音楽が全ての生き方(快奏)『旧音楽室と女生徒』
ーーー第一女学院中等部(一年前)ーーー
「……あなたここで何をやってるんです?ここは誰も使ってませんが、一応吹奏楽部の部室兼練習室なので……。関係者以外の立ち入りは止めて頂きたいのですが。」
「えっ?あぁ……。そうだよね〜。ご、ごめんね〜。ミク行く場所が無くてここにいただけだから〜。お邪魔なようだしぃ、すぐ出て行くね〜。……迷惑掛けてごめんねぇ。」
「い、いえ……。そこまでの話ではなかったです。別にあなたが変な事をしている訳でないようなので……。あなたの気が済むまでここに居ても構いません。」
「……そうなの〜?それじゃあ、少しの間だけここに居させて貰うねぇ……。」
ーーここは第一女学院中等部の旧音楽室。
私、
そこには噂通り音楽室に佇む生徒が一人。特に何をする訳でもなく、ただ教室の隅にあるグランドピアノをボンヤリと眺めていた。
そのため、私はとりあえずその生徒にここは改装中とは言え吹奏楽部の教室で使わないように声を掛けてみたのだけど……。
何と言うか……。その生徒の行き場のない迷子のような表情と言動を聞いて、ザワザワと不安にも似たその生徒の事を心配する気持ちが胸の内で広がるのを感じた。
普段であれば、部外者にここに留まってもいいなんて事は絶対に言わない。
……でも、今の目の前にいる彼女を見ていると、理由は分からないけど、とても不安な気持ちになり、追い出すような事は出来ないと本能的に感じて彼女にそう伝えたのだった。
「(この人は……。タイの色からして、私よりも上の3年生だ。ここの学校は女子校な上、中高一貫だから、受験がしんどくて思い詰めてるって事はないんだろうけど……。
何でこの人は、この音楽室でそんな悲しそうな顔をしているんだろう?)」
そしてその事が無性に気になった私は、相手が上級生である事を忘れ、無神経にもなぜここに居て、どうしてそんなに悲しそうな顔をしていたのかと問いただす。
すると、困り顔をしたその人は妙に間延びした口調のまま、『悲しくはない。』と述べたものの、相も変わらずの表情であった為、私は途方に暮れて……。自身の目線の先にあるグランドピアノが目に留まった。
「(こんなモヤモヤした気持ちの時は……。ただ音楽を聴くに限る。この人が何を考えているのかは分からないけど、音楽を聴けば悲しい気持ちだって無くなるはず……。
それに……。私は音楽以外のコミュニケーションを知らないし、音楽があれば人の心を動かせる。そうすればこの人も……。)」
そして、私は困り顔で立つその人を置き去りにしてグランドピアノを前に着席し、テンポの良い心地よいリズムを奏で始める。
ーー私はそれなりの種類の楽器を扱う事に長けていると自負しているが……。その中でも特にピアノの扱いが得意だ。
幼い頃から何かある度に、自宅にあるピアノで演奏をして心を落ち着けてきた。
そして、いつしかそれが自分の中で習慣になり、今では数ある音楽の中でも、それが一番と言える程自分の好きな音となっていた。
そんな自分の好きが詰まった音楽。それを誰かに聴かせる事が好きな私は、目の前で悲しそうな表情の彼女から悲しみの感情を取り除こうと……。悲しみを塗り潰す程の好きという感情をぶつけようとそんな風に思った。
すると、それまでどこか悲しげな困り顔で立ち尽くしていたその人は、初めは戸惑った様子でいたのだけど、私の奏でる音を聴いて徐々に気持ちが落ち着いてきたのか……。
私の奏でる音に合わせてリズムを取り、鼻歌ではあるが綺麗な旋律を奏で始めた。
「ふふふん♪」
「ーーん。」
この人の事に関しては何一つとして知らない事ばかりだけど……。この人の奏でる音に関してだけは、言葉を重ねる以上にこの人の事について理解する事が出来た。
