサルを終えて各自解散した後のコンサート会場の奥にある控え室にて。


 私は前日に考えていた通り、リハーサル終了後には生徒のほとんどが早々に帰路に着いたのを確認して、一息を吐いてから楽器の最終調整を行おうと控え室に戻った所……。


 なぜか私のヴァイオリンを手に取りその弦を触る上級生の部員の姿がそこにあった。



 私はその様子を見て思わず声を掛けそうになったものの、ただ触れていただけと言い逃れされてはいけないと考え、息を殺してその様子を眺めていたのだけど……。


 その人が楽器の弦に傷を付けようと小型のニッパを取り出したタイミングで、私は思わずその上級生に声を掛けたのだった。



 そして冒頭のやり取りをして、何も言わずにただ固まるだけの上級生の前に立ち、私はこの上級生に対して怒りを通り越して呆れを感じていて、相手は自分よりも歳上の先輩ではあるが侮蔑の混ざった視線を向ける。


 しかし、こちらの詰問に対して何も言わずにいる上級生の回答を待っている程、私は気長な性格をしていないので……。



「……はぁ、ダンマリですか。別にあなたが何をしようと基本的にはどうでもいいのですが……。楽器に傷を付けるのは違うでしょう?吹奏楽部の人間であれば尚更。」



 別に私に対して攻撃してくるのはいい。それが私への嫌がらせや無視であっても。


 だけど、それを音楽に向けるのは違うし、同じく音楽をする者として許容する事はない。



 すると、固まっていただけのその人は、私のその言葉に反応してなのか……。その顔を真っ赤にしながら逆ギレを始める。



「ア、アンタが悪いのよ!2年のくせに好き勝手して……。それなのに何でアンタが主旋律を担当出来て、私は任して貰えないのよ!

 私はちゃんと毎回練習に出て努力してるのに、部長はアンタばっかり評価して……。何でアンタだけ特別扱いなのよ!」



 堰を切ったように口にしたその言葉は、恐らくそれが彼女の本音であり、今回の行動もそれに起因するものなのだろうと思う。


 しかしだからと言っても、私を恨むのは筋違いだし、音楽に関係する人間が意図的に楽器を傷付けるなど言語道断である。



 そのため、私はその人の話に意見しようと口を開らくが……。彼女は止まらない。



「いつもアンタは周りを見下して!どうせ、自分以外の部員なんて自分の引き立て役ぐらいにしか思ってないんでしょ!?

 そんなアンタが吹奏楽部にいて……。面白くないって思ってる!アンタが私達を見下すから……。アンタが全部悪いのよ!」


「…………。」



 ーー正直、傷付きはしなかった。音楽は私の全てであり、それ以外の事象は私には関係がなく考える必要を感じられなかったから。


 だから、彼女言う事は響かなかったし、それを聞いて私が悪かったなど思う事はない。


 ないはずなのだけど……。



「(……みんなが私の面白くない。勿論、彼女が言っているだけで確証はないし、部員達に直接聞いた訳じゃないけど……。

 私は何の為に吹奏楽部に入ったんだっけ?自分のしたい音楽がしたくて入部したけど、それは誰かの楽しいを奪ってまでしたいものではなかった。私を誰かを楽しませる為の音で誰かを苦しめるくらいなら……。

 私が吹奏楽部ここに居続ける意味は……。正直ないと思う。私って、音楽って何なんだろ。いや……。違うか。って一体どんな価値があるんだろ。)」



 私はボンヤリとそんな事を考え、急速に音楽に対する熱量が失われていくのを感じる。


 目の前にいる彼女の事も明日に控えた演奏会の事も、何もかもがどうでも良くて、何の意味もないもののように感じられる。



 そのため、私は何もかもがどうでも良くなり、とりあえず目の前の彼女の手から自身のヴァイオリンを取り返して、そのまま何も言う事なくその場を後にする。


 その間にも上級生の金切り声が聞こえてくるけど……。今の私にはそれすらもどうでも良くて、何の反応も示す事はなかった。



 その後、私はその上級生の行いを咎める事も告げ口する事もなく本番を迎えて、その本番を無感情のまま終えてしまった。


 私の求めていた音楽。それの在り方に対して疑問を抱いてしまった今の私には……。


 自分のしたい音楽でみんなを楽しませる事は出来ないと、吹奏楽部から離れかけていた気持ちをより一層遠ざけてしまうのだった。



 ーー開演の幕は上がらない。






 ーーー演奏会後、控え室にてーーー


「……何でこうなってしまうのかしら。私はただ部の為に最善の演奏パートを割り振ったつもりなのですが。それが他の子の不平不満に繋がるなんて……。いえ、それを知りながらも見て見ぬふりを続けていたの私自身。

