32話 食堂/賑やかに陰り
向かう先の食堂、静かな夜道に、タガが外れたような喧騒が響いていた……。
「あああああああ………やってらんないわよマジで。ホントマジで。トカゲ居すぎだから。なにが悲しくてこう毎日毎日トカゲ串刺しにし続けなきゃなんないってのよ。やってらんないわ………クソトカゲ絶滅しろ!」
「お嬢、今日はその辺りで………」
「なによ。私に文句あるの?トカゲなの?単眼になる?」
「いえ、あの……おい、だれか兄貴連れて来いよ………」
軍の食堂の一角に、そんな酒乱があった。
酒瓶やらつまみやら、その悉くが宙を舞い、そんな最中をいつにもまして機嫌悪そうに、蕩けた赤ら顔のエルフの女が腰掛けている。
とりまきだろう、周囲には困りきったようなエルフの男達の姿があり、種族として美男ぞろいだからか、その様子はどこかホストクラブのようにも見える。
そんな光景に、食堂に踏み込んで早々、扇奈が目を丸くした。
「珍しいな。アイリスがいるのか……。ずいぶん酔ってんな」
「……いつもあんなだろ」
扇奈の後に食堂に踏み込んで、鋼也は雑にそんな相槌を打つ。
その瞬間、酔っ払いの矛先が鋼也に向いた。
「聞こえてんだけど~……スルガコウヤ!」
音量が壊れたような大声で、アイリスは踏ん反り返ったまま鋼也を睨み、酔っているからか無駄に長い思考時間の間中鋼也を睨み、やがて言った。
「………私に構う気ある?」
「ない」
即答した鋼也に、アイリスは満足げに頷き、踏ん反り返った。
「良い返事ね。その返事に免じて許してあげるわ。精々隅っこで乳繰り合ってなさい!ハハハハハ!」
何が面白いのか笑い出すアイリスに、扇奈は呆れた風に呟いた。
「……ひでえ酔い方だな」
「いつもとそんな変わらないだろ」
「お前、アイリスをなんだと思ってんだよ……」
鋼也の呟きに呆れながら、だがその口数がいつもより多い事に僅か上機嫌に、扇奈は食堂の一角に腰を下ろした。
その左隣に、鋼也も腰を下ろす。
食堂の人員だろう。オニの女が注文を取りに来て、扇奈が適当にそれに応える。
その様子を、どこか空ろな遠い目で、鋼也は眺めていた。ペンダントのような髪飾りをいじりながら。
アイリスはまだ何かしら喚き、酒を舞わせ酒に舞い、周囲の取り巻き達がなだめようとしては酒に飲み込まれていく………。
そんな喧騒が色濃い最中、けれどその一角は静かだった。
「…………」
「…………」
話題を探すように、扇奈は頬杖をついて思考を廻らせ、……結局、何に触れても避け切れないと観念したかのように、やがてこう呟く。
「……前もこんなんあったな」
「家族の話。全部敵。死ぬのはなしだよ、か?」
鋼也も、覚えている。……ここに桜が居た時の話だ。
「そうそう。色々とねぇ……言った割りにあたしはなんもできてねえなって。いや……」
扇奈は呟きを途中で切って………その先を口にしなかった。
頬杖をついたまま、彼方を眺めるような扇奈を、鋼也は横目に………口を開く。
「妹が先に行って、弟が追いかけちまって、だったか?」
「……あんたは別に、あたしの弟じゃないだろ?」
その扇奈の言葉に、鋼也は何も応えなかった。応えない事がある種答えでもある。
扇奈は、肩を竦める。
「あたしは、今、笑ってるのか?」
「そうは見えない」
「だよな………」
吐息の様に扇奈が呟いたところで、二人の前に食事が運ばれてくる。
並んでいる定食を前に、二人は共に手を付けようとしない。向こうで騒ぐアイリス達の声が、その場に奇妙に遠く流れていた。
「……食わねえのか?」
扇奈にそう促されて、鋼也は箸を手に取り、事務的に食事を口に運び始める。
味がしない。……気分の話だろうが、鋼也の感覚としてそれは事実だった。
食事も何も、全部がかすみの向こうにあるような、そんな遠い感覚だけがある。
飲み込むだけの様に食事を口に運び続ける鋼也を、扇奈は頬杖を付いたまま横目で眺めていた。見ているのは鋼也の顔。その、左目。