抑圧された感情それがこの人の音の根源であり、それが音楽に昇華される事で綺麗な音色を奏でていると私にはそう思えた。
そうして、二人のセッションを終えて、満たされた気持ちになった私は、その時になって初めてその人自身に対しての興味を持った。
「……あの。あなたのお名前聞いてもいいですか?私は2年の
「えっとぉ、ミクは……。3年の
「成程、では……。橘さんと呼ばせて貰いますね。それで橘さんは音楽は好きですか?」
「う、うーん?ま、まぁ好きに呼んでいいって言ったのはミクだしねぇ……。聖ちゃんがそう呼びたいならぁ、それでもいっか〜。
そうだね〜。特に意識した事はなかったけどぉ。ミクは音楽が好きなのかな〜?」
「いや……。自分の事なんですから、そこを私に聞かれても……。まあでも、橘さんが奏でる音はとても暖かくて、音楽を楽しむ気持ちが私には感じられましたよ。だからきっと、橘さんは音楽が好きなんだと思います。」
正直、私の見立てでは橘さんには音楽の才能があると思う。私のピアノにも鼻歌だけど即興でハモリを成功させてたし何より……。
「(本当に久しぶりに充足感のある音楽をする事が出来た。今の簡単なセッションだけでも分かる。この人と音楽をすればきっと取り戻せるって……。音楽が楽しかったあの頃のように戻れるってそう思えたから。)」
だからこそ、私はこの人と一緒に音楽がしたい。最初はこの人を元気付けるために音楽を頼ったけれど、今は自分がしたい音楽をするためにこの人に力を借りたいと思う。
自分でも不思議な感覚だけど……。私はこの人と一緒に音楽をしたい。
そのため、多少強引ではあるけど……。私はこの人に何としてでも音楽を始めて貰うように説得する事を決意した。
「そうです。橘さんは音楽が好きなので、私と音楽を始めたらいいと思います。
橘さんは3年生でこれから吹奏楽部に入部とはいかないので、明日からここで私と一緒に練習をしましょう。そうしましょう。」
「え、えとぉ〜。それってミクと聖ちゃんが明日から一緒に音楽をするって事〜?」
「はい。そうです。吹奏楽部の方には自主練で定期的にしか出れなくなると伝えるつもりなので大丈夫です。それに橘さんには歌を歌って貰うので楽器等の準備も必要ありません。」
「で、でもぉ……。ホントにミクと一緒でいいのぉ?さっき聞かせて貰ったピアノもスゴイ上手だったしぃ、わざわざミクなんかと一緒にやらなくてもぉ……。もっといい人がいるんじゃないかなぁ?」
「…………。」
これはどういう意味で言っているのだろうか?ただ単に音楽を始めるのが嫌でそう言っているのか……。それとも、言葉通りの自分よりも上手な他の人を誘えって事なのか?
もしそれが前者であれば、嫌々やらせても私の目的である音楽を実現する事は出来ないし、それはそれで理解出来るのだけど……。
しかしそれが後者の方であれば、この人の考えている誤解を正さなければならない。
「あの……。何か誤解しているようですが、私はあなたと音楽がしたくてお誘いしているのであって……。ただ音楽が上手な人を誘いたい訳ではありませんよ?なので、あなた以外の人と音楽がしたい訳でも……。ましてや、他の誰でもいい訳じゃありません。」
「そう……なんだぁ。」
「はい。なので、変な小細工なしで言いますが……。私はあなたと音楽がしたいので、私のために音楽を始めませんか?」
するとその人は、それまでの困り顔から少し驚いた表情になって、少し間を開けた後に快く私のお願いを了承してくれるのだった。
そしてその時の私はまだ知らなかった。自分の音楽を再び取り戻せたらいいと思って始めたこの関係が、この後の自分を大きく変えるキッカケになるとは……。
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