28話 幽鬼
「ええっと……そうだ。言ってませんでしたよね?……お帰りなさい」
躊躇いがちに、あの子が言った。
「結局必要最低限しか喋ってくれないし………もうちょっと仲良くなれたら嬉しいな~って、思ったり……」
覗うように、あの子が言った。
「あ!……直りましたか?あの………F……PA?」
多分、半分以上わざと、可愛くみせるように、あの子はとぼけて。
『――先を思いなさい。逃れ生き延びたその先を。私は皆様の名を決して忘れません。この難局の末―――』
ふと、画面で見た、その雰囲気が意外で。
「私は、決めたんです。駿河さん。………お願い」
泣きそうなその声に、俺は追い詰めてしまったと、怯えて。
「……死なないで下さいね?」
泣きそうなその声に、………俺は覚悟を決めた。
覚悟を決めた割りに俺は不甲斐なく、生き延びて帰って、それでもあの子を泣かせてしまって。
名前を呼ばれたのが、呆れるくらい嬉しくて。
攫いに行って、すぐに頷いてくれたのが嬉しくて。
あの子の自棄に不安になって。
気取って見せて。
あわせてくれて。
照れて。拗ねさせて。不安になって。受け入れられて。
……子供みたいに遊ぶのが本当に楽しくて。
「……鋼也」
最後に名前を呼ばれた時は、あの子はまた、怯えていて。
「……待ってますね」
それはきっと、あの子の願いで………俺はどう、答えたんだったか。
待っているなら会いに行こう。このまま終わればきっと、会いに逝ける。
それが、オレの、心の底からの望みだ。
だから、俺は、このまま死にたくて―――。
余りにも強烈で残酷な
――動かない彼女。見覚えのある服。赤い。頭があるべき場所。バックスクリーンのようなテントの布には赤い液体がべったりと――
死にたいと。死にながら。死を願って。
あるいは、スルガコウヤは
―――
*
ずちゅ。
白銀だった竜は、尾を引き抜く――。
降りしきる雪に血とこびり付いた脳漿が混じる。
左目を抉り取られた黒い鎧は動きを止め、倒れる事もなく立ち尽くす。
死んだだろう。白銀だった竜はそう思った。
まさか頭を潰して生き続ける生物がいようなどと、利口なトカゲが思うはずも無い。
―――
ヒトから、別のモノへの変異過程。
脳構造の、空子受容体の、容積におけるスペースが、強制的に作られた結果。
心は望まず、身体は求めていた奇跡的な変質の結果。
それらを、白銀だった竜が知るわけも無い。
学ぶ機会さえ、存在しなかった。
―――気付いたら切られていた。
白銀だった竜の瞬間移動は、半分以上反射だ。
痛覚に対して
だから首の皮一枚、ぎりぎりであっても常に逃げ延びてきた。
今回も、反射的な瞬間移動は作動していた。
切られた、後に。
それだけ、異常なほどに、その亡者の動きは速かったのだ。
白銀だった竜。その単眼に映るセカイが、ずれる。
たとえ首を切り取られても即死はしない。脳が酸素を得ている数秒は知覚を保有し続ける。
その、末期の数秒―――白銀だった竜が目にしたのは、理解の外にある恐怖だ。
奇跡―――そう呼ぶには余りにもドス黒すぎる、狂気の化身。
黒い鎧――一閃の姿勢のまま止まる夜汰鴉、抉ったはずのその左目の部分で、赤黒い肉が蠢いていた――。
湧き出るように、噴出し、吐き出し、形成されたのは――ただただ血が風化したかのように黒く、瞳孔の変わりに真紅のナニカがある、
その義眼に単眼が―――単眼に義眼が映る。
白銀の竜、だった首――その末期の思考は恐怖しかなかった。
理解不能な存在への恐怖。自身の終焉への恐怖。目の前の化け物への恐怖――。
その恐怖は、恐慌は、
今更、瞬間移動が実行に移る。
白銀の竜の首が消え、首を失った身体が、血を噴出しながら倒れていく――。
直後轟いたのは、咆哮と地鳴だ。
革命軍野営地。その地獄に取り残され、その地獄の最中で恐怖を植えつけられた数多の竜の咆哮と恐慌。
数多の竜が、地獄の中恐怖に淀んだ目をしながら、夜汰鴉へと殺到する――。
血肉の色をした義眼は、死んだような目は、それを無感動に、無表情に眺め………。
――雪夜に、静かな剣閃が舞う。
切り取られたその刹那に舞い散るのは、冷たい残骸だ。
雪。
血。
雪。
よだれ。
雪。
牙。爪。尾。………ただの一閃で両断された何匹もの竜。
殺到する勢いのまま――殺到する途中で死んで――竜の残骸はぐしゃりと雪を滑っていき、返り血だけが黒い鎧に降り掛かる。
誰一人として、それを気に止めた様子はない。
まだまだ竜は迫り。
完成した兵器は、迫る
*
スルガコウヤには、もう、何もなかった。
