31話 整備場/落としどころ
夜の帳が落ちた、多種族連合軍基地。
夜汰鴉を染め上げた血が、水に洗い流され、落とされていく――。
その光景を、
あの日から赤く黒く淀んだままの左目で。感情を伴わない、ヒトのままの右目で。
その片手は、何を考えているそぶりもなく、髪飾りに触れていた。首から下げた
ホースから流れる水が止まる。蛇口を捻って止めたドワーフ――イワンは、その髭面を鋼也に向けた。
「坊主。お前、いつまでそこにいる気だ?」
「…………」
「……小屋には戻んねえのか?お前、戻ってきてから、結局一回も行ってねえだろ。あの小屋」
そのイワンの言葉に、鋼也は自身で知らず、首から掛けた髪飾りを握り締めていた。
あのプレハブ小屋に鋼也が一度も戻っていない。それは、確かだ。
基本、いつもこうして整備場に居る。“夜汰鴉”を眺めている。
たまに見かねたイワンや扇奈につれられて出歩き、だが結局ここでこうして待っている。
……待っているのは、
一日に一度、あるいはそれ以上……近場のどこかに竜が居て、それを聞くたびに、鋼也はすぐさま夜汰鴉を纏う。鋼也はこの一月それだけを続けていた。
……他に、する事がないのだ。あのプレハブ小屋に戻ったところで………居ないことの重さを痛感するほかにない。
「……………」
「……どうしようもねえな」
応えなかった鋼也に、イワンは肩を竦めて見せた。
それから、ボロボロの布で“夜汰鴉”の水気を拭き始めながら、イワンはまた口を開いた。
「……そういや、坊主。聞いたか?ゲートの話」
問いかけて、答えがない事にイワンが肩を竦め、結局追い出すことはない。
それが、この一ヶ月の挨拶のようなものだった。
だが、その後に世間話が続くのは珍しい。
まして、話題は………それこそ
「………ゲート?」
「ああ。あれからもう一ヶ月くらい、お前らほぼ毎日トカゲぶっ殺してるだろ?お前だけじゃなく、アイリス達もほかも、毎日出張ってる。ってのに、毎日毎日どっかしらにトカゲが残ってやがる。この間でかい戦であらかた削ったはずだってのに、逃がした数に比べて、残ってる数が多すぎる。で、そのトカゲは何処から来てるんだって話だ。その結論が、」
「……ゲートがある?」
<ゲート>。この世界に竜が這い出てくる、その根源。文字通りの入り口で出口だ。
それが、
世界中、ゲートがある地点は派閥国家人種種族関係なく、世界地図に統一明記されている。共有するべき問題として、測量と観察の結果、その
だが、そもそも何がどうなって現れたのかわからない代物でもある。
時たまこうして、ゲートが突然現れることがある。
それが、この戦域――この多種族同盟連合軍基地の近辺で発生した……そんな話を、イワンはしているのだ。
「無限に
無感動に、鋼也はその話を聞いていた。
ゲートがあるからなんだと言うのか。無限に竜が出るなら、無限に暇を潰し続けるだけ……。
破滅的で投げやりな無思考。
そこに沈む鋼也を一瞬眺めて、イワンはまた作業に戻りながら、話を続けた。
「………やめらんねえんだろ?どうして良いかわからない。恨むより疲れちまって、感情の落としどころがないわけだ。そういう時に、なんつうか、切りよくってのも変な話だけどよ……」
イワンの話の意図が読めず、……読む気もなく、ただ耳を傾けるだけの鋼也へと、イワンは話し始める。
「俺には、息子がいた。まあ、俺だけじゃなく、他の奴らも……それこそ扇奈とかだって皆、似たようなもんだろうけどよ。いた、だ。過去形だよ。わかんだろ?そういう世の中だ」
鋼也は余計な口を挟まなかった。
イワンは、作業を続け、話も続ける。
「で、まあ………俺も昔、どうして良いかわかんなくて、トカゲぶっ殺してぶっ殺してよ。いくら憂さはらそうが戻ってくるって訳じゃねえ。お前も、似たような気分で死にに行ったりばっかだったろ?その結果何があった?結局そこにはなんもねえ。なんもねえけど、他に憂さ晴らす方法が、今のお前にゃ見えてねえ。だろ?昔の俺にも見えてなかった。見えないまま疲れ切って、最後には切り良いところをどうにか見つけて、そこを落としどころにしたわけさ」
前の喪失。
……確かに、鋼也は死のうとした。
死に切れなかったのは、別の、それこそ未練に縋ったからだ。
楽になれたのも、同じ理由。死にに行った結果じゃない。
桜が居たから。最初は命令で、いつの間にか命令がどうでも良くなっていた。
そのおかげで、鋼也は今も生きていて、鋼也は今も、苦しんでいる。
「竜全部ぶっ殺す、ってのは、まあ若さだよな。それ遂げるまで若さが持たねえよ。ましてお前、半分別混じってるらしいっても、ヒトだろ?どう考えても寿命がたんねえよ。だから……」
そこで、イワンは作業の手を止めて、鋼也へと……それこそ息子でも見るような、他人である分それよりも幾分親切な視線を向けた。
「ゲートぶっ壊して。それで、……全部まとめて、それを落としどころにしとけよ。何にも出来なかったけど楽にはなりました……ってタイプじゃねえだろ?なんかやり遂げて、まとめて折り合いつけて、楽になれ」
