33話 続く日常/這い始める終焉……

 朝のやわらかな日差しが舞い込む、簡素な、プレハブの小屋。

 鼻歌が聞こえてくるその片隅で、駿河鋼也はゆっくりと瞼を開ける――。


「……あ。駿河さん。おはようございます。……起こしちゃいましたか?」


 ストーブに火が灯っている。淡い暖かさがプレハブ小屋の最中をじわりと巻き込んでいく。

 そんな、暖かさの向こう側に、鋼也の見たい顔があった。

 見慣れた、品のある振る舞い。見慣れた、髪飾り。大抵先に起きていて、大抵部屋の掃除なりをしていた。


 桜はきょとん、と小首を傾げ、不思議そうに問いかける。


「……どうして泣いてるんですか?」


 そう、問われた途端、鋼也は拭おうと、ごまかそうと、「いや……」と、そう愛想悪く返事を投げて、瞬きの様に目を閉じて………。


 *


 開いた先には、薄暗い小屋があった。外は、曇りなのだろう。明かりが薄く、影までも薄く、目の前にあるストーブは、おそらく昨夜からだろう、火がついたままだ。


 痛む頭を軽く振るように、駿河鋼也は周囲を見回す。

 プレハブ小屋だ。いつ振りか、記憶にあるとおり……いや、それより細かな汚れが目に付き、埃がそこらで散らかっている、そんな場所。

 桜の姿は、ない。当然の話だ。他の誰の姿もそこにはなく、座っているのは鋼也一人だ。


 傍に、メモが置いてある。

『めんどくさいから酔いつぶれるな、クソガキ』

 そんな、走り書きが。


「……扇奈か」


 吞んだ記憶はある。だが、その後の記憶はない。

 おそらく、酔いつぶれた末に、扇奈にこのプレハブ小屋に送り届けられたのだろう。

 一体、どういうつもりでイワンのところではなくに運びこまれたのか……。

 おかげで、良い、最悪な夢を見た。


 鋼也は、ドックタグに……髪飾りに触れる。

 薄暗い部屋の中、一人きり……髪飾りを遠い目で眺めながら、鋼也は、酔いが残っているような声で呟いた。


「………女々しいよな」


 その目尻、片目、機能を有したままの目にある涙を指摘する声が、あるはずもなかった。

 

 駿河鋼也は、その場所に耐え切れず、朝早くすぐに、外のぬかるみへと足跡を残し始めた。


 *


 酔いつぶれたからと言って。

 寂しい小屋に追い返されたからと言って。


 それで、何が変わるわけでも無い。

 日常戦場は続いていく―――。


 その日も、竜が発見された。

 その日も、竜を殺しに行った。

 ただ、それだけの日だった。いつもと変わらず、扇奈の隊に混じり。扇奈の様子も普段と変わらず、鋼也もまたいつも通り、口数少なく――緩やかに自殺に向かう。


 動きが鈍かったのは、酒に酔っていたからか、あるいは、夢に酔っていたからか。

 良い夢を見ると死にたくなる。幸福の続きが彼岸にあるように、呼ばれているかのように思えてくる――。


 被弾した。死角、左側から。ただ、食らった瞬間からの行動、衝撃、ダメージの受け流しと反撃はもう、反射が構築されている。


 傷を負ったとて、死に切れず。

 亡霊の様に。

 宛てのない未練ばかりが、竜の死骸の上に立っている。


 その戦闘は、普段通り、危なげなく終わった。

 もう何度目になるのかわからない、50匹程度の竜の群れを制圧し、………駿河鋼也がそのに気付いたのは、だから、周囲の雪が竜の血に解けきった、その後だった。


 黒い、竜がいる。

 この戦場の外れ。かなりはなれた木陰から、見慣れぬ竜が一匹、佇んでこちらを観察していた。


 ただ黒い、だけではない。形が変だ。


 基本の形は他の竜と変わっていないだろう。ただ、その単眼を覆い隠すように、半透明の装甲らしき、ヘルメットらしき皮殻があるだけ。両方の翼は他の竜よりも更に退化し、それこそ猛獣の脚その物のように、移動に特化した形をしている。


 その代わりとばかりに、背には新たな器官が生えていた。それこそ、そちらが腕のような………右手に当たる側に、長大な爪、大鎌の刃を思わせる反り返ったそれが一つ。左手に当たる側には、そちらもまた長大な、杭のような棘がある。


