裏演謳歌Ⅰ 前奏曲―プレリュード―
「聞いた?桜花様の噂」
「竜に襲われて、心神喪失でしょう?」
大和帝国帝都『京』。
広大な方条都市のその中心、広大な敷地を持つ、
外界と決別されでもしているように、静かに緩やかに、青い芝生に、西洋の建築様式を取り入れながら赤い瓦に彩られる宮殿が幾つか立ち並んでいる、その一つ。
殿内の雑務をこなす
「え?私は、……ほら。革命軍に乱暴されてって聞いたけど、」
「うそ、ホントに?」
「私は
「いや、違うって、恋人と引き離されて……」
ついには手を止め、噂話に集中し始めた女中達は、カツカツと廊下を横切る毅然とした足音に、噂話などしていなかったと言わんばかりに、口を閉ざして手を動かし始める。
やがて、足音の主は、掃除をしているには不自然な立ち位置の女中達の背を、冷ややかな目で眺めながら通り過ぎ――その足音が女中達の背後で止まった。
「……仕事は真面目にこなしなさい」
「「「「はい!申し訳ありませんでした!」」」」
返事だけは良い年若い女中達に、内心頭を抱えながら、その女性はまた、歩みだす。
背の高い、短髪の女性だ。着ているのは他の女中と同じ色気のないロングスカートだが、しかし他の女中達と彼女とでは、立場に差がある。
付き従い身辺の世話をする、のみに限らず、年若い皇女に政治やら振る舞いのあれこれを教える教育係でもある。
明らかに政治に対してやる気のない、それでいて言う事は聞く第6皇女に内心頭を抱えながら1年教育し、初の皇務と送り出したのはもう何ヶ月前の事か。
振り返れば、最初から“軍の士気高揚演説”などきな臭いにも程がある。あの日ついて行っていれば、と、今更悔いても仕方がない。
無事、戻ってきたのだからそれで良い。
そう、言い切れれば恭子も気が楽なのだが、果たしてあの様子を無事と呼んで良いものなのか。
冷静そのモノの表情のまま、年若い女中達に負けず劣らずの饒舌を胸中に、恭子は一つの戸をノックした。
「……失礼致します」
返事を待たず……と言うよりない事を知っている恭子は、すぐさまその、第6皇女の私室の戸を開いた。
部屋の中は、酷く静かだ。時が止まっているかのように、今朝掃除に訪れた時と家財道具の一切の位置にまるで変化がない。
驚くほど生活感の一切、どころか生気すらないようなその部屋の奥。
皇女は、窓際の椅子に腰掛け、窓の外を見るでもなく眺めてもいた。
その目には何の思考も無い。何をしようという意思さえも見えない。
元々こんな雰囲気ではあった。望まず皇女となった少女だ。
ただ、今はあの頃あったどこか拗ねたような雰囲気すらも存在しない。
何も無い。何一つ考えない。……帝国に戻ってきてから数週間、心をどこかに落としてきたように、ただ佇むばかりの皇女。
そんな彼女に、恭子は、折り目正しく頭を下げ、呼び掛けた。
「桜花様。お食事のご用意が出来ております」
その言葉に、桜花は何も応えず、ただ立ち上がり歩んできた。
見ているようで何も見ていない。
そんな目のままに、桜花はただ、お人形の様に、言われたままに振舞った。
*
最後に交わした言葉を思い出せない。思い出す気になれない。
脳裏にあるのは血だまりと、駿河鋼也を殺した、と、そう笑った狂人の声だけ。
何をする気にもならない。
何をしようという気にもならない。
桜花は、ただ生きているだけだ。
いつの間にか終わっていたらしい革命に。
いつの間にか皇帝になっていた
世俗、あるいは自分自身にすら何の興味も抱かず、結局、彼女は何も出来ないという自己評価に、ありとあらゆる諦観を混ぜ合わせ、感情の色の一切もなく、澄んだスープを口に運ぶ。
女中達の噂話は桜花にも聞こえている。
世間から隔絶されて、皇女付き故にこの宮殿に男は少なく、だから浮いた話の代わりにスキャンダルで暇を潰している。
だから、なんだ。だからどうしたというのか。
桜花は、出された料理――別段量が多いわけでも無いそれを、半分も口に入れず、食器を置いた。
傍で控えているお付きの
人を見る事に長けた少女だ。もろもろ、理解出来てしまう。その上であっても、応えようと言う気にならない。
食器を置き、何の感想も告げようとしない桜花に、お世話係の恭子が声を投げた。
前なら叱責が来た。
驕ってはいけない。感謝を忘れてはいけない。常に気品を、常に模範たれ、と。
だが、その叱責もまた、今はない。
「桜花様。……今日は良く晴れております。たまにはお散歩でも、いかがかと」
恭子の提案に、桜花は、何の感想を抱く事もなく、ただ頷いた。
*
芝生があるだけ。林があるだけ。池があるだけ。家主が死んで、人気も何もなくなった幾つかの宮殿があるだけ。
