29話 泣いた紅鬼

 紅地に金刺繍。

 それを背負ったオニの女は、雪の夜を走っていた。


 嫌な予感がする――部下すらも置いて扇奈が一人先へと駆けて行く理由はただのそれだけだ。


 ついさっき、皇女様を逃がした件で将羅ジジイに囚われていた扇奈は、急に自由になった。

 爺が言うには、『失点を取り返して来い』だそうだ。

 依然にらみ合いが続いていた革命軍の野営地で何かがあったらしい。戦闘があった、と。


 桜が捕まり、鋼也が無茶を始めた――駆けている最中、扇奈の理性が予測したのはそれで、同時に、奇妙に―――思い出してもいた。

 前もこうだった、と。

 妹の後を追って、弟が逝った時……その時も自分はこうやって走ったと。


 どうあれ、嫌な予感しかない。

 一々目に入る雪が鬱陶しい―――そう、どうしようもない事に苛立ちながら、扇奈は行先の炎へと駆け―――目にした光景に、読んでいなかった別の要素が混じっている事を知った。


 竜。

 野営地に、竜がいる。いや、正確に言うと……、だ。


 一匹も動いてはいない。パッと見て百匹、いやそれより遥かに多い……数百匹?死骸が散らばって、死骸の上に雪が積って、積った雪を血が染め上げている。


「…………」


 ただその、静かな地獄を、扇奈は眺める。

 予測が働かなくなっている。嫌な予感が増していく。理解を放棄しながら、観察事実を積み上げながら、扇奈はそのを歩みだす。


 竜の死骸がそこら中にある。

 奥へ奥へと進むごとに、死骸の密度がだんだんと濃くなっていく。


 革命軍を、竜の残党が襲って、革命軍が反撃した?にしては、革命軍の姿が見当たらない。いや、それだけでなく………そもそも死骸はほぼ全部

 革命軍ヒトがわざわざ刀を使うのか………。

 理解できるようで出来ない、いや、………。


 そうして歩んでいく末に、扇奈は地獄の片隅で、これまた予想の外にあった、知った顔を見つけた。


「……アイリス?なに、やってんだ……」


 終わった地獄の片隅にエルフが立っている。冷静な表情を作りながら、けれど隠しようもなく青い瞳を激しく揺らすエルフの女アイリスが。


 その少し離れた位置には、ドワーフの姿もあった。瓦礫に腰掛けたドワーフは、扇奈の視線に、困りきった……弱りきった表情で肩を竦める。


「ほっとくわけねえだろ。……追って来たらもう、こうなっちまってたんだよ」


 それだけ言って、イワンは額を抱える。

 状況が理解できず、僅かに眉を顰めた扇奈の耳に、アイリスの呟きが聞こえた。


「……雪合戦。してたのよ。子供みたいに。本当に楽しそうに。……声掛けられなかったわ。邪魔したら悪いって」


 懺悔のような響きを帯びて、いつになく脆く、アイリスは呟く。


「アイリス?」

「……駄目ね。わかってるのに。どうせこうだって。正直、見たくなかったわ。……勘弁してよ」

「………なに、言ってんだよ」


 嫌だと、扇奈は首を振った。

 扇奈は、酷く頭が回る。理解できないわけがない。ただ、理解

 