身体は確かに生存を続け、だが、心の方はもう死んでしまったのかもしれない。
何の思考も存在しない。無意識にただ、積み上げた
元々速く強く動く
でなお俊敏になお強靭に。
幾ら振り回そうと、野太刀は折れもしなければ刃こぼれもしない。
―――その変質もまた遅すぎた。そう、嘆く気力すらなく、それでも執着するかのように、積み上げた技術と反射が竜を殺し続ける。
それは、
おびえ竦み、激情でタガを外しているのが、徒党を組んで襲い掛かる竜の方なのだから。
意思もなく感情もなく、ただ機械的に死骸を量産し続けているのが、ヒトの方なのだから。
ただただ、異様に速いだけの暴力。
死線を越えすぎて無意識に動く効率的な立ち回り。
切って切って切って切って切って切って――――怯えたのか動きを止めた竜を切って。背を向けて逃げ出そうとする竜の尾を踏んで縫い止めて切って。しゃにむに尾を振り回してくる竜を切って。
ただ、むなしいだけだ。
確かに、誰かに、叩き込まれた技術。教え込まれたすべて。他人を生かすために、失いたくないモノの為に自殺を続けて、………けれど結局、それが生かすのはスルガコウヤ自身だけ。
どうしても失くしたくないモノがあった。
それが何か、もう、思い出せない。
笑顔を思い出そうとする。
………弾けたトマトが脳裏を過ぎる。
だから、消してしまいたい。忘れ去ってしまいたい。
その最後を、覚えていて欲しいと、あの子がそう願うとは思えないから。
白い雪の最中に忘却してしまったように―――心がすべての理解を放棄する。
冷たく、楽しそうに、雪玉をぶつけられた思い出が。
生臭い返り血にすべて覆い隠されるまで―――。
*
気付くと、スルガコウヤは、静かな地獄の片隅に立っていた。
竜の死骸が見える。竜の死骸が見える。竜の死骸が見える。竜の死骸が見える。
視界の続く限り、動くのはもう雪だけの、そんな、静かな地獄。
その風景を眺めても、スルガコウヤは何の感慨も抱かなかった。
ただ、自身がその戦域を制圧したことだけを理解した。
理解した上で………次に何をするべきかがわからない。
何処に帰れば良いのかもわからない。
何を求めれば良いのかもわからない。
迷子のように、ただ白いモノだけが無機質に降り注ぐそこを、返り血で真っ赤な甲冑は歩き出した。
脳が麻痺していたのだろう。再生した反動もあったのかもしれない。変質した副作用もあったのかもしれない。
……ついさっきまで確かに抱えていた激情がなんだったのか、スルガコウヤは思い出せなかった。
真っ白な中、赤い、足跡を残し………人形のような足取りで、スルガコウヤは何処へ向かっているのかもわからずに、歩んでいく。
雪玉をぶつけられたような気がした。気のせいだろう。そちらへと歩く。
からかわれたような気がした。気のせいだろう。そちらへと歩く。
――そう、全部、気のせいだ。
知っていただけ。忘れようとしても、
落し物が、何処にあるのかを。
スルガコウヤは足を止める。
オニの力で無理やりFPAを動かしていただけだ。たとえ傷がふさがったとしても、体力がもうまるで残っていない事には変わりない。
雪が身体に積っていく………。
このまま眠ってしまおうかと、スルガコウヤはそんな事を思った。
けれど、そんな事を考えてみただけで、結局、スルガコウヤは立ち上がった。
真っ白な世界だ。そこら中に残骸――竜、テント、FPA――それらの形は見えるのに、色はすべて雪に溶けている。
そんな真っ白な世界に、たった一つだけ、不思議と、色が見える。
……髪飾りだ。
それを、スルガコウヤは拾い上げる。それについた血を指で拭い、その色を眺める。
死にたいと願った。けれど………死ねはしなかった。
忘れたいと思った。けれど………忘れる事はできそうになかった。
すぐ傍に、豪華だったテントがある。
………見に行こうとは、思えなかった。もう一度見たら、今度こそ笑顔を思い出せなくなる気がする。それは、寂しすぎる。
よろよろと、ふらついて、鎧の元に戻り、返り血が服につく事もいとわずに、それに背を持たれて座り込む。
座りこんだままに、手の中の髪飾りを眺める。
涙は、出なかった。
悲しくなかった。悲しいと言う言葉で言い表せない喪失を、だから、スルガコウヤは受け入れきれないまま、嘆く体力も気力もなく。
座りこんだ青年を。
髪飾りを眺める青年を。
ただ、ただただ………雪だけが包み込んでいた――。
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