9章 無情の日々は移ろい流れ

30話 続く戦場/空ろに願いを

 一月。あの、皮肉まみれな雪の夜から、一月経った。

 変わるモノはある。季節だ。灰色の空が振り散らすのはもう、雪よりも雨が多く。

 厚く、厚く積っていた雪は、もう薄く、やがてその景色は荒涼とした岩肌に塗り代わり、やがて青葉が芽吹き始めるだろう――。


 変われないモノもある。幾ら季節が塗り変わろうと、他にすべき何も見出せず。

 ただ迷子の様に、未練の様に……亡霊の様に。


 その場に留まり続けるほかにない者が―――。


 *


 山岳の一角――厚みの失せた雪が、他のどの場所に比べても露骨に剥げているその場所に、こげた色合いの生物の集団が居た。

 竜。人類の敵。その、小規模な集団。数は50ほど。


 この数週間で頻発する、はぐれた竜の集団の発見。

 それが、多種族同盟連合軍基地から程近いその場所で、竜の群れから200メートルほどの距離で、扇奈が部下を引き連れて、目を細めている理由だった。


「……あれかい?」

「へい。……物見の報告どおりの場所にいやすね。動かないで一体、何してんだか………もう今月入って100個目ぐらいっすよ?はぐれ竜の群れ。こないだの生き残りっすかね?」

「………それにしちゃ、多すぎるねぇ。逃した分と生き残りが合わない。まあ、考えるのは後だ。とにかく、あのトカゲを潰す。いつも通りに、陣形組んで接敵。深入りはなしだ。先陣は――」


 そう指示を飛ばしている途中で、扇奈の横を、背後から、が通り抜けた。


 黒い甲冑。左手には玩具を。腰には野太刀を。そんな装備の“夜汰鴉”は、扇奈へとまるで視線を向けることなく、――ただ感情のないそのカメラで竜の群れを見据え、どこかふらつくような足取りのままに、歩んでいく。


 その姿に、扇奈は困った風に眉間を搔く――近頃癖になりつつあるその仕草の末に、その“夜汰鴉”の背中へと声を投げた。


「……鋼也。先陣はあたしだ。いい加減、聞き分けてくれよ。あたしはお前が心配なんだ。わかってくれよ。な?」


 “夜汰鴉”はその猫なで声に振り返る――だが、振り返っただけで足を止めず、すぐにまた竜へと視線を向けて―――跳ねた。


 元々、か弱いヒトが強靭な他種族に対抗する為に、FPAは開発された。

 その上で、今、“夜汰鴉”の中にいるのは、オニの力を持ったヒト。

 ただでさえ強靭なその鎧、その作られた筋肉人工筋繊維は、異能力でより強靭に―――。


 瞬く間に岩肌を駆けて行く“夜汰鴉”を、扇奈は見送った。

 搔いていた指を止め、どこか頭を抱えるような仕草のままに。


「……姐さん、どうしやす?」

「いつも通りだよ、」


 僅か苛立った声で、扇奈は部下へと返す。

 それから、苛立ちを飲み込んで、辛苦を滲ませながら、扇奈は続けた。


には、あたしだけ付き合う。あんたらは訓練どおり、陣形組んで、だ。……悪いね、わがままで」

「お気になさらず、頭領。あっしらは、喜んで花道見送りやす」

「ハッ。……笑えないね」


 そう気を吐き、自嘲しながら、――扇奈は地を蹴り、黒い鎧の後を駆け出した。



 *



 なぜ、自分が生きているのかわからない。

 生き続けている意味がわからない。

 すべき事があると言うなら、その為に生き延びたと言うのは、それは、なんだ?


 俺は、何をすれば

 この命は、何に使うためのモノなんだ―――。


 わからないまま。

 わからないからこそ。

 スルガコウヤオレはただただ、無軌道に―――。


 ―――トカゲの最中へと降り立った。

 足元で一匹の竜が血飛沫へと成り変わる―――その雫が落ちきる前に、“夜汰鴉”は野太刀を引き抜く――。


 長大な刃は、しかしそれその者がヒトよりも巨大である“夜汰鴉”からすれば太刀に等しく、さればこそその引き抜く動作は、流麗に当然の様に、抜き打ちの様に曇天を引き裂く――。