 アイリスは、それ以上何も言わなかった。

 イワンも、やはり何も言わず、ただ視線だけを動かした。


 地獄の中心。折り重なる竜の密度が濃くなっていく、その先へ向けて。


「…………」


 口を開きかけ、閉ざし。

 一瞬の逡巡の後に、扇奈はその先へと歩みだす。


 天井を雪が覆う。足元に広がっているのは血と死骸の絨毯だ。

 だんだん、だんだんと厚みを増す切り殺された無残な絨毯。


 一体、一人で、何匹やったのか……。


 その地獄の中心へと、扇奈は抗いようもなく歩み………その光景を目にした。


 雪の中に、黒い鎧が立っている。顔の一部を抉り取られ、けれどそれ以外は無傷で、返り血に赤く染まり切った“夜汰鴉見慣れた鎧”。

 その鎧の手前に、その鎧にもたれかかり、一人の青年が座りこんでいた。


 疲れきったような、やつれきったような、諦めきったような。

 そんな雰囲気で座りこむ青年。


 忘れるわけがない、扇奈が格好付けて送り出した青年。

 片目が――左目が、義眼の様に赤く黒く青年。


 彼は、手元の何かを眺めている。

 それが何かも、扇奈は知っている。


 桃色の髪飾り。誰が付けていた物か、目ざとい扇奈が忘れるわけがない。


 何を言うべきかわからなかった。

 何かを尋ねて、答えられる事実にしてしまうのが、扇奈は怖かったのだろう。

 だから、口を開いたのは青年の方だ。


「………知ってたか?これ、花が彫ってある。……何の花だ?」


 どこかほうけた様に、髪飾りを眺めながら青年は呟き……それから、青年は乾いた笑みを漏らす。


「ふ、ふふ……そうか。忘れようがないな、これじゃ。……酷い話だ」

「何言ってんだよ、……それは………。いや、お前、その目どうした?すげえ色してんぞ」


 漸く、そんな、受け入れる事を嫌がるように、からかおうとして失敗したような、酷く不恰好な扇奈を、青年の目が射抜く。


 赤黒い目は、何の色も映していない。ただ、眺めているだけ。

 元の、ヒトの目は………隠しようも無い狂気と怨嗟に歪み。


 ………その口調だけは、奇妙に冷静だった。


「扇奈。お前、言ったよな。まだやるべき事がある、って。だから生き延びたって」

「…………」

「………俺の、やるべき事って、なんだ?」


 即答できない………どころか、何を言うべきかもわからない、硬直した扇奈へと、青年は逃げる事を許さず問いを重ねる。


「なんで、俺はまだ生きてる?何をすれば許される?」


 奇妙に冷静だった口調にだんだんと色が篭る。隠せるはずもなく受け入れる事すらできないようなドス黒さが、声に、目に、毒の様に炎の様に、せきを切ってとめどなく―――


 青年は、叫んでいた。


「……なんでだ!?なんで俺はまだ生きてる!?死んだはずだ!死ねたはずだ!確かに死んだ!……なんで俺はまだここにいる!?なんで、俺だけ………いつも生き残る!いつも………」


 青年は頭を抱える。嘆き、壊れ、膝を抱え………。


 扇奈はそれを、見ていた。見ているほかには何も出来なかった。

 いつもこうなのは、扇奈も同じだ。駆け出した時にはもう遅く、辿り着いた時にはいつももう、全部全部が終わった後。


 扇奈は目を伏せ、逡巡を浮かべ………その末に、口を開く。


「……あたしは、でまかせ言ったわけじゃない。ほんとにそう思う。死んで、それで良い奴はいないって。でも、あんたはもう、あたしの手を離れたんだ」


 漏れ出ているのは綺麗事だ。飾ったような、言葉の連なり。

 他の言いようを、扇奈は知らなかった。


「何が起きたのか、わかんねえけど、今、生き延びたってんなら、それは、あたしが助けたんじゃない。あんたが自分で、あんたを拾ったんだよ。それがあんたの望みだって、それがあんたのすべき事だって……あたしはそう思いたいよ。………けど」