イワンが何を意図して、何を言っているか……鋼也にもわからないわけではない。
ただ、わかりたくないのだ。
わかりたくないと思い、髪飾りを握り続けながら……鋼也は問いを投げた。
「………それでやめて、何が残る?」
「案外なんだって、次ってもんがあっちまうもんなんだよ。こういう、趣味もそうだしな」
そんな言葉と共に、イワンは“夜汰鴉”を軽く叩いた。
その光景に、鋼也は少し笑う様に、息を漏らす。
「……整備は、趣味か?」
「今じゃ仕事だ」
そう、イワンが応えたところで、整備場に踏み込む人影があった。
現れたのは、扇奈だ。
扇奈は鋼也を見て、イワンを見て、努めた軽い調子で声を投げる。
「……結局ここかよ、鋼也。なんの話してたんだ?」
「男の話だ」
妙に得意げに言ったイワンに、扇奈は呆れたような表情を浮かべ、それから、からかう目を鋼也に向けた。
「はあ?ああ……溜まってんのか?」
「違う」
即答した鋼也にどこか嬉しそうな笑みを浮かべ、扇奈は言う。
「よし、鋼也。……人気のないトコでも行くか?」
「からかわれてやれる気分じゃない」
「むしろ、そんな気分の時があんのかって………ああ、いや。まあ良いや。とにかく、飯行くぞ、飯。お前食ってねえだろ、今日。知ってるからな?あんたはあたしが預かってるあたしの部下だ。頭領の顔立てろって」
何もかもを誤魔化すように、そう言った扇奈を鋼也は眺め………やがて、立ち上がった。
扇奈は意外そうな表情を浮かべ、すぐにそれを笑顔とからかいの奥に隠す。
「お?行くのか?………人気ないトコ」
「そっちじゃない。栄養摂取だ」
「精神の?」
「…………」
「怒んなよ、鋼也。そうだ、たまにはよ………」
話し続ける扇奈の後について、鋼也は整備場を後にしていく。
それを見送った末に、イワンは“夜汰鴉”に視線を向けた。
「……なんだかな」
そう呟きながら、イワンが眺めるのは夜汰鴉の傷だ。
今日も、今もその装甲にある、左側の傷。
この一月。戦闘において鋼也が被弾して帰ってくることは、戦闘回数の割には少ない。
ただ、傷を負わないわけではなく……その傷は決まって、夜汰鴉の左側にある。
あの、赤黒く変わった目の側に。
「……また、左っすね、おやっさん」
若いドワーフのうちの一人が、傷跡を眺めるイワンにそう声を投げてくる。
「ああ。左手前だ」
応えたイワンを脇に、若いドワーフは左手の玩具――ドワーフ達が工作したバンカーランチャーに視線を向ける。
「バンカー、今日も使ってねえですし」
「使いたくても使えねえんじゃねえのか?」
「じゃあ、やっぱあの目………」
「……もう目じゃねえんだろ」
それが、一ヶ月鋼也の鎧を観察し続けた上での、イワンの結論だった。
左目が眼として機能していない。
前半分の視野が欠けていて、その方向から来る敵には対処が遅れる。
左手につけたバンカーも、見えていないから狙いを定めようがなく、使いたくても使えない。
世間話のような風情で、若いドワーフは呟いた。
「でも、なんで被弾するんすかね?レーダーで全方位わかんじゃないすか?」
「見えてた範囲は目視に頼ってたんだろ。慣れすぎてんだよ、両目ある事に。当然の話だけどな。で、欠損した分の視覚が、まるまる死角になってる。前まであった反射がはたらかねえんだろ。……多分な」
そして、おそらく鋼也は、その状態のまま、一月戦い続けている。
止めるべきではあるんだろう。だが、イワンが止めろといって止まるわけも無い。
扇奈だって気付いてるはずで、止める言葉くらい投げているはずだ。その上での、この状況。
扇奈で無理なら、今のこの基地に、鋼也の自殺を止められる人間はいないのだろう。
それこそ………鋼也自身のほかには。
だから、誰しも、尻を拭う方向で動いてる。イワンも、だ。
「……例のプラン準備しとくか?」
「改修案っすか?でも、確実に隻眼ならもう……」
「それでも死にに行く可能性高いだろ、あれ。そん時に死なせない準備しとくのが俺らの今の仕事だ。違うか?」
「……違わねえっすね」
どこか軽い調子で、若いドワーフは呟き、離れて行った。
それを見送った末、イワンはまた“夜汰鴉”へと視線を向ける。
止めるべきだと、誰しもわかっている。鋼也自身でさえ、わかっているはずだ。
わかった上で、誰一人力付くでは止めようとしない。それで問題の本質が解決するわけでは無いのだ。
甘いのか甘くないのか。
情があるのかないのか。
まがいなりにも軍であるはずの場所でやるようなことではないが、どうもこのオニの住処は、必ずしも合理性だけで動いているわけではないのだ。
あるいはこれは、鋼也とお姫様がこの基地にもたらした何かなのか。
「若すぎるんだよなぁ……。どいつもこいつも、なにやってんだかな」
おっさんは情に頭を搔き、……結局ガラじゃないと、
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