 白刃に、手前2匹のトカゲの首が飛ぶ――舞い上がる血飛沫の向こうで、群れは漸く、外敵の襲来に気がついたらしい―――。


 迫る竜の群れ―――尾を振り牙を向きだし爪で地を抉りよだれを撒き散らす単眼の群れ――。

 その光景に、スルガコウヤは現実感を覚えない。

 あるいは、見失ったのはか。


 それこそ、あらゆる失望の最中、半身もまた失ったような気分のまま、それでもスルガコウヤが対処できるのは、経験則地獄への慣れと、レーダーの存在。


「……………」


 激情も何もすべて遠くに押しやったままに、夜汰鴉はふらつくような足取りのまま、迫るへと、それこそ歓迎でもするように、歩み寄っていった。



 *



 涙が出ない。それが全てだろう。

 一月。一月だ。一月経っても、未だ何も拭い去れず、何をするべきかも未だわからず、ただ何一つ考えないまま、あの夜差し出された手を取って―――。


 駿河鋼也は未だ戦場にいる。

 他に、何も、出来ないのだ。

 人生の全てが戦場にあった。

 大切なものを見つけるのも、大切なものを失うのも、全ては戦場の最中の出来事に過ぎない。駿河鋼也はそこしか知らない。それしか、知らない。


 原風景は憤怒と怨嗟。これまでの戦場全てで、駿河鋼也は激情のままに死を求め続けていた。


 今は、それすらも無い。

 死にたいという狂気ですら、そんな些細で誤った事(願い)ですら、駿河鋼也は望めない。

 願う気力がない。死も、あるいはほかのあらゆる救いも。


 竜に対する恨みでさえも、沸いてはいない。


 残っているのは兵器としての技術と資質のみ。

 けれど、もはや、それにすらも―――僅かな陰りが差し始めていた。


 *


 震動が聞こえる――左肩の装甲が抉られた。その認知は“夜汰鴉”に通ったオニの力神経から。

 そうなって初めて、スルガコウヤは自身の左手前にある脅威に気付いた。

 レーダーには確かに、左手前、すぐ真横にいる竜のが動いている。そこに確かに竜がいる――けれど、今竜がどれで――尾か爪か牙かのどれで―自分を傷つけたのか、スルガコウヤには


 身体を回す――首を回す――で漸く捕えたその竜は、爪を引きながら尾を振るい、その切っ先をスルガコウヤへと向けている――。


 ……回避が間に合わない。それが良い。それで良い。

 かつてあったような激情はもうどこにもなく、ただ静かにスルガコウヤは迫る尾を眺め――。


 もう、何度目になるのだろうか。

 派手な背中がその命を拾い上げる。


 現れると同時に白刃が落ちる―――コウヤの命を落とそうとする、その尾を扇奈は、戦場に飛び込みながら切って捨て、苛立ちまみれのその顔に、返り血の化粧を帯びながら……。


 動じた気配も見せずに、囁いた指示を出す


「あたしの左」


 兵器スルガコウヤは即応した。

 白刃、野太刀、その巨大な刃を、突き立てる。

 刃が身を裂く寸前で、自身がきり下ろす動作のままに、扇奈は屈み―――その影の向こうにいたのは、よだれと牙をむき出す単眼の竜。


 遅れて流れる扇奈の髪が数房、野太刀に舞い、それで刃は止まることなく――

 扇奈の背中をくぐりぬけ、野太刀は竜の単眼を貫く。


 一瞬のうちに、救われ、救わされた。

 それに何の感慨も抱かず、夜汰鴉は野太刀を引き抜き、軽く振って血を払い。

 その真横で、扇奈は似たように血を払いながら、コウヤを見ずに言った。


「左はあたしがやる。……他は、あんたが自分でやりな。満足するまで、さ」


 そして、扇奈は、コウヤの左手前に立った。

 いや、コウヤの主観から言えば……立ったの、だ。


 それ以上、特に何も考えない。いつも通り、いつも通りだ。この一月のいつも通り。


 スルガコウヤは、残る敵に、半分視線を向けた――。


 *


 山岳のその一角に、もう雪は欠片も残っていなかった。

 覗く岩肌は赤く、そこら中に転がっているのはトカゲの死骸だ。


 そんな光景の一角で、立ち尽くすような黒い赤い鎧に、返り血を浴びた女は歩み寄り、右手前に立ち、笑いかけ語り掛ける。


「よう、鋼也。……満足したか?」

「…………」

「……そっか。とりあえず戻るか?飯食おうぜ、飯。なに食いたいよ?」

「…………」

「なんだ?もう和食は飽きたか?」

「………何を食べても、味がしない。……悪いな」


 それだけ言って、鋼也は歩みだし、扇奈は困った様に眉間を搔きながら、小さく、息を吐いた。


「……謝るのはなしにしてくれよ」


 その呟きを、スルガコウヤは、事にして。

 思考をめぐらせようとしないままに、戦場を後にし………次の戦場へと歩んでいく。


 不完全な心と体のままに………。


→ 裏演謳歌Ⅰ 前奏曲―ラプソディー―

https://kakuyomu.jp/works/1177354054890150957/episodes/1177354054891715763



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