第2話 それは雨の日に 後編

「あかりさんは、兄弟とかいるの?」


 大崎さんのさりげない質問に救われた気分になった。


「弟が1人、妹が2人」

「結構大家族だね」

「大崎さん……真は?」

「姉がいた……」


 一瞬沈痛な顔になった真を見て、私は不思議な気分になった。この人も、「こっち側」の人間かもしれない。少し整理したくなって、私は席を立った。


「お手洗いに行ってくるね」


 もしかしたら、真も寂しいのかもしれない。私を助けてくれるかもしれない。でも、薬を飲んでいることは秘密にしないと、また嫌われてしまう……


 鏡で髪を直して帰ってくると、真がテーブルの一点をじっと見つめていた。その先には私がさっきほったらかしにしておいた薬入れがあって、中身がいくつか出ていた。痛み止めだけではない。去年の5月に出た抗精神病薬の新薬と、かなり強い睡眠薬。それから頓服の気分安定薬。顔を上げて私をじっと見つめる真の表情を見て、私は凍りついた。〈この人は知っている〉。


 私は慌ててカバンに薬入れを突っ込んだ。中身が床とカバンの中に散らばる。そんなことは御構い無しにカバンを持って出口の方へ行こうとした時、手首を掴まれた。


「ぼくの姉も、そうだった」


 一瞬世界から音が消えた。


 ***


「お姉さん?」


 私は振り向いた。真が真剣な目で私を見つめている。


「うん。姉は自殺した。統合失調症だったんだ。」


 私は黙ってカバンを下ろすと、真の隣に座った。


「聞いてくれる?」


 私は頷いた。

 真は訥々と話し始めた。


「姉は昔から優しくて気遣いのできる人だった。でも、足に障害があって、ずっといじめられていて、恋人も28歳になるまでできなかった。10代の時に統合失調症になって、ずっと苦しんでいたのに」

「やっとできた男は散々甘い言葉を囁いて、姉を期待させて、でも、ほかに本命の女がいて、1ヶ月で姉を棄てた。姉の変わりようと言ったら。それまで服装も地味で自信なさげだった彼女が、恋していた1ヶ月間だけは別人のようだった。ううん、きっとあれが本当の姉だったんだ。姉はすごく綺麗だった。おしゃれで、毎日陽気で。私も幸せの意味がわかったみたい、ってぼくに囁いて、恥ずかしそうに笑ってた」

「でも、全部、あの男が姉を棄てた日に終わった。姉は凍りついた笑顔のまま家に帰ってきて、ぼくに泣きすがった。『和宏さんが、私をもう好きじゃないって』って言って、何時間も泣いていた。ぼくはずっと一緒にいて、話を聞いて、最後に言ったんだ。『そんな男、姉さんを不幸にするだけだから忘れよう』って。そしたら、彼女はなんて言ったと思う?」


 真は静かに泣いていた。私は黙って先を促した。


「『和宏さんもさみしかったのよ、彼女さんは遠距離だったみたいだし。それに私を愛してくれた。とても優しくしてくれた。だから感謝してる』って。ぼくは何も言えなかった」

「姉はその後1ヶ月、仕事を休んで家で泣いていた。1ヶ月後に職場を解雇されて、少し吹っ切れたようだった。ゆっくり休んでね、とみんなが言った」

「ある日、久しぶりに彼女が外出したいと言い出した。痩せた頰に化粧をして、何ヶ月もしまいこんでいたワンピースを着て、じゃあね、って言って出て行った」


 彼はもう肩を震わせて泣いていた。私は彼の手を握った。


「姉は次の日、遺体で見つかった。飛び降り自殺だった」

「辛かったよね……素敵なお姉さんだったのね」


 彼は激しく頷いて、ハンカチで涙を拭った。


「ごめん。だから、ほっとけないんだ。自販機の前で咳き込む君を見た時、君の姿に姉が被って、助けたいと思った」


 そう言って、彼は私を見つめた。


「よかったら、君の話もいつか聞かせてほしい」

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それは愛か 旅人 @tabito

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