赤黒いそれを眺めながら、扇奈は逡巡するように軽く指で机を叩き、やがて軽く眉間を搔くと、意を決したように……同時に諦めたような風情で、口を開いた。
「……あんたさ」
箸を止め、視線を向けた鋼也。そこから目を逸らしながら、扇奈は続ける。
「見えてねえだろ。左目」
「…………」
「ばれてねえと思ってたか?」
「……いや。ばれてると思ってた」
静かな雰囲気の鋼也に、扇奈は一瞬苛立ったように眉根を寄せ、だがすぐにその怒気を隠し、ただ疲れたような雰囲気で問いを投げる。
「いつからだ?」
「気付いたらこうだった。……多分、こうなった時から、もう片目は見えてない」
振り返ったら……という話だ。
あの喪失の夜。なぜだか生き延びてしまったあの夜の戦闘。左目が別のモノになった後の戦闘で、左手の
自身の左腕が殆ど見えないのだ。その状態で狙いを定める事ができなかった。だから、使っていない。装備が変わっていないのは、鋼也がわざわざ自分からそれを他人に伝えようと言う気がないだけで、ばれてはいるだろう。
同じ戦場に立っている扇奈や、“夜汰鴉”の整備をしているイワンには。
扇奈は頬杖を付き、空いた手で机を、僅か苛立ったような調子で叩きながら、口調は平静に、言う。
「その状態で……あんたはなんで、」
「………復讐か?」
「イワンにも言われたな、それ。そうじゃない。……どうして良いかわからないだけだ」
「だからまだ飽きずに自殺、か?」
苛立ちが表に出始めた様子の扇奈に、鋼也は苛立ちが伝播したように、投げやりに言った。
「……呆れたなら放っておけば良いだろ」
途端、扇奈の表情が固まる。失言だったと鋼也も気付いたが、弁明しようという気にもならず………。
やがて、扇奈は寂しげに呟いた。
「……それは、なしだろ」
「悪い」
「悪いも、なしだ」
「………世話になってる」
少し間を開けて、言葉を選び直した鋼也の横で、扇奈は小さく溜め息を付いた。
それから、気を取り直そうとでもするように、扇奈は漸く箸を手に取った。
それを横目に……鋼也は呟いた。
「見えてる脅威には、結局、全部抗うんだ」
「…………」
「もう、習性だな。そういう風に叩き込まれてる。反射的に、生き延びるための行動をとろうとする。自分で自分を殺そうって気にもならない。それで喜ぶ奴は誰もいないだろ?」
「だから楽に死のうってか?死ぬ可能性の高い行動を取り続けようってか?片目瞑って?見えない脅威で死のうってか?」
苛立ちを抑えきれない様子で、扇奈はそう、僅かに早口にまくし立て……その末に、額を抑えて肩を落とした。
「あ~……。違う。こういう話をしたい訳じゃねえんだ。こうじゃない。………アイリス!……寄越しな」
突然、そう呼びかけられたアイリスは、きっちり盗み聞きしていたのか、動じた様子もなくグラスを傾け……その周囲を舞っていた酒瓶の一つが、扇奈の元へと文字通り飛んでいった。
それを手に取った扇奈は、グラスに注ぐそぶりすら見せず、瓶から直接、酒を喉に流し込み、飲み下した。
それから、扇奈は一つ息を吐き………呟いた。
「わかってる。わかってるよ……。ばれてると知った上でやってる無茶なんだろ?頼られてるって事にしといてやる。……アイリス!」
鋼也に、返事をする間を与えないように、扇奈は再びアイリスを呼んだ。
「……食堂の奴に頼みなさいよ。どうせあっちも聞き耳立ててるんだから」
そう文句を口にしながらも、アイリスの周囲にあったグラスが一つ宙に浮き、それが扇奈の手元へと飛んだ。
扇奈は受け取ったそれを、鋼也の前に置き……妙に手酌に慣れた様子で、そのグラスに片手で酒を注ぎこむ。
その末に、扇奈は鋼也へと言った。
「吞め」
「俺は、酒は………」
「四の五の言ってんじゃないよ。……あたしが酌すんのはかなり珍しいぞ?」
「そういう問題じゃ……」
「味がしない、だったな」
「…………」
