8章裏 桜花/アイロニー/終わりで始まり
血溜りが、脳裏を離れない。
待っていた。外の銃声に怯えながら、待っていた。
戸を開けたのは、肩を白く塗られた、黒い鎧。
それが何を言ったのか、思い出せない。聞いてすらいなかった。見ていたのは一つだけ。
ボロ小屋の戸の向こう。そこにある雪景色の一角。
つい先日、このボロ小屋の壁を直していたその手が、真っ赤に、雪に沈んでいる…………。
その情景の意味を。
桜花は、考えたくなかった。
………だから、
*
桜花は、テントの中に居た。
椅子が一つ。机が一つ。明かりが一つ。周囲にある他のテントよりは造りがまだまともな、少し豪華な、そんなテントの中に、一人、桜花は座りこんでいた。
その瞳には何の感情も無い。すべての思考を放棄したような、それこそ“お人形”のような少女がそこにはいた。
何も考えたくなかったのだろう。全てに蓋をしたのだ。
抵抗する気力もなく、革命軍につれられて、桜花はそこにいた。
何かを演じる気力もなく、演じてみせる誰かもおらず。
また、桜花は、ただ台本を読んでいただけの時そうだった様に、あるいはその時よりも尚深く深く、意図的な無知に沈み込む――。
何も考えたくない。
何も、想いたくない。
………全部が壊れてしまったような、だから、何も考えないのは、壊れてしまった事を認めたくなかったからなのだろう。
自分から壊れて、ギリギリ、壊れないように自分を保つ。
なんの色も無いような少女は、ただ、座っているばかり。
そのまま、滅びを待つかのように………。
*
テントの外で、物音がする。僅かに、外が騒がしい。その物音にも、桜花は何の反応も示さず………けれど、その物音の方が、
どさり――重い物が落ちる音に、ゆっくりと桜花は視線を向ける。
テントの入り口。閉まったその辺りに、女性兵士が倒れている。このテントの外で見張りをしていた、皇女殿下への配慮、という革命軍全体の紳士ぶりの犠牲になった女性。動かない………締め殺されでもしたのだろう。
その女性兵士の横に立っていたのは、……見知らぬ悪意だ。
顔に大きな傷のある男。
その男………相模響慈は、平然と嘘をつく。
「突然、このような無礼をお許しください、殿下。ですが、これも御身のため………僭越ながら、救いに参りました」
丁寧な所作。恭しく頭を下げる。誠意を持っている、と、そう見せるような所作で。
相模響慈は、真に迫る嘘を続けた。
「帝国軍特務公衛部隊第16中隊――相模響慈中尉です。この機を得る為に、革命軍へと合流し、まぎれておりました。疑われはしますでしょうが、御身のため、ご協力いただければと………でなければ私は、革命軍に殺された部隊の仲間に顔向けできない……」
相模響慈は、悔しいといわんばかりの感情を滲ませて見せながらそう言い切った。
桜花は反応を示さなかった。
ただ、色のない目で、桜花は響慈を眺めるだけだった。何の思考も、そこにはない。
僅かに、相模響慈は眉をひそめる。宛が外れたと言わんばかりに。
けれど響慈はすぐにその表情を消して、また恭しく語り掛ける。
「……それで、あ~。殿下。その格好のままでは、御身を無事連れ出すには少々難儀でして。こちらの女性と服を取り替えていただけますか?……殿下のお心は存じております。この女性に対して私は確かに凶行に及んだ。息絶えております。けれど、それは御身の、ひいては帝国の為の行動であると、ご理解いただければと」
桜花は、やはり何かしら感情的な反応を示すことなく、ただお人形の様に頷いた。
「……では、殿下。恥をかかせる気はございません。5分後にまた戻ってまいります。お召しかえを」
響慈はそう言って、桜花に背を向けて、テントを後にした。
桜花はその所作を眺めていた。相模響慈が僅かに苛立った、そんな足取りである事を見て取った。
見て取った上で………何に苛立ったのかを考えない。何も、考えない。
一人、テントの中に残った桜花は、無感動に、服を取り替えろといわれた、死体を見た。
見ただけだ。なにも、考えない。
何も考えず、ただ言われたとおりにだけ行動する。……それが一番楽だと言う事を、桜花は昔から知っていて、最近、忘れかけて………何もかもを失ったら、もう、その空っぽに戻るほかになかった。
桜花は、自身の服に手を掛ける――。
*
桜花の服を着て、桜花の髪飾りをして……髪の長さや背丈は近い。
そんな死体が、さっきまで桜花が座っていた場所に座っている。