 尾には、見慣れた鋭利さがない。スパイクのついた棍棒のような、そんな凹凸の塊があるばかりだ。


 その黒い竜が―――まるで、鋼也の武装をかのようにも見えるそれが、こちらの戦闘を観察していたらしい―――。


「おい、鋼也。どうした?」


 扇奈に声を掛けられて、鋼也は一瞬、その黒い竜から目を離す。

 そうして、再び戻した視線の先―――黒い竜の姿は消え去っていた。


「……いや。なんでもない」


 見間違えか……あるいはそれこそ幻覚でも見たかと、鋼也はそう思ったのだ。

 自分に似すぎている、竜。

 そんなモノが現れると、鋼也はこれまで聞いた事もなく、それこそ、女々しさが生んだ幻覚だろう。


 “自殺”が具現化した、そんな……気の迷いだろうと。



 *



 幾ら洗い流そうと、染み付いたモノが消えることはない。

 整備場で、血を洗い流される“夜汰鴉”を眺めながら、髪飾りをいじりながら、駿河鋼也はそんな事を思っていた。

 何一つ変わらない。ただの日常に戻るだけだ。


 復讐がしたいと、そんな情念がわいているわけではない。

 他にする事がないから竜を殺している、ただそればかりの日々だ。


 血を洗い流していたドワーフ、イワンは、蛇口を捻り水を止め、鋼也の方に視線を向け何かを言いかけ……結局、肩を竦めただけで口を開かず、作業に戻って行った。


 整備が始まる“夜汰鴉”を眺める………ただそれだけの時間がすぎていく。

 時計の針を進める者は、いつもと同じ紅い背中だ。


 いつの間にやら整備場に足を運んでいた扇奈、遠巻きに眺めるように、入り口辺りに腕を組み肩を預け、扇奈は声を投げてくる。


「………帰んねえのか?鋼也」


 あのプレハブ小屋に、だろう。イワンがさっき問おうとしたのも、同じ内容だ。

 酔いつぶれて運ばれただけとはいえ、鋼也はに一度帰った。


 なんでそこに戻ろうとしないのか、そういう問いだ。

 鋼也は、髪飾りを眺め……端的に応えた。


「………寂しいだけだ」


 そう呟いた鋼也を、扇奈は観察する。考えるように、悩むように眉間を搔き、そのあと、頬を搔き、視線を逸らし。


「そうか。……なら、しょうがねえな」


 様々な色合いが浮かんでは沈む、吐息のような呟きと共に、扇奈は整備場に足を踏み入れ、それから大声を上げた。


「よし。イワン!酒!」

「何処をどう見たらここが酒場に見えるんだ?」


 呆れた、以外に感想がない様子のイワンを無視して、扇奈は整備場を突っ切り、座り込む鋼也に笑いかける。


「吞むよな、鋼也?」



 *



 日常は続く。

 戦場は続く。

 あらゆる揺らぎも続いていく。

 ただ漂うように、流れるままに…………。


 ただ、それは永遠ではない。


 時計の針を進めるのは、舞台上の人間だけではなく、舞台上の人間は、ただ、現実に翻弄されるばかりだ。


 岐路は、目前に迫っている。



 *



 そこは、どこか。

 暗い、暗い、穴の奥深く。

 光源が一つある。

 太陽の様に明るく、月の様に白い、生物的な骨格を持った、球状の巨大な発光体。

 そこから、這い出る。這い出る。這い出る。トカゲ発生繁殖する……。


 生まれでたそれらは、生まれでた途端、虫のようにただ目の前だけを見て……直後、声に呼ばれたかのように、その単眼が一斉に一つの方向を向く。


 太陽のような、月のような、球状の<ゲート>。その、頂上部分。

 トカゲの首があった。

 首だけがあった。元が白く、焼け爛れたようにその色が変色し、身体はどこかに置き忘れ……けれど、頭だけでも確かにまだ動いている、白銀の竜。


 スカしたトカゲ――生首になろうとまだ動いている知性体は、仄暗い穴のそこで、増える配下を眺めながら……ただただ、笑っていた。



→裏演謳歌Ⅱ 円舞曲―ワルツ―

https://kakuyomu.jp/works/1177354054890150957/episodes/1177354054891715967

→10章序 33.5話 裏側で進む事態/拭い難い現実/幸福が秤の上に

https://kakuyomu.jp/works/1177354054890150957/episodes/1177354054891557571

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