「しない分は諦めて、新しい味を覚ようとしな。生き延び続けるってそう言う事だろ?」
扇奈はそう言って、また酒瓶から直接、酒を喉へと流し込む。
それを横目に眺めた末、鋼也はグラスに、その透明な液体に映った自身を見て………やがて、躊躇いがちに、グラスを手に取った。
*
そこはそこで、ある意味戦場のような惨状だった。
死屍累々。そこら中でアイリスに吞まされたエルフ達が倒れている。
鋼也もまた、机に突っ伏して寝入っていた。
酒を口にして暫く、特に普段と変わりない様子で、それこそ事務的に、注がれるごとに酒を飲み下していたのだが……あるタイミングでプツリと糸が切れたように突然寝入ったのだ。
あ~う~、と時折呻いてはいるが、酔った事がわかるのはその呻き程度。
未だグラスを手放さず、赤ら顔だが最初あったような酒乱の様子もなく、アイリスは寝入る鋼也を静かに眺め、呆れたように呟いた。
「……ほんとこいつ、面白くないわね。吞ませたら面白くなると思ったのに」
「あんたは鋼也に何を期待してんだよ……」
扇奈もまた呆れた様に応える。その周囲には空の酒瓶がいくつか転がっていたが、酒に飲まれたような様子は一切なく、顔色も変わっていない。
アイリスはそんな扇奈を一瞥し、言った。
「それはそのまんま返すわ」
「…………」
応えようとせずグラスを傾けた扇奈に、アイリスは続ける。
「肩入れしすぎてるわよ、明らかに。………言っちゃなんだけど、良くある事でしょ。そりゃ、一瞬悲しいわ。でも、日常よ、日常。でしょ?……同情しすぎ。誰かと被せてんの?」
「……被せてたんだと思うんだけどな………。他人じゃない気はするが、他人は他人。弟みたいなものは、弟じゃない」
扇奈はまたグラスを傾け、けれどもう酒が入っていない事に気付くと、小さく溜め息を付いた。
「忘れちまえって、あたしは言えねえよな。………私情が混じってそうだ」
「……それ、報われないわよ?」
「知ってる」
あっさりとそう呟いて、扇奈は立ち上がり、鋼也の肩を軽く揺する。
「もう帰るぞ、鋼也。起きてるか?」
そう、声を掛けながら、扇奈は肩を貸すように、僅かに呻く鋼也を立ち上がらせた。
寝ているのか起きているのか……意識はなさそうだが一応歩こうとはするらしい鋼也に肩を貸したままに、扇奈は食堂の出口へと向かう。
その背中に、アイリスはからかう調子で声を投げた。
「どっか連れ込むの?」
「……それも良いな」
その気もなさそうに笑い、扇奈は鋼也に肩を貸しながら、食堂を後にしていった。
アイリスはその様子を見送り、……呆れたように呟く。
「めんどくさい生き方してるわね、ホント」
それから、アイリスはまた、グラスを傾けた。
*
終わり始める冬。だが、未だ寒さは色濃く吐く息は白いその夜道を、オニの女は酔い潰れた青年に肩を貸し、歩んでいく。
その最中で、夢でも見ているのか、オニの女は魘されるような声に混じる、その呟きを耳にした。
「………桜、……」
「わかってる。……わかってるよ。ちゃんと、送り届けてやる」
白い息と共に、そう囁き、オニの女は歩いていく。
やがて、辿り着いた先にあったのは、小屋だ。1月以上、家主が戻っていない、
「帰る先は、ここなんだろ?」
誰にともなく、寂しそうにオニの女は呟いて、小屋へと歩みかけ………けれど、その足は途中で止まった。
「……やっぱ、イワンに預けるか。自分で帰るべき、だろ」
自分のその呟きに、どこか言い訳めいた気分を抱きながら……。
扇奈は、プレハブ小屋に背を向けかけ……そこで、トン、と何かが頭を叩いた。
見上げた夜空から、ぱらぱらと、水滴が降り始めている……。
「……良くねえよな。へいへい。あたしだけ風邪引くよ」
溜め息の様に、扇奈はそう、寒雨に白い息を吐き出し、酔いつぶれた青年を、その住処へと抱えて行った……。
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