それを、さっきまで死体が着ていた軍服を身に着けた桜花は、眺めていた。
桜花とは顔が違う。当然だ。だと言うのに、桜花はそこで自分が死んでいるような、そんな気がした。
その思考もまた一瞬だけで、すぐに桜花は何一つ考えなくなる。
「ありがとうございます、殿下。私はもう少し細工を致しますので、しばし外へ」
相模響慈はそう言った。懐から銃を取り出しながら。
何も考えず、桜花は頷き、テントの外へと出た。
雪の降る夜。
そこら中にあるテントが、静まっている。何人かいる歩哨も、皆陣の外を見ている。
軍服を着た桜花に注意を払う者は誰もいない。
そんな光景をただ眺めた桜花の耳に、背後――テントの中から、小さな、掠れたような音が聞こえた。
桜花は銃を思い出した。顔以外、自分とよく似た格好になった死体を思い出した。
その先は考えなかった。何も、考えない。
トン、と。弾けた何かがテントにぶつかっていた。
その音に、無感動に視線を向けた桜花――。
何も考えずに、ただ音の鳴った場所だけを眺める。
やがて、相模響慈が、テントの中から現れ、言った。
「………では、殿下。こちらへ」
響慈の手にもう銃はない。死体に握らせでもしたのかもしれない…………。
思考をし掛けて、即座に桜花は、それにストップをかける。
………何もかも、考えない方が楽なのだ。
“桜花”はお飾りで、お人形で………それ以上でもそれ以下でも無い。
ただただ、他者の顔色を覗う事ばかり上手くなったお人形。
桜花は、一つだけ気付いていた。
相模響慈が、つまらなそうにしていると言う、ただその観察事実だけには。
親衛隊で、使命感を帯びていると口にする割には、熱意も狂信もまるで見えないと。
信用したからついていくわけではない。
信用できないと、そう気付いた上で、その自身の感想を自身の行動に移す気がまるで起こらなかっただけだ。
あるいは、心の奥底では、酷い目にあった方が楽……位には自棄になっていたのだろう。
自分を棄てる事が、“桜花”の処世術だ。
………全部どうでも良かったのだ。
全てに蓋をしたままに、桜花は信用できない相手に、無感動について歩く………。
*
「……おい、野暮な事聞くなよ。俺は結構ロマンチストなんだよ。つうか、一応アドバイザだろ、俺?お前の上司じゃん。……なに?俺を疑うの?良い勘してんなお前、立派な兵士になれそうじゃん?長生きするよ、きっと。いや、マジで」
革命軍野営地のはずれ。
後部座席で、桜花は何を考えることなくそれを眺めていた。
何を考えたところでろくな未来はないだろう。
歩哨は相模響慈のジョークに笑っている。
やがて、止められる事もなく、軍用車は走り出した。
野営地を抜けて………何処へ向かうのか。
桜花は、それも考えなかった。
務めて、無感動に、何も考えず、言われたとおりにだけ、周囲に従うだけ。
走り出した軍用車の中………相模響慈は、ホッと息を吐いて見せる。
「なんとか、誤魔化せましたね……。ご協力感謝いたします殿下」
うわべの言葉。うわべの態度。
演技に長けると言う事は嘘に聡いと言う事だ。
桜花は見抜いて、けれどだから何をする事も無い。何を考えることも無い。
相模響慈は、つまらなそうに鼻を鳴らした。もう、この状況で演技を続ける必要がない、と、そう判断したかのように。
「あ~?殿下?もしかして俺の事疑ってます?………勘が良すぎると長生きしませんよ?くく……冗談ですって。あ、なんか飲みます?水しかねえけど」
軍用車を走らせ、バックミラーで桜花を観察しながら、器用にもボトルを渡してくる。
桜花はそれを受け取った。だが、飲むことはなく、ただボトルを眺める。
その様子を、相模響慈はつまらなそうに観察する。
「ああ、そういう疑い?いや、俺ロリコンじゃねえし。わかった。わかりましたよ殿下。確かに俺は親衛隊じゃない。愛国心は飯くわせてくれる時だけしかわかない。それは間違いない。けどほら、あ~、こういう言い方のが良い?革命軍が勝ち馬だと思ったら紙くずでよ。まあ損切りって事で、殿下をチケットに勝ち馬に移ろうってなわけ。だから、指一本触れませんって、マジで。お兄ちゃん怒らせんのは困るじゃん?なあ、言ってる意味わかる?お嬢ちゃん?」
だんだんと乱雑に、砕けていきながら、相模響慈は言葉を継いで行く。
「水くらい飲みなよ、お嬢さん。脱水症状とかで折角のチケットがしわしわんなると困るし」