 そこで、扇奈は、腰の短刀を鞘ごと取り、それを青年へと投げた。

 青年はそれを掴む。鞘を握り、柄を親指で押し、雪の夜に覗くのは短刀の鋭利な刃。

 青年は、そこに写る自分自身を眺める――。


 いつかと同じだ。それこそ、最初に会った時に投げかけたのと同じ事。


 あの時投げたのは、よく知りもしない、浅はかな軽蔑だった。

 今投げたのは、情を思い出した末の………願いだろう。

 だから、扇奈が口にするのは、あの時よりも優しい、それでいて突き放すような言葉だった。


「キツイなら、背負ってやるよ。あんたのしたい様にしな。……他に、なんもねえんだ」


 それは、飾り気のない願いと覚悟だったのだろう。

 どうにも出来ない事を、他人がどうこう言って変わる問題じゃない事を、扇奈は知っている。笑顔が張り付いて嫌になるくらいに、良く知っている。


 扇奈は、自身の太刀の柄に手を掛ける。半身を引く。距離はあっても、扇奈の足なら一瞬、間合いの内だ。

 苦しいのが嫌なら、これ以上は苦しませない。


 だから、全部が嫌だってんなら、背負う。棘にして、忘れないでいてやる。


 それがせめてもの優しさだと、扇奈はそう、信じたかった。

 けれど、願わくば―――。


 雪は、降り続けている。静かに。冷たく。静寂がその場を包み込む。

 青年は見続けていた。短刀の刃紋に映る、自分自身の貌を、同じ手に握った、髪飾りを。

 扇奈は見続けていた。疲れきった青年を。


 うわごとの様に、白い息と共に、青年は呟く――。


「……好きだったんだ」

「ああ」

「……他に何もいらなかった。俺が死んで、あの子が生き残るなら、それで、胸を張って、……俺は死ねた」

「…………桜も、同じ事言うんじゃねえのか?」


 乾いた、こと切れる間際のようにか細い笑い声が、雪の中に響く。

 笑っているのは、青年だ。


「……もっと、傲慢だった。………違うな。信じてくれてた。信じさせてくれてた」

「……………」

「楽しかったんだ。明日の話が。………一人で行っても意味がない」


 短刀の鞘が雪に落ちる。

 抜き身の刃――それを、青年は自分の首へ向ける。

 けれど、青年はそこで止まった。


 何も動かない。降りしきる雪だけが時間を進め、自身に刃を向けながら、青年の胸中は激しく動き回る。


 やがて、青年は、疲れきった様に……握っていたものを取り落とした。

 短刀と髪飾り。

 雪の最中に落ちたそれを、青年は感情のない赤い目で、困りきったようなヒトの目で、………白い息を漏らす。


「……笑ってくれない気がする。逢いに逝っても。きっと、喜んでくれない……」


 うわごとの様に、なぜだか笑った様に呟き、青年は取り落としたモノへと手を伸ばす。

 拾い上げたのは、髪飾りだ。

 短刀は雪に沈んだまま、もうそちらに興味も持たず、青年は髪飾りを眺める。



「なあ。……俺が死んだら、あの子は悲しむのか?」

「当たり前だろ。そんなの、……誰も喜びゃしないよ」

「………そうか。そうだよな………」


 聞く必要も無い、わかりきっている事に、青年はそう呟きを返した。

 疲れ切った様子で、迷子の様に雪の最中に座り込み、青年はただ、髪飾りを、そこに忘れようがないほどに深く掘り込まれたモノを見つめる。


「………桜」


 ただそれだけを、困りきったような表情で、寂しそうに、青年は呟いていた。


 いつの間にか、空模様が変わっている。雪は途切れ、代わりのものが降り始めている。

 それに気付いたのは、青年だ。


 ただただ寂しそう――そんな雰囲気のままに、青年は扇奈へと視線を向け、僅かに首を傾げた。


「……なんで、お前が泣いてる?」


 問いかけられて漸く、扇奈は自身の太刀から手を放した。強く握りすぎて痺れたその指を、扇奈は自身の顔に這わせ、濡れている事を確かめて………そのまま、扇奈は顔を覆う。


「ほっとけよ………誰かが泣かねえからだろ」


 覆い隠した手の影から、涙の跡を見せながら、オニの女はそう言った。

 青年はそれを眺めていた。喪失が大きすぎて、涙すら流れてこない青年は。


「………なあ、良い寝床があるんだ。頭領は血も涙もねえ、そういう振る舞いしかしねえ奴だけどよ、……今更追い出すわけねえし。追い出させねえから……」


 扇奈は覆っていた手を放し、涙に濡れたそれを、そのまま青年へと差し出した。


 冷たい地獄の片隅で。涙を止めようもなく、ただ誤魔化すような笑顔を――本心からの悲しさと安堵、その両方が入り混じった表情で。


 扇奈は、迷子に、こう、……呼び掛けた。


「なあ、鋼也。疲れたろ?………帰ろう?」



 →8章裏 桜花/アイロニー/終わりで始まり

https://kakuyomu.jp/works/1177354054890150957/episodes/1177354054891254301

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