 ……こんな事では吹奏楽部の部長失格ですね。に働きかけるタイミングはいくらでもあったのに行動せず、が出てから何かしようなんて……。本当自分が嫌になる。」



 ーー演奏会の終了後、誰もいなくなった控え室で一人、女生徒は溜息混じりに呟く。


 彼女は今日の演奏会の様子を思い出して、思わずほぞを噛みたくなる思いだった。



 結果的には今回の演奏会で評価されて、特にのヴァイオリンの完成度が高く、中学生の中でもレベルの高い演奏だととお褒めの言葉をいただく事は出来たのだけど……。


 それが一層部内の雰囲気をピリつかせる原因となってしまった事は否めない。


 事実、あの子を見る周りの目が良くも悪くも増えた事に変わりがない。



「今日のあの子の音楽はいつも通りに上手で、評価されるに値する良いものだった。

 でもそれは……。周りを意識した演奏でなくて、むしろ周りとあの子は違うと感じられるような演奏。あれではまるで独奏をしているような……。そんな印象を受けたわ。」



 今日のあの子はどこか昨日までとは違っていて、演奏自体は正確に行なっているけれど、中身を伴っていないと言うか……。


 抽象的な表現をすると『音に感情が乗っていない。』演奏だったのだ。



 それが気掛かりに感じて、演奏終了後、あの子に声を掛けてみたのだけど……。



「様子はいつもと変わらず。でも、覇気と言うかやる気がないと言うか……。あの子に限ってそんな事はないと思いたいのだけど、そんな様子に見えたのよね。もしかすると、自分と合わない吹奏楽部に嫌気がさした…とか?」



 そんな憶測を口に出してみて……。彼女はそれが強ち間違いではないのではないかと、あの子の普段を思い出して考えてしまう。


 基本的にはいつも1人で誰かと練習する所をほとんど見ない。指示を出せば一緒に演奏はするが自主的には周りに声を掛けない。


 周りもそれを知りながらも声を掛けない。いや……。正確にはのだ。



 あの子は周りを気にしないので気付いていないかもしれないが、周りはあの子が思っている以上にあの子の事を意識している。


 それは良い意味のものもあれば、逆に悪い意味のものもあるので……。部内でのあの子の立ち位置は非常に難しいのだ。


 実際、部内の誰よりも楽器を扱うのが上手であり、その事は部長である彼女自身、一番それを理解しているつもりである。



「それでも……。やっぱり上級生の身としては、後輩よりも上手で有りたいと思うわね。

 あの子がどれだけ才能があって上手でも、努力や年齢に優るものはないってそう思いたいんだと思う。でも、現実にはあの子と私達とでは埋まらない差があるのは事実。認めるしかないけれど……。ままならないわね。」



 先程述べたあの子への実害。それは前日行われたリハーサルの後、彼女が本番会場をチェックしてから控え室に戻ろうとした際に偶然それを目撃してしまったのだ。


 あの子と部の上級生があの子のヴァイオリンを手に細工をして口論をしている所を。


 彼女は扉の側から二人の現場を覗き見る事しか出来なかったが、あれは間違いなくあの子のヴァイオリンであり、悪意を持って部の上級生が手を加えようとしていた事はその口論の内容からも明らかであった。



 勿論、その場で彼女が二人の前に現れて、その上級生の行いを咎め、あの子が万全に明日を迎えられるようにすべきだっただろう。


 しかしながら、その時彼女の取った行動はただ静観を貫く事であり、本番前日に騒ぎを起こしたくない。最悪、活動停止になる事は避けなければならないと……。ここでもあの子ではなく部の事を優先してしまった。



「……結局、あの子から……。面倒になりそうな事から避けているだけね。あの子と面と向かってぶつかるのが怖くて何も言わず、それによって起きる事からはずっと目を逸らし続けてきた……。それが今回のような実害に繋がる事も知っていたのに…ね。」



 自己嫌悪からか溜め息ばかり増える彼女だが、あまりここに長居は出来ない。


 彼女はまとまらない思考を一時的に中断して、そのまま控え室を後にする。



 色々と考えてきたが……。実害が目に見える形で出てしまった以上、何もしないというのは、あの子にとっても……。それに部内の秩序としても良くないだろう。


 そのように考えた彼女は、次の練習からあの子と接する機会をもっと増やして、まずはヒヤリングからでも始めようと、そのように考えていた訳であるがーーそれは遅過ぎた。



 ーーなぜなら、その演奏会からあの子が部室に顔を出す事が無くなったから……。

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