桜花は、ボトルを開けて、その中身を口にした。
言われたから飲んだ、桜花としての行動か。
単純に、言うとおりにしたらこの男が黙ると思ったのか。
全部どうでも良い。今更、何も考えない。疑うほどの誠意すら、相模響慈に見ていない。
水は、おかしな味がした。薬でも入っていたのかもしれない。クラリと、意識が遠のいていくよう……。
全部構わない。全部どうでも良い。どうせもう、桜の望みは散っている。生きようが死のうが弄ばれようがどうだって良い。
自棄に他ならない。
相模響慈はそんな桜花を観察して、笑った。
「お、飲んだ?度胸あるね、お姫様。ていうか、駄目だよ、知らない男について行ったら。悪い奴は一杯いるんだから。ああ、それともあれ?くく……王子様が助けに来てくれるからオッケイ、みたいな?スルガコウヤが助けに来てくれるからオッケイ?」
スルガコウヤ………。
その名前に、襲い来る眠気に落ちながらも、桜花は相模響慈に視線を向けた。
目が合ったその瞬間、相模響慈は笑う。心底面白い玩具を見つけた、そんな歪みきった目で。
「あ~、くく……。駄目だよお嬢ちゃん。マグロぶるなら最後までそうしてないとさ。半端に反応すると男が喜ぶだけだよ?くく………」
堪えきれないと笑みを零しながら、相模響慈は独り言の様に喋り続ける。
「あ~、駄目だな。……まあ、良いか。くく、……面白いジョークがあるんだよ、嬢ちゃん。俺はほら、状況から考えて嬢ちゃんの恩人にあたるわけじゃん?客観的かつ現実的に見てさ。あのまま尻尾切られた
口調が、口ぶりが、言っている内容までもすべて、何もかもが歪みきっている……。
誰がどう見てもオカシイ。そんな様子を隠そうと言うそぶりも見せず、相模響慈は愉しげに続ける。
「でも、そんな恩人な俺もさ……昔は
何を言っているのか。
薬で眠りに落ちかけながら。
何も考えまいと、自分を空虚に保とうとし続けながら。
それでも、桜花は、………桜は理解してしまった。
誰が、夢を壊したのか。
誰が、…………。
バックミラー。
睨む桜の視線に、酷くあっさりと、酷く愉しげに、相模響慈は懺悔した。
「そう。その通り。………スルガコウヤを殺したのは、俺だ。ふふ、あははははははっはは!」
相模響慈は、そう言い放って、ただただ堪えきれないとばかりに、笑い出した。
迫る睡魔に抗いきれず、桜花は後部座席に倒れ……ただ狂人の笑い声を聞き続けた。
恩なんて、覚えるわけがない。
……恨みも、沸いては来なかった。
虚しいだけだ。何もかもが、虚しいだけ。
何かが、ぷつりと途切れてしまった。
スルガコウヤを、殺した。
鋼也が死んだ。
認めないために。思考すべてごとまとめて蓋をしていたそれを、何の配慮もなくただふざけるような雰囲気で………。
本当に少女が壊れたのだとしたら、それは、その瞬間だろう。
意図的に壊れた事にして、ぎりぎり自分を保つ事すら許されず。
なにもかも、暗がりの奥深くへと落ち込んでいく………。
狂人の笑い声に何の感慨も浮かばず。
まるで望まぬ形の、帰路の中で……………。
*
革命軍野営地。
その場所を、突如現れた竜の大群が襲ったのは、桜花が響慈に助けられた、1時間後の話だ。
制圧されるまで間もなく、制圧された野営地を、白銀だった竜は闊歩する。
なんかちょっと豪華な気がするテントに、白銀だった竜は興味を引かれ、引き裂きながらその中に踏み込んで………足元に珍しいものを見つけた。
髪飾りだ。血がこびり付いた、桃色の髪飾り。
それを拾い上げ、しげしげと、白銀だった竜はそれを眺め、いじり………やがて、別のモノに興味を引かれた。
頭がない人間がいる………白銀だった竜の好奇心はすぐにそちらに移り、拾った髪飾りは、ぽいとすぐに外へと放り投げられる。
白銀だった竜が、桜花の服を着ているだけの、頭のない死体をいじくりまわす、そのテントの外。
血のついた桃色の髪飾りが、雪に刺さっていた。
………駿河鋼也がその髪飾りを見つけるのは、そのまた、後の話だ。
→ 27話 引き裂かれるセカイ
→ 9章 無常の日々に移ろい流れ
30話 続く戦場/空ろに願いを
https://kakuyomu.jp/works/1177354054889537417/episodes/1177354054891327360
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