石畳、赤茶のレンガで舗装された道を、和洋折衷半端に入り混じったかのようなその場所を、桜花はただぼんやりと歩んでいた。
ついてきているのは恭子だけ。けれど、彼女もまた口を開こうとしない。
散歩したところで何が面白いのか。空が晴れているからなんなのか。
桜花はただ、言われたから歩いている。
戻りましょう、と言われるまで。
この先ずっとこうなのだろう。何もかも味気ないのだろう。
だから、色々選んではみても、結局桜花が立ち返る場所は、諦観でしかなかった。
………いや。
諦観でしかないはずだった。
運命の岐路は些細な場所にある。まして、あれほど派手な岐路だ。望むと望まざると、桜花が知っていようといまいと、世界は、命運はもう動いている。
『第6皇女を護衛し、戦線を離脱せよ』
その命令を受けた者もいる。
そして、同時に、受けていなかった者達も、その場にはいた。
桜花は知らない。駿河鋼也の生存も、………その、
騒がしい音が響く。警備のだろう、男達の怒声と………車の音。
桜花が立ちどまり、恭子がその前に、庇うように動く。
車の音は、静かでのどかな空間を突き破り、近付いてきていた―――赤いオープンカーだ。
門やらなにやら突き破ってきたかのように、その
その車は、桜花たちの前でけたたましい音と土煙を撒き散らし、停車する。
乗っていたのは、若いカップルだ。そうとしか見えない。
派手目なジャケットに袖を通した、オールバックの、背の高い青年がハンドルを握り、桜花を眺め。
助手席では、肩口で切りそろえられた髪の、背の低い女性が、信じられないといわんばかりに頭を抱えていた。
「あんたさ……マジでやる?馬鹿じゃないの?これ、減給じゃすまないわよ………」
「うるせえ。問題ねえ。責任は
「その
「そんなんどうでも良いだろ。ここじゃ馬鹿やっても死にゃしねぇんだしよ」
むちゃくちゃやっている割に妙に冷静に、それこそ腹が据わっている様子で青年は応え、それから一人車を下りた。
入れ替わるように、背の低い女性は運転席に移る。車を走らせはしないが、
そのカップルから見え隠れする場慣れに、恭子は尚警戒を深め。
桜花は何も考えず、ただ、現れた青年を観察していた。
知らない人のはずだ。だが、なぜだか知っているような気もする。話に聞いたような……そんな直感を抱き始める桜花の前で、オールバックの青年はコホン、と一つ咳払いする。
「え~、お初にお目にかかります。第6皇女桜花様、っすよね?」
いまいち締まりきらない言葉を投げる青年に、運転席に移った女性が声を投げる。
「不敬」
「うるせえ」
緊張感がないようなやり取りへと、尚警戒を切らず、恭子が言う。
「殿下になんのようで?」
「いや、そんな警戒しないで下さいよ。こっちの用件さえ済ませばすぐ帰るんで」
「……凄い悪役っぽい台詞ね」
「うるせえ!」
身内からの茶々に青年は吼え、それから、仕切りなおすようにコホン、と咳払いする。
次に青年が取ったのは……それまでのふざけた調子がすべて嘘のような、完璧な敬礼の姿勢だった。
「帝国軍第3連隊…第1中隊所属、
「呼んでないのに来んなって話じゃないの?」
「うるせえっつてんだろうが!じゃあお前代わるか?」
すぐに緊張感を失う二人に、恭子は警戒に呆れを混ぜだし………桜花は、知ってもいないはずだと言うのに、妙に懐かしいような、そんな感慨を覚えた。
聞いて、想像したとおりだったからだろうか。
桜花は知らず、呟いていた。
「帝国軍第3連隊…第1中隊」
いつか聞いたような所属だ。そう名乗っていた人を、桜花は、とてもよく知っている。
仲間を家族とまで呼ぶ人を。
楽しそうに、その家族の思い出話を聞かせてくれた人の事を。
……もういないんだと、思い込んで、諦観していた彼の事を。
帝国軍第3基地は、確かに壊滅したのだろう。けれど、だからと言ってそれが、誰も生き残らなかったことを示すわけでは無いのだ。
「………殿下?」
桜花が声を発した事に驚いたのか、恭子はちらりと桜花へと振り返り、けれど桜花は恭子を見てはいなかった。
桜花は見ていた。
久世統真。御影夕子。……多分、鋼也が楽しそうに話していた、そんな思い出話の住人を。
車の向こうから警備兵達が怒声を上げながら走ってくる。けれど、夕子も統真もそちらを振り返ることなく、真剣そのものの目で――同時にどこか諦めを混ぜた瞳で、桜花を見続ける。
そして、統真は、その問いを投げた。
「殿下。聞きたいのは一つだけ。それだけわかったら帰るよ。……鋼也は?どうしてる?あんたを送って帰ってきたんじゃないのか?」
わかっていた。理解していた。こういう人たちだろうって、想像していた。
立場とか、どうでも良いのだ。ただ、
身内の無事を聞くためだけに、
知っていた。鋼也を見ていたから。
桜花は、統真の問いに――どう応えようとしたのか。
漏れ出たのは嗚咽だけだった。
人形の様に、何の意思も表情もなかった少女の目から、涙が零れ落ちる。
……教えてあげたいとだけ。教えてあげたかったとだけ、桜花は強く願っていた。
生きていた、と。
貴方は、一人ぼっちじゃなかったんだよ、と。
警備兵が近付いてくる―――それは瞬く間に、統真を、夕子を包囲した。
二人は抵抗するそぶりを見せない。
桜花の涙で理解したのだろう。……彼らも、薄々感づいていたのかもしれない。
拘束され、連れ去られそうになる二人を見ながら、桜花は強く、思った。
これではいけない、と。
これを鋼也はきっと喜ばないだろう、と。
だから、涙を流したままに、桜花は声を投げる。
「待って!……待ってください。その人達は、私の………知り合い……いえ、友達です。大丈夫です。私が呼んだんです………」
苦しい嘘ではある。検問を力づくで通り抜けたのは車の惨状で理解できる。
けれど、………その嘘は、“皇女”の言葉だ。
白だといえば、黒も白になる。生まれついての権力のある言葉。
涙を流す少女の嘘を、糾弾できる者はそこにはいなかった。
警備兵達が数歩下がり、夕子と統真が桜花へと視線を向ける。
二人の視線の中に、見慣れたような悲しさがあったような気がした。
後悔、だろうか。後悔に慣れ切ってしまった目。それでもどうにかしようと、行動した末に寂しさを募らせる目。
後悔したのは桜花も一緒だった。
なぜ、言って上げられなかったのだろうか、と。
口先の嘘で、慰め以外の何者でもなかったかもしれないけど……今こうしてその嘘が目の前にある。
言って上げたら良かった。
……貴方の
そう、思ってしまったからだろうか。
もしかしたらと、縋ったのかもしれない。
嘘である事に他ならない。
願いである事にも、間違いはない。
思い出したのだ。最後に、桜花が、鋼也に言った言葉を。
その通りの自分でいたいと思った。待っていますと言った自分のままに。
これは、だから………信じようと、一人の少女がそう決めた、だからこそ自分についた嘘だ。
涙を流しながら、けれど、意を決したような、どこか悲壮な表情で、桜は、こう言った。
「鋼也は、生きています。……生きてるんです……絶対、」
勘付きはしたかもしれない。恭子も、統真も夕子。
けれど、その少女の涙を、嘘だと切って棄ててしまえる者は、その場には一人もいなかった。
*
統真と夕子は、無事見逃された。日取りを改めてまた来る、とそう告げて去って行った。
泣き崩れた桜花から、これ以上話を聞くのは後でも良いと、そう考えたのかもしれない。
二人が去った後、自室に一人。
桜花は、窓際の椅子に腰掛け――手元に視線を向ける。
そこには、写真があった。
戦場の一端を垣間見る時、お守りのような気分でもっていったモノ。
革命軍の元に行く時、“荷物”として唯一持ち出したモノ。
服を取り替えた時も、心を棄てようとしていても、それだけは棄てて行こうと言う気にならず、下着に入れ込んでまで、連れ帰ったモノ。
相手が目の前にいる時は必要にならない、唯一形ある、確かな思い出。
桜花は窓に視線を向ける。
窓に映っているのはかわらぬ、味気ない風景と、涙で顔を腫らした桜花自身の顔。
なぜだか桜花は、そんな、眺める自分に嗤われたような気がして………自身で意図的に笑顔を作った。
嗤う桜花の顔が、窓に映っていた。皇女たれと、慣れ切った微笑が。けれど、その笑顔だけでは足りない気がした。
だから。
「……よし」
小さく呟いて。
「よし、」
意図的に声を張って。自分を騙して。演技を始めて。
「よし!」
ガッツポーズまでしてみて。滑稽に見える自分を嗤って。
笑った上で、桜花は勢い良く立ち上がった。
「………元気良く行きましょう!」
痛ましいと、ばれないように。
嘘だと、ばれないように。
また、諦めてしまわないように。
元気に、奔放に、滑稽に………そして理知的に。
桜花は自分を騙し始め、腫れた目だけを涙の名残に、完璧に全部騙せるであろう笑顔を作って、桜花は
……全部全部、隠してしまおう。
この、腫れた目も………誰にも見せないように。
→ 31話 整備場/落としどころ
https://kakuyomu.jp/works/1177354054889537417/episodes/1177